来年は己丑の年

 超介です。

 今年最後の超介の投稿です。(たぶん)

 今年はふつふつと色々なことが沸き起こりそれぞれ大事にしたり、捨てたりして、整理すべき年(戊子の年)だったそうです。

 が私のやったことは、あれもこれもと手を出しまくり、この年末はいささか疲れ果て、こんなことならもう少しやらずにほうっておけば・・・と。

 さて来年はと調べてみると、己丑の年。この2文字からもわかるように己もうねり、丑も紐のように一流れ続き、うっすら筋道がつき始める年、とのこと。

 悪事に筋道がとおるのは困りますが、ねがっていることに見通しがつくのなら、これほどありがたい年はありません。

 ここまで学ばせていただいたことへの筋道をつけねばなりませぬ。

 まずは自力で公開セミナーをやる、このことへの筋道をつけ実行する年でありたい、これが来年への抱負です。

 皆様よい年末年始を過ごされますように。

盲点

超介です。

人事異動の準備時期に入り、今年度ここまでの仕事の振り返りやら、次年度への考えなど上司が部下に聞いて回ります。そのさなかに感じたこと、考えたことです。

社内での人間関係、上司部下間のトラブルではお互いが理解できていないことから来る場合が多いようです。「ジョハリの窓」でいえば盲点(私にわかっていて、相手にわかっていないところ)が原因になっていることが多いようです。

そしてそこをあえて指摘したときの反応は様々。防御的反応、攻撃的反応、無反応、客観的、冷静に受け取る人、謙虚に受け取る人等、人それぞれです。この盲点は通常、周囲の人は感じているが直接本人に伝えにくいような点であったり、伝えにくい構造であったりして、それが本人の自覚を遅らせます。

この人には脳にそこを理解する回路が欠落している、その様に思ってしまうこともあります。改めてその人を見直し、理解が深まることもあります。また領域は違えども、自分にも当然、ある特定の回路が不在であることの可能性にも気づきます。

そこに至ると、伝えている本人(私)も相手も人間関係の絶壁のうえをかろうじて歩いているのではないか、また、過去から現在にかけて、そういった欠落回路から来る言動が人を谷底に突き落としたりトラブルをおこしているのではないか、そのような憂鬱にとらわれます。心的エネルギーが不足だと、谷底に転がり落ちて、何もする気がなくなってしまうかもしれません。

人それぞれに完全でないことを思うと、人事上のトラブルの解決、人事配置リスクへの担保としても人の在り方の重要性、必要性を感じます。対人関係における基本戦略,私の場合は誠実さ。(それしかできない,たぶん。)教育コーチングで学習したコーチ、トレーナーの在り方は完全正答に思えます。

在り方のトライアングルをがっちり構える、裾野を広げる、そこからくる3つの信念が強固になっていく。そのような状況がコミュ二ケーションを豊にする。それが事実であると思います。

自主研修会で

超介です。

 所属する会社でコーチング自主研修会を行いました。
月1回10名程度のメンバーが集まります。4回目になりました。

 研修は2時間ですが、毎回あっという間に終わります。はじめにこの1ヶ月間で、コーチングに関して考えたこと、実行したこと、思ったことなどを全員が話します。

 お互いの理解を深めるために今回は 漢字一字で自分を表現する をやりました。籠、愛、一、優、在、心、・・・等様々な文字とかかわりが語られます。

 私は 在 と書き、一緒にいることを説明、この1ヶ月間の出来事を2つほど紹介しました。どちらも小学低学年の子が泣いていて、その子らの話をよく聞いて(チャンクをほどいて)わかったこと、起こったことを紹介しました。

 ある、小学2年生の母親に対する気持ちを知りました。お母さんにはいわないで、心配するから・・・ という子。普段わがままな振る舞いをする子が・・・。

 そのような話をしました。その後、いくつかのワークをやって最後に1:1コーチングを行いました。

 研修会も回を重ねると、結構深く入っていけそうです。
テキスト(子どもの心に届く言葉、届かない言葉)を課題に進めています。

 次回は 一緒に居る をテーマに学んでいこうと思っています。

 

羽化2

超介です。

鳥の雛がかえるとき、注意深く卵を温めていた親鳥が、雛が中からコツコツ殻をつつき始めたそのとき、親鳥も外から殻をつついて孵化するのを助ける、そのタイミングが同じであることを啐啄同機(ソクタクドウキ)というらしい。

試験、発表会、新たなスタートを切るときなど、誰かが「きっとできる」 「挑戦は素敵だね」と背中をぽんとタイミングよく押してくれる。コトバをかけてくれると動きやすいことがある。

