パンフレットから考えたこと

教育コーチングが集団のコミュ二ケーション構造を変えると考えている超介です。

某社の社長より同業他組織の新設コース立ち上げ説明会の資料(パンフレット類)を入手しました。業界大手の企業のその資料は新設コースの概念からカリキュラム、教材、効果等々がカラーで写真と図をふんだんにいれて説明されています。そのコースについて調べていた私は、お見事!!さすが!!と脱帽であります。

昨日のこと、40代のお母さんと中学生の息子さんについての面談をしました。担当者から、話がなかなか通じないと、報告があったので同席することにしました。実はその方は中国から日本に来ている人でした。中国は高度経済成長の時代を迎えている国ですが、ここは日本です。はじめは考え方の違いが壁になるかな、と思っていましたが、コーチング、ドーカチングの説明をし始めると、そのお母さんは『私はまったくドーカチングです』と素直に感想を述べられました。

 家庭では『たしかに私は上から押しつけてばかりです。でも自由にさせるのは、不安で・・・』と、まったくこちらの想定どおりの反応(といっては失礼かも知れませんが・・・)です。パパママコーチングの実践の場であります。中国と日本の違いも少しお話しました。40分ほどで面談(コーチング)を終えました。お見えになった時より明るく元気になられたお母さんと『一緒にやりましょうね、みんな味方ですよ。』と握手をしました。

 経済的な成長が保証されているかのような豊かな時代が終わり、日本の多くの企業は大変厳しい環境に取り囲まれているようです。そのような時代の中でもきちんといい仕事をしている会社もあって、冒頭の同業者の資料からはその会社がその好例であるように思われたのです。

 そこでは個人も素晴らしいのでしょうが、それ以上にチームの仕事がうまく回っているように感じたのです。チームの中で構成員が安心して、心からその目的にコミットできている状態、これを『ベクトルそろえ』が出来ている、というそうです。そのチームの中ではそこの構成員が自己開示とフィードバックを繰り返しつつ、よりよい人間関係を作り上げていっている、そう想像したのです。

 そして、そのような人間力の下地は家庭でこそ培われると思うのです。パパママコーチングが家庭を変え、地域を変え、社会を変え、日本を変える、そうなるようにより多くの人にお伝えしたいと思っているのです。パパママコーチングを含む、教育コーチングのパワーを!!

人生の学校

教育コーチングは生きる力の強化に役立つと感じている超介です。

 県外への日帰出張の仕事が派生し、高速道路を往復400kmほども走りました。出張先である企業の社長さんと仕事の話をし終えたあと、業界の状況をうかがいました。名刺をちらりと見てすばやく鍵となる箇所を組み立て、質問をします。(初対面コーチング、または ほっしー命名 魚釣りコーチング 6月9日の超介日記参照)
 
建築設計業のその社長は建築物の需要の変化を話しはじめました。一時期はビル設計中心であったがある時から住宅中心になった。設計業に携わる人も、流れに乗っていく人もいたし、そうしない人もいた。変化を見極めて仕事を創っていくことが大切、といって、今は特殊であるが、今後需要が見込める業界の設計に取り組んでいる旨教えていただきました。(内容は秘密です。)名刺にはその特殊な業界の社団法人の会員であることが記載されていたのです。(その情報を読み込んだ上で質問をするのです。)

彼は、高卒後企業に入り、その後、上記のように業界の流れは変わったけれど、それまでの顧客との付き合いを大切にするため、流れに乗らず、独立されたそうです。あくまでも顧客中心に考えられたとのこと。どんどん話して頂く内容を傾聴します。

そのように時代の変化を肌で感じ顧客を大切にし、ニーズを探し、仕事を創造している社長でした。そのような努力をされてきた方はこれからの教育についてお伺いすると、たいがい期待をこめて話していただけるのです。それで『これからの教育、何があればよいか?』と質問しました。

『いくら偏差値の高い大学を出たとしても、仕事が出来るかどうかはそれとは少し違うと思う。身体ですよ、体張って何が出来るかですよ。何を見つけ、仕事にするかは勉強とは違います。実学を学ぶこと、それに一番近い学びはチームワークが必要なスポーツ、かと思います。だから私の息子には・・・』

どんどん語っていただけるのです。

 初対面の人との充実した時間を終えて、帰路の車中で、『たとえば「人生の学校」といえるような学校ではなにがメニューか?』そのような質問を自分に対しておこないます。『スポーツ』『IT』『英語』『お金の知識』『物作り』『野外活動』『問題解決学』色々思いつきます。

それと絶対『コーチング』(対人関係構築力)も。皆さんは何を考えますか?

