TKです。
おとといから関西に居ます。
目的は亀岡での指導者育成委員会(コーチングトレーナー総会)と、昨日は、こちらも私の新しいライフワークに入った「アンガ―マネジメント」についての総会への参加です。
想いがあって、行動が生まれて、一つのものが形になっていく。
どちらも、そういう場だったので、二日間、刺激をたくさん頂ける内容でした。
私が出来ること、形にしたいこと、しっかりと意識して一日一日を精一杯
引き続き過ごしていきます。
TKです。
おとといから関西に居ます。
目的は亀岡での指導者育成委員会(コーチングトレーナー総会)と、昨日は、こちらも私の新しいライフワークに入った「アンガ―マネジメント」についての総会への参加です。
想いがあって、行動が生まれて、一つのものが形になっていく。
どちらも、そういう場だったので、二日間、刺激をたくさん頂ける内容でした。
私が出来ること、形にしたいこと、しっかりと意識して一日一日を精一杯
引き続き過ごしていきます。
会長になったおしょうさんです。
わたくしは、今年度、下の娘の保護者会の会長になりました。エヘン
最初の大きな仕事は、入園式・進級式のあいさつ。
そんなに大きくない保育園のホールのため、来賓・園児以外はいすがありません。
園長先生のあいさつ、職員の紹介、来賓の祝辞
そして、いよいよ私の出番。
いやあ、園児含め、150名以上の前に立つと、なかなか心地よい緊張感。
左前には愛娘が、じーっとパパを見つめています。
保護者会長としてより、先輩パパとして、しっかり想いを伝えました。
「わたしたちは、こどもたちの失敗やほかの子との比較に目が行きがちです。」
「上の娘は、保育園で、食べられなかった多くのものが、食べられるようになりました。」
「下の娘は、友達としっかりケンカができるようになりました。」
「できない、ではなく、たくさんのできるを、お子さんたち、先生たちと一緒に感じてください。」
「大きな耳、小さな口、優しい目で接してくれる先生たちと一緒に保育園生活を大切にしていきましょう。」
あいさつ終了後、娘とハイタッチして、退席。
自己満足ですが、お父さん、お母さんたちに伝わったなと思っていました。
式終了後、先生方から、
「お父さん、いいあいさつでした。」
「会長さん、すばらしいメッセージありがとうございました。」
そんな、そんな、恐縮です。
でも、一番うれしかったのは、
そのあと、娘から、
「パパ〜〜!」
「きらきらして、かっこよかったよ!」
40歳のパパがきらきらして見えた、ほんと?
それを言っている娘が、きらきらしていました。
ありがとうね。
写真は、バレエ練習終了後、ポーズをとる娘です。
コンサートまであと1週間。
今度は、娘の番です。
■さくら満開! 気分は最高! みなに幸せを!
さくら満開!
気持ちいいです、幸せ気分!
1年のなかで、この時期のために力を出し切る“さくら”さん
すばらしい、すばらしい。
さくらをみて感じるだけでエネルギーが湧いてきますね
みんなのところに“幸せ” 届け!
◆追伸
私も “さくら咲きました!”
ピッカピカの小学一年生入学です!
教育コーチの なお です
今日はお友達に会いに
一時間程、慣れない道をドライブ
スタートして5分ほど経った時
ナビのお姉さんが
「10km以上先、注意が必要です」
事故かな?工事かな??
理由がハッキリしないと、モヤっとする
更に5分程走って、再度
「10km以上先、注意が必要です」
えッ
さっきと同じアナウンスやんか〜
5kmは、進んでるのに?
そうか!10km以上だから、20km・100km・1000km…
何でもあり〜?
20分くらい走ったら
「この先、8km先注意が必要です」
まだ、何の注意かわからない。
その後、特に変わった事もなく20分走る。
ナビのお姉さんに
何の注意喚起だったのか確認するすべもない。
でも、これって私が昔、子どもに掛けていた言葉と同じ
「早くしなさい」(何時に終わればいいの?)
「ちゃんとしなさい」(どんな状態になれば、ちゃんとなの?)
