久しぶりに書いてみたら・・・。

教育コーチングで多忙を乗り切(りたい!)る超介です。

新年度準備と始動で てんてこ舞い でした。それはそれで結構鍛えられ、タフな自分を感じることもできて、よいものです。
(本当は、腹立ち、逃亡したくなるような出来事に襲われ続けていました、ふう・・)

いつの間にか桜は満開、もう散りかけています。川原のネコヤナギも花を散らせて、つやつやの銀色のつぼみがボウーとしたふわふわの花(のあと?)を枝につけています。鶯もホーホケキョ、ホーホケキョとないています。

新しいこととの出会いはドキドキすることもありますが、時には不安で気持ちが一杯になって前に進めないこともあります。乗り越えることが出来れば新たな自分に出会えてうれしい、乗り越えられればよいのですが・・・・。気持ちの容量を知ることは出来た2010年の春です。

こういう時こそ、安全基地のあるなしで過ごし方がずいぶん変わる、と思うのですが、皆さんありますか?あなたの安全基地?悩んだり、落ち込んだりするとき、でも1日たてば全く違う自分に気がつく、何が違うのか、あんなに苦しんでいたのに・・・・。何をコントロールすれば不動心でいられるのか・・・。そこに気がついたとき見つかるかもしれません、安全基地。

久しぶりに原稿を書きましたが・・・・、うまくまとまりません。

変化、期待、そして予感

春の予感、そして人との出会いを楽しみにしている、その奥に教育コーチングを感じる超介です。

曇天、でも肌にあたる朝の風があたたかい。川原には菜の花が咲き、ネコヤナギはその名のとおり、猫毛のような花を咲かせている。桜もつぼみをふくらませ始め、枯れた葦の原からは鶯の鳴き声が聞こえてくる。

いつの間にか春が来ている。ここ数日、四国山脈での降雨、降雪のためか、川の水は大雨の後のように激しく流れている。平野部ではそれほどの降雨量ではなかったので、その増水した流れに目を引かれた。

ある人から、時間があればでよいのですが、とくどく念を押されつつ、お勧めの書籍の紹介をして欲しいと依頼をいただく。毎月発行の裏表1枚の印刷物の書籍紹介コーナー記事に、と。喜んで受けさせてもらう。本の紹介には力が入る、決められた文字数でいかに表すか、である。

先週末にはやむをえない事情で通塾できなくなる生徒とお別れをした。数ヶ月間であったけれどもたくさんの学びが私は出来た。お母さんからは大変丁寧な感謝の意をこめたお手紙をいただいた。私なりの努力はしたけれど、どれだけのことであったか。

知人(といっても人生の先輩くらいの隔たりのある人)から電話をいただく。昨年知り合いになったばかり。ちょっとした用件とのみにいこうというお誘い。私と性格は違うけれど、話しはよく聞いてもらえるし、彼もよく話してくれる。

コーチングをして欲しいというメールをいただく。一月ばかり前にさせてもらった人からのリクエスト。前回の感想と、もし時間が取れれば、という依頼。早速ok返事を出す。

人との出会いはコーチングで学んだ事柄がその奥に潜んでいるのが分かる。

春の予感、自然も移り変わり、私にも様々な出会い(→楽しみ)が訪れる。

心の底を見直す(ある日のセルフコーチング)

教育コーチングを使ってセルフコーチングしている超介です。

積年のストレスに襲われて(と思っている)、休みたくなった時は人生を振り返るよい機会だと思えてきました。やらねばならない(と思い込んでいる)公私にわたる仕事(その内容、それに関わる人間関係も含む)、それらにおされて心の底に自分の想い(おそらく怒り、憎しみ等のマイナスの)がたまりこんでいる・・・・。

それらを吐き出す機会を失ってきて、今に至ったのだと。で、生きる力が弱まり、休みたくなっているのであると。だから休み、無理せず、(気持ちを)大切にします。本物のやさしさ、丁寧さ、誠実さを目指します。

よくここまで無理してきたな、がんばってきたんだな、奇跡に近いな、と『自分を許し』ます。そして、心の底に潜んでいる自分のマイナス感情をもきちんと認めます。

(このように自分の内面を表現することは一種の暴走。私の吐き出し。読んでくれる人に失礼かも?)

