聴く耳

子どもの発達に驚き、教育コーチングの有効性を感じる超介です。

ある独立行政法人が主催する認知療法のセミナーを受講してきました。出来事・事実に対する認知モデル、自動思考等の説明やら、実際に自分がある状況ではどのような反応をしているかチェックし、心の内側にどのような自動思考があるかを考え、発表しあったりしました。

うすうす感じていたことではありますが、どうも私は物事が平和裏(穏やかに)に進むようにみてしまい(中核概念、スキーマ)、危機を感じ取るセンサーが弱かったり、うまくいかないことの原因を自分に引き寄せて考えすぎる、自責的、傾向(自動思考)があるように思います。

そしてこの平和志向的な中核概念(スキーマ)が何を意味するかはぼんやり感じているのですが、それとどのように付き合う(向かい合う)かは見えていません。それがなくなれば自分でなくなるような気もしてきて・・・・・。気が遠くなるように思えてくるのです。これとはじっくりと付き合っているうちに必要に応じて編成、変質がおこるんだろう(きっと)と思うようにしています。

担当している子どものうち、なかなかこちらの気持ちが通じず、いつもコトバが一方通行であった子が
ふと、今日「聞く耳」から「聞こえる耳」になっていて「聴く耳」に変わりつつあるのに気がつきました。社会性の発達が見えたような気がするのです。注意をするとちゃんと聞いていることが分かったのです。すねることが少なくなったのです。彼の頭の中で、何かの回路がおぼろげながら出来つつあるかのように思えるのです。もちろん本人は認知していない。

お預かりしてから約8ヶ月たちます。じっくりお付き合いさせていただいていますが、人の能力の素晴らしさを味わっています。

私の奥にある「中核概念」もこんな風にして周囲の人たちとの付き合いのなか、本人の知らぬところで生まれてきたのだろうなぁ・・・、とおもったのです。

プレゼント

超介はこの世界から多くのプレゼントをいただきます。そのうちもっともうれしくて、他の人にどんどんおすそ分けしているのが教育コーチングです。

11月11日で54歳になりました。その日の夜遅く、遠くに住む息子からメッセージ(メール)をもらいました。そこには部活と実習で遅くなってしまって、と断りをいれながら、誕生日に対するお祝いの言葉がありました。私は、人生を主体的に生きていてくれていることが父(私)への最大のプレゼントであること、ありがとう、と返事をしました。私の本当の気持ちを伝えます。

それは、私が私自身の遠くに離れて住む両親へ渡すことが出来る唯一のプレゼントでもあります。

どんな困難な状況にあっても、主体的に生きる人は充実した時間を過ごすことができます。それは本当に大切なこと、今日はそのための話を1時間、入社前研修でしました。

プレゼントにはその場で分かる意味とライフイベントを経ると分かる意味が含まれる場合があります。
プレゼント=その場で分かる意味+あとでわかる意味

プレゼントと同様、質の高い教育は後でわかる意味の含有率が高いものです。教育ビジネスではこの2つの意味を重ねてずしんと社会に提案することが必要です。対価を払っていただくという敷居があるからです。その場で意味が分からないとお金を払ってもらいにくいし、永続性を持つためには後でわかる意味を含む必要があるからです。(と、思っています)2つの意味を重ねることに尽力します。

本とのつきあい(20代まで)

教育コーチングに関する学びを読書をも通じておこなっている超介です。

あてもなく、だらだら書きます。

小学生の頃から、友達が少なく、一人で遊んでいた。特にたくさん本を読んでいたわけではない。眺めていたくらいである。今も覚えているのは「ああ無情」くらいである。長編小説の初めの部分を読んだようであるがまだ記憶に残っている。銀の食器を盗んだ主人公が捕まったとき、その教会の牧師より「それはあなたに差し上げたのです。」と言った。子ども心にゆるしの持っている力を感じた。

中学生になって、性格はかなり明るく、積極的になった。読書はあまりしなかった。ただ本をみるのはすきであったようにおもう。勉強はあまりした覚えがない。その当時の高校入試は兵庫方式という思考力テスト+内申点で合否が決まり、実力がなくても合格できたし、そもそも、出願時に調整が入って、不合格者がほとんど出ない。

