うちのフリースクールに通う男子が『獣の奏者』というファンタジー小説にはまっていると言って、熱っぽく語ってくれた。そして、全8巻の最初の2巻を貸してくれた。特に1巻は“泣ける”と言うのだ。
生徒と同じ世界を共有したくて読み進めた。
確かに面白い、描写が目に浮かぶようで、良くできた話だと思って読み終えた。
しかし、“泣く”ことはなかった。
近頃は加齢と共にめっきり涙もろくなり、保険会社や製薬会社のCMでもうるうるすることがあるのに、泣けなかった。
何か純粋な子どもの心を失ってしまったようで淋しいような残念なような気がした。
2巻読み終えて生徒に返したら、3、4巻を持ってきていた。
ここのところ毎晩読んでいる。泣きはしないがすっかり虜になっいる。
就業時間中にまで読みたい衝動にかられる。
さすがは史上二人目の国際アンデルセン賞(児童文学のノーベル賞)作家だ。
そんなことも知らずに夢中に読んでいたが、かなり以前からアニメ化されたりした話題作だったようだ。
でも、アニメではなく原作から入って良かったと思っているし、全部読み終えるまではアニメは見ないようにしようと思っている。もうすでに自分の中に出来上がってしまった世界を壊されたくないので。
苦手なことに取り組む方法(その4)
超介です。
英文法が苦手な理由として、英語という科目の特性の理解が不足していたことがありました。ではそれはどうしてそうなっていたか、その理由です。これは塾を運営していると塾生たちの様子からも気づくことです。それは、「たちどまって思考する能力(方法)」の不足です。
様々な原因で、上手く課題がこなせない人は、或いは、時は(もちろん課題がその人にって過剰である場合を除きますが)何故そうなのかを、必要な時間とエネルギーをかけて思考することができない場合が多いように思います。解決方法をいくら論理的に、必要に応じて説明しても途中で思考放棄してしまいやすいのです。そういった作業に耐えられない事が多いです。脳の中に、新たな思考回路を作るためには、エネルギーが必要ですが、それを出すことができない状態です。
その人なりの価値観、思考方法が邪魔をしてそれを妨げます。私の場合の英文法でいえば、英語という言葉の世界についての偏見です。浅い理解しかしていなかった。「覚えればいいんだろう、全部、言葉なんだから」というような、です。数学が苦手な人が、どの公式を使えば良いのか、だけで理解を進めようとするのもその例です。仕事のPDCAサイクルが回らず、DCだけのような状態です。
その時の課題にふさわしいエネルギーが出せない、或いは出す方法が身についていないことをクリアすれば良いのです。そのためには、学ぶ人が、興味を持って、そのことに自然と注意を払える、ストレスのない環境などがあるとクリヤーしやすいです。その方法として、コーチングやらアクティブラーニングも有効です。
苦手なことに取り組む方法(その3)
超介です。
英語が苦手である理由は英語の言語的な特性の理解をせず、まるでAIが言語を翻訳するように学ぼうとしていたからでした。例えば、単語の「意味」を理解しようとせず、和訳を暗記することをしていたのです。一つの英単語の意味と日本語訳が対応するのは専門的な世界では、例えば生物の学術名のようにあり得るのですが、もう少し幅が広い世界で使う言葉においては英語と日本語が一対一対応しているわけではありません。その英語の訳例を通して見えてくるコア的なセンスを身につけるように心がけなければ、英語の学びは深まりも広がりもしません。それは英文法においてもしかり。
でも、面白いことに、AIと違って人間の場合は基本的なトレーニングを繰り返せば、英語の場合でも 他の範疇でも自然とそのコア的な意味を、意識していればですが、把握することができます 。「読書百回意自ずから通ず」というように学びは進化をします。ある臨界点までくれば ぐんと深まるのです。逆に具体例の理解、取得から入らないと意味は取得できないとも言えます。いずれにせよ、そういった構造を知ったり、気づきができるとより物事が「できる」ようになります。
このことは、全てに通じることです。数学を学ぶ際、苦手な人は問題を解く際に、パターンや公式を覚えて、それを機械的に使うことに終始し、その意味を理解する余裕がありません。従って応用的な問題になると単純な公式適用では済まないので対応出来ません。それは、理科でも社会でもあるいはスポーツでも、芸術でも事情は同じです。それぞれの範疇における有用な具体的トレーニングを繰り返し、本質的な意味に迫っていければ学びは深まります。その進化の様子は対象に関わらず、よく似ているので、一流のプロの人たちの発言は、他の人たちの感動をよぶ場合が多いのです。
親育ち・子育ち
こんにちは。
教育コーチの あずみん です。
3番目の子、次男が人生航海図へ参加中。
