焦点力(焦点を合わせる力)

焦点ネジをゆっくり回すと、急にくっきりと見える天体の像。夏の夜空で何億光年か先の宇宙にピントを合わせている少年少女は、今何人いるだろうか?

望遠鏡やら、顕微鏡の焦点を合わせた経験のある人は、能力も焦点さえ合わせることができれば格段の進歩を遂げる、そう感じられるのではないだろうか?

 チームでプレイするスポーツでは、その焦点は 気持ち である。サッカーのワールドカップでは日本チームが焦点を合わせることの効果を証明してくれたようだ。

 同じスポーツでも、国技、心技体が大切とされながら、一部のプレイヤーは、どこに焦点を合わせているのか、不明な団体もあるけれど。

 教科学習においても、焦点を合わせること、これを身につけることは重要な事項である。個人の生まれつきの特性、あるいはその時の生育環境(家庭、社会の)の特性によってそれの取得への過程は様々だ。

 30年以上そのことをやってきたので、2,3時間ほど一緒に学習すれば、その子の焦点を合わせるためのやり方は直感でわかるようになった。最も大切なことは楽しくなるかどうかだ。そのためには自立は大切。

 私のこと、私自身が物事に対する焦点をいかに的確にあてるかは、まだまだ発展途上(と思いたい)。

 多くの書物で学んで、それを少しずつ実行したり、何回かの落ち込み(この時は一時的に後退する)を経ていくと、いつの間にか強い焦点力が身についていたりする。

 一つの領域でそのような焦点を当てることを繰り返していると ディ―プスマート力 という力が身についてくる。(これは勝間用語である)それは直観力である。

 達人といわれるひとは、焦点を合わせるトレーニングを数万回もあるいは数万時間かけてこなしてきている。スマートにふるまうことができるその背後にはそれだけの努力(多分本人にとっては楽しみ?)がある。
 
 あなたは何かに焦点を合わせて生きていますか?

さあ! できることからはじめよう!

 さあ! できることからはじめよう! 
 (以下、『私』へのメッセージです。)

毎日、どのような考えを選択するか。良い思考は好ましい感情を呼び覚まし、適 切な行動を導く。動いて感じたことが、よい気付きにつながり、また、・・・・—循環が始まります。

 自分への質問からはじめよう!!
 それは、少しの勇気を出せばできること!!
 さあ、できることからはじめよう!

 もし、1日の始まりに不安を感じたならば、その不安の根っこに何があるかをじっくり観察し、言葉を掘り起こそう、表してみよう。そして、そのマイナスの言葉をプラス表現にしてみよう。
 それから、(不安がある日も、ない日も)毎日、自らに問いかけよう。

「今日、やりたいことはなんだろうか?」
「それができたら、どのような気持ちになるだろう?」
「何があれば、それはできるのだろうか?」 
「私の長所は何だったろう?それを今日はどのように使おうか?」 
・・・・・・・・・・・
・・・・

 もし、1日の途中で壁にぶつかり、しゃがみ込んでしまったら、その壁をじっくり見つめ、何の壁か、考えてみよう。壁の向こうに何があるか、想像してみよう。
 それから、マイナス感情に浸りそうになった時こそ、未来に向かう、前向きの質問をしてみよう。

「この難事から私は何を学ぶことができるのだろうか?」
「これをチャンスにして、誰に働きかければチームがよりよくなるんだろうか?」
「うまくいったとしたら、何があったからなのだろう?」
「その手段はどうして手に入れたのだろうか?」
「最大限にうまくいったとき、何を得るのだろうか?」
「最悪の場合はどうなって、その次には何をすればよいのだろう?」
・・・・・・・・・
・・・・

 もし、1日の終わりにむなしさを感じたら、お酒を飲んでごまかしたりせずに、その原因をじっくりとさがそう、突き止めて言葉で表してみよう。
 それから、(むなしさを感じていなくとも)次のように問いかけてよう。

「今日は何を学んだのだろうか?」
「今日は得たものは何だろうか?」
「今日うれしかったことは何であったろう?」
「誰がいてくれたから、ここまで来れたのか?」
「今日は誰に感謝しようか?」 
・・・・・・・・・・・
・・・・・
 
 さあ、今日からはじめよう! できることから始めよう!
 今日うまくいかなかったら、また明日から再挑戦しよう!

