おしょうさんの娘育ち日記(5月その2)

娘がめがねをかけ始めてから、ちょうど1年になります。
今週木曜日に、正確な視力を測定する検査があります。

3歳児検診のとき、保健師さんから
「ひょっとすると、○○ちゃん、右目が・・・」
大学病院での検査の結果、右目は視力がほとんど無い状態でした。
このままの状態が続くと、完全に見えないままになってしまう。
左目の成長にも影響が出るとのことでした。
人の視力は、生まれてから小学校低学年くらいまでに、
徐々に成長・発達するとのこと。

あれから1年。
娘は、アイパッチ訓練(娘の場合は、視力のある左目を隠して、
右目の視力の成長を促す訓練)も
「オメメペッタン」と名づけて、
日常生活に組み入れてきました。
その成果は徐々に良い方向にあらわれてきています。

子どもの正確な視力を測定するためには、
アトロピンと呼ばれる点眼をします。
このアトロピンは劇薬で、瞳孔が開いた状態になるので、
まともに外を歩けません。
それが、先週土曜日から我が家ではスタートしました。
点眼をしようとすると
「ママやパパのお顔が見えなくなっちゃう!」と泣きながら抵抗します。
好きな歌を歌いながら、
一緒にいるから大丈夫と抱きしめながら、
点眼を朝・夜行います。

娘は、大きくなっても、めがねを手放せないと思います。
ただ、親の身勝手な思いですが、娘と一緒にいる感覚は、
ずーっと自然に持ち続けられる気がします。
これからも娘の成長が楽しみです。

『傾聴』欠乏症候群?

今年も卒園した子どもたちが母親と園に顔を見せに
きてくれています。

4月・・・
大きめの新しい制服にランドセル姿で
照れくさいやら誇らしいやら・・・
新しい生活でのドキドキとワクワク感が
溢れんばかりに伝わってくるようでした。

そして、5月も半ばを過ぎた頃
制服姿も様になり、少し落ち着いてきたのかな…
と思いきや・・・
「幼稚園が恋しいみたいです。」と苦笑いのお母さん。

保育者的には、ちょっぴり嬉しいけど・・・
でもやっぱり心配のほうが大きい複雑な瞬間が
毎年あります。

家庭から幼稚園
幼稚園から小学校
小学校から中学校
同じ『教育』の場でも子どもたちにとっては勉強以外にに、大きく違うと感じるところがあるような気がします。
もしかしたら、私自身が幼少期の頃に
感じていたことなのかもしれません。
・・・それは・・・
『先生の子どもとの関わり方』
『子どもからみた先生の(自分に対する)関わり方』

「何だか上になればなるほど、先生が不親切!」
・・・そんな風に口を尖らせていた記憶があります・・・

何かをしてもらいたいのではなく
何かを教えてもらいたいのでもなく
何だったんだろう・・・?
卒園児の様子から自分の思っていたことが
何だったのかに気づきました。

もしかして、話をきいてほしかっただけ?
先生に話しかけたかった(声をかけてもらいたかった)

確かに幼稚園では担任でなくても全園児の様子を把握しており、その日その子が発しているサインを感じとり寄りそったり見守ったりする。
言葉がまだまだ拙い幼児だけに、しっかりと心の声に耳(心)を傾け話をきく。

『そうかぁ・・・傾聴欠乏症候群かも・・・』

「学校が楽しくないわけではないんだけれど
どうしても幼稚園に行きたいって言うんで・・・。
でも来てみてわかりました。
先生方と話をすると私(母)もホッとします。」

これから夏・秋・冬になるにつれ次第にそんな声も
少なくなってきますが、子どもにとっても大人にとっても
『傾聴』してくれる人がいる!と思えるだけでも
心のビタミン剤になるような気がするこの頃です。

レッドロビンの赤い芽(般若心経)

「教育コーチング」に助けてもらっている超介です。

レッドロビンの赤い芽が成長して普通の葉に変わっていましたが、さらにまた赤い新芽が伸びてきています。

過去の手帳を繰っていると、2004年2月21日から3月22日までの間で合計1022回般若心経を唱えた記録がありました。これを唱えるだけですくわれる、それで覚えました。そのような気持ちになった事情を思い出して切なくなります。

最近、福岡伸一さんの「動的平衡」という本を読んで、般若心経の教えに通じると思いました。

般若心経から学んだことは、「世界は一つであること」。私達の身体は、宇宙を構成する物質のかけらから出来上がっています。本はといえば、恒星が爆発して飛び散った物質、それらが時を経て私の身体を作ったと。ミクロの眼で、そしてマクロな時間の流れを捉え、見渡せば、物質の「流れのよどみ」が私達たちの一瞬の生。