高校入学後は、授業についていくのが大変であった(中学で勉強していなかったので)。入学直後のテストの結果に驚き、勉強を始めた。高校3年生のころ、ふとしたきっかけで短歌会の集まりに参加し、国語の教諭がひとかどの歌人であることを知った。友人とその先生宅へ伺ったおり、応接室の書棚に世界文学全集が並んでいて、それらを全部読まれたという先生に敬服した。

その後、文芸班に入り、小説(太宰治とか)を少々読んだ。高校3年の夏には京都の嵐山の寺院で1泊2日の研修をしたこともある。卒業生の文集にある先輩の散文に強く引かれて、同じ様な散文を書いた。その後35年近くたって、その先輩が「江上剛」という作家になっていることを知った。

大学に入り知人がまったくいない寂しさから、文芸部に入部した。入部当時には6回生、8回生という猛者がいて、たくましさの洗礼を受けたように思う。のみ(お酒を)にはよく連れて行ってもらった。コトバの起源(古代人が始めて海を見たときの心に沸き起こってきた感情がコトバの始まり、など)等について語ってくれたりした。本をまずまず集め始めたが、相変わらず積読であった。
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読書近況 小説はほとんど読まないのですが、最近古本屋で「ロンググッドバイ」(チャンドラー 村上春樹訳)を見つけたので、買ってしまい、半分ほど読みました。主人公の探偵がとても魅力的です。

保護者面談より(その3)

教育コーチングにより親子への理解を深めている超介です。

入塾して2ヶ月ほどの中3生です。教室での学習の様子を見ていて、こんなにきちんとできるのに、どうしてテストはこんなに結果が悪いのだろうか?私はそのような疑問を持っていました。そのお子さんのお母さんと面談しました。疑問をストレートにぶつけます。

お母さんは悪いテスト結果がずーと続いるからか、私の疑問に対しては(成績が悪いのは)あたりまえのようにお話されます。そこで色々と質問をさせてもらいました。(よく言えば)“友達のような感覚”です、お互いにいいたいことを言い合っています、とのこと。それで、状況の質問を色々と行いその後「では、どんなお子さんになってほしいとお考えですか?」と質問します。状況から少し抽象度を高めて、「素敵な未来」を考えてもらおう、と思ったからです。

なかなか答えにくい質問であったようで、「普通の子」「特には・・、考えたことはありません。」と。それで、しばらく期間をかけてこのことを追っかけていこうと思いました。(別の日に、何かの機会に再度話してみるのです。)お母さんの意識の中にこの質問を持って欲しいと思ったからです。

その子を取り巻く状況が変わるために何が必要でしょうか?私は2年半前の神戸での「子育ちセミナー」で次のコトバ教えてもらいました。(このときが教育コーチングとの出会いでした。)
               「過去と他人は変えられない」
このコトバの後ろには「未来と私は変えることができる」という意味が控えていて、そこにこだわっているのです。「未来に向けての素敵な質問」を掛け合うことが出来る親子の関係つくりを支援していくのです。

保護者面談より(その2)

教育コーチングによる面談を味わっている超介です。

これも、中3生の女子Bさんのお母さんとの面談での話です。今は明るくて、よく話をしてくれますが、最初はそうでもなかったのです。気になっていたことは自己否定的な発言が多かったことでした。

 そこで、そのことをお母さんにお話しました。するとお母さんもそのことに気がつかれ、家庭での話し方をかえるように決められたのです。その直後、彼女からは否定的な言葉が劇的に減少し始めました。そのことを?笋砲討?知らせすると、お母さんは心から喜ばれていました。それから数か月後の面談でした。様子を伺うと、以前と比べてずいぶんと彼女から学校のこと、塾のことをよく話してくれるようになったとのこと。

 お母さん、お子さんとの距離が以前より近づき、より心が開けてきたように感じたので、それで次の話を進めることにしました。教室での学習が、学習ではなくて作業が多いこと、手先の仕事になっていて頭に情報の入る割合が少ないことについてです。「抽象に耐えること」が苦手なのです。それで、学習の実感がつかめていないので、たのしくなく(たぶん)集中が持続しにくいのではないか、といったことです。