 繰り返し、繰り返し、・・・・・・、・・・・・・、
 習慣をつくろう!!

 性格が変わり、きっと人生が変わる。
 持って生まれた命を自身の手で運ぶこと、
 つまり運命をつくることができるのだ!!

学習する習慣について

数日前に、朝9:40・夕方の4:15まで ある資格の更新講習がありました。5年毎の講習、今回が初めての更新でした。弁護士等の法律関係者が講師を務めました。3冊合計で1000ページほどもあるテキストをあちこち飛び回りながら、早口で講義が進んでいきます。受講者のレベルを想定していて、授業の構想を考えてこられている(らしい)人はやはり判りやすい講義をされます。そういう人の授業は構造化されていて、なるほどと思わせてくれるのです。聴きがいがある講義です。

    【授業といえば、最近ハーバード大学の公開講義で「ジャスティス」
    だったかな、それを胆石手術入院中にテレビでみました。これは受
    講者同士での意見交換もあったりして、大変面白かったのです。
    術後の傷の痛みを少し和らげてくれました。】

参加するだけで更新資格を得られるので、120名ほどの受講生の中には居眠りする人もいます。私は受講料(2万円弱)がもったいないので、最後まで集中して聴講し、デジタル録音機に全部記録を取りました。(時間がある時に、聞きなおして内容をしゃぶりつくそうと・・・、強欲な!)

 私の強みに「学習欲」があります。私自身の中では34項目中、上位から数えて4番目の強み(才能)です。(詳細は「さあ、才能に目覚めよう」を参照ください。)学ぶこと、そのものが楽しめる、これが「学習欲」の正体。いつの間にか、変化を遂げている自分に気がついてうれしくなります。

 本を読むことにあこがれ、お金があれば書籍をたくさん買い込んだのは大学生になってから、でもずーと積読で、30代中ごろまでそのまま。それまでは意欲はあれど、多くは読めませんでした。時間はたくさんあったはずなのに、読書はできませんでした。(邪魔するものがありました。それが何であったかは、またどこかで書いてみたいと思います。)それが30代の中ごろから変わりはじめました。そして50歳近くになって加速したのです。記録も取り始め、この5年間では800冊余り読みました。(Gさんほどではないですが、私にとっては大進化!)

    【時に「学習欲」は厄介なものです。たとえば、幅広く興味を持
    ち過ぎます。さまざまな範疇に興味を持ち、散漫になりやすい
    のです。(それで、いまだに何者でもない自分!) それから、
    つらい体験も「学ぶ」機会と考えてしまいやすい、はまり込んだ
     環境から抜け出しにくいような・・・、健全でないような・・・・。】

 『学習欲』に気がついたのはつい最近です。それで私の行動がさらによく自己 理解できました。

ミュージカル「正岡子規」観劇記

 四国松山は正岡子規の出身地であり子規堂、子規博物館があります。そのどちらへも私は数回足を運びました。子規堂には彼が使用したノートも展示してあって、その中に数学の三平方の定理の証明が筆で書かれているページがあるのを見つけました。俳句やら、短歌、それから病床で書いたらしい絵もありますが、私にはその数学のノートに一番リアリティーを感じました。明治人の学問に対する真摯な向き合い、憧れのようなものを感じたからです。もちろん彼は明治のこの地ではエリート、特別な人であったのでしょうが。

松山の隣の東温市の商業施設に『坊ちゃん劇場』(夏目漱石の小説 坊ちゃん にちなんで命名されています)があります。そこで今年は「正岡子規」(ジェームス三木さんが脚本・作詞・演出されています)というミュージカルが上演されています。先日、観劇しました。生でミュージカルを観劇するのは初めてでしたが、楽しめました。

司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』等の小説や、秋山兄弟について書かれた書籍(書名は忘れました。文庫で出ています。)等で文字から「正岡子規」についての知識はありました。(大河ドラマ 坂の上の雲 は見ていないのです。)ミュージカルの俳優さんたちの ひたむき な語り、歌、踊りを見ているうちに、その知識に生命感が吹き込まれてきます。

