梅雨時の動物

「教育コーチング」を楽しんでいる超介です。

今朝(6月25日)ウォーキングに出かけようと外へ出ると、異様なにおいがします。家の周囲を回ってみると、猫の死骸がありました。久しぶりの、まあまあの雨が降り終わって2日後の、あつい朝でした。数日たっているらしく、猫の死骸は腐乱、虫がわいています。ぶんぶんハエも飛びまわっています。思わず、のけぞりました。最悪のモノをみてしまったのです。袋に入れて川原にもっていき、埋めました。

2週間ほどまえには、ツバメがせっせと土を運んできて、玄関に巣を作り始めていました。かわいそうですが、玄関先の汚れがひどくなるので、巣作りをあきらめてもらうべく壁にカバーをかけたり、土を落としたりしました。すぐ近くの電線にツバメが土くれをくわえてまっていましたが、・・・・・。

カブトエビについて前回書いたことのうち「毎年1,2ヶ月の短い成体の時期と10ヶ月あまりの長い卵の時期、これを数億回繰り返してきたらしい。」というのは正確ではありませんでした。(たぶんですが)彼らは適当な条件があればいつでも孵化し、成体になると思われます。それが究極の進化形です。

「カブトエビ」は現在、日本各地に生息していますが、原産地は日本ではなくアメリカで、何かに運ばれてやってきて、大繁殖をしたようです。孵化条件、繁殖地の広がりから進化がもたらした適応力がうかがわれます。

梅雨時は植物も動物も一番生命力を発揮する時です。ふつふつ、ぞろぞろ、ざわざわ動物達が活動しています。生き物たちが活発な生命活動をする時、当然人間も。

セミナーデビューを終えました。やってみないとわからない、たくさんの学びがありました。春と夏の間のこの時期に行動して、将来のびる芽をたくさん作りたいとおもいます。次の準備が楽しみなのです!

違いが進化をもたらす(カブトエビから)

「教育コーチング」を学ぶのが好きな超介です。

皆さんは水田の「カブトエビ」をご存知でしょうか?生きた化石といわれる「カブトガ二」のミニチュア。体長は2cm程度、毎年田植え後1週間くらいの水田にぞろぞろと大発生、1,2ヶ月で姿を消します。

姿をけした後の田んぼの土中にはきっと無数の卵があって、それらは秋の稲刈り、冬の田おこし等の農作業の際にはひっくり返されたりしながらジーと過ごしているのでしょう。

その姿が不思議です。三葉虫そっくり、カブトガニそっくり、「ソックリ大賞(甲殻類部門)」間違いなし。しらべてみると三葉虫が生息していた古生代(数億年前)、すでにカブトエビも現在の姿になっていて、それがそのまま現在に至っているとか、つまり進化の究極形らしいのです。毎年1,2ヶ月の短い成体の時期と10ヶ月あまりの長い卵の時期、これを数億回繰り返してきたらしい。

もし、人が究極の進化を遂げ、全員が100点満点取る人ばかりになれば、それからは標準化、効率化の道を進み、同じことの数億回の繰り返しの時代が来る?

だから、人と自分の違いこそが私が発展、進化することのもとになると思うのです。人は意識を持っている生き物であるので、その進化は形に現れる前にその心の中に現れるはずです。教育コーチングの3つの信念はそのことをうたっているように思えます。

慈雨

教育コーチングをもちいた「子育ちセミナー」デビューをした超介です。

ここ松山市では、1週間前に1日だけ雨の日がありましたが、それ以前から渇水で、いまは減圧給水となっています。この調子だと時間限定の断水もありそうです。

近所では井戸を掘っている家もあります。4日間ほど掘削機が稼動、5日目くらいに水が湧き出ていました。すぐ近くに1級河川(重信川)があり、その伏流水が地下水脈となっているのでしょうか、井戸のある家が多いように思います。重信川には水はまったく流れていません。

知恵とか、才能も水と一緒で掘り続けると、ある日突然に沸いてくるものだと思います。毎日トレーニングをする、効果が出るまで繰り返す、効果が出て、喜びを知れば、さらに作業に拍車がかかり湧水も増えるように思います。

そのことを私の脳は知っているので、新しい習慣を作ることを苦にしません。自動化された行動が習慣になり、ある日新しい自分に気がつく。そのときから、よりひろい世界が見えるようになるのです。

先日、ようやく保護者対象のセミナーを開くことができました。デビュー。受講していただいたのは、ほとんどが小学生のお子さんをお持ちのお母さんお父さんです。35名ほどの受講者の前で75分間お話をさせていただきました。

数ヶ月前に実行することを決めてからは、緊張と不安でドキドキでした。思っていた以上に高評価していただいていました。また、20年以上前の元塾生が来てくれていて「立派になられましたね」とか「はじめてのセミナーに出会えてよかったです」などのコメントも大変うれしかったのです。

この日も雨は降りませんでしたが、心の中は慈雨!