すくわれると感じるのは、自然界のあらゆるものがすべてつながっている、という教えからでしょうか。私は一人ではないという、孤独感からの救われの感情。我々の存在は固定ではなく、モノではなく、流れていく、コト(現象)であるから。

悩むと考えることの違いは、答え(仮説でも)がでるかどうかのちがいであるとわかりました。悩み苦しむときはこのことを覚えておきたい、そう思っています。刺激に対して無意識に反応する人は考えることがない、悩みはそんな構造の中からおこる。悩むときはある、でもそのあとは、同じ刺激に対して無意識の反応はしないでいようと。

もし、刺激を受け止めてから、その意味を自分のミッションに照らし、選択肢を考え、そして自由意志で行動を選べば、それは悩むのではなく対応することであり、流れていくことができる。

でも悩んでしまうと悪循環にはまりそこからは抜け出せない。大きなやさしい世界の一部になれないから苦しい。どんなことが身の上に起こったとしても、そのような思考回路を持てば人はサーボ機構をもった生物として生きていける(人は成長したい生き物だ。人は答えを自分の中に持っている。ひとはそれぞれ。)と。

悩むときは、コトバがつながり堂々巡りをして苦しい。でも考えること―そのときは常に未来がある、期待感がある―ので次々と考えを思いつくことができてたのしいのです。

第8回 人生航海図in琵琶湖

久々に登場します。たび@小山です。

コーチングで見つける人生航海図セミナー第8回。

二泊三日のプログラムを無事修了し、京都に帰ってきました。

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東は東京、西は長崎から集まった22歳から56歳までの、18名のメンバーと
5名のスタッフが、
学んで、語って、挑んで、泣いて、笑って、怒って、はしゃいで、感じて、
支えあい、認めあい、高めあい、
ダイナミックに脱皮、前進した3日間でした。

心の中にある、自分らしくあることを邪魔する何か。
それを、仲間のサポートを受けて自分自身の力で取り除いたとき、
最高に輝く笑顔が表れます。それをいっぱいいっぱい見ることができました。

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人間って、やっぱり素晴らしいです! すごいです!

18名のメンバーは、自分の人生の舵をしっかり握って船出しました。
めちゃめちゃかっこよかった。鳥肌が立ちました。

彼らはミッションに生きる人として、究極の本気で子どもたちや仲間たちと向き合っていきます。

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18名の最高のメンバーと、4名の熱いスタッフに、ただただ、感謝。ありがとう。
みんな、大好きだあああああぁぁぁぁぁぁ!

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また会おう!null null null null null

この勢いで、20日は【次世代リーダー育成セミナー】
23日は【日青協15周年記念シンポジウム】
24日は【全国教育コーチングフェスティバル】
がんばります!

一人でもたくさんの方にお目にかかれますように・・・。

小さなコーチングの積み重ねが・・8

○教育コーチングでトランスフォーム中の「そら@内藤」です。

○さて、A君の続きです。
 今日、A君の学級の授業へ行きました。

 まず、全員に聞いてみました。
 私 「今日、家庭学習出してない人はいますか?」
 生徒「はい」(なんと8名ほどが元気よく手を挙げます)
 私 (エッ?! いつも提出率のいい学級なのに・・)
   
 そして、その中にA君もいます。
 なんだよ、やっぱり3日坊主かよ・・という
 判断が一瞬浮かんできます。
 あわせて、このクラスたるんでるのか?という
 決めつけも湧いてきます。
 しかし、そうした判断は脇に置いておいて。

 私 「へえ、出せなかったんだ。どうしたの?」
 生徒「昨日、プリントが配られなませんでした」
 私 「ああ、プリントが配られなかったんだ」
   「じゃあ、出した人はどうしたの?」
 B 「僕は、コピーしてやってきた」
 C 「わたしは、余っていたのを使いました」
 私 「おお、コピーしたり、余ったのをさがしたんだ」

 もしかしたら、やってこなかったことを
 責めることになりかねなかった場面でしたが、
 結局、君たちはすごいなあと言う話しになっていました。
 
 午後の学活で、係がちゃんとプリントを配っていました。
 係だってちゃんと責任を感じていることが伝わってきました。

 

極々私的話ですが・・・

「教育コーチング」修行中の超介です。

 父は地産の農作物販売(道の駅での)の会計をボランティア(手当てなし)でやっている。70歳の頃から学び始めたパソコン(エクセル)を使っているようだ。自分の年齢ではパソコンが使える人が少ない、などといっている(81歳だ!そりゃそうだろう、身内自慢)。

 父は農家の長男で、家屋、田畑、山林を守りぬくことをあたりまえのこととして、山林組合、地元の鉄工所、叔父(父の弟)の会社(大阪)、農地整理組合の仕事、地域の諸々の団体の役員等をこなしつつ、長男としての役割を果たしてきた。

