超介です。
大学は物理学を学ぶことを選んだ。結局まったく関係のない、違った道を歩んできているが、でも勉強してきてよかったと思える体験はたくさんある。
そのうちの一つ、教養学部(僕らの時代はどこの大学でもあったのです。)時代に物理のF教授の授業での一場面。
力学の授業で地球の回転に伴う「コリオリの力」というのを習った。この力は北半球では運動する物体に進行方向右向きの力が働く、それゆえ台風は地上付近で左回りの風の渦をつくる、進路もその方向に力を受ける、など習った。
そのときF教授は「私は思うんですが、風呂の栓を抜いたときの渦のでき方、あれもこの力が影響している可能性があると思うんですがね・・・」と話してくれた。(結局それは様々な条件が栓を抜くときに寄与するのでそう単純にはいえない、というように落ち着いたが)
その話を思い出して僕はゴルゴ13(超A級スナイパー)を読むとき、彼はこの力の影響も計算して北半球では若干銃を左に向けて狙撃するのか、など「あほう」なことを考えた事もある。
ゴルゴ13はともかく、私がそのF教授の話を覚えているのは(もう33年ほど前の話です)、大きな原理が私達の日常に影響を及ぼす、そのように物事を見つめると、思いがけない発見がある、その期待感からだと思う。
それからの発想。僕は丁度1955年生まれですが、高度経済成長を日本がはじめた年です。そして高度経済成長とともに幼年期、小中高とすごしてきました。
物心ついてから家の中には冷蔵庫、洗濯機、掃除機、テレビ、・・・と、徐々に電化製品がふえ、自動車も軽自動車が中型車にと、成長するのが当たり前の感覚、価値観にとらわれてきた。
で、今は、ここ15年ほどは、違う。バブルがはじけて低成長、不況が当たり前の時代になっている。
僕の心の中で、時折、もぞもぞ動く不快感は、集団主義的な価値観から、個人主義的な価値観の時代になって社会はそうなってきているのに(もう半世紀もいきてきた!!)、僕の中ではいまだ、それが意識してセットされていない、それを表しているのでは・・・、と妄想するのです。
風呂の渦と同じで、色々な条件が僕を取り巻いているのですが・・・、やはり誇大妄想かなぁ?