質問する

「初対面コーチング」の命名を思いついた超介です。

先日、ある団体で食品加工業に携わる人と話す機会がありました。異業の初対面の人と話すのは楽しみです。名刺交換をして、相手の業種、企業名、職種を見て何がこの人の一番の関心事かを考えて質問するのです。特にその仕事で成功するためのポイントを予測し、そこにコトバを投げます。たとえば、食品加工業であるなら、今は、安全、衛生をどのように確保し、売るかでしょうから、「やはり、衛生基準を示す資格、これが重要視されているのでは?」などと。

そうすると(的確であれば)あたりがきます。そこについて、さらに「そのためには、やはり外部の知恵と、内部の知恵をどう結び付けるか、これが大切なのでは?」というふうに、予測しつつ質問するのです。そうすれば相手は、よくぞ聞いてくれました、とばかりに話をしてくれるのです。それを繰り返していくのです。たのしいし、大変勉強になります。

人は話したい存在、特に関心事は話したいのです、そしてそれを探りあてるのは楽しみです。(例えが不謹慎かもしれないですが)釣りと一緒です。魚がいそうなところに仕掛けを投げ入れるのです。ヒットしたとき、生き生きとしたモノが出てきます。

名刺の情報から、その人の関心事を想像し、成功にいたる仮説を考えることは大変良いトレーニングになります。名刺をいただいた直後の短い時間内に、自分の知っている知識を総動員して質問に結びつけるのですから。少し前にはやった「地頭力」の中に「フェルミ推定」というのがあります。例えば「松山市内に猫は何匹いるか?」という質問に3分以内で答えを出します。そのとき自分が知っている範囲の知識で論理を組み立てるのです。それとよく似ています。違いは答えが数字で無いのと、相手に答えてもらうことぐらいかな。

 これを「初対面コーチング」と命名したいと思います。(思いつきです・・・ふふふ。)未来に向かって、成功に関する方向の質問ですから、ほんとコーチングですよね。

蛍から思い出すこと

超介です。

6月4日の深夜、散歩をしていて蛍を見つけました。川沿いの土手を歩いていると、向こうのほうにスーと1,2匹飛んでいて、みていると、スーのあとに光が消えて、また間隔をあけてスーと光りました。こんなに早く、蛍を見るのは初めてなので、近くまでよってみました。小川の草むらに20匹以上の光が点滅しています。

小学生の頃、家族で蛍狩りに行きました。菜種の種をとったあとの枝を集めて箒状のものを作り竹さおの先に取り付け、それで蛍を絡めとります。水を散らした蓬の葉をいれたかごに蛍を入れておきます。
ほんの2,3日の命でした。1日だったかもしれません。

6月に入り、カリンの樹に青い実がなり、琵琶の実が色づいています。実は、今雨量が少なく、松山ではこのままだと、12日から夜間断水(深夜23時から翌日6時まで)が始まります。もう少しで入梅、年中で最も生き物達が活発な動きをする時期になるのですが。

そのような今の蛍であるので、余計に心を引きました。明滅する明かりを見ていると、ふるさとを思い出します。虫たちや、小魚、鳥、植物、石ころ等の自然と遊んでいた時期を。友達が少なく、口数の少ない子どもでした。親はそのことを気にかけ、様々な機会をつくってくれました。人前に出る機会、人と触れ合う機会を作ってくれたのです。小学校の先生も考えてくれていました。そのときの人達の気持ちをありがたくおもい出します。

小学生の私は枯れ梅雨の中を飛ぶ蛍のように、周りからはさびしそうに見えていたかもしれませんが、でも本当は生き生きと過ごしていたのです。人と一緒に遊ぶことよりも、自然と一緒に遊ぶほうが良かったのは、そのほうが未知の世界に出会える気がしたからです。ひとはつまらないと、思っていました。

マニュアル(達成動機的行為)について

「教育コーチング」が人生を変えるきっかけとなった超介です。

たとえば、コンビ二などで接客の様子を観察していると、マニュアルどおり、マニュアル以上等の動きがわかるようになります。いかにその仕事にコミットしているか、というのは意外とはっきりと態度やら行動に出ているものです。

最近知りましたが、心理学の用語で「達成動機」と「親和動機」という言葉があります。「達成動機」とは、ある行為をするのは自分のためであって、相手のためではない場合のことです。その行為は自分のため、自分の目的達成のための手段として行為するときのこと。