これまでも休みたくなったことは度々あります。でもその都度、切り抜けてきました。エイ、ヤー、と思い切って進んできました。振り返ると、よくがんばってきたな、と思えるのです。今回はこれまで以上になぜ疲れたか、よく振り返り(そうすればエネルギーが充填されてくると思えるので)、そうして可能性のある行動を選択するのです。

自分の魂をみつめて生きていくこと、そうすればもっと人の気持ちがよくわかり、それがよい人間関係をつくるチャンスを与えてくれると思います。

可能性を選択する

人の可能性を選択すること、これを教育コーチングによって学んだ超介です。

習慣は大きなストレスがかかったとき崩れてしまう。習慣がその人の何と結びついているかが試される。しっかりとその人が大切にしておきたいものと結びついているなら崩れない、と思う。実生活ではどうであろうか?

こんなことを考えるのはつぎのような体験をしたからである。

人間関係がひどい、仕事でミスをする、立場が大きく変わる、身内に大病を抱える、知人が自殺するなどのことがあり、この数ヶ月、かなりのストレスを感じていた。目覚めた後、マイナス感情(不安、緊張)に苛まれ、起き上がれないのである。

いつもは少々へこんでいても跳ね起き、朝の習慣(ウォーキング、家事、読書)に入りこむのにそれが出来ない。出来るはずである、でも、そうすべきでない、無理にやらないほうがよい、無理に動けば何か大切なものを見失しない更に不安が拡大するような気がしたのである。

それで、ジーとする。起き上がることに時間がかかるのである。外にでてもパニックになりそうな不安。

そのような日々を過ごしたが様々な方法を駆使し、ようやく回復してきた。それで少しずつ動けるようになった。何がかけていたのかが少し分かった気がする。それは自分の可能性に対する信頼である、そう思っている。自分の可能性に対する信頼である。私は、自身に可能性があることを選択する。

ためらい

教育コーチングを会話に取り入れ、信頼関係を作る超介です。

2月21日(日)は四国の伊予松山では『椿さん』という大祭の中日であり、大変な人出でした。この時期、寒さはピーク、ここからは春にむかうそうです。私は当日、知人から相談の予約を受けていて、1時間ほど会話しました。仕事のこと、将来のこと等についてのコーチです。

彼女は、30歳前の女性。営業中心の会社で、ある教育サービスの提供を行っています。一通り様子を聞いた後、質問をしました。『厳しい条件(仕事上の無理難題、給与が安い。)でもがんばれているのは何があるから?』彼女の答えは、『今のお客様との関係、よい関係が出来ている。』慕われているようです。『そう、それが大切なもの。』そしてまた、『仕事は楽しくやらないといけないと思っている、そう努力しています。』とも。

眼に見えないけれども大切にしておきたいこと、でもそれらは表現されないと存在をやめてしまいます。話す、書く、(絵に)描く、(作品を)創る、(仕事で)表現する・・・、何らかの形式でその存在が表現されていないと、それは失われてしまいます。ある時その動きが止まると、見えなくなって不安になってしまう。だから、私は『大切にしておきたいものについて』質問します。

彼女はためらっています。今の仕事を継続すべきか、それとも転職すべきかと。同時に今、彼女は自身の中にエネルギーを充填しているのだと思います。どちらに向かって進むかは彼女次第。  

翌月曜日に、小、中学校の同窓生がなくなったという情報が飛び込んできました。自殺。それも、一人でなく、父親と一緒に。同窓生間に衝撃が走りました。数十年ぶりの中学校の同窓会で、最後に前に立ち三本締めをしてくれた彼、小学校、中学校の頃、ひょうきんさがあり周囲を明るくする男であったのに。親子で投身自殺、というむごさに呆然としました。

ためらいは無かったのであろうか?その胸の奥にあるものに誰も気がつかなかったのであろうか?或いはかれは表現しえなかったのであろうか?ひょうきんな行動の奥に何があったのであろうか? それを思いもよらない行動で表した、でも別の方法で表現できなかったのだろうか? 

つらいとき

つらいときも教育コーチングにて救われている超介です。

心の風邪はとても辛い、これはなってみないと分からない。もう死んでしまおう、そう感じるときもある。健康なときなら、布団を跳ね上げて起き上がり朝がスタートするのに、そうすることに迷いが出てきて、体が反応しなくなる。ちりじりに乱れる思考が気分をかきまぜて、重さをあたえ、不安をかもし出してくる。

この気分から抜け出すために手帳を広げて、その心情を表現していく。一行、文字を書き連ねる毎に頭の中が少し整理されてくる。10行ほども書けば気持ちが頭と心から手先に移ってきてノートに表現される。ここまでくれば気分のコントロールが出来始める。そのようにしてここ数日、朝の落ち込みを乗り越えてきた。

