考える力の源

 超介です。

 考える力の源は言葉です。言葉を行使しないと考えることはできません。多くの経験、知識もそれがなんであるかを言葉で、表現できなければ記憶にも残りにくいし、またそこから学ぶことも少なくなってしまうからです。自分で使える言葉が豊かな人は思考も深くなります。Vocabularyを増やすのに有効な方法の一つは、その人が自由に話すことです。

 人が自由に話せるため、傾聴すること、承認すること、質問することはとても有効です。コーチングを受けると、コーチはクライアントの中にある考えを引き出すことができます。クライアントは自分の頭の中にある言葉を使いながら考えます。

 考える力をつけるためにもコーチングはとても有効な環境です。自塾のOSとしてコーチングを中心に据えようとしたのは上記の理由からです。学習面にこだわらず、日常生活の中で、子供がそのような環境にいることは彼らの力強い成長につながります。地域に普及させることは大変大切で有効です。自塾をコーチング認定校にした理由です。

 教室での運営、保護者の方へのコーチングの紹介に重点を置いています。

継続力の源

超介です。

苦手だと思うことでも、できることから始めれば、多くの物事は先人によりその道が開発されているので、たいがいは達成できる、と思います。それで、一番大切なことは「継続力」だと思うのです。毎日あるいは週に3日、4日でも練習を続けていると能力が開発されて伸長していきます。

この「継続力」の中には能動性や目標志向ももちろん必要ですが、その根底には「忍耐力」があります。この「忍耐力」をもう少し言い換えると「我慢する力」だと思います。「我慢する」ことは「不便に耐える」という一面がありますから、「結果がすぐ感じられるという意味でのゲームの感覚」からは程遠いように思えるのです。スマホゲームを否定するわけではありませんが、その中に埋没していると、そこでこの貴重な体験財産を得ることができなくなってしまうように思います。

どこにいても物も情報もすぐに手に入れられる便利な時代にそのまま流されてしまうと、この「我慢する」という機会を失ってしまうのではないでしょうか。

人が言語だけ取ってみても、その能力を身に着けていく過程では延々と繰り返し繰り返し学習を続けてきたのは間違いないので、誰もが「我慢をする」という機会は持ち得ています。それを意識すれば「我慢する力」→「継続力」を呼び覚ますことはできます。

苦手と思うことの近くに飛躍の芽がある

超介です。

苦手と思うことの近く、あるいはそのものに、きちんと取り組めば自分の強みになることがあります。自身が、今までやってきたことも、最初は「ちょっと無理、自分には。」と思って始めたことが多いです。それが、後では得意になっています。子供達が進路の選択をするとき、例えば、「数学が苦手だから文系に進みます。」と言ったりしますが、「それは理由にならんよ。」とアドバイスをします。もっと自由になって欲しいからです。

でも、こういうアドバイス、多くの場合、彼らは「ふーん」と言っておしまい。苦手なことの中に、偉大な飛躍の可能性の芽があることは事実なのですが、それにはなかなか日が当たりません。さほどに教科のテスト結果に子供達も縛られています。それ故に、私の仕事は子供達が「意外とやればできるなあ」と感じたり、「本当にやりたいことは何か」や「大切にしたいこと」について思考してもらうことです。

自己肯定感が高まる、目的意識が深まる、自分を振り返って見つめるというような機会をこしらえていくために傾聴はとても有効です。自らについて語るとき、自分を見つめる目が生まれ、それらを可能にします。

大人の学び

超介です。

 振り返ってみて理解できたことです。

 英語を学ぶ動機は英語で書かれた本を読みたかったからでした。自己啓発書を英文、そのままのニュアンスで理解したかったので、数年前に勉強を始めました。それがモチベーションでした。もちろん今もその気持ちはあります。

 音読をしたり、英単語を覚えたり、基本文を暗唱したりすることを始めました。そういった学習を続けていると、時にはモチベーションが下がって、いわゆる「やる気がなくなる」時があります。学習が進んでいる実感が持てない、TOEICの点数が期待程でなかったとか、理由は様々です。