 頭の中に情報が入るように目を閉じて考えたり、問題から目を離してその意味を把握すれば、問題が解けるので、頭の回路は十分働いてます。課題は情報をどのように脳の回路に入れるか、です。お母さんは「この子は頭がとことん悪い」と考えていらっしゃったようです。でも、そうではなくって、脳内回路の使い方がまずいだけなのです。

それで、そのためには比喩的ですが、「立ち止まって考える」ことが出来るようにすればよい、つまりなすべきこと(目標)がきちんと意識できるようにしましょう、我慢が出来るように・・・・・・・・・・・。
具体的には・・・・・。というような話をしました。

お母さんから話をうかがっていると、お子さんの長所がたくさん見えてきます。面談にてお母さんと一緒にお子さんについて考えるとどんどん理解が深まり、感動するのです。

冬のテーマは承認だ!

教育コーチングで素敵な承認を知った超介です。

 教室に通ってきてくれている塾生たちと冬休みをどのように過ごすかについて、スタッフと一緒に考えました。それで、スタッフみんなでもう一度「承認」を学びなおして、これの強化活動をやろうではないか、という結論になりそうです。

 今も、スタッフ個々には塾生への承認活動をおこなっているのですが、この冬はそれをさらに計画的にやれないかと。近々「ゆうみ」新トレーナーに「承認」を学ぶ会をやってもらい、どう展開するか、みんなで話をすることにしました。子ども達も、スタッフもモチベーションがぐーと上がる冬にしたいのです。楽しみ!!

 それで、再度塾生たちの いいとこ探し をやって、言葉で想いが伝わるように準備を始めています。承認のコトバをたくさん集めて、プレゼントするのです。このプレゼントはお金では計量できません。なぜならその効果はすぐには見えないのですから。

 もちろんすぐ喜んでもらえることもあるでしょうが、さらにずーと先で深く内容に気づき、何かの折に生きる力を引き出すコトバになるかもしれないのです。その意味に子ども達が気づくのはひょっとしたら成人し、結婚して子どもができてからかもしれません。そんなコトバをおくりたいのです。

 私達は、私達の親達の愛情をしみじみと大人になっても感じることが出来ます。その気持ちからもこども達に承認の言葉を伝えたいのです。「ここに生きていてくれてありがとう、出会ってくれてありがとう。」、メッセージにはそんな意味を持たせたいと思います。

子どもの心に届く・・・(その後)

教育コーチングを通じて母親の心を感じている超介です。

10月24日に投稿した小学4年生のお母さんとは、子育てについてよく話をしています。息子が学校で迷惑をかけているのではないか、とか、将来のこととか、色々とお考えです。そして、納得されたことはきちんと実行されるお母さんです。

先日も思い切って学校の先生に考え、悩みをお話になり、そのことをすっきりした声で知らせていただきました。必ずしも先生のお考えと同じではなかったようですが、希望された協力体制を学校がとっていただけるとのこと。それは本人の希望でもあるとのことでした。

 特別支援教育をどう受けるか、という内容です。私はどんな状況になっても、愛情と信頼と尊重でお子さんと向かい合いましょう。信頼が抜けやすいんですよ、とかお話してお母さんの判断を待っていました。リスクがあるかもしれないけれど、子供を信頼しての結論です、と報告していただきました。勇気があるな、と思ったのです。

世の中のお母さんは勇気を持って信頼して子育てをされている方が多いように思います。信頼に必要な勇気をみせていただいたのです。すばらしい!

想いの底にある価値観・・・

教育コーチングで人の想いを感じている超介です。

中3生は受験まで数ヶ月を迎えています。私の担当する教室でも保護者面談をしています。そのときの話。

中3生のAさんは、将来は障害児教育につきたいという夢を持っています。その夢のためには大学にいって教育学を、そして資格を取って・・という進路が必要ですが、本人が進学を希望している高校は普通科ではありません。それがお母さんのすっきりしないところでした。

お母さんから障害児教育にかかわりたい理由を伺いました。お母さんは、親戚に障害を持った子がいてその子と触れ合ううちに何かを感じたようであると、そう理解されていました。

