小さなコーチングの積み重ねが・・4

○そらです。

○4月からの約10ヶ月を振り返って、レポートを書いてみました。

 その中で、嬉しかったことは
 生徒の成長を実感できたこと。
 そのことから、私たち学年職員が取り組んできたことに手応えを感じることができたこと。

 そして、学年のA先生が
 「今年度、生徒指導のスタイルで一番変わったのは、「生徒の気持ちを聞く」ことである。
  カウンセリングマインドの考え方を教えていただき、やや半信半疑でありながらも
  できるだけ心がけるようにした。
  何か起こった時、「怒りたい」、「俺の話を聞け」という気持ちを抑えて、
  「どんな気持ち?」「どうしたい?」と聞くようにしている。
  また、できるだけ、褒める、承認することも意識して行っている。」
  というコメントをもらえたことです。

 共通の言語や定義を分かり合える仲間が増えることは
 チーム作りの第1歩だと思っていますが、
 そんな手応えを感じています。  

色について

超介です。

 伊予の地では2月1,2,3日は椿祭(椿さん)という数万人の人出がある大祭がありました。ここを過ぎると寒さが揺るぎ始め、春が訪れるようです。

 まだ少し寒さは残っていますが、それでも空気の芯には冷たさではなく春の予兆の暖かさがあるようです。今日は2月8日(日)、松山市ではマラソンがありました。懸命に、真摯に走るランナーの勇姿は沿道で見ている人の胸を熱くします。

春の色といえば新緑と、桜色を思う人が多いかと思います。コーチングでも心境等を色で質問します。

「今の気持ちはどんな色?」とか、「色であらわすと何色に染まりたいですか?」とか。

最初、研修でそう聞かれたときに「そんなん、無意味やろ!」と一瞬思いました。心に色などついているはずがない、そう思ったのです。が、よく考えてみればそうでもないなぁ、と。赤とは激しい感情を表している感じやし、気持ちがいいのは透きとおる水色、薄い青とか、たしかにあるな、と。

それで今では「何色になっとる?」と聞いたりします。

色で思い出すのは、上司に教えてもらったもの。10年以上前、深夜の酒場のカウンターで紙ナプキンにボールペンで書いて教えてもらいました。very superior old paleつまりVSOP。very superior old pale、VSOPというのはこの略、と教えてもらい、お、これはかっこいい、と感じました。

なぜ好感をもったかはよくわかりません。それは宇宙の恒星の色で、深さ、遠さ、大きさにもつながるからかもしれません。夜空に輝く恒星は表面温度が上がるにつれて赤色から黄色くなり、白色に変わり、最後に青白く輝く。気が遠くなるほどの時間をかけて移りゆく、高温の星の色。

また、僕の中では、very superior old pale=「深沈厚重」。深く沈んで重厚で、どっしりと存在感を示す。何も言わないがそこにいるだけで空気が変わる。無言のコーチングができる人のイメージ。

これにつながります。

皆さん、どんな色の人になりたいですか?

情報を共有する

超介です。

話されるコトバ、書かれたコトバは単なる記号である。だけれども情報はその記号の下にたくさんの意味、内容、マインドやらなにやら(こういうのをコンテクストというらしい)をぶら下げている。つまり海に浮かぶ氷山で言えば海面上に出ているのがコトバ、それの何倍もの体積をもって海面下にあるのがコンテクストだ。

チームで仕事をする時、それが会社であれ、何であれ、このコトバの底にあるコンテクストを共有していればコミュ二ケーションがスムーズにすすむ。

コーチングに出会うまでは、そのことを意識していなかった。正しい考え方、進んだ考え方、適切な考え方(記号としてのコトバ)を示せば人は動くと考えてきたようにおもう。(ずいぶん冷たい奴だと、思われたこともあったに違いない。)

コトバのみで動いてくれる人、動ける人もいるが、でも大きな力、或いはえられる喜びは薄いのではないか?

人と一緒にいるためにはその氷山の一番下まで感じることが大切だ、とわかった。阿吽の呼吸で仕事ができるのはお互いにそのレベルまで情報が共有されているときである。

それで、僕は仕事のやり方をもっともっと情報を共有できるようにと変えている。プロセスから関係者と一緒に進むようにしたい。そうすれば情報の共有具合が高まり、成果も高まるし、得られるものが大きいと考えるからだ。(もちろん時と場合によるが。)

コーチングはみんなと「一緒にいる」ことの重要性を教えてくれた。「私達が・する」このフレーズの使い方の大切さを教えてくれた。(もちろん「私が・する」も大切であるが。)

それが広がり、多くの人と大切なコンテクストを共有できることができれば、もっともっと生活しやすい環境ができるに違いない。コーチングが広がっていくその原動力の一つはそこにあるに違いない。人と社会が進化していく道の一つに違いない。