高校を卒業し、予備校に通いながら私塾を手伝う中で、教育コーチングを学びたいと言い出した。
それまで、私がかける彼への承認の言葉も「コントロールされてなるものか」と抵抗していた彼。
私の本心、、心のどこかで「変わってくれたらいいな」という思いが、敏感な彼に伝わっていたからかもしれない。
そんな彼が、後悔や失敗、そして人へ教える楽しさを経験する中で自分から言い出した。
何気なく「こういうのがあるけど」と言って人生航海図を案内したところ、「行く!」と。
私自身、行ったことがないので、どんなところか全く知らないけど、スペシャルなトレーナーとそこに集まる「大人」に囲ま
れる彼。。想像がつかない未知の世界だが、トレーナーと受講者、息子を信頼。「期待がない」と言ったらうそになるが、
今は興味深々で待っている。
朝、長崎から車で博多まで送った。車中彼は寝ていたが、小さいころの可愛い可愛い姿ばかりが目に浮かんだ。
コンナ感情になるなんて思いもしなかったけど、自分の懐にいた子どもを手放すような、「親」の気持ちがどーっと押し寄せた。
私、こんなに愛情深い親だったっけ??
新幹線に乗り込む前、頭をなでなでしたくなり、なでなでした。
新幹線の座席に座る彼。一人旅は初めてではないし数日したら帰ってくるのだが、この感情を言葉で表すには時間がかかりそうだ。
ただ、「親」であることを実感している2日目です。
あずみん@長崎 2017.6.24
苦手なことに取り組む方法(その2)
超介です。
英語は苦手な教科でした。大学卒業以来、大手学習塾に勤務していましたが、数学やら理科が担当科目、ところが52,3歳ころに急遽中学生に英語指導を所属の会社より依頼されました。その際英語の勉強を、少しして英検の2級を取得もしました。退職後塾を始めて、さらに高校英語も必要になったので、ここ2年ほど学習をしています。
そこで、英語の勉強法の本を数冊読んだりしていると「音読」がポイントであることがわかり、「音読」になれることにしました。さらに、その後勉強を進めていくと「listening」「英作文」「英文法」「単語」等々について、身に着けるべきことがわかり、これらの課題を明確にしていくことを計画しました。つまり、英語の場合は、どの教材をやればよいかを決めることでした。目標を決め、教材を集めて、調べて、比較してそれぞれの課題の教材を決定しました。さらに、どのような順序で学習を進めればよいかを念入りに検討しました。
最終的には、毎日どのような作業をすればよいかまでを突き詰めました。ここまでは計画段階ですから、比較的順調に決めることができますが、次のステップが難題です。最大の課題は継続性の確保です。つまり毎日学習を継続することです。教材を決めるよりは、こちらのほうが難しい、このことにはエネルギーが必要でした。
継続性の確保で有効なのは、原点に戻ることです。始めようと思った決意、想いを思い出すこと。学習も、でも趣味でも思いがあれば動機づけができて継続できますが、できないのは忘れるからです。常に思い出す工夫が必要でした。そのための具体的方法が「記録」することでした。
脳の中に、始めようとした時の想いの回路を再生することです。それを繰り返していくうちに習慣化され継続することができます。さらに、効果が上がり、モチベーションが上がるのでさらなる継続性の確保ができます。そのために「記録」が有効でした。
第二次反抗期
皆さま、こんにちは。 三重大学大学院生・教育コーチのいっすぅぃ〜です。
ちょうど1年ぐらい前の授業のことです。「常識」を覆される経験をしました
ってことで、今日の投稿は「アクティブラーニング」として。
教育コーチングを学んでいらっしゃる皆さんは、いろいろと繋がるところを見つけられるかもしれません。
で、その「常識」を覆すもの。それは『第2次反抗期』のこと。「第2次反抗期は日本だけの概念だ」ということです。そのことを、教育心理学の授業で知りました。確かに、心理学辞典によると、その概念自体が載っていないものもあり、日本独自のもののようです。
その時に私がした質問。
【尾崎豊はどうしてああなったんだろう?】
人は、権利主義的な中で育つと、その力への抗いを強めるようです。と考えると、彼はそのような家庭環境で育ったのかもしれません。
というのが、教授のお答えでした。
その後もいろいろと考えていました。
尾崎ファンの私は彼のライブにも何度か言っているし、いくつかのエピソードも知っています。それらを思い出してみても、親が高圧的で権利主義的という話しは聞いたことが思い当たりません。
で、原点に戻ったら、なんとくすっきりしたんです
やはり、学校というシステムだったのかな、と。
もしかしたら、愛情の多い親と学校の間に確執のようなものがあったのかもしれない。
最近の若者は反抗をしない、なんて言葉も聞きますが、「それが本来の姿」と聞くとどう思いますか?