それからまた、「お母さん」になりたい、といったりもする、と。そこで、面談ではAさんのことを一緒に考えることにしました。2つの夢に共通なことを考えて見ましょう、と。話しているうちに、彼女の価値観に気づきました。彼女が感じているものはたとえば、「人に対する優しさ、心のふれあい」を大切にすること、コトバではそのように表現していないけれど、夢の奥にあるのはそういった価値観、信念、そういう方向でありましょう、と。

そうであるならば、たとえ仕事は夢どおりにならなくても、どんな仕事にも通じる価値観であるのでOkじゃないですか、と。素晴らしいお子さんですね、と感じたとおりにお伝えしました。実際、教室でもまじめに取り組んでいるのです。彼女の想いがそのような価値観に基づいていることを思って面談は終わりました。(お母さんに対する承認が少し弱かったかな、と反省しています。今度はきっちりやるぞ、と。)

 なりたいことの奥に潜んでいる価値観はいつでも、どこでも通じていくものと思いました。

子どもの心に届かない・・・

教育コーチングを学ぶ過程で様々な発見をしている超介です。

 小学5年生のS君は、よくしゃべりながら動くタイプの男の子です。入塾してくれたのは4年生の6月、1年半ほどたちます。当初は通塾も嫌がって教室でもぐずっていましたが、5年になってからはそのようなこともなくなり、成長を感じています。子どもらしさを感じさせてくれる子なのです。

 先日、学校の先生の悪口を話し始めました。色々と質問をして、傾聴しているとどんどん話をしてくれます。自分だけ強く注意されるように感じていること。それで面白くないこと。授業も集中していないこと、等色々出てきます。(よしよし、ほどけてきたぞ、と私、でもそれは脇に置いて・・・)

 でも、なかなかか心の中に届きません。(そのように感じるのです。)そう感じるのは次の理由です。話の内容が先生から自分自身に移ってきて、さあ、それではと、「何があったら集中できるんだろうね?」と気になっていることを質問します。すると「わからん、それはどうでもいいよ。」とシャッターがガシャーンと落ちた感じ。

頭の中に入っていることは勢いよく、生き生きと語ってくれるのですが、私の質問は心に届かない(ように私が感じてしまいます)、状況の質問には答えてくれるのですが、行動の理由等に入るとガシャーンと扉がしまります。教室でも、30分ほどは集中できるのですが、その後、継続できないので、そのことをどう感じているのか質問しますが、届かないようです。(一緒に居ることが出来ていない?)

お母さんともその話をしますが、まだ答えは見つかっていません。少し「我慢」して考えをめぐらす、ということが苦手なようで、お母さんともそれがテーマに話したのです。

でも、よく考えてみれば、落ち着いて自分自身のことを振り返って反省したりすることは、結構難しいことですよね。

何かヒントがあれば教えてください・

子どもの心に届く・・・

教育コーチングを学ぶ過程で様々な発見をしている超介です。

私の言葉は伝わりにくいけれど、なついてくれている小学4年生の話です。いつもは元気よくお母さんの車から出てくるのに、今日に限って車内で沈んだ表情のままでした。勉強する気がないようなので、「今日は遊ぼうぜ」(大胆!)と呼びかけて手をつないで教室に入ります。

なにかあるなと感じて、色々と試みますが、「つかれた」という言葉しか出てこず彼のチャンク(心と頭のなかのぐちゃぐちゃなカタマリ)はほどけません。こりゃいかん、「おしょう日記」みたいにはいかんな、と反省します。

30分ほど勉強らしきことをしてあとは遊んで、そしてだらだらと過ごしました。でも授業が終わるころはだいぶ元気になっていて、お迎えの車の中では元気に車内の機器をいじくってご機嫌な様子。

家庭で両親が彼に色々と話をしていて、それが原因かも、とお母さんから伺いました。その話は学校の先生からの注意で、それを彼に伝えているとのこと。その内容そのものは彼には理解しにくかったようです(それで私は彼のチャンクをほどくことができなかった?)。でも・・・何かが伝わったのだと思いました。

そのことをお母さんと更に話して、これからの数日間の「話し方、聴き方」についてを確認し合いました。

私はこの件でコトバの持っている力について感じました。言葉の記号的な意味はつたわらなくても、きっと、そのコトバに内在する発話者の気持ちが伝わる、そのような力を感じたのです。(意味が理解できない赤ちゃんに話しかける言葉の重要性を思いました。)