 でも、そんなときでも学習を続けることはできました。それは目標を「学習を続けること」に切り替えたからです。継続できるように、工夫をしました。何を、いつ、どこで、どんなやり方で行うかを考えました。学習を継続するための障害となる障壁を低くしました。もちろんそうすれば、継続は効果を産み出し、それは動機に変化します。

 例えば、当日の学習箇所に戸惑うことがないように、教材のページをすぐ開けられるようにインデックスを貼る、そして予定箇所を決めて置きノルマ化する、雑念が浮かびにくいように枕元に教材をおいて朝目覚めるとすぐ教材を手に取って始める、英単語はノリ付き付箋を利用し、毎日20個単位4〜6シート分チェックし、10回合格すれば、次の付箋やらシートに進む、自己承認のために記録をするとか。さらに学習の方法を本で調べ、使えそうなことを取り入れました。

 このことは、毎日のクラッシックギターの練習にも応用できました。「やる気がないことは勉強ができない理由にはならないこと」を学ぶことができたのです。「学習を続けること」を目標化し、それを工夫し具体化することは、大人の学びだと思います。

2017年の干支

 超介です。

 年の初めに干支を調べ、その年を生きるうえでの参考にしています。参考図書は「干支の活学」(プレジデント社 安岡正篤著)です。

 2017年の干支は「丁酉(ていゆう):ひのととり」です。「干支の活学」によれば、十干の丁の文字は

 「丁」の上の一は、丙の上の一の続きとみてよい。つまり従来の代表的な動き、主流のなお持続を表すが、下のJ(活字が探せないのでアルファベットで代用しています)はこれにたいする新しい、あるいは反対の動き、対抗勢力の衝突を表す。説文学からいうと、また「丁」
の下のJは幹を表し、上の一字は木の上部、したがってその枝葉の茂りを表すわけである。(P66)

 さらに十二支の「酉」については

 これは、元来酒を醸造する時の器の象形文字で、発酵を表している。したがって成る・熟する・飽く等の意となり、時刻では午後五時から七時、季節では仲秋、方位では西方を表す。干は幹、支は枝であり、干を代表とし、支はこれを支えまた分かれる作用を示すものであるから、(P101)

 とあります。

 これを、私の今年の意味に置き換えていくと、2014年に離職、そしてUターンして丹波に戻りました。人生の物語の筋を大きく変えたのです。その流れはこのまま続けます。ですが、外見はともかく、心の内を見てみれば、良い意味でも悪い意味でも「発酵」しているものがあるように思います。それに気づいてどう向き合うか、そのような示唆を受け取りました。

日常からの脱出

 超介です。

 12月上旬以来、再び登山を行いました。丹波のこのあたりは登山の楽しみがあります。今回は9人のチームで登りました。前回同様適度に険しい山です。鏡峠という隣の篠山市との境界の峠まで登って、尾根を歩きます。峠といっても道はあるかないかわからぬようなところを進んでいきます。その名も鋸山、のこぎりの歯のようにアップダウンの激しい尾根を進んで一番標高の高い岩が目的地。そこからは、いくつかの方向に進んでいく谷とその中の川、田畑、家々がグーグルマップのままに一望でき、さらには福知山市やら丹波市の北部の山並みが雲海の中に見えたのです。

 私にとっては、途中のルートも足元に注意しながら進まないと滑ったり、転んだりしそうなところの連続で、特に帰路はそれに加えて左足の太もも、両足の指先が痛み、辛いものでした。

 しかし、この登山は今の私にとっては非日常的であって、新鮮だからまた行きたくなります。この登山の後では、感覚、視点が違っているのです。それは、まだ身につけていない感性のようなものです。それにちょっと触れているのだと思います。

 さらに、この感覚の先に、登山以外に、来年からやってみたいことがあるのでは、という予感があります。

山登り

超介です。
To-do list を作って、結果を日々残すことに生きがいを見つけることは悪いことではないですが、ちょっと狭いなあ、と感じることがあります。

先日、山を登りました。1分もあるけば山、そのようなふもとに自宅があります。見上げれば尾根が30度以上はあるように見えて結構急峻。途中で足を滑らせたことが3回ほどもあって、帰りは足がプルプル、右足が引きつって歩くのがつらかったです。山頂まで道なきところを進んで尾根を少し歩いてまた降りてきました。ひどく疲れました。

翌週に、杖やら、登山靴、雨合羽、それにクマよけの鈴の手配をしました。

良いとこさがしを続けてきて、少し見方が変わってきたのかな?

