かけはし vol.13
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Q:この言葉は日中両国の深い文化交流を反映していますが、それについてどう思われますか。A:日本と中国には残念な歴史もありまQ:中国の伝統文化についてどのように思われますか。また、どのように学びましたか。A:私は、日本、中国、西洋の、およそあQ支援物資のこの1行の漢字ですが、何故ここまで大きな反響になったと思いますか。A:日本と中国だけが同じ漢字文化圏ですには、参加された先生方の間ではこの詩「山川異域風月同天」は国際交流の理念の詩として話題となっていました)。すが、美しい歴史もあります。ある意味、1300年前の鑑真和上の来日は古代の美しい日中交流の歴史の象徴でもあるかと思います。鑑真は、当時、日本から見れば、遥かに文明の進んだ大唐国から未開の日本へ「仏教」を教える、伝えるためだけに、命の保証もない海を渡り、様々な困難を乗り越えてやってきたという偉大な高僧です。今日、日本人の精神の一部を形成している「仏教」を教えてくれた大恩人であると思います。幸いなことに鑑真は依然として日本でも大変有名であり、鑑真像、鑑真の建立した「唐招提寺」は国宝に指定され、現代にまでその1300年前の建物をいくつか残しており、数多くの人々のお参りで賑わっています。また逆の観点から見れば、「遣唐使」は7世紀から9世紀までの250年以上もの間に文字通り命も顧みず当時のエリートたちがさまざまな中国の文化を学びに海を渡ったわいます。けです。それほど、中国の文化に憧れていたことになります。実際に遣唐使後半の9世紀、弘法大師・空海は長安の青龍寺に真言密教を学びに行くわけですが、4隻のうちの2隻は難破し、しかも彼の船ははるか南、福建省にまで流されています。そして現在、寺院数9000の一大宗派です。少し時代は下りますが、日本で1万4000の最大寺院数をほこる禅宗である曹洞宗の開祖道元は13世紀ですが、南宋の時代に浙江省寧波の天童寺に留学しています。私たち日本人の「ものの考え方」の中に、本来からあった「アニミズム的自然崇拝である神道」と融合して中国より教わった「非常に理性的な仏教」は深く関わっていると思らゆる芸術・文化(文学、思想、絵画、音楽)に興味があります。大学では学部では哲学、大学院(中退です)ではフランスの詩を専攻しました。中国については、中国の古典詩、思想:論語、孟子、荘子、老子、近現代の魯迅、歴史では史記や三国志から孫文に至るまで、そして子どものころからの西遊記、水滸伝、全て大好きです。特に、日本では漢詩は中学3年生で習いますが、多くの生徒はあまり興味を示しませんが、私はなんて美しいんだろうと感動して、それ以来いろいろな漢詩を読んでおり、漢詩が大好きです。そして、今回大変奇遇なのは、中学1年で初めて感動した漢詩が、次の李白の詩です。今も普通に日本の中学の教科書にあると思います。黄鶴楼ニ孟浩然ノ広陵ニ之クヲ送ル              この「黄鶴楼」のある所がまさに「武漢」です。そしてこの「広陵・揚州」こそ、鑑真和上のいた大明寺のある街で、しかも鑑真と李白とは同じ時期の人間です。その武漢への支援の漢詩のご縁で評判になるというのも本当に不思議なご縁です。もちろん、故人、西ノカタ黄鶴楼ヲ辞シ、烟花三月、揚州ニ下ル。孤帆ノ遠影、碧空ニ尽キ、唯ダ見ル、長江ノ天際ニ流ルルヲ。そんなことは後になって気付いたのですが。ある意味、現在の日本語の文章・書き言葉は「漢文の書き下し文章」を基礎としています。日本語(国語)をきちんと学ぶには古典である「漢文」(中国古典)は不可欠であると思います。(残念ながら韓国は「漢字」を否定してしまったように思います。これからどう変わるかは分かりませんが…)。その「漢字文化圏」の人間として、この簡単な8文字はやさしい漢字で非常に理解しやすく素晴らしい詩だと思います。今回、支援物資の張り紙に「山川異域風月同天」を小さく入れたのは、確かに私のセンスではありますが、これだけ大きな反響を呼んだのは、やはり「たった8文字の詩の力」と鑑真和上や遣唐使という「1300年の交流の歴史のエピソードの力」だと思います。詩経の大序に「詩ハ志ノ之ク所ナリ、心           に在リテハ志ト為リ、言ニ発スレバ詩ト為ル。」とありますが、文字通り、「長屋王の志と詩」が1300年後にも生き続けている、ということかと思います。20回の派遣で、生還率50%という条件の中、■■■■■■■ ■ ■ 令和元年度 活動の軌跡11“山川異域 風月同天”

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