サンキューボード&夢シート

かぽね です。

私が働いている個別教育の塾の教室目標のひとつに
「教室をコーチングセンスでいっぱいにしよう」
というのがあります。

その具体的な行動として行っているのが
「サンキューボード」と
「私の夢シート」
の教室掲示です。

サンキューボードは、どんなことでもいいので、
「ありがとうの気持ち」をカードに書いて貼っていきます。
「承認」を形にしたものともいえますね。

夢シートには生徒一人ひとりの夢を書いてもらっています。「自分のありたい未来の姿」を形にしています。

この2つの掲示をした事で、教室は一気に
空気が変わりました。なんともいえない暖かい感じです。教育コーチングって「暖かいもの」なんだなって
実感しています。

サンキューボードの様子は
ゴールフリー四条烏丸教室のHPに写真が載っていますので是非ご覧いただければと思います。

2009年2月5日全天自己開示

超介です。

朝、川べりをウォーキングしていて、空を見上げると、今日の空は全天、宇宙に向かって自己開示だった。(つまり雲ひとつない快晴)

大変気持ちがよい朝。宇宙から見れば地球の地形が、海も陸もくっきり鮮やかに見えているに違いない。

全部見せるのは気持ちがよいし、のびのびできる。(今日は地球も気持ちがよいに違いない。)

投稿するようになって、自分の感じたことやら、考えたことなど、悩みなど開示するようになった。
(もちろん秘中の秘は出していませんよ。ふふふ・・・。)

書く度に、こんなことを考えていたのか、と、自分の幼稚さに気づくことが多い。それでも表現する。心の中では自分に自信があるときでも言語化してみれば、妄想であることも多い、だからこそ書いてみる。表現してみる。

そのままを書く、その度に自分の窓がぐーと開く、レスポンスをもらうたびにまたぐーと広がる。だから正直にあらわす、なるべくありのままにあらわす、少々やばいと感じてもそのまま出してみる。

皆さんも「全天自己開示」しましょう。
(文章だけでなく、写真も出したいな。)

たのしいよ!!

私を動かす(?)もの

超介です。

大学は物理学を学ぶことを選んだ。結局まったく関係のない、違った道を歩んできているが、でも勉強してきてよかったと思える体験はたくさんある。

そのうちの一つ、教養学部(僕らの時代はどこの大学でもあったのです。)時代に物理のF教授の授業での一場面。

力学の授業で地球の回転に伴う「コリオリの力」というのを習った。この力は北半球では運動する物体に進行方向右向きの力が働く、それゆえ台風は地上付近で左回りの風の渦をつくる、進路もその方向に力を受ける、など習った。

そのときF教授は「私は思うんですが、風呂の栓を抜いたときの渦のでき方、あれもこの力が影響している可能性があると思うんですがね・・・」と話してくれた。(結局それは様々な条件が栓を抜くときに寄与するのでそう単純にはいえない、というように落ち着いたが)

その話を思い出して僕はゴルゴ13(超A級スナイパー)を読むとき、彼はこの力の影響も計算して北半球では若干銃を左に向けて狙撃するのか、など「あほう」なことを考えた事もある。

ゴルゴ13はともかく、私がそのF教授の話を覚えているのは(もう33年ほど前の話です)、大きな原理が私達の日常に影響を及ぼす、そのように物事を見つめると、思いがけない発見がある、その期待感からだと思う。

それからの発想。僕は丁度1955年生まれですが、高度経済成長を日本がはじめた年です。そして高度経済成長とともに幼年期、小中高とすごしてきました。

物心ついてから家の中には冷蔵庫、洗濯機、掃除機、テレビ、・・・と、徐々に電化製品がふえ、自動車も軽自動車が中型車にと、成長するのが当たり前の感覚、価値観にとらわれてきた。

で、今は、ここ15年ほどは、違う。バブルがはじけて低成長、不況が当たり前の時代になっている。

僕の心の中で、時折、もぞもぞ動く不快感は、集団主義的な価値観から、個人主義的な価値観の時代になって社会はそうなってきているのに(もう半世紀もいきてきた!!)、僕の中ではいまだ、それが意識してセットされていない、それを表しているのでは・・・、と妄想するのです。

風呂の渦と同じで、色々な条件が僕を取り巻いているのですが・・・、やはり誇大妄想かなぁ?

セルフコーチング2

超介です。
  
「あなたの心を強くするには何があればよいですか?」

この質問を発するウラには、私は心が弱い という認識がある。それはなぜか?ジェットコースターにすぐ乗ってしまうのはなぜか?(ジェットコースターについては1月 23日の日記 情緒人間 を見てください。)

原点がないからである。原点とは何か?私の価値観の原点である。何を中心にすえているか?中心に座っている私を見つけることができるかどうか?・・・・・・・

そんなことを考えていました。それは無人島で生活するロビンソンクルーソー(だったかな)みたいに
孤立した人の心を仮定したかのようでした。このことに気づいたのは投稿に対するコメントからです。(コメントいただいた皆さん、ありがとうございます。気づくことができました。)

孤立するのではなく、私と周囲の人たちの関係がどうであるか、これが大切なのですね。それをどのようにできるかが重要ですね。「作りたい人と作りたい関係が作れる」(足袋師 だったですよね。)に注力すること。強くなるポイントだと思いました。

それでさらに気づいたことは「一緒に居れるかどうか」、(足袋師の日記、おしょうさんの日記で感じました)これが強さがあるかどうかの表れかということ。私も小さな子ども相手に仕事をすることがあります。これがなかなか手ごわい。私のリクエストなどすぐけられてしまいます。

(私)「○○君、九九をやろうか?」
(彼)「いや!」(強い拒絶のニュアンスで)
(私)「じゃあ、△△は ?」
(彼)「いや!」
・・・・
・・・・
((私)「とほほ・・・」)(という具合です。)

こんなやり取り。彼(彼女)・・小学1年・4年生が多いのですが・・・の攻撃を激しく受けます。
(このあたりは幼稚園の先生とかはうまいのだろうな?)