『新』使命を考える

 教育コーチングがきっかけとなって使命を考えるようになった超介です。

 『目の前に与件として現われている公的な仕事であれ、私的な仕事であれそれを通じて私自身と周囲の人に愛情と信頼と尊重を注ぎ込むこと。仕事をする理由はそこにある。生きる意味もそこにある。』そのように自身のミッションを考える様になりました。

 2年前には『人生のそのとき(今も)の自身への与件に対して、深く学び、創造し、行動し続ける。そのことをつうじて世界に「大切なこと」をつたえる、表現する人であり続けること。』としていました。自分のミッションと人とのかかわりについてはよくわかっていませんでした。

 それが少し変化してきたのは『グラッサー博士の選択理論』を学んだからです。(なんと影響を受けやすい!!)充実感やら生きがい感がどこにあるかをこの書物は教えてくれました。なぜ、コーチングであつかう質問が未来へ向けて素敵な領域でなしたほうがよいのかも考えさせてくれました。感情、生理的反応のコントロールの方法も、心理的な問題の取り扱い態度も教えてくれました。(もちろんまだまだ不十分な学びですが、それでも多くの気づきを得たのです。)まだ、ざーと3回ほど繰り返して読んだだけなのですが、じっくりと読み返し本質を掴み取っていきたいと思っているのです。

 2009年もあと10日余りです。今年の漢字は『新』となった、ということをテレビでちらりと見ました。

 『新』は『立ち木を斧できる』と書く、そのようなことを学んだ記憶があります。『新』の字が今年の漢字であることを知ったとき、『どのような木が立っていて、それをどう斧で切るのだろうか』と想像しました。立っている木、それは枯れているか、生きているか、大木か小さな若木か、それを斧で断ち切るイメージが『新』のイメージなのです。樹液も飛び散るときがある、痛みも伴う、何回も斧を振り下ろし切りつけないと断ち切れないときもあるかもしれません。

 幾本かの立ち木が私の中にあって、いくつかを新しくしようと思います。ミッションは主要な一本。戸惑い、痛みもあるかもしれませんが『新』とは、それらを乗り越えておこなわれる行為らしいのです。

 翌年の新芽のために。

悲鳴の電話

教育コーチングで心の底を見つめている超介です。

最愛の夫を急病で2年前に亡くした女性からの電話でした。
ある小さな事件の被害者が私で加害者が彼女でした。話を聴いているうちに彼女の事情を知りました。
精神的な病、利き手の小指の骨折、生活苦、自殺未遂、親兄弟との付き合いが出来ず、友人もなく
天涯孤独の(と思っている)女性。苦しい心のうちを聴いてくれる人が誰もいない、親族からも
『お前が悪い、としか言ってくれない。攻められるばかり、話を聴いて欲しいだけなのに・・・』
これからも電話をしてもよいかと尋ねられ
『電話で話を聴くことは出来るよ。』
そう伝えると
『ごめんなさい、私が加害者であなたが被害者なのに、助けてもらって。悲しくて、つらくて外へ出る気にもなれない。ベッドから出る元気が無い。服を着替えることが出来ない。・・・・・・・・・・・・・。』

