作物育て から 作物育ち

農業のことを考えていて、教育コーチングと通じる部分があるなぁ、と思いました。
  子育て→子育ち ・  作物育て→作物育ち
 ということを考えてみたいと思います。

 昨今の作物の育成は様々な品種改良(接ぎ木、交配、遺伝子操作々)、防虫、早期育成等の為の施薬等々、その植物及び動物本来の持っている力を無視しているかのように思えます。もちろんそのような方法を否定するわけではありませんが、本来の生物の持っている力を大切にする、そのような視点の農業が進化すれば・・・と思ったのです。

 農業に関する本をいくらか読みました。初めて無農薬栽培リンゴ作りに成功された青森の「木村秋則」さんの関連本(奇跡のリンゴ など)が起点になりました。自然農法による野菜作り、日本の農業の現状、農業政策、さらに近年目覚ましい進歩をとげている分子生物学の知見が盛り込まれた自然観の本(たとえば福岡伸一さんの本など)を読んだのです。それらの情報あるいは、私の両親の農業事情等を理解し上記のようなことを思ったのです。

 和歌山で果樹栽培等している義兄からきいたはなしです。緑色植物は根から道管を通じて水を吸い上げ、葉でできた光合成産物(でんぷん)を糖に替えて師菅を通り植物体の隅々まで必要個所に運搬します。道管は茎、枝等の中心部に近いところ、師菅は茎、枝等の表面に近いところを走っています。(ここまでは中学の理科でやりましたね。)

 そのような仕組みなので、茎、枝等の適当な位置で表面をはげば師菅が遮断されます。時期を選び、そう施術すれば葉でできた養分が全部果実に集約し、早期に収穫することができるのです。そのようにしてできた柿を9月5日にもらって食べました。美味しいのですが、ちょっとやり過ぎではないか・・・と。皆さんはどう思いますか?

 このように植物、動物の生命の仕組みを応用して、改良されたものはたくさんあります。でも、際限なく人のエゴ中心に展開しているうちに、しっぺ返しを食らうのではないかと・・・。(もう食らっている・・・・。)

 私たちが、「子育て」ではなく人本来の力を大切にする「子育ち」を想うように(わからない人はぜひ ECTP教育コーチング入門講座 を。WEB受講できますよ。)、食べ物としていただく農作物、動物に対してもそのような視点が強調されてもよいと思ったのです。

 生物本来の持っている力を信じた「作物育ち」を支援することが、安心、安全なおいしい作物作り、につながる、それをかつて日本の伝統的な農業はやっていたのでは、と(たとえば「丹精込めた作物作り」というような言葉に示されるような)。私は昔の曲がったキュウリ(でも冷やして塩をつけて食べるとうまい!)、凸凹のトマト(でも味が濃い!)等々を知っています。薬を使う、人工交配する、遺伝子操作する、大量生産することは必要なことだと思います。ただ、それらを用いつつも生物本来の力を中心に据える方法がもっと進化すればよいなと思ったのです。

稲刈りについて

 9月3日、金曜日の夜に松山を出発、夜中に丹波市の実家着、土曜日と、日曜日に刈り取り作業を行いました。昨年よりも暑かったせいでしょうか稲の生育は良かったようです。が、両親は82歳、81歳この暑さのなかで2か所の田(もう1か所は近所の人につかってもらっています)の稲刈りは相当に酷でした。体調と体力に気を配りつつ作業をこなしていました。
(刈り取り前です) null
 両親と私は農業従事者の高齢化問題、後継者問題の当事者なのです。それでここ数年、私は田植え、稲刈りは帰省して手伝っています。できるだけのことはしていこうと。日本は、食料の供給については質、量ともに大きな課題を抱えています。競争力をもった農業(農業従事者)が育っていないので、大変なことになる、といわれています。(うむ・・・、大上段の構えで書き始めてしまった・・・。でも、このままいきます!)
        (2条ずつ刈り取ります)  null
 国内の食料事情は過酷、見通しは暗いようです。日本にお金があるうちは世界中から食料の輸入も可能でしょうが、世界人口がこのまま増え続けて、日本の農業の低落傾向がこのままだと、輸入もままならなくなるのでは・・・。外国も、自国の食料が不足しがちになれば、輸出はしません。さらに、行うとしても、日本に食料がなければ、足元を見られて、高価格になり、国内の多くの人は食べられなくなる?
      〔奥までずいと刈り取っていきます) null
 それに加えて質の問題(安全性の問題)があります。自然と異なる、全く工場のような施設で育成される動物、農作物は大変リスクの高い食料です。さらに遺伝子操作によるによる効率的な生産、自然界のバランスを壊しすぎると、あるところからは復元できません。これらの問題は世界中で進行しているようです。安心安全な食料の確保がさらに困難になる?
         (あと少し) null

 今年は県外から義兄夫婦と県内他都市から妹が実家に駆けつけてくれました。私はコンバインで刈り取ったり、軽四トラックで生籾をライスセンターに搬入したり、主役で活躍(?)したつもりですが、暑さでバテました。気分が悪くなり作業途中、水路で足を冷やしたり、上半身裸になってぬれタオルで拭いたり。体内のバランスが崩れました。1時間程度で回復可能ではありましたが。