 離れて暮らす長男の息子(私)に「いつ帰ってくる」(丹波に住むの意味)と無言で問いかけてくる。そのことをめぐって言い争ったこともある。いまできるだけのことをする。それでよし、といって自分を許すことにしている。でも、とても切ない気持ちになることもある。

 できないことについてもがくことが多い。よく見わたせば、そこら中に未解決の問題がある。自身の周囲だけでなく、日本中がいや世界中に未解決の問題があふれている。

 自分が変われば世界が変わって見える、これは原理である。

 この原理を信じ、めがねの曇りをゆっくり丁寧に磨く作業をおこなう。5年ほど前からたくさんの本を読みはじめた。特にこの2年ほどはその読書からめがねのくもりをとる方法に出会うことが多くなったように思う。

 ロジカルシンキングを中心とした問題解決法の学び、コーチングからはいったコミュニケションの学び、脳科学、心理学の世界を取り入れた先哲の啓蒙書からの学び等だ。

 壁には結構ぶつかる。以前は、ぶつかることが非常に恐怖であったけれど、今は少しめがねの曇りがとれてきたので「ああ、ぶつかる」てな感じで、すこしラクである。うまくいくこともある、いかないこともある。

 誰かが書いていた、人生はテストであると。実力が発揮できることもある、できないこともある。そう考えて(少し客観的になって)そして真剣に再度テストに取り組んでいこう。

小さなコーチングの積み重ねが・・7

○教育コーチングを楽しんでいる「そら@内藤」です。

○さて、先日から紹介している
 家庭学習を提出できないA君のその後です。

 連休前の金曜日のことでした。
 朝、「おはよう」を言いに教室へ行くと
 私の顔を見たA君が、すぐに言いました。
 A君 「先生、ぼくやったんだけど、家に置いて来ちゃった」
 私  「やったのに、置いて来ちゃったんだ」
 A君 「そう、昨日はテレビを見ないで、すぐにやったんだ。
     そして、机の上に置いておいたんだ。
     朝、そのことを忘れて、そのまま置いて来ちゃった。」
 私  「そうか、ちゃんとやったのになあ」
 A君 「うん」
 私  「で、どんな気分?」
 A君 「うん、なんか進歩したって気分」
 私  「そうか、進歩したんだ」(笑)

○そして、連休明けの今日のことです。
 A君とは、朝会えませんでした。
 また、A君のクラスの授業がなかったので
 今日一日、A君とは顔を会わせませんでした。

 私は、いつものように職員室で、提出された家庭学習をチェックしました。
 なんとA君は家庭学習を4日分提出してありました。
 連休は6日間でしたので2日分は不足でした。
 しかし、随分提出したことのなかったA君が4日分も提出してありました。
 それも、とても丁寧にきちんとやってありました。
 さすが、A君です。
 自分の意志で、自分の行動を決めている感じです。
 嬉しい日でした。

5月の薫風をうけて

「教育コーチング」で変わろうとしている超介です。

故郷丹波に戻り田植えをしてきました。田植機で苗を四条ずつ植えつけていきます。手植えの記憶もおぼろげに残っていますが、大変な重労働でした。機械だと1日で2箇所計0.5ヘクタールばかりの水田の作業が終わります。苗も農協から事前に購入しハウスで育てています。

竹藪には、筍もまだ生えていて、毎朝、両親が採りにいきます。にょきっと曲がっているその内側の地面にクワを入れてグイッと土をおこせば、地下茎と筍の根っこが切れます。一袋1・2本、100円・300円程度の値を付け道の駅に出荷します。安さと新鮮さでなかなかの人気、棚に並ぶのを待っている人もいます。

小川沿いに咲いていた菜の花、その花はもう先っちょに少し残っている程度で、根元には細長い種子の入ったさやが並んでいます。カラスノエンドウの紫色の花が咲き乱れていて、5月の薫風に蓬の葉っぱ、桜の青葉も銀色がかった裏面をみせます。

その風の芯の中には、ほんの少し次の季節の予感があります。歩きながら思わず両手を広げて5月の薫風を受け止めます。そうだこれからはもっと外に出よう、外に目を向けようと、思いました。一人で歩くときも自己との対話ばかりに終始せず、もっと外の世界とつながっていようと。そのような意識になる季節です。

コーチングの自己課題、「一緒にいる」に加えてさらにもっと「信頼」を深めていくために「興味と関心」をその場にもつことにします。『「話す」時の意識のベクトルを自分にでなく相手に向けること。この感覚を掴みましょう』、そう指摘してもらいました。

そんなこともあって、5月の薫風のなか、外への意識とつながりを大切にしようと考えたのです。コーチングや、ファシリテーションにおいても場を構成する人たちの息吹をフルに感じることができるように、もっと自由に場に合わせてうごけるようにします。