マニュアルのみに従った行動は「達成動機的」だと思います。このとき、サービスを受ける相手は、そのサービスへの価値を低下させてしまいがちです。この動機は意外とはっきりと外に伝わるものなのです。わからない、関係ないと考える人もいるようですが。

こんなことを書くのは、自戒からです。コーチングをしたり、前でファシリテーションをしたりする時
「達成動機的」であれば、それらの行為は相手に届きにくくなると思うのです。意識のベクトルが相手に向かわずに、自分に向かいやすいのは、それが原因かなと。

「親和動機的」とは、人と人が同調しあい、相互にフィードバックループで心がつながっている、相手の気持ちは自分にとっても重要であると同時に、自分をかえる力もある、その様な状態(相手との関係)であるときをいうそうです。

それで、こういう言葉を知ったので時々自分の行為にチェックを入れます。2つの動機のどちらが今は強いのか、と。不安にもなります、相手のためという気持ちは自分の眼にも見えませんから。

レッドロビンの赤い芽(般若心経)

「教育コーチング」に助けてもらっている超介です。

レッドロビンの赤い芽が成長して普通の葉に変わっていましたが、さらにまた赤い新芽が伸びてきています。

過去の手帳を繰っていると、2004年2月21日から3月22日までの間で合計1022回般若心経を唱えた記録がありました。これを唱えるだけですくわれる、それで覚えました。そのような気持ちになった事情を思い出して切なくなります。

最近、福岡伸一さんの「動的平衡」という本を読んで、般若心経の教えに通じると思いました。

般若心経から学んだことは、「世界は一つであること」。私達の身体は、宇宙を構成する物質のかけらから出来上がっています。本はといえば、恒星が爆発して飛び散った物質、それらが時を経て私の身体を作ったと。ミクロの眼で、そしてマクロな時間の流れを捉え、見渡せば、物質の「流れのよどみ」が私達たちの一瞬の生。

すくわれると感じるのは、自然界のあらゆるものがすべてつながっている、という教えからでしょうか。私は一人ではないという、孤独感からの救われの感情。我々の存在は固定ではなく、モノではなく、流れていく、コト(現象)であるから。

悩むと考えることの違いは、答え(仮説でも)がでるかどうかのちがいであるとわかりました。悩み苦しむときはこのことを覚えておきたい、そう思っています。刺激に対して無意識に反応する人は考えることがない、悩みはそんな構造の中からおこる。悩むときはある、でもそのあとは、同じ刺激に対して無意識の反応はしないでいようと。

もし、刺激を受け止めてから、その意味を自分のミッションに照らし、選択肢を考え、そして自由意志で行動を選べば、それは悩むのではなく対応することであり、流れていくことができる。

でも悩んでしまうと悪循環にはまりそこからは抜け出せない。大きなやさしい世界の一部になれないから苦しい。どんなことが身の上に起こったとしても、そのような思考回路を持てば人はサーボ機構をもった生物として生きていける(人は成長したい生き物だ。人は答えを自分の中に持っている。ひとはそれぞれ。)と。

悩むときは、コトバがつながり堂々巡りをして苦しい。でも考えること―そのときは常に未来がある、期待感がある―ので次々と考えを思いつくことができてたのしいのです。

極々私的話ですが・・・

「教育コーチング」修行中の超介です。

 父は地産の農作物販売(道の駅での)の会計をボランティア(手当てなし)でやっている。70歳の頃から学び始めたパソコン(エクセル)を使っているようだ。自分の年齢ではパソコンが使える人が少ない、などといっている(81歳だ!そりゃそうだろう、身内自慢)。

 父は農家の長男で、家屋、田畑、山林を守りぬくことをあたりまえのこととして、山林組合、地元の鉄工所、叔父(父の弟)の会社(大阪)、農地整理組合の仕事、地域の諸々の団体の役員等をこなしつつ、長男としての役割を果たしてきた。

 離れて暮らす長男の息子(私)に「いつ帰ってくる」(丹波に住むの意味)と無言で問いかけてくる。そのことをめぐって言い争ったこともある。いまできるだけのことをする。それでよし、といって自分を許すことにしている。でも、とても切ない気持ちになることもある。

 できないことについてもがくことが多い。よく見わたせば、そこら中に未解決の問題がある。自身の周囲だけでなく、日本中がいや世界中に未解決の問題があふれている。

 自分が変われば世界が変わって見える、これは原理である。

 この原理を信じ、めがねの曇りをゆっくり丁寧に磨く作業をおこなう。5年ほど前からたくさんの本を読みはじめた。特にこの2年ほどはその読書からめがねのくもりをとる方法に出会うことが多くなったように思う。