・
・
・
いやいや、今でも似たような言葉出している
超介です。
ぼーとしていた方が良い結果が得られる時があります。
意識を集中させすぎると上手くいかないことが幾つかあります。例えば車の運転、いつもぼーとせよ、というわけではありません。注意を周囲に払いつつですが、リラックスして運転することは大切で、とくに初めて訪れる地域、そこは目新しいので、周りの事物に気を取られて目的地を逃してしまうことがあります。目的地のことを頭において、周りを、全体を見つつ運転する、と目当ての光景が飛び込んでくる、もちろんそこからは集中。でも、考えすぎていると、行き過ぎてしまうことがありませんか。もちろん運転に慣れていないうちはダメです。
よくよく訓練されて身についている事柄は無意識裡に入っていて、自動化されているのでほっておきます。その次の課題を意識裡において取り組みます。私は、センスの良い人をみてると、その動作が自然体、それを感じます。そして、練習不十分で肩に力が入っている私。
覚えたことを即、そのまま応用して練習する時期があります。その時は意識して練習すれば良いのですが、次の段階はそれが自然と使えるようになること。この時は、ぼーとしていた方が良いように思えるのです。
練習はしていないのですが、そして、決していま何もしていないわけではないのですが、35年間勤務していた会社を退職して、自宅でせっせと引越しの荷造りをする毎日で感じたことは季節の移り変わりを感じるようになっていること。毎日のルーチンのウオーキングをこなすとき、温度変化がよくわかるようになりました。歩きながら、1日の、会社でのこなすべき仕事を考えたりすること少なくなり、プレッシャーから解放される度合いが減ったように思います。そして、プレッシャーのかかる状態(それがあると感じてしまう時)だと、意識がそこに向かってしまいがちで実力が発揮できません。ですが、今はそこに気を取られていないので、五感が以前より自然に働いているように感じるのです。
意識の集中と拡散、それと合わせて自分の身体的な能力の伸長、発揮をしていくことは大切で、達人への道はその使い方の習得ではないでしょうか。それが達人が多方面に通用する能力を持ちうる所以だろうと、そう思います。必要に応じて意識の集中と拡散のコントロールが出来る人になりたいと思います。
みなさん、こんにちは。三重県のとある高等学校で吹奏楽部の顧問をしています、教育コーチのいっすぅぃ〜です。
先週の月曜日(3月31日)のことになります。わが吹奏楽部に、吹奏楽界ではかなり著名な方にレッスンにお越しいただきました。これまでも何度か、お酒の席にお邪魔させていただくことはありました。ですので、そのような席で、様々な音楽の話、吹奏楽の話を聞かせて頂くことはありました。
が、レッスンは初めてのことでした。
どきどきワクワク そしてかなりの緊張
レッスンのことはさておき、こういった機会の後には、振り返りも含めて貴重なお話をしていただける席があります。今回は「初めて」ということもあり、朝まで付き合うぞといった気持ちで、宿泊も。準備万端の態勢で臨みました。
さて、その席のこともさておき
たまに泊まるビジネスホテルだからでしょうか。ぐっすりとは眠れません。いゃ、逆にぐっすりと眠ってすぐに目覚めたのかもしれません。いつもの時間と同じぐらいかそれよりも早い時間に目覚めました。
「もぅちょっと寝ようぜ」と自分自身に言い聞かせ、ベッドから出ることはしなかったのですが、なんだか、いろいろと頭の中を思考が駆け巡る。
そして、なんだか、レッスンの時間とその後の会の時間がいとおしく、その先生のことを大事にしたい気持ちで一杯になり、時間がとても貴重なものに思え始めたのです。
今まで、これをやりたい、これもやりたい、あれもやりたい、だった自分から
ふと、これだけの時間のなかで、まず何をやりたい、どうする、どうしたい、と。
なぜ、だかは分からないのですが、【時間に限りがある】ことをひしひしと感じたのでした。
超介です。
継続が難しいとき、その原因はいろいろあります。最近気がついたことは、「いつやるか→いまでしょう→でもやれない(やりたくない)」つまり身体がついていかない時の原因、或いはどうすればついていくか、についてです。