彼女の言葉は悲鳴そのものでした。普段の人との会話でもよく聞いてみれば、怒りや不満のなかに悲鳴が含まれていることがよくあります。

耳を済ませて、どこにこころの叫びがあるのかを探りあて、そこに集中します。

人の言葉の中の悲鳴、そこは、本人も意識できていないかもしれません。

その悲鳴を注意深く、きちんと聴くことができる人でありたいと思います。

『あなたはこう感じているのではないでしょうか』

自分が感じていることをフィードバックします。

私は、鈍感なので、余計に相手の心の痛みがわかる人 でありたいとねがいます。

冬の朝

教育コーチングによって多くの出会いを得ている超介です。

12月の中旬にふさわしい寒い季節になっています。朝のウォーキング時には長袖にウィンドブレーカーをきています。一昨日(16日)は道後平野の奥の四国山脈にうっすらと白いベールがかかっているのに気がつきました。

川原にあった草木もすっかりかれてしまい足もとの草も乾いた音を立てています。日も差ささず、風はありませんが寒いのです。でも30分も歩けば少し身体も温まり元気が出てきます。寝起きは憂鬱でも歩き出せばそのうち元気になります。

人は誰でも、一日の中でうつになったり躁になったりするときがあるのでしょうか?そんなことも師走は多忙さにまぎれて感じなくなってしまいやすいのです。そのもやもやが睡眠中に脳の中で想起され,未消化分が朝残るのです。(きっと)だから朝は気分が悪いのかな?

一昨日の夕方は、ある小学校に用事がありました。低学年担当の若い2人の先生と話をする機会がありました。わざわざ、時間をとっていただきました。ある生徒のことで相談にうかがったのです。立場(学校と塾)の違いはありますが、一人の生徒を通じて考えを話し合うことが出来ました。

ベクトルがそろった状態(この場合は一人の生徒の未来を願う気持ちを共有する)があると人と人とは話が弾みます。もう亡くなってしまった尊敬する師(僕はよい弟子ではなかったですが)はそのことを『意識ぞろえ』『ベクトルそろえ』と何回も強調して教えてくれたのです。

冬の朝のウォーキング途中でそのようなことを思い出しました。

2009年の出会い

教育コーチングによってたくさんの出会いを得た超介です。

 2009年も様々な出会いの年でした。ちょっと棚卸しをしてみます。
イベントとの出会いは・・・・
    

1位 同窓会(39年ぶりの中学同窓生との出会い) 

2位 トレーナー総会(コーチングトレーナーの集まりがあったのです)   

3位 子育ちセミナー(お母さん、お父さん向けに初めてやりました)

4位 社内研修会
色々と12回ほどやりました。各回2時間ほど) 

5位 準上級更新講座(ドキドキでした、何とか合格しました)

かな。これらは順位をつけるべきものではありませんが、印象度でをつけました。1位は再会の感動物語。2位は同じ志を持つ人たちの集まりの感動、そして新たな刺激の場。3位は自分の変化が実感できた場。4位は影響力を感じている場。5位は今年のスタートをきることができた場。

それからストレスとの出会いは・・・・
    

1位 病気(肌荒れがどんどんひどくなってしまって・・・) 

2位 ナイショ、ナイショ(大変苦しんでいますが・・・) 

3位 仕事上の出来事たくさん(これも大変ですよね・・・)
    
です。でこのストレスの原因こそが私を語りはじめるきっかけになり、イベント、本との出合いにつながっていくのです。

本との出合いは・・・・
 1月・12月の今日までに読んだ本は146冊(複数回読んだ本は回数を加えています)。
その中でもっとも印象に残っているベスト5は
 

1位 グラッサー博士の選択理論  ウィリアムグラッサー著

2位 地頭力を鍛える       細谷巧著    

3位 考える技術・書く技術    バーバラミント著    

4位 動的平衡         福岡伸一著    

5位 ゆるすということ      ジェラルドGジャンポールスキー著
 繰り返し読んだ回数の多い本は 茂木健一郎さんの「脳を活かす勉強法」「脳を活かす生活術」「脳を活かす仕事術」これらは夏休みを活かして10回ずつ読みました。茂木さんの本は興味をひかれて読み続けていましたが、卒業したかったので、発想法、思考法のインプットをするために思い切ったのです。結果は・・・・?やはりいまでも新刊本を見つけると手に取って買ってしまいそうになります・・・、う、中毒なってしまって・・・。 今年の傾向は繰り返して読む本が多くなったこと。小説はほとんど読まなかったこと。(漱石やら鴎外等読みたい本はあるのですよ。)コーチング、ファシリテーション、NLPに関する本も22冊読みました。(勉強してます。)「選択理論」はつい最近読み始めました。これは大いなる生きる指針になりそう、と思っています。昨年の「7つの習慣」以来の影響を与えてくれそうです。

