農作業を終えて

教育コーチングの普及に努めている超介です。

9月6日(日)のセミナー終了後ふるさと丹波に帰り、農作業をおこないました。一反七畝(だったかな)ほどの田んぼから773kgの玄米が収穫できました。30kgの袋26個を保管庫に積み上げて作業は終了です。これを精米していただく新米が楽しみです。新しいお米をたくと、つやつやと光り、粒がたち、よい香りがするのです。

ほとんどの田んぼは稲刈りが終わり、黄金色であった平野部の風景は薄茶色の入った肌色やら、その後に生えた稲の芽(これを ひこばえ というらしいですね。)で薄い黄緑色になっています。その奥にはそれほど高くはない(でもたぶん海抜400メートル以上はあったと思います。幅広く広がっているのです。)丹波山地が深い緑に包まれてあります。ふもとにある家々も秋の収穫の大仕事を終えて、一段落ついているかにみえました。

 今日(9月13日(日))は所属する企業の宿泊研修がありました。土曜日から泊り込み、未来に向けてのあり方をデスカッションする時間を数グループに分かれておこないました。自らを信じる力を強くするきっかけにしようと呼びかけました。そのために未来を想像し、今、これからやるべきことを話し合ったのです。

 教育コーチングの活動も、仕事も常に期待をこめて、種まき、水遣り等々せっせとおこないます。運動会もたけなわ、秋祭りも始まります。日ごろの努力、練習がそのとき開かれるように、私達の活動も継続的に行い、方々で花開くようにしていきたいと思います。

静かな雨の日

○教育コーチングを生かす!
 そら@内藤です。

○今日は、信州伊那の多くの小学校では
 運動会が予定されていましたが、
 延期になっています。
 明日は、晴れマーク!
 楽しい運動会になって欲しいです。

○静かに降っているときの撮影です。
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おしょうさんの娘育ち日記(9月その1)

娘の成長に合わせて、コーチ度がアップする
教育コーチのおしょうさんです。

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先日、社内の家族サービス企画?で、
静岡へ地引網と水族館に行ってきました。

波打ち際での水遊び。

砂の感触・潮の香り・寄せてはかえす波に、

「お砂熱いね・。」

「海がにおうよ・。」

「波さんが来るよ・。パパこっち・。」

地引網をして、お魚さんとご対面。

「お魚いっぱいだね・。」と言いつつ、

獲ったばかりの魚たちにたじろぐ娘。

水族館では(映画ニモの)クマノミ館へ。

「パパ!○○もお魚だよ・。」

クマノミになろうとする娘。

本物を見ること。

感じる心。

うちの娘は完璧です!

満開です。

○「あり方」を大切にしたいと思っている教育コーチのそら@内藤です。

○ヘブンリーブルーというアサガオです。
 日中でも元気に咲いています。
 休耕田に育てたり、
 工場の敷地の周りの壁に育てたりしています。

 嬉しくなってしまうような、青です。

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セミナーをやりました

お母さんから「教育コーチング」を通じてエネルギーをもらっている超介です。

9月6日 9名のお母さんと一緒に「子育ち」について学ぶセミナーを開催しました。

100分の会は穏やかに始まり、お母さんの積極的な参加をいただき、最後は「承認のコトバ」が
持っている強さを象徴したムービーを見て終了しました。

 実施前は 予定通り来てもらえるかな、うまく話せるかな など不安もありましたが、はじめてみると、感想を述べていただいたり、発表をしていただいたりしているうちにだんだん私にもエネルギーが満ちてきて、最後はやってよかった、と心から思えました。

 アンケートには、良かった点は?(に対して)全員が日ごろの行動の反省と、今後の決意を書かれていました。100分では短い、もっと。という意見も頂きました。

 また、遠くから同じトレーナ仲間も応援に来てくれました。心強かったのです。

 日本の各地で、人に対する思いをもった人たちが活動している姿を思い浮かべています。
それに触発されて多くの人たちが、人の可能性に改めて気づかれる、そんな青写真を思います。それは現実に動いていることなのです。(きっと)

 

素 (友、その3)

『人生航海図』、開催真っ只中ですね。
参加したいと思いながら、まだ参加したことのないいっすぅぃ・です。
きっと、魂のぶつかり合いが繰り広げられていることと想像します。
一皮も二皮もむけ、「素」の参加者がそこにいるのでしょう。

「教育コーチング」が大事にしているその人の「在り方」。
私がその「在り方」、つまりは「素」を意識したのは大学生の時だと思います。

大学生の頃からの一番の友人がK。彼が私を今ある私にした。
英訳せよ、なんて言えそうな文、そのままを授けたい人です。

大学入学数ヶ月が過ぎ、女の子達と飲みに行ったときのことです。
その夜、私は、そのKの部屋に泊まることになっていたので、その
女の子達と地下鉄の改札でお別れ。本来ならここで終わりのはず。
地下鉄のその駅は、真ん中に線路が2本、両側にそれぞれ反対方向
行きのホーム。
Kはおもむろにバイバ・イ、ありがと・、そしてホームに土下座。
これは面白い!と私も土下座。ありがと・・、と。
反対側の女の子達はどうしたかというと、そのまま土下座。
そして、お互い、ありがと・・・。