意識すれば自信が生まれる

超介です。

3年前の、現役時(会社に勤務している頃)より忙しくなった、と感じています。日曜日は塾を休みにしているのですが、11月の日曜日は自治会の仕事(数時間程度で終わるものばかりですが)が何か入っていて遠出(県外へ出かけること)ができません。先月は京都出張を一日入れていましたが体調を壊し自宅で休みました。

自塾の仕事の量は少ないのですが、それ以外の公私にわたる仕事が増えました。6月末の父の葬儀以来、9月の百箇日までの各種の法事、8月の夏祭り、9月の運動会、稲刈り、10月の秋祭りと大きなイベントが続き、その合間にその準備やら月2回の自治会の会議、通常の業務がありました。

ほとんどのことがはじめてなことが多かったのですが、最初はわからないことに頭を悩ましていました。振り返ってみると、もちろん失敗もたくさんしてきましたが、意外と、想定以上に順調にこなせているので、少し自信がついてきました。現役時代に、様々な相談に乗ってもらっていた人から「たくさんの体験財産がある割には自信が持てないんだね」と指摘されたことがありました。これまでは、先のことに対する不安が先行して、自信を感じることができていなかった、ということがわかりました。

 このことは、次々と降りかかってくることが多かったお蔭で、新しく理解できたことです。

最近のささやかな一歩(その2)

超介です。

最近のささやかな一歩(その2)です。

もやもやした少しネガティブな感情に支配されているときに、もちろんコーチングはそんな時にも有効ですが、その結果として、その感情を引き起こしている対象物、あるいは人にたいして「いいとこさがしをする」ことができれば、さらにそれを「言葉で表現する」ことができれば、そしてさらには「伝える」ことができれば前に進めることが分かりました。

 この時のいいとこさがしでは、視点を変えてみることが大切です。そのためには「過去にさかのぼって、未来まで考える」とか、「本質をつかむ」、「多面的に考える」とかがありえます。ある人間関係におけるモヤモヤは「このことが教えてくれている意味」という視点を考えたときに晴れわたりました。

 よく考えてみれば、丹波に帰省した時に最初にやったことはそれでした。というのは大好きであった松山を離れて故郷に戻った時(今もそうですが)「丹波のいいとこさがし」をして、それをほとんど毎日FBにアップしました。生活しているうちに見出すことができたものをiphoneでパシャリとやって、コメントを添えてアップする、これを繰り返します。

人間関係においても、何かモヤモヤがあった時に「視点を変えて見直」せば、その意味が見つかって晴れ渡る、という体験をしたのです。

最近のささやかな一歩です。

最近のささやかな一歩 (その1)

超介です。

 6月末から9月にかけては、私事多忙でブログへの投稿の回数を減らしていました。父が亡くなったので、その後の手続きと家の仕切りの仕事が増えたこと、自塾の2年目の夏季講座及びHPの整備等をしたこと、自治会の仕事が増えたことなどが理由です。法事やら、稲刈りなど、タイミングが外せない仕事もあって、多少無理をしました。8月末頃からは疲れを出してしまい、すこしセーブすることにしました。

 塾生が通塾時に疲れてしまっていて集中できないのと同じで、机に向かって作業を始めても眠くなって、頭が働かない時があります。それで、能率的に仕事をするために、体を使うことと、頭を使うことを交互に取り入れて進めるようにしました。塾の仕事でいえば、小さな教室ですがそれでも廊下や手洗い、そして教室内の掃除をしたり、授業準備をしたりと、結構時間もかかります。それらと、机に向かってすることを交互にしたりすることで、少し前に進むようになりました。ささやかな進歩の一つは、必然的に仕事の組み立てを考えるようになったことです。体力の限界を感じたこと、やる仕事、やらない仕事の区別を考えて進めるようになったことです。

 ま、しっかり仕事をやっている人には仕事の組み立ては、当然のことです。私の場合は、起業してから1年は思いつきで仕事ができていたのが、それが回らなくなっただけなんですが。

 2つ目は次の機会に。