英検準1級合格目指して単語を覚えようと、単語集を手に入れましたが、ほとんど分からない単語ばかり。はじめ、2級とのレベル差に呆然としました。でも、該当レベルの英書を分からないなりに読んだりしていると、分からないことに慣れてきて、いつの間にか違和感を感じなくなりました。
なんとか、時間をかけて接しているうちに出来るようになる、を実感しました。それで次に、英語の単語を5日間で50個覚えることを始めました。これで300個ほど、つまり1ヶ月半ほどは続きました。いけるか、とおもったのですが、その後息切れしました。嫌になったのです。
で、どこで息切れするかを考えると、最初の1日目、一気に50個覚えようとし、見て、発音して、意味を頭に入れて(このために単語、和訳、使用例をノートに書きます)いくのが億劫で、エネルギーがきれるのです。ここさえ乗り切れれば後の4日はグーと楽なのでいけるのです。そこで、最初の作業を3日に分けることにしました。簡単なことですが、そのことに気がついて再開するのに1ヶ月ほどもかかりました。この間に、何人かに相談して幾つかの方法を試行錯誤しました。でも、どれもピンとこなかったのです。その暗記作業を逃げる理由をさがしていたことに気づきました。いまは、作業を再開し、現在400個目から450個目の単語を暗記しています。次に詰まったときは、もっと早くリカバーできそうな感覚があります。
これは仕事のEPDCT(estimate →plan →do →check →taste)と一緒です。特に継続するために重要なのはcheck(到達度を調べる)とtaste(結果を味わう、反芻する)の重みです。とくにtasteこれは次につながる行動エネルギーを汲み出す方法の一つです。見えにくい過程ですが、ここに重点をおいてきちんとやることです。
スケジュールだけでは動かない(動けない)のはモチベーションがセット出来ないことが理由になることが多いとおもいます。これまで仕事でも、勉強でもこれが理由で、死屍累々。いままでは、「やる気が出ない」の一言で片付けて、諦めがちでした。でも、もう一歩踏み出せば、つぎの課題が見えてきて、モチベーションが上がるのです。プランを立てるときにいつ、何をやるか、どうやるか等々の後ろに潜んでいる、見えないもの(モチベーション)が計れているか、です。モチベーションのセット方法は他にもありますが、それはまたの機会に。
小中学生、高校生に接していたときにはわかっていたんですが、我が事になると…………。(反省)
かぼねです。
昨日はエイプリルフール。どんな嘘で楽しまれましたか?
年に一度の可愛らしい嘘なら、笑って許せますが、
やはり嘘はつく方もつかれる方も気持ちのいいものではなさそうです。
先日、エイプリルフールではない普通の日曜日。
神戸の焼き鳥屋での出来事です。
妻と息子の三人で、3800円のちょっと贅沢めのコースを頼みました。
焼鳥屋といっても石の上で、串に刺さっていない鳥肉を食すという、
まぁ、ちょっと頑張った感じのいいお店でした。
お味も良く、個室でしたので、息子ものびのびできで、大満足でした。
そろそろ〆のお茶漬けかな、というタイミングで、少しまだ
物足りなさがあったのかもしれません、横に置いてあるメニューに
手をのばし、何の気なしに眺めていますと、あれっ?
コースメニューの中に、僕達の胃袋に入っていない
京豆腐と野菜の味噌焼き という文字が目に入ってきました。
すかさず妻にこの料理きてないよねと確認を取り、さあどうするか
となりました。メニューの位置から見るに、本来は前半、肉の前に出てきてしかるべき
一品のようです。でも、テーブルはすっかり食べきって、
お茶に漬かった日本人のソウルフードを待つのみ。言うか言わまいか。
私がモゾモゾしていたのですが、妻は、「そんなん、言うに決まってるやん」
と一喝。ちょうどお茶漬けを持ってきた店員さんに、
「これ、きてないんですけど」と伝えました。
一瞬ドキッとしたかどうかはわかりませんが、確認しますと急いで厨房に戻っていかれました。
まぁここまではよくある話。まぁそんなこともあるよ、やっぱり言って良かったね
とお茶漬けをすすりながら、言ってたのですが。。。
戻ってきた店員さん。「すいません、こちらのお料理、焼き上げるのに時間が
かかっておりまして、もうすぐできますので、いましばらくお待ちください」
と、のたまわったのです。
妻と二人顔を見合わせ、店員さんが部屋をでるや、大爆笑!
