超介です。
「本音と建前が自在に使えること、彼はそれができる。」と大先輩からある人物像の解説を聞いたことがあります。この場合の「建前」とは「あるべき姿」に近い意味を持っています。その当時、すぐにはその意味が理解できませんでした。後年、改めてその意味を考え直す時、その言葉の奥深さと、それを兼ね備えていた人物の大きさを感じました。
問題を解決するのに本音が話せる場が必要、といいますが、本音を語れば、わかりあえて問題が解決するとは限りません。心の中にある、本能に近い欲求を掘り下げて自覚しても、自己責任の範疇ではそれで済みますが、他とかかわりあう、社会的存在としては解決できないことが大変多いです。他者の本音は自分の本音と異なるからです。自己責任の範疇ですら、未来の自分は他者ですからそれとのかかわりでは解決できません。
「あなたの本音はわかった、それでどうするの?」と問いかけるとき、本音を超えた「あるべき姿」を見つけることができます。本音は、この質問に人が答えを見出すために必要です。本音を話せば、その束縛をほどく糸口が見つかることが多いからです。人が自由になるときこそが、さらに深い思考を始めるときです。
コーチングはそのためにとても有用です。