こういうときにはリクエストをたくさん準備しておいて選択してもらいます。これで何とか進めます。子どもと一緒に居るのはなかなか大変!!

いないときに

 いっすぅぃ・です。
 水曜日に嬉しいことがありました。

 水曜日は学校に行くことが出来ませんでした。それは
その前から分かっていたこと。しかしその日に中掃除が
行われることになっていました。

 掃除当番に当たる生徒に、君はここをこうやってこうや
ってなんてのも、今回はなし。火曜日に、学年主任や副
担任の先生には班分けしたものを伝言し、「放っておい
ても大丈夫ですから」なんて言って、少しの不安と上手
くやってくれるという見通しを持ってはいたものの、一切
を任せていました。

 さて、木曜日。学年主任が「凄かった!他の監督があ
ったので見られなかったけれど、凄い。自分たちで掃除
をテキパキとやっていた。ほめておいたけれど、先生か
らもぜひ」と。

 朝のホームルームで、「綺麗やなぁ・。学年主任の
先生が驚きながらほめてたけど、自分たちでテキパキ
とやってたんやって?!ほんま凄いなぁ・」と言うと、クラ
スでちょっとたばこ臭くやんちゃな生徒が「先生のおらん
方が、うるさく指図されへんし、しっかりやれるんやで」
と。

 私は内心ニヤリ。で、ほんまに嬉しかった。信じてい
ただけに。

おしょうさんの娘育ち日記

年末年始は、わたしの実家のある名古屋で過ごすのが定番になっています。
娘2人(三歳児と三ヶ月)を連れての長野からのドライブ中でのエピソード。

上の娘は、1ヶ月以上も前から「12月の30の日には、名古屋に行くんだよね」と保育園でも叫んでいました。
さあ、いよいよ当日。朝早いこともあり、朝ごはんは、コンビニのおにぎり・パンで済ませようと、コンビニに立ち寄ろうとすると、娘が「○○は、早く名古屋に行きたいの!」と号泣。車からもおりようとせず、泣き叫ぶばかり。2件目のコンビニでも同様。

ひさしぶりに、きたきた!(わたしの中から拳と笑顔も出てきました)
この天真爛漫爆走モード。
これはゆっくり時間をとって、話をしないと、おなかが空きすぎて、奥様まで爆走モードになってしまう。

すぐに高速道に入り、向かうは、最初のPA。

PAに着くなり、娘は、「車はとまらないの!はやく名古屋!」と叫ぶ。
わたしは、ゆっくりシートベルトをはずし、
お「○○は、早く名古屋に行きたいの?」
む「(泣きながら)早く行くの!」
お「早く行って何するのかなあ?」
む「ひでさん(祖父)やあっこさん(祖母)と遊びたいの!」
お「そうだね。みんな○○や△△と遊びたいよね。何して遊ぶの?」
む「川原に行ったり、赤い電車見たり、廊下で走ったり・・・」(さすが爆走娘)
お「パパも一緒にしたいなあ・。」
む「(泣き止んでうれしそうに)いいよ・。」
お「ありがとう。パパ早く行くために、がんばって運転するね。」
む「うん。早く。」
お「がんばって運転したいのに、パパおなか空いちゃった」
む「ふーん。」
お「朝ごはん買ってきてもいいかなあ。」
む「(指を交差しながら)だめ!バツ!」
お「そうか、バツかあ・。」
お「パパ朝ごはん食べないと、元気でないよ!○○は、朝ごはん食べる?」
む「いらない。」
お「いらないのかあ。お店には何が売ってるかなあ?」
む「え、いーっぱい。いろいろ。」
お「○○はいつも朝ごはん何食べてたかなあ。」
む「(知ってるでしょ、という顔で)パンパン。」
お「パン何枚食べてる?」
む「(当たり前という顔で)2枚!」
お「おー!いつも2枚食べてるね。うん、うん。」
む「うん、あれえ、うん。」(何かを思い出したらしい)
お「朝ごはん何食べる?」
む「クリームパン!」
お「クリームパンかあ。売ってるかなあ。」
む「売ってるよ!」
お「クリームパン食べたら、○○は元気になるの?」
む「なるよ。パパもなるよ。」(わたしもクリームパンを食べるのかあ・。)
お「じゃあ、パパ買って来るね。○○はどうする?」
む「車で待ってる!」(ありがとう!)

約20分間の娘とのやりとりを聞いていて、うちの奥様は
「わたしには無理!」とヒトコト。
次は、奥さんかな。