生まれつきおとなしくて、人前でしゃべれない子どもであった。両親にずいぶん心配をかけた子どもであった頃のことを思い出す。今でも、話せなかった影響があるように感じていて、自己表現は人生の課題。

自らの与件に対して前向きに挑戦し、学び、考え、行動を継続する。そのことを通じて世界に「大切なこと」を伝える、表現し続ける人であること。これが私のミッション。とても自己中な内容だ。

過去を振り返ると、自分の考え、感じたことを話したことがあまりにも少ない、と感じる。そしてそれをきちんと受け止めてもらったと感じたことも本当に少ない。受け止めてくれことを思い出せるくらいしかない。受け止めてくれた人こそ、友である。行き来がなくてもあえばきっとうれしい。

生まれたときには言葉を一杯かけてもらっているはず。祝福のコトバをたくさんもらっているはず。それを絶対のことと思っている。

私の今を作っているもの、存在意義・理由、あり方と信念、Being、基礎的制御機構(パソコンのOSに相当するもの)は、そのコトバの洗礼から形成が始まった、はず。そこに、働きかけるコトバがあるはず。それをいつも探している。ミッションもそこから探してきた。

自分の使命(ミッション)を使って世界の「殻」を内側からつつく。「親鳥」が外側からつつく、殻が破れれば、新しい何かが始まる。

そこは何か、そこはどこか?

羽化

超介です。

 もう冬、でも夏の話。

小学生の頃の夏の楽しみの一つに蝉の幼虫(蛹)取りがあった。近所にある神社に夕方でかけて地面を這うようにしながら探す。土の塊がモコモコ盛り上がっていたり、マッチ棒の先ほどの穴があいていたりする。

そこをそっと木の枝で押さえると、ぽっかり親指くらいの穴があく。その底に7年間土中で過ごしてきた生き物が潜んでいる。そっととりだす。手のひらにのせると、ずしりと確かな重みを感じる。ゆっくり手足を動かすそれは、茶色いあめ色でメノウのような光沢の皮膚を持っているアブラゼミの幼虫。土から生まれた宝石。

僕はその幼虫を大切に持ち帰り、庭の植木の根元や植木鉢に置く。夕食後、飽かずにながめる。背中が割れ、中から真っ白な成体が現れる。折りたたまれた小さな羽がゆっくり伸びていく。

けれども、採集するときや、持ち帰るときに乱暴に扱うと羽化は途中で停止する。成虫にはならずに背中をむき出しにしたまま、殻つきのままで死んでしまうことが多い。

それを知ってからは、穴から掘り出し、持ち帰って土に再びおくまで、大切に大切に扱うようになった。それでも時々成体にならないときもある。

 自然が変化をしているとき人は、そっと見守るべきなのである。いじくるとうまくいかない。虫の命でも自然は精密な仕組みを作っている。それをいじくってはいけない。

蝉の羽化を思い出したのは、人の成長との重ね合わせからだ。人が自立する時、保護者は愛のブリッジをかける。

そっと見守る、大切に大切に、見守る。

コントロールはできない。

成長する

超介です。

所属する会社のコーチング講習を手伝った。
1年前に受講した講座とおなじ内容である。人と対話することがとても苦手だった。それがこの1年間で、楽しみになり、さらに人前で語ることも(十分ではないが)照れなくなった。この数年間は人生の変局点になりそうな予感がある。

特に躊躇を捨てることができ始めると、時間感覚が研ぎ澄まされ、集中力が高まってきたように思う。思いもよらなかった自分に気がつく。でも本当は自分の奥深く眠っていた種が育ってきた、そう思える。

未来の自分からのメッセージをきいた。

「迷うな、まっすぐに進め!」 

簡単なメッセ―ジだ。

未来の自分のイメージも大変シンプル。

「強い人」

ただそれだけ。でもそれだけで十分である。この1年間は思いもよらない感覚を僕に与えてくれた。それと比べるとずいぶん具体的なイメージ。

強い人、そして迷わないまっすぐに。

それは今のままでやれ、自信をもってやっていけという励ましのメッセージ。

1年後、僕はどんな視点と精神の塊をもっているのだろう?今の自分をどうみているのであろう?

・・・・・・・・・
・・・・・・

ホープフルな人たちを見つけ出そう、未来を作ろう。

楽しみだ!