ある意味、ショッキングな出来事でした。

その頃の友人達は、なぜだか「訳あり」な苦労をしているのが多く、
きっと、引き寄せ合うものが合ったからだろうけれど。
認め合えるから、バカが良いから、「素」でいることが恥ずかしいこと
でもなんでもなく。
世界が明るくなっていきました。

そのKは論理派、私は感覚派、と言われ、でも2人一緒。
片方がいないと、「もう1人は?」なんて聞かれる。
だから He made me what I am.

「素」でええやん、男前やでぇ・、かっこええでぇ・、と力強くなっていく
「教育コーチング」の道。
だから、好きなんですわ。

「ゲーム」をやめて「名人」をめざそう!!

「教育コーチング」の名人をめざす超介です。

元商社マンであった人と出会い、話しているうちに体験談になりました。ヨーロッパ、アジアの国々からアパレルの買い付けを担当していたとのこと。彼の経験に興味をおぼえ、いくつか質問しました。「海外の製品を買い付け、国内で販売するためには、日本人の好みを考えて商品の買い付けをするのが大切でしょうね。」とか。すると「フランスではボタンは付けてある程度で、すぐ取れてもみんな気にもしないですよ。」とか、日本文化とある国のそれとの違いについて色々と話をしてくれます。

彼は次に不動産(住宅)の販売に関わったそうです。「これがね、ポイントを知っていると、本当に面白いほどうまく契約が取れるのですよ、それはね・・・・。」「読めるようになったんです、世の中がね。」と教えてくれました。それができるようになるまでの過程は聞きそびれてしまいました。次に聴こうと思っています。住宅販売の「名人」の彼に、どのようにしてそうなれたのかを。

「ゲーム」をしないこと、私はこのことを教育コーチングの研修で学びました。新しい能力を身に付けたり、新しい仕事をはじめるときに、「邪魔するもの」が頭をもたげてきて「わたしにはできない」とか「私の仕事ではない」とか、自身の心の中で「ゲーム」がはじまることがあります。これをきちんとコントロールするのです。

格調高い漢文調の日本語で文をつづる作家の「中島敦」の「名人伝」(弓の名人)を読んだことがありますか?小説の中ではほとんど不可能かと思われるレベルの五感の力が、訓練により引き出されていきます。私は「名人伝」を読み進むうち、ひょっとしたらこういうことも可能かもしれない、と思わず引き込まれていきました。そして主人公は厳しい鍛錬を重ね、ついには弓を使うことも忘れた名人になります。

私もまったく「教育コーチング」のことを忘れた人になりたいと思います。身体の一部になっていて、無意識に使え、自由自在。

「ゲーム」をやめること、これが少しずつできるようになれば、自分がやりたいこと,或いはできることがあることに気がつきました。社内で研修をやりましたが、受講者の様子からもそのコトに気がつきました。

 「ゲーム」をやめて「名人」をめざそう!!!  

メールが来た

たびし@小山です。

私が高校の教師になって2年目に担任した生徒、M紀からメールが来た。
「先生げんき? 今日S村ちゃんに会ったよ。覚えてますか?」
今年彼女らは37歳になるはず。

可愛らしい高校1年生の坊ちゃん嬢ちゃんたちが、いまやあらふぉーの父さん母さん。

20年前・・・、今の私なら絶対にやらないかかわりを生徒たちにしていた。
それが教育だと信じて。
全身全霊でかかわった自負はあるが、今思えば詫びたくなる行為は数知れない・・・。

あの子達は、
「先生、今は偉そうに教育語ってるけど、うちらにはひどい教育してくれたよね」
と私を責めるだろうか。
「いいの、いいの。先生も若かったしさ。一生懸命やってくれてたんやから」
と許してくれるだろうか。

きっと後者だ。あの頃から、私なんかよりずっとずっと大きな心の持ち主だった。あの子達は。
そんなあの子達に甘え、教師として、人として育ててもらった気がする。

やっとそれが見えるようになった私、もうすぐ45歳。
「教育コーチ」を名乗ることのプレッシャーを改めて感じるこのごろ。

夏のなごりと秋

○教育コーチ、そら@内藤です。

○一昨日、ある研修会の中で
 エゴグラムをやりました。
 久しぶりのエゴグラムでした。
 
 以前の私は、こうあるべきという意識が強く
 CPが高かったのですが、
 今回は、NPがとても高くなっていまいした。
 
 何がよくて何が悪いと言うことではありませんが、
 しかし、生徒1人ひとりを尊重し、
 その生徒が何を感じているのかを理解しようという自分のあり方が
 ひとつの形にあらわれていることが実感できて
 嬉しかったです。

○過ぎてゆく夏と秋の1枚です。
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