Message ―委員長メッセージ―
「世界に日本が存在してよかったと思う時代」のために
結論から言えば、もちろん教育は国家100年の計であり、あらゆる面において重要な課題が充満していますが、「グローバル問題」という切り口から考えると、急務の事柄は外国語コミュニケーション能力習得はもとより、「日本にとってのグローバル社会」についての学習・教育ということになります。
我々が直面している問題は、世界200ヶ国の中の1つの国である日本、そしてその日本が海外の国々と関わらないかぎり、国として成り立っていかなくなるという事実です。
教育交流プログラム(アウトバウンド、インバウンドを含めた)は体験学習として、その大きな手段の1つなのですがそれだけでは不十分に思います。
その教育のため、学校教育の科目で言えば「グローバル科」と「日本科」の設置の必要性です。この2科目の内、かなり困難が予想されるのが「日本科」です。いくつかのポイントに集約はできるかと思いますが、あまりに、日本文化は多岐にわたっており、それをどの様に体系化して、どのように学年別に教えていくかということは、専門家・学者にとっても、狭く深くそれぞれの専門分野が細分化し過ぎており、総合的に日本とは何か?ということを体系的に纏めることはかなりの難事業であるように思います。
以下のエピソードはほとんど伝説で、その真偽がどれ程であるかわかりませんが、日露戦争時に、戦争遂行を有利にするべく、日露戦争不介入を掲げていたアメリカに派遣された金子堅太郎はその日本広報外交に成功します。 その理由は2つ、1つ目は、彼は18歳から7年間アメリカ に留学し、ハーバード大学を卒業するわけですが、留学中に後に第26代アメリカ大統領になるセオドア・ルーズベルトと友人になっていたこと。2つ目は、既に大統領になっていたルーズベルトの「日本をアメリカ国民に理解させるために、日本についてどう説明すればよいか?」との問いに、金子は予め携えていった新渡戸稲造の「武士道(Bushido: The Soul of Japan)」をルーズベルトに渡し、彼は一晩でそれを読み理解したということです。
もちろん、現在の日本を紹介するのに、あるいは学ぶのに、事はそれほど単純ではないわけですが、日本とは何か?をなんらかの方法で説明することがいかに重要であるかは伺えます。留学であれ仕事であれ、その海外の国々の相手の方が、まともであればあるほど、日本について深いコメントを求められるはずです。
我々の教育現場は既に動いており、差し迫っています。来週にも留学する生徒が、海外で日本について尋ねられて、直面する問題でもあります。そして当然、行政の「日本科」創設にはまだ時間がかかるように思われます。このメッセージをわざわざお読みの皆様方には、すでによくご存じの方々も多いかとは思いますが、先ず、日々教育に関わる我々が、実は急務であるこの分野でとりあえず、どこから手を付けていけばよいかをご紹介しておきましょう。
行政が遅れていれば、官を恃まず、まず我々で勉強するしかありません。 司馬遼太郎の「この国のかたち」(文春文庫全6巻)があります。彼の所謂、司馬史観には賛否色々おありかと思いますし、私も個人的に必ずしも全面的に賛同しているわけではないのですが、このエッセイは大変読み応えがあります。1986年3月から月刊文藝春秋の巻頭随筆として、1996 年の彼の逝去までの10年間掲載されていたもので、日本についての比較文化論的、歴史的、哲学的エッセイです。毎月、1つのテーマ・項目(全121章)から日本とは何か?ということをしばしば海外・他文化と比較しながら、切り込んでいきます。(日本を考える時に当然なのですが、海外との比較が大変 重要なことになってきます)。
彼はこの「この国のかたち」について、この連載半ばの1990年のインタビューでこんなことを言っています。
『…しかしながら、あらためて(日本とは何か?を)問われてみればかえっておぼつかなく、さらに考えてみれば、日本がなくても十九世紀までの世界史が成立するように思えてきた。となりの中国でさえ、成立する。大きな接触といえば十三世紀に元寇というものがあったきりで、それも中国にとってはかすり傷程度 であった。…ともかく、十九世紀までの日本がもしなくても、ヨーロッパ史は成立し、アメリカ合衆国史も成立する。ひねくれていえば、日本などなかったほうがよかったと、アメリカも中国も、夜半、ひそかに思ったりすることがあるのではないか。しかしながら今後、日本のありようによっては、世界に日本が存在してよかったと思う時代がくるかもしれず、その未来の世のひとたちの参考のために、とりあえず…(日本についての)さまざまな形を書きとめておいた。それが、「この国のかたち」とおもってくだされば、ありがたい。』
今、我々は数多くのグローバル問題に直面しています。民族紛争問題、移民問題、貿易自由化問題、そして疫病問題も新たなグローバル問題です。どれ一つをとってみても極めて難しい問題ばかりです。
そのグローバル世界の中で、我々は、先ず、日本をどうのように世界に説明していくのか?日本及び世界が拠りどころにできる哲学(安全保障・経済活動も含めたグローバル倫理も)とは何なのか?ということを自ら考えつつ、同時に、日本と世界に貢献できる人材を育成して、世界の人々に「日本が存在してよかった」と思ってもらえる時代を作っていかなければなりません。
道は遠いようにも思えますが、それはひたすら、これからの我々の行動と、我々の 生徒・学生達に託されているように思います。
以上