でも、根っこを掘り下げないとぐらぐらと気分がゆれる(と思う)。それで思い切ってコーチングをしてもらうことにした。1時間話を聞いてもらった。質問を受ける、考えて答える。心の中の答えを探す。時々心の核に言葉が入ってきて情動がおこる(感情がワーと襲ってくる)。普段押さえつけていた思考と感情が刺激を受けて、震えが起こり今の心の骨組みがきしみ、揺れ悲鳴をあげる。

私は『あなたは何をしたいのですか?』という質問に答えられない。その理由は分かっているが、それを変えることができないと、そう感じてしまっている。その鍵を開けてみればどうですか?とコーチはリクエストする。これは大仕事である。心を開く、今まで隠していた、或いは隠されていた心を開く、ということだ。扉は深海の底、或いはうずたかく積もった雑念にがんじがらめになっていて、どこにあるか分からない。

コーチはそんな私に一緒にいてくれる。コーチはその心のエネルギーを、私の押さえつけているものに照射してくれているのだろう。(大きなメンタルエネルギーを使ってもらっているに違いない)それで私は心の底の 隠された私 をみつける。苦しい、苦しいがたしかな手ごたえとともに自由になる。

教育コーチングは人を呪縛から解き放ち自由にすることが出来る。

最初はいいけど・・・(継続力が大切)

 教育コーチングでは継続力が重要と思っている超介です。

 生徒指導で難しいと感じることの一つに継続性、一貫性の保持があります。小学生低学年の子ども達に対するときに、特にそれを感じます。最初は相手も指導する方も慎重にやり取りするので、大きな問題は起きないのですが、慣れてきて少し甘え、慣れが出てきたときに、それを意識して受け止めて、きちんと峻別して対応することが必要なのです。それを見誤ると、客観的にその生徒のことが見えなくなり、興味と関心がなくなってしまうことがあるのです。

 集中して学習に取り組めない生徒がいます。座って教材に取り組めないのですが、しばらく待つと鉛筆をもってやり始めます。でも、その間にもこれはやりたくない、とか、もっと別のプリントとか不満を言い募ってきます。一瞬、『なんとわがままな。』と感じたりしますが、そう感じている自分を客観的にみて、情動(怒り、あきらめ、不満など)をやり過ごして静かに見守っていると、しぶしぶ始めたりします。それがその子の現実、それをあるがままに認めること、これがなかなか難しい。

 感情移入せずに、きれずに、あるがままを認めつつ、変化を信じて付き合うこと。その様に付き合っていると、その子なりに成長していくのが分かります。必要なものは継続力です(根気と我慢かな)。色々試しながらズーと付き合う力です。

 その子の気持ち(思考?試行かも?)のゆれ(?)が落ち着くのを見守ることが必要です。大人でも(少なくとも私は)気持ちが揺れて、何も手がつかなくなることが多々あります。ましてや子どもは、与えられた課題に取り組むことが出来ないことなど当然だと思います。子ども自身に、それが自覚できるようになれば、進んでいくと思うのです。行動を選択することを支援するのが教育コーチングです。それには継続力、一貫性が大切。

お母さんとの対応も同じです。2月14日に投稿した中3生は私立高校に合格しました。入塾時の面談でお聞きしていましたが、お母さんは公立に進学して欲しかったのです。お母さんの気持ちが気になり、電話でお話をうかがっているうちに、お母さん自身がお子さんの選択を『納得しよう』とされ始めました。兄弟の意見やら、友達の意見、進学率は私学のほうが高いか?といった質問が出始めて、納得されたように思えました。考え方を選択してもらう支援をするのも教育コーチングの仕事なのです。継続して働きかけます。

浮力の原理

言葉の奥にあるものを教育コーチングで理解しようとしている超介です。

高知県出身、京都で学生時代を過ごした青年Aは愛媛県で就職しました。最初数ヶ月は仕事も地域の実情もまったく分からず、職場で悩み苦しんだとのこと。そのとき上司から『君は無器用だけれど、一生懸命だからそれでいい、期待している』この一言で救われたそうです。

定年に近い警察官から聞いた話ですが、地方の漁村の駐在所に赴任して閑職であると、ふてくされているとき、魚網に死体がかかったことがあったそうです。片足だけが上がったそうですが地元の人たちは『これでこの人も浮かばれて成仏できる』といったそうです。それを聞いてその警察官は考え方が変わり前向きになれたとのこと。

『浮力の原理』をご存知でしょうか?水中に沈められた物体には各方面から深さに比例した水圧がかかります。水平方向の水圧はバランスがとれてつりあいますが、深さの違う上下方向は、下のほうが深いので上から押す水圧より大きく下から押し上げる力が勝ります。これが浮力です。比重が水より大きい物質はしたがって(何かで邪魔をして)押さえこまないと浮き上がってしまいます。