 ロジカルシンキングを中心とした問題解決法の学び、コーチングからはいったコミュニケションの学び、脳科学、心理学の世界を取り入れた先哲の啓蒙書からの学び等だ。

 壁には結構ぶつかる。以前は、ぶつかることが非常に恐怖であったけれど、今は少しめがねの曇りがとれてきたので「ああ、ぶつかる」てな感じで、すこしラクである。うまくいくこともある、いかないこともある。

 誰かが書いていた、人生はテストであると。実力が発揮できることもある、できないこともある。そう考えて(少し客観的になって)そして真剣に再度テストに取り組んでいこう。

5月の薫風をうけて

「教育コーチング」で変わろうとしている超介です。

故郷丹波に戻り田植えをしてきました。田植機で苗を四条ずつ植えつけていきます。手植えの記憶もおぼろげに残っていますが、大変な重労働でした。機械だと1日で2箇所計0.5ヘクタールばかりの水田の作業が終わります。苗も農協から事前に購入しハウスで育てています。

竹藪には、筍もまだ生えていて、毎朝、両親が採りにいきます。にょきっと曲がっているその内側の地面にクワを入れてグイッと土をおこせば、地下茎と筍の根っこが切れます。一袋1・2本、100円・300円程度の値を付け道の駅に出荷します。安さと新鮮さでなかなかの人気、棚に並ぶのを待っている人もいます。

小川沿いに咲いていた菜の花、その花はもう先っちょに少し残っている程度で、根元には細長い種子の入ったさやが並んでいます。カラスノエンドウの紫色の花が咲き乱れていて、5月の薫風に蓬の葉っぱ、桜の青葉も銀色がかった裏面をみせます。

その風の芯の中には、ほんの少し次の季節の予感があります。歩きながら思わず両手を広げて5月の薫風を受け止めます。そうだこれからはもっと外に出よう、外に目を向けようと、思いました。一人で歩くときも自己との対話ばかりに終始せず、もっと外の世界とつながっていようと。そのような意識になる季節です。

コーチングの自己課題、「一緒にいる」に加えてさらにもっと「信頼」を深めていくために「興味と関心」をその場にもつことにします。『「話す」時の意識のベクトルを自分にでなく相手に向けること。この感覚を掴みましょう』、そう指摘してもらいました。

そんなこともあって、5月の薫風のなか、外への意識とつながりを大切にしようと考えたのです。コーチングや、ファシリテーションにおいても場を構成する人たちの息吹をフルに感じることができるように、もっと自由に場に合わせてうごけるようにします。

変わる

「教育コーチング」による自身の変化を自覚している超介です。

レッドロビンの赤かった若葉はその赤みを薄くし、紫がかった濃いグリーン色に変わりました(日陰のロビンはまだ赤い芽をつけています)。花が雲のように咲きほこり、枝を隠していた桜、その桜も今は若葉をすぎた青々とした葉で覆われています。

この1年間、自分の課題として「一緒にいる」を心がけてきました。仲間と「一緒にいる」、上司と部下と「一緒にいる」、会議で皆と「一緒にいる」、研修で「一緒にいる」・・・そんな過程で得たものは「ブレない自分」と「未来の自分と一緒にいる→なりたい自分になれる」です。

そのことをECTPの講座で発表しました。また、メニューをこなしていく中で、トレーナー、受講生の皆さんからFB(フィードバック)をもらいました。「超介さん、・が見えますよ。」と、見える姿をそのまま教えてもらうのです。自分では見えていない(意識できていない)姿を教えてもらいます。

そこから、自分の課題を見つけました。それは「信頼」です。自分に対する「信頼」、相手に対する「信頼」、これらを通じての「教育コーチング」に対する「信頼」。ここを深く掘り下げ(?)ればもっと力強いコーチング、ファシリテーションができるように思えたのです。

たぶん、それらはたくさんの人と関係を作りあうなかで深まっていくのかな、と。4月26日の東京の講座でそんな財産をもらいました。

その翌日、神戸空港近くの式場へ姪の結婚式に行きました。久しぶりに親戚の人たちに出会い、また新しい人たちとも知り合いになりました。新しい人だけでなく、懐かしい人たちともさらに、よい関係を作り上げていけそうな気がしました。

神戸空港の先端の式場に、若々しい新たな夫婦とその親族がいて、ガラスの向こうに瀬戸内海、さらに奥まって明石大橋が見えていました。幸せをたくさんいただきました。