いつの間にか、子規とその周囲の人との交流を模擬体験していました。物語の楽しみはその作中の人物等になって仮想体験することですが、文字で表現された物語以上に、リアリティ・を感じることができました。観劇者は普段の日常から離れて、異空間にすまい、感動して、そして終了以後癒されていることを知ります。

子規は文学革新運動を通じて、同時代に生きる人々の心に火をつけようとしました。その生きざま、戦いが 死神の登場 により激しくかつユーモラスに演じられていきます。また人口に膾炙した多くの俳句、短歌がうたわれ、見る人(見て聞く人)の、それらの作品を読み、知りえた時の、個人的な感動が呼び覚まされます。さまざまな仕掛けが異空間での体験を味あわせてくれるのです。

上演終了時の俳優さんたちの退場時には拍手が沸き起こり、続きます。私も、劇場の出口で見送ってくれる出演者の一人ひとりに握手して、「感動しました。ありがとう。」とお伝えしました。

強み を見つける

ストレングスファインダーというのをやってみました。人の能力を34の項目に分て分類し、アンケートのようなテスト(これが 強み発見機―ストレングスファインダー なのです。)で上位5項目をピックアップします。(さあ才能に目覚めよう という本に詳しく説明されています。web上で受験します。)

私の強みは「収集心」「内省」「着想」「学習欲」「共感性」と出ました。納得のいく回答でした。自身の力を明示されて、ひとりで考え事をしたり、すぐ泣いてしまったり、学ぶことが好きで本を読みまくったり、仕事の机の周りにはたくさんの棚があって、さまざまな情報が集まっていたり、仕事やら、人間関係の新しい切り口、見方に気がつくと楽しかったり、ブログにせっせと投稿したりすることがみんな理解できました。

また、上記以外の項目について無理をして取り組んでいることもよくわかりました。(あきらめるわけではありません。アプローチの仕方、心構えを変えることに気がついたのです。)「人はそれぞれ」を具体的にする方法を一つ見つけました。

書籍代金1600円で受けることができます。自分の才能に もやもや を感じている方、お勧めです。どのように仕事、人間関係に向かい合えばよいかのヒントが得られますよ。

激痛・手術・回復 で学んだこと

胆のう結石、胆嚢炎のため手術を受けました。のたうちまわる痛みをこれほど長時間覚えたことはありませんでした。深夜12時頃から翌日11時頃まで腹痛で約11時間、一睡もできず苦しみました。原因が判明し、痛みが起こってから40時間後に手術を受けました。術後4日後には仕事に戻れました。人差し指の先ほどの石が4つほど出てきました。

この5日間は濃い時間でした。退院できた時、心からすべての人に感謝をしました。人生に対する姿勢が変わりました。お世話になった愛媛県立中央病院(救命センター5階に5日間入院していました)の医師、看護師さんには本当に、本当によくしていただきました。痛みと不自由さで苦しむ患者へのcareの中にプロとしての知識と行動力、人としての明るさ、誠実さを体験、あるいは見聞きし感動しました。

そのような、医療従事者の皆さんと、高度にIT化された施設に支えられて、術後の身体の回復力を食事毎に実感していきました。手術後、最初の食事は翌日の昼食でしたが、二口程度食すると身体が発熱し始め半分程度しか食べられませんでした。が、一食毎に回復し、3食目からはおいしく完食できました。

病院には書籍数冊と音楽やら講演の音声ファイルが入ったデジタルレコーダーを持ち込み、昼間は本で気を紛らわせました。チャンスととらえて、普段読みにくい理論書を持ち込みました。2冊は読めましたが、想定ほどは進みませんでした。消灯後はイヤホンで音楽(モーツアルトと川中美幸と高橋真梨子とフォークソング)と講演(セルフカウンセリングの)を聴いて眠れぬ夜を過ごしました。

ある心理学者の「己を成長させるためではなく、他者を操作するために自らの力を使うすべての人を私は神経症と呼ぶ」という言葉がピーンと響きました。

いつの間にか神経症的になっている自分を振り返らせてくれる言葉、私がどこにいるのかをある方向から教えてくれる言葉だからです。同時に自らの力を他者との関わり合いの中でいかに使うか、その見本を今回の入院中に、医療従事者の方たちの中に見出しえたと思うのです。

その2つのことが、退院後、私の人生に対する見方を変えたのです。(きっと)