決意する

超介です。

 体の力と頭の力はこつこつ毎日トレーニングしないと急には伸張しない。

 でも、心は突然変化する。だから、一目ぼれもするし、百年の恋も一瞬で消え(これは一般論)“花”、“なだそうそう”をきいてぐっときたり、野球漫画“メジャー”、ボクシング漫画“はじめの一歩”を53歳のいまでも感心して読み続けたりする(これは僕のこと)。

 心はころころ変わるから心というらしいが、独立しているわけではない。当然、体と、頭とも関係があって身体を鍛えたり頭を鍛えたりして心に影響を及ぼそうとする。

 夜の仕事なので、自宅に帰るとおなかがすき、30年間深夜に飲酒、食事を続けてきた。が、毎朝すこぶる気分が悪くて、心が重かった。血圧、中性脂肪とメタボ対策で夜の飲食をやめると朝の起床が爽快になり心が軽くなる。30年めにやっと変えることができ始めた。

 起床後ウォーキングをする。毎朝やっていると、途中で出会う人にどうやって気持ちの良い挨拶をすればよいか工夫をし始め、これも心を軽く上向きにする。こんなことであればもっと早くはじめればよかったのに。

 一つの行動を繰り返して習慣にしていくためには、決意が必要。心がその引き金になる。一瞬で心は変わるので、途中で行動が停止しても、また一瞬で心を入れ替えて行動を再開することができる。

 心に蓋をしている人は多い。僕の場合はシャッターが下りているイメージだった。シャッターを上げると新しい光景が飛び込んできて、その中に踏み込む。見える世界、体験する世界が変わる。

 そのシャッターの鍵を持っている人を僕は知っていた。その人から鍵を借りて、最近シャッターをあげた。名前もかえた(長介→超介にした)。

僕は歩みをスピードアップする。
きっとそうする。

調子が悪いとき

超介です。

調子が悪いとき、何かがきちんと出来ていない感じで、何をするにも気分がのらないときがある。

そういう時、ぼーとする、或いはさぼる(これは大きな声では言えない、書いているが・・・)。こんなもんだとあきらめる。表現する(ブログ、ここ、に書く)。

釣りに行く、旅行に行く(でもいけない。)小田和正を聞く、沖縄の民謡を聞く等等。

今日新しい方法を確認した。受け取ったままのメッセージ(書面とか、仕事のオーダーとか)に返事をする。これをやると意外と局面が打開できる(大げさです)。

受け取っているメッセージを、相手に返す。これだけで意外と動けるようになる。相手からの返事、話で視界が開ける、ことがあります。

皆さんはどうしていますか?

勉強の秋(たのしいコトバ集め)

7月から手帳を変えた。それまでの縦長ポケットサイズからA6CAMPUSノート(100円です)を2冊重ねて使っている。

 1冊は目標、計画など遠いところのことを書く。もう1冊には何でもかんでもかく。読書メモ、仕事メモ、アイデア、雑誌、ネット情報の切り貼りとにかく書いたり、貼ったり、メタボノートになる。

 月1冊ほど使うので、5冊目になった。記事内容には日付をつけ、後で索引を作る。(これらは本で知った方法だ)

 そして、索引を時々見、気になる文、コトバを読み返し自分のモノにする。また再度別のノートに移し変え、キラキラ光るコトバ集を作る。

 世界には光るコトバがたくさんころがっている。

 小学生の頃、丹波の山里で虫取りに励んだ。補虫網と、パラフィンの三角紙、殺虫瓶をもって野山を歩く。子どもの遊びであるので、とるだけとって、あとはほったらかし。

 でも、時には持ち帰り、展翅をしたりして標本を作る。また蝉の幼虫(蛹)取りにも、小川での魚とりにも夢中になった。

 柏、クリ、クヌギの木の樹液に集まる甲虫やら、蝉の幼虫はキラキラ光り、本当に宝石のように美しい。

 いまの僕の勉強も、少年の頃の僕の虫取りも変わらない。どちらもどきどきするものとの出会いである。

 勉強の秋、皆さん勉強していますか?

コトバのチカラを鍛えたい

 超介です。

 今日は有志でコーチング研修を行いました。
 各回、2時間です。2回目の集まりです。

 今回初めての人もいます。
 前回から参加した人は体験を語りました。

 中には、テキスト(子供の心に届く言葉届かない言 
 葉)をどんどん読み進め、実践してコトバのチカラで
 クライアントに気づきをどんどん体験してもらっている 
 人もいて、感心しました。

 みんな向上したい、何か掴みたいという気持ちで
参加されているのでチカラが強化されています。

 体験を話してもらうとそれがよくわかります。

 もしもっともっとコトバのチカラが強くなれば、

 遠くの景色も、世界で起こる事件も、隣で争っている 
 人情沙汰も よく聞こえ、よく見え、よくわかると思い
 ます。

 そして、未来の絵を描き、世界の政治経済の混乱を 
収拾し、隣人の不幸を解決できると思います。

 コトバは世界を認識し、加工し、創造するチカラを持っ
 ています。

 コトバのチカラを鍛えたい!