人の心の中にも浮力の原理が働いていて、ほうっておいても『人は上向きに必ず成長しようとする存在』(=浮力が働く)なんだと思います。しかしながら暗い気持ちで、悩みながら心が下降線をたどってしまう人が多く、年間3万人以上も自殺する国が日本です。自殺者が3万人、予備軍、未遂者等々は、その数倍はいるのではないでしょうか。

辛いときには『浮力の原理』を思い出します。何か視点を変えることにより『邪魔するもの』を取り除く、そうすると『浮力の原理』により必ず前向きになります。それを取り除くのは一言の『承認』の言葉や人々の考え方であったりします。そのような言葉やら考え方を選択できる関係、コーチングし合える関係は邪魔するものを取り除く関係でもあると思うのです。

偶然に期待する

 偶然に期待する超介です。

 年末から新年にかけて4項目ほどストレスに感じることが続いたので、もうへとへとになってしまって風邪を引きました。じたばたせず、ジーとして休みました。こういう悪いことが継続して続くときは じたばたせずに 過ごすのがよいと思うので動きません。(というか動けません。)

 少しじーとして、あわてずなすべきことのリストを作り、できることからはじめるのです。少しでも何かが出来始めると、悪いことばかり見えていたのが、明るい見方が出来始めるとおもうので。

 昨日、ある中3女子生徒と面談をしました。秋に入塾してくれた生徒です。担当講師からコミュニケーションが取りにくい(話をしてくれない)ということをきいていました。学習の様子を見ていても さもありなん で、質問をしても言葉が少い返事、講師の学習内容の提案をしても受け入れてくれないようでした。

 これはきちんと話を聞いてみようと、別室にきてもらい面談を始めました。否定せず、承認を繰り返して話を聞いているうちに、家族のこと、母親のことなどを話してくれます。20分ほどもたつと『私、自分の気持ちを人に伝えるのがうまく出来ないんです。』『言いよどんでしまったり、もういい という気持ちになるんです。』と話してくれました。その言葉を聴いて私は ほっと します。心が開いた音を聞いたからです。

 ああ、この子はここに居るのか、そうか、とストーンと分かるときがきます。相手と私との間に橋が架かったことを感じます。橋が架かっているので、それから話は双方向になります。それからの対話はエネルギーをお互いに高め合うようなやり取りになります。

 こういうことがあると心の底から、人間関係の大切さを感じます。ああ、私はこれまで分かっていなかったな、これが大切なことなんだ、と。外側に意識を向けすぎて心をすり減らし、エネルギーロスを生んでいたあり方を反省するのです。そして、自分をゆるすことが出来たのです。

 面談する、これは偶然の機会ですが、暗い思いの中に明るい流れを見出すことが出来ました。コーチングをやっていてよかったと思います。

風邪を引きました

教育コーチングで風邪を治そう(無理、無理!!)としている超介です。

今週の火曜日(2月2日)朝目覚めると声が出ません。(ガラガラ声しか出ません)体もなんとなくけだるいのです。普通なら少々けだるくても無理やり起きてウォーキングで気合を入れて生活するのですが・・・。それに腹痛があるのです。前日の夕方、のどに痛みを覚えたので、診察を受けました。花粉症と風邪の薬をもらって服用はしていたのですが、一気に悪化したようです。

これは少しあぶない。年に1,2回、我慢するのに油汗が出るほどの腹痛があります。医者に相談すると『石があるかもしれませんね、一度超音波で見てみましょう。』ということでした。その予感がありました。このまま無理をすると、そうなる、その予感は分かるのです。

 それで結局夕方まで眠り、更にそのまま自宅で療養することにしました。会社も休みました。休みの1日はすぐに終わってしまいます。なぜ、こんなに早く1日が終わるのか、そう思うほど早くたつのです。

 何も考えずにただ眠る、横たわる。なるべく食事もしない。疲れやらストレスやら病原菌やらに取り付かれているのでしょうが、基本は自分の身体を信じてじっと横たわり、治癒するのを待ちます。じたばたせずに回復を信じて待つ。

 翌日はいつもと同じサイクルで動き出そうとしましたが、気力が少し落ちたのか、無理をせずゆっくり目に過ごすことにしました。『顔が赤いよ』と人に指摘され、微熱があることに気がつきます。

皆さんは風邪を引いたときどうして治していますか? 
心の風邪を引いたときはどうしていますか?