屈折する

空中から水中へ
空中からレンズへ
光はその都度スピードを変えるので屈折する。

人も屈折する。
目的を持って生きていても、
大きな壁に突き当たると、進めなくなり
スピードと方向を変える。

そうして、しばらくしてまた壁に突き当たり偏向する。

(永い間進んできて、自分が屈折していることも分からなくなる)

私は空気から水中に入ったのが多分小学校に入学した時
(集団の息苦しさを感じた)
さらにレンズに入ったのが・・・・・・・。

それから何回も見えない壁に突き当たり屈折し続けてきた。

 でもこれまでの体験で学習したので、
今は光(心)が屈折しそうになってもスピードは落ちない
(と思っている)
復元力が強くなったのだ

あなたは心が折れそうになって時どうしていますか?

海と山と港の地方都市で亡くなった義父

義父が亡くなった。 

濃い人であった。

私とは全く違う人であった。

鉄工所のおやじであった。

今春、何回目かの入院をした際、
「思い残すことはない。いつ死んでもよい。」
といった。

20数年前に初めて出会って拒否された。
が、ある日突然、からりと受け入れてもらった。

孫も生まれ、私たちの家族の訪問を
心から喜んでもらえるようになった。

何度も一緒に釣行した。
アジ、サバ、グレ、シイラ、タイ、ホゴ、メバル、ヤズ、イサキ・・・・・・
宇和海でさまざまな魚を釣った。

貝堀りにもいった。

たくさんのお酒を一緒に飲んだ。

痛みを訴えたりはするが、愚痴を言わなかった。

家族だけでお別れをした。

亡くなって、穴があいて、
しみじみとその存在の大きさが伝わってくる。

成長(選択の自由)

よくないと思っていてもつい取ってしまう行動には
そうするだけの、気がついていない「見返り」があります。

なぜあなたはそのような悪いことや
周囲が困惑するような行動をとるのでしょうか?

もし、あなたがその「見返りに」気がつけば
あなたの視界は広がり
ドキドキする生活がはじまります。

やめることができない悪癖にも
その背後に隠れている理由に気がついたとき
選択の自由が顔を出してきます。

だから、あなたには素直に向き合ってもらいたいのです。

私があなたの言葉を聴こうとするのはそのためです。

あなたの話を聴かせてほしいのです。
心の底にある言葉をながめてみましょう。

わたしはそのようにして、自由を感じることができました。

人生の出来事に落ち込んだ時も
勇気を出して、これでよし、と向き合うのです。

そこからじっくりと時間をかけていくと選択の自由が生まれてきて
勇気は確かに必要かもしれませんが、
エイ、とジャンプすれば
より深い、広い考え方を身につけて
未知の世界を体験することもできるのです。

だからあなたの話を聴くのです。
あなたにも自由と可能性を感じてほしいから。

夕空に金星と三日月がありました。

先週の日曜日のことであったと思います。

 三日月、それも本当に細い三日月が、まだ少し青味が残る夕空に浮かび、そのすぐ上(天頂方向)に輝ける金星がありました。黄色く輝く金星と三日月、2つに天体の形と色、すっきりとはれ上がった背景の空、みとれていました。お互いの距離は角度にしてせいぜい月2・3個分くらいだったでしょうか。

 現実の宇宙空間では、暗黒の中で太陽が輝きます。その何万分の一、いや何億分の一以下(もっともっとかな?)の光を遠く離れた地球が吸収し、さらにその光は空気分子にぶつかり、乱反射して大気を青く、白く、時にオレンジ色に輝く空をつくります。同じ太陽から出た光のほんのわずかなものが、やはり暗黒の空間に浮かぶ金星に届き反射しそのまたほんのわずかな光が地球に届きます。空の大気の色、月の光と、金星の光、元は同じ太陽の光、それらがその時の私の目に同時に届き、5月の夕方の西空を彩ります。

 私自身の体もDNAを介して網の目のようにつながる生物の系統に連結されています。身体を構成する原子までさかのぼれば、その大本は地球を構成している原子、さらに百数十億年以上前に暗黒の空間に浮かんでいた物質でありました。ずーとつながっていて、連綿と生物も無生物も光も全部つながっていて今ここにあります。