Honesty is my policy! いっすぅぃ〜でいた。
苦手なことに取り組む方法
超介です。
勉強でも仕事でもそうですが、苦手なことでもやらねばならないことに出くわします。締め切りあるいは期限ぎりぎりまで、手を付けることができず、逃げていて直前で何とかやりすます。
そのような経験を沢山しやっと引き出したのが、すぐに着手すること。たとえば、作文だったらテーマと名前と一行だけ書くこと。あるいは問題だったら一問だけとくこと。動き出せば継続するのにはエネルギーは、そんなには使わなくて済みます。だから、すぐ手を付けて置くことです。
すぐ着手するのは良い方法ですが、それだけでは済まない時もあります。資格試験とか、入学試験のように準備の範囲が広く、そのレベルも高いような場合です。数ヶ月、あるいは何年も時間がかかるような場合はどうするか。
このような場合は戦略が必要です。必要な準備は何ができるようになれば良いのかを明確にすること、そして継続性の確保です。その次にやるべきことを分解して小さな単位に落とし込むこと。つまり毎日行うべき作業を決めること。
この毎日行うべきことは、内容・量ともにいやにならない程度に決めること。これぐらいならできる、というようにすること。
日々の作業が決まれば、継続性が確保できるように仕組みをつくること。いつするか、どこでするか、できたらどうするかを考えて継続性を確保します。
このようにして、苦手なことに取り組んできました。すると実践していくうちに、苦手なことが何でもないことに変わり、ちょっと楽しみなって、さらに得意なことに代わることもあります。
教育コーチング体験セミナー in 浦和 開催しました!
埼玉の教育コーチ、Gao!です。
一週間前の6月10日(土) さいたま市市民会館うらわ 集会室において、
人が育つコミュニケーション「教育コーチング」体験セミナー in 浦和を開催しました。
今回は、5名の受講者、そして中級コーチと準上級コーチがお手伝いに来てくれました。
ぎょうざじゃんけんに始まり、受講者同士でお話をしたり、ワークをする時間を多くとりました。
皆さん、積極的に参加してくださり、活気のある2時間となりました。
セミナーをしながら、カウンセリングとの違いにも話が及びましたが、コーチングとは、
相手がどこに進んでいきたいのか、それを引き出すことなのだということを改めて感じました。
自分がどこに進んでいきたいのか、それを明確に意識している場合もあるし、何となく進んでいる場合もある。
また意識の上では、Aに行きたいと思っているけれども、無意識の自分はBに行きたいと思っているかもしれない。
本当は、どうしたいのか?を問いかけるのも、コーチの役割だと思います。
そしてあのゴールに行きたいと思っていても、それを邪魔するものがある。
本人が、邪魔するものの存在に気づき、取り除くサポートをするのも、コーチの役割です。
コーチングをする時には、「判断」を手放して、フラットな状態で聴くことが重要です。
私たちは知らず知らず「できるかできないか」「自分に関係あるかないか」
「好きか嫌いか」「正しいか間違っているか」を考えながら、話を聴いています。
そんな判断が起こった時には、判断に気づき、それを脇に置いて、ただただ相手の話を
受け取ることに集中します。
自分がどんなフィルターをとおして、物事を見ているか、普段から観察してみることも面白いです。
何をプラスとして見ているか、マイナスとして見ているかは、人それぞれです。
体験セミナーの受講者で、小学校の英語の先生をされている女性の言葉が衝撃的でした。
私は娘に、「世界中の人が絶対ダメだということ〜例えば、人を殺すとか〜以外は、
何がいいのか、国や時代によって違うのだから、絶対にダメって言うことはないんだよ。