  感じる の意味

教育コーチングで 感じている 超介です。

12月には2回の自主研修会を社内でおこないました。私にとっては参加者の顔ぶれを想像し、流れを考えながらプログラムを作ることやら、戸外の自然の写真を取り込みながらパワーポイントで教材を作ったりするのも楽しいことなのです。

研修会が始まると、少しのリードだけで参加者が取り組んでくれるので場全体の雰囲気に注意しておくだけでよいのです。普段は指示命令やら、きっちりと組まれた報告・連絡・相談経路での情報のやり取りが中心である仕事なので、自主的、能動的、自由な情報のやり取りを中心にするワーク形式の学びは新鮮でまずまず好評でした。

そのことは実施後の感想文で「元気になりました」「爽やかな気分です」「ぽかぽかしてきました」「体から緊張が抜けました」等々の記述からもよくわかります。

感情やら、生理的反応の高揚感は働くことやら学ぶこと、生きることへのモチベーションに直結すると思います。私もそうです。他人と過去は変えられない、しかし自分と未来は変え放題、このときの自分を変えるとはまさに「行動と思考」を変えること(もちろんプラスの向きに)であり、それが感情と生理的反応の高揚につながることを実感しました。(最近 グラッサー博士の選択理論 を読んでその理論的裏づけをしりました。 ああ、面白い!!)

人を育てる(いや、人は育つ)

教育コーチングに育てていただいている超介です。

11月29日(日)は広島でのセミナーを受講してきました。大手学習塾(最大手です)塾長のY氏による講演会でした。松山を午前中にでて しまなみ街道 を走り、昼過ぎに広島入り、13時30分から16時まで受講し、帰路、途中のファーストフード店(ああ淋しい、淋しい)に立ち寄りおなかを満たして帰りました。自宅にたどり着いたのは21時になっていました。

 セミナーでは研修等人事関連の内容に興味を惹かれました。何段階ものステップを踏んで登用されていく研修、資格取得システム等の説明に納得をしました。組織で運営する、しかも大きな組織(学習塾として)ではどうしてもシステムを組んで、という発想になるのですが、大変丁寧にその研修、資格取得システムが組まれているな・・・。という感想を持ちました。人を育てるシステムです。

 話を聞いていて、形(システム)をきめて運用しても、それへの信用度(そこで育っていく人の実力完成度みたいなもの)はさあ、どのくらいまで可能なのか、そこを見切らないと永遠にシステム改築工事が続くように思いました。

 そこらへんを考えていると、僕も体験した(教育コーチ育成の)ETCの仕組みは信用度の高いシステムだな、と思います。「人が育つ仕組み」をそのまま再現しているからだと思うのです。(受益者の僕は育てていただいているという表現をとるのですが・・・、運営する側からの視点は育つ仕組みと表すべきかと。)

 「人を育てるシステム」ではなく「人が育つシステム」、社内での研修も「育てる」ではなくて「育つ」「気づく」「変る」「行動する」「分かる」・・・場を演出したいと思っています。

12月に入り師でもないのですが、心だけは走り回り、しばらく投稿できませんでした。

走り回る心もこれからはかいてみたいな・・ミタイナ。

再会その2

再会は存在の承認の場になると教育コーチングを通じて感じている超介です。

今回の39年ぶりの再会(中学の同窓会)がなぜ私に多くのエネルギーを与えるのかを想っています。思わず、自然に握手を求めたり、ハグしたりします。半世紀以上越えて(54年間)生きてきて、素直に自分をだせるだけの知恵がついたのでしょうか、異性ともこだわらずにそうしたのです。