「豆腐、どんだけやいてんねん!」と久しぶりのダブルツッコミを
キメたのでした。
5分も立たないうちに、京豆腐は
「僕は何も悪くないけど何か?」といった感じで現れ、
店員もこっちも、ツッコむの?ツッコまないの?といったドキドキを
楽しみながら、美味しく豆腐君を頂きました。
二人前で頼んだコースにもかかわらず、息子用のアイスまでだしてくれた
その心意気も、どこか下心に思えてしまい、素直に感謝しきれない、私たち夫婦。
正義感の強い妻は、あの人のためにも言ってあげたほうがいいよ!といっていましたが
まぁまぁ教の私は、何も言わず、ご馳走様でしたと伝えて店を後にしたのでした。
長くなりましたが、嘘はダメよ。というお話でした。
こんにちは!あんみつです
今年も
もうすぐ桜が咲くかと思うと
ワクワクします。
こんな経験は私だけが特別に
したわけじゃないと思うんですが、
皆さんはどうですか?
何処かに出かける時に、電車が遅れたり、
通行止めになっていて
回り道をしなくてはいけないような経験。
皆さんもそんな経験されたことありませんか?
先日、目的地に普段なら間に合う
時間に車で出発した。
が!が!
5分後にマラソンで通行止め
わぁ〜しまった!
どうしよう、間に合うのか!
助手席の息子がスマホで通れる道を検索し始めた。
「今なら堀川通りは大丈夫。次の道を右に曲がって。」
って運転する主人に伝える。
後ろの席で
「大丈夫?
そんなにスピードだしたら危ないよ〜」
って私
前の2人から、
「何もしないなら黙っていて!!」
そうかい、そうかい、
黙っていればいいんでしょ。
心配しているのに・・。
いつもお前さんたちのために
ご飯や洗濯もしているのに・・って
どこまで派生するんだ私
結果的には、息子のお蔭で間に合った。
私の心配はなんの役にも立っていないな。
人生はよく旅の例えられる。
人生の旅路は、行く手を阻まれるような時もある。
そんな時、歩む道を照らしてくれる人たちがいる。
私にも、そんな人たちとの出会いが沢山あった。
なのに、マラソンの日の私はなんだ?なんだ?
他にできる事、気の利いた言葉はなかったのか?
春は新しい出会いや別れの季節、
新しい旅路の季節でもある。
旅路の色々な障害を乗り越え
歩んでいこう
不明航空機の事故のニュースを見聞きしながら思い出した本があります。昨年の夏頃読んだ「パイロットの妻」です。この本はパイロットの夫の飛行機が墜落します。そして、妻の追跡により、その原因が徐々に明らかになってきます。分からなかった夫の心、夫は、実は別の人物として国外で妻子を持って生活していたことが明らかになってきます。妻には全く信じられないことが起こっていて、実は事故の原因にも繋がっていた、というストーリー。
「こと」に関連したことが身の回りにないと気がつかず、まさかそんなこと、起こらないだろう、そのことについて考えすらしない、そういうときがあります。そんな経験が僕にも幾つかあって、怖い思いをしたことがあります。そのひとつ、この松山は温暖で大きな災害もない地域だと思っていました。でも、つい2週間ほどまえ、3月14日の午前2時頃、震度5の地震には驚かされました。南海トラフの地震ではなかったようですが、こんな「地震などおこらないだろうと思いこんでいたこと」に気づかされました。2001年の芸予地震を経験をしていたにもかかわらず。
見えていないことは、見ていないからであること、読書にもそれが表れます。久しぶりに「三四郎」を読み返しました。5年ほど前にも読んだことがありますが、今回は前回と比べてとても面白く読め(たと思い)ました。今から100年以上も前に書かれた小説であるのに、明治時代の人たちの生き方、感じ方がとても新鮮だったのです。5年前、それ以前にも何回か読んで、筋がだいたいわかっていたし、この小説について書かれた文章も幾つか読んだからでもあるのでしょうが、いままで、そのような面白さに出会っていなかったのです。同じ文章なのに。
最近、電子ブックを手に入れ、寺田寅彦の随筆を一つ読みました。「数学と語学」というエッセイです。その中に言葉の限界性というようなことが述べてあり、言語について「うさぎの足跡」という形容があります。書く側から言葉を捉えていくとき、言葉を重ねていくと、意味が飛び跳ねて何処かへ行ってしまう、当初とは思わぬ処へ流れてしまう、というような意味です。言語化出来ないこともあるし、出来得ることも不適切にしていることもあるし、まさに僕など、「酔ったうさぎ」です。せめて、「醒めたうさぎ」になろうと思います。