学校も行きたくなかったら、行かなくてもいいんだよ。勉強することは必要だけどね。」と話しています。
これくらい、広い気持ちでいたら、人と人がぶつかることもなく、ひとりひとりが創造的な意見を出していけることでしょう。
彼女(受講者)は、日本の学校が「苦手」で、アメリカの大学に進まれ、そこで
アクティブラーニング型授業を受けられたそうです。
「日本の教育は30年遅れている」と昔から言われるけれど、本当にそうだと語っていました。
体験セミナーでは、アクティブラーニングにも話が及びました。
これから、勤務先の学校に取り入れようと学び始めた方、アメリカの大学でALによる授業を受けられた方、
そしてすでにALを深く学び、ALの研修を実践されている方がいらっしゃいました。
日本青少年育成協会では、「教育コーチングをベースとしたAL実践講座」を開講しています。
授業者としてのあり方や姿勢、引き出すコミュニケーションを大切にしながら、ALの様々な手法を学び、
最終日にはひとりひとり模擬授業を行って、フィードバックし合います。
私も昨年秋に参加しました。
そこで感じたのは、先生たちが「教えたい」「教えなければ」を手放す大切さです。
先生としての責任感やビリーフから、教えることを手放せなかったり、また教える快感も、
やめられない原因のひとつかなと感じました。
「教えなければ」「させなければ」を持っているうちは、主体的な学びの実現は難しいことでしょう。
ALをこれから実践しようとされている方、実践されている方には、ぜひそのベースとして
教育コーチングの考え方を知っていただきたいなと思います。
「教育コーチングをベースとしたアクティブラーニング実践講座」については、こちらをご覧下さい↓
今後の体験セミナーについては、こちらをご覧下さい↓
埼玉では7月12日に東浦和で開催します。
お風呂の時間
皆さま、こんにちは。 二児の父、教育コーチのいっすぅぃ〜です。
父として、楽しみの時間が「お風呂の時間」
お風呂ではゆっくりと語り合う時間を取ることができます。ですが、この春から少しずつ風景が異なってきました。
まず、長女。この春から小学校6年生。
3月末あたりだったでしょうか、彼女が宣言したのです。 「4月からお風呂は1人で入る!」
力強かった(笑)
それまでは、祖父か私と入ることが多かったのです。それまでのように「一緒に入る!?」と誘うと、「4月から1人で入るって言ったでしょ!」と強い語気。 宣言どおり、4月からは1人で入る、あるいは祖母か母と。 段々と女になっていくだな
3日前のことでした。
長男と一緒に入っていると、「髭剃り貸してぇ」と。「何するの?」と聞くと「髭を剃る」と。 当たり前ですが…。
長男は中3。 おぉ、もぅ髭を剃るようになったんだな
なんだか、少しずつ、大人になっているようです。
Honesty is my policy! いっすぅぃ〜でした。
どう観るか
教育コーチの なおです
平日夜の図書館での光景
高校生率が高い自習室
数学やってる子
スマホで何かしてる子
英語やってる子
友達と小声で遊びの予定を確認してる子
何かの資格用の勉強してる人
iーpadでご贔屓の役者さんのブログ読んでる人(私
そんな中に小学生が1人
20時過ぎにこの図書館で小学生の自習を見るのは初
何してるかな〜って
ぼんやり見てたら
時折、両手を膝の方に持っていく
腿の間にゲーム機を置いて、何かしている
この子、コソコソとゲームすることが癖になってるのかな?
って悲しくなりましたが
待てよ
「自習室という場所柄ゲームはそぐわないと判断し
コッソリとやっている
配慮がある子」
そう観てみると
「悲しい子」ではなくなって
なんだか可愛らし子にみえてきました