丹波から四国松山に来た当初は、知人もなく一人ぼっちでした。それからの年月が故郷とその地の人々への想いを募らせます。生活は仕事を中心、人間関係も仕事からの関係、息苦しくなっているのかもしれません。同窓会の時間は、閉じ込められた球形の室内に、穿たれた窓からの温かく、かつ新鮮な風でした。

同時期に生きた人たちとの再会は 存在の承認の場、そのように思えるのです。たのしいことばかりではありません。逝去した人のことについて話したり、子どもを事故でなくした、家人との関係で悩んでいる、仕事で苦労している、親の介護等、それぞれの人生の悩み、苦しみを話し合ったりもします。でもそれは愚痴る時間ではなく、それらを認め合うことができる時間でした。「そうか、あなたはそんなにも苦しんでいるのか、悲しいのか。」 僕たちはそのような心の交換ができたのです。(きっと)

 ゆるしの時間であったのだと思います。様々な場と時に選択をし続けて今の私がある。私はいままで
に幾度ともなく、物足りない自分の性格を形成したのは過去の歴史である、そして頭と心の中を探り、私を操るたよりないものを掴もうと思っていました。でもこれからは、それらもゆるそうと思うのです。
もっと、ありのままに、素直にこれまで過ごしてきたときを振り返り、大切にしたいと思っているのです。

再会(42年ぶり)

教育コーチングの学びによって、出会いの意味を感じている超介です。

22日の日曜日、神戸で中学校の同窓会がありました。今から39年前の同窓生です。ほとんどの人とは中学卒業以来だったのです。早朝松山を高速バスで出発して昼前に三宮へ、会場は神戸ポートピアホテルでした。中学の同窓生が料理長をやっているお店で開かれました。同窓生81名のうち39名が集いました。そして、なんと42年ぶりに担任であった先生(中1の2学期までの担任、2学期末に結婚退職されました。)も出席いただいたのです。

先生は当時、20代の音楽の先生でした。そしてなんと、その先生からは、42年前に私達生徒が書いた作文を返却いただいたのです。道徳の時間に、魯迅の短編小説(小さなできごと)の感想文を書きました。自分の書いた作文を読み返すと、当時の私(13歳)がどのようであったか、その一端が浮かびあがってきます。

そこに表れているのは、おさない私のあまりにも単純な人物観でした。「魯迅が乗っていた人力車の車夫が老婆をはねた。魯迅の制止を聞かず、車夫はその老婆を交番に連れて行き、自分が怪我をさせたと申し出た。その車夫の背中が魯迅にはだんだん大きく見えてきて、そして己の小ささを感じた。」そんな内容です。なぜその背中が大きく見えたかについての理由を私は書いています。あまりにもあたりまえの内容で、ふう・・、何も考えていないじゃないか・・とそう感じました。でも、一生懸命考えて書いた作文だったかもしれません。

その若い担任は実は社会の先生で、音楽を教えるのは苦労されたらしいこと、そんなことをお話されました。そうおっしゃると、なんとなく音楽の授業の緊張した雰囲気が思い出されてきて、そういえばあまり笑いがなかったような気もします。それでも違和感はなく、それ以上に先生に魅力を感じていたのです。たった、9ヶ月の担任期間でした。3者面談で部活入部を決めかねていて、バレーボール部をすすめていただいたときの優しいまなざしを思い出します。作文も先生に気に入ってもらえるように書いた気もするのです。そのことを先生にお話しすると、うれしそうに感想を述べられました。「そのように慕ってもらっていたことを知って、それだけでもきた価値がありました。」、と。

その当時の自分、そして一緒に生きていた人たちと再び出合うこと、それは本当に素敵なことです。想い出を宝物に感じます。かけがえのない、そして2度とやってこない時間。そのとき一緒に過ごした人たちと出会い、振り返ると、胸が熱くなります。ああ、僕たちはあんなふうに生きてきた、と、その命を認め合うとき、エネルギーがあふれ出てきます。僕はその会の間、何人にも握手を求め、相手を見て言いました、「逢えてよかった、本当にありがとう」と。幸せな時間、存在、命の承認の時間。