教育コーチングを通じて生まれてきた意味を知りつつある超介です。
昨日『見通しが立たない状況下で生き残る法』(宗像恒次著 きこ書房)という本を書店で見つけました。その最後から2ページ目に「人に愛があるとき、命がある」という言葉がありその次のページに詩があります。
人が変わるとき、
それは自分がいかに恵まれてきた
存在かに気づけ、
自分の運命に感謝するときである。
そして、人が本当に変わるとき、
この世に自ら決断して
生まれてきたことに気づき、
魂の真の意味に気づいたときである。
私は、この中の
この世に自ら決断して
生まれてきたことに気づき
魂の真の意味に気づいたときである
という後半のフレーズに強く惹かれています。この『とき』を探してきたような気がしているのです。あいまいな先にそれが見え隠れしているのです。
なぜあいまいか、というと『自ら決断して』生まれてくる、とありまが、決断する私 と生 まれてくる私 は普通同時にはありえないのです。が、私のここまでの人生を振り返ると、そのようにおもえる、という意味なら理解できるからです。
私には、自分を愛してくれたひとを裏切っているのではないかという気持ちが無意識裡にあって、そのことが『私は幸せになってはいけない』という意識につながり、辛いことを選択してきたのではないか、そのように“もやもや”思うことがあります。
その“もやもや”もその『とき』がきたら、すっかり晴れ、その裏切りと感じている意味、辛いことの選択の意味が分かり、それらに取り組んいける『自由』が得られるように思うのです。
だから気になるのです。