 稲刈りは今はコンバインを使って行います。40数年前は手で刈り取っていましたが、本当に大変でした。稲を刈り取り、田んぼで干して運搬車で家に持ち帰り、脱穀して・・・。それが当たり前でした。今は2日あれば作業はほとんど終わりです。

 今年の収穫は27アールの田んぼから2トンの生籾、16アールの田んぼから14石の生籾が収穫できました。2つの田んぼの収穫量の単位の違いは一つはライスセンターに収めたので、その伝票からの数字、もう一方は自宅の乾燥機に入れたのでその目盛からの数字だからです。両親の日記によれば例年より少し良いとのこと。
      (刈り取った後) null
 日本の未来のための、農業に対するいろいろな取り組みが各地で行われています。生産から加工、流通までを従事者がコントロールし生産性を上げているところもあります。自然保護、観光と農作物の生産、教育との組み合わせで、地域にお客さんを呼び込み活性化していくことなど。それらが大きく育てばよいのですが。自然農法、有機栽培、減農薬栽培等の人にやさしい食料の生産。可能な範囲で実行していきたいと思っています。

(文字が多くて読みずらいのに、ここまで読んでいただいてありがとうございます。)
       

言葉の奥にあるもの(その4)

(私の 心の手入れ) 

   「心の手入れ」をしていない畑には作物が実りません。カラカラになって、どんな作物も 芽吹きません。「させられている」人生の繰り返しになると畑は乾いてしまいます。雑草が 生えたり、岩がころがったりして作物がうまく育ちません。「邪魔するもの」ができていま 
 す。

  でも、気がつけば、「邪魔するもの」を取り去ることもできます。本当に気がついたときは、 心からそれがわかります。 それからは、より自由になって、作物を育てることができま 
 す。   

(あなたの 心の手入れ)・・・のために私ができること

 私が、あなたのことを大切に思う理由は、あなたが何かができるからではありません。

 あなたが私に対してどういう気持ちを持っていようと、私はあなたを大切に思っています。 

 そのような人が、この世界にいることがあなたに伝わっていれば、私は幸せです。

 あなたが自信をもって生き抜いていけますように。

言葉の奥にあるもの(その3)

 「心の手入れ」の方法はいろいろあります。散髪に行く、服を変える、飲みに行く、釣りをする、博物館に行く、一日中ボーとする等々、そのようなことをしつつ課題から逃げないでいる時「心は手入れ」されて水準が上がるような気がするのです。目に前のつらい出来事からも逃げないで向き合う、ただそのままだと沈没(!)するので、あの手この手で心を だましつつ付き合います。 

 以前にも書きましたが、私には収集心があります。A6の手帳には、食べ物やらこまごました買い物のレシート、ちょっとした切り抜きの貼り付け、思いついたこと、会議のメモ、読書記録、各種スケジュール等々の添付がされていてパンパンになっています。整理はしていません。時系列で並べているだけです。私にとってはこれも「心の手入れ」の一つ。

 言葉の収集もしてみたい、と気になる言葉もノートに書いています。その中の一つ、「過去と他人は変えられない」は教育コーチングの講演会(3年前?)で初めて出会ったフレーズでした。未来と自分を創りだすことの可能性を考えさせてくれる言葉です。

「未来を創りだす」ということは重いですよね。ずーと引きずっています。多くの人がそうであるとはおもいますが、どのような仕事を選んで生きていくか、どこにだれと住むのか、と考え始めたとたんに思考停止に陥りそうになります。未来が見えない!!皆さんはそんなことはありませんか?

就職活動をしている学生さんには激励をしたくなります。「あんたはえらい!」と。自分の未来と向き合う、不確定な未来にむけて行動を起こす、その挑戦する姿勢に感動するのです。私はその時期には、そのような勇気を持ち得なかった。だから、今もその課題と向き合わされています。

 いま、この時にできることを大切に、最大限に生かして生きること、その延長に未来があるのだろうとそのように思うことで、精いっぱいです。「人生のその時(今も)自身への与件に対して、深く学び、考え、行動し続けること。そのことを通じて世界に「大切なこと」を伝える、表現する人であり続けること。」これが精いっぱいの、今の私のミッション。(自分のことしか考えていない・・・・!)

言葉の奥にあるもの(その2)

 「その人の行為の奥のものを見つけ出す」ことができるのは、同じものが自分の中にあるからです。自分の中にない時もあるはずなので、その時には相手に教えてもらいます。当然、わかる時もあるし、わからない時もあります。

 でも、わからないけれど本当らしい、真実らしいというように感じることがあります。その感じ取る力の大きさこそ聴く力(観察する力)のレベルだと思います。さりげなく、でも言葉の端々やら、イントネーション、表情、動作に注目して理解していく力です。

 そのように聴く力を強くするためには、自分の心をある水準に高める必要があることまではわかります。そうなんだろうなぁ・、と。そうなってくると自由になれるんだろうなぁ・、と。それで、いろいろと手を変え、品を変えつつ、「心の手入れ」をします。

 たとえば、「大変つらいと思うこと」があった時,次の言葉を思い出しました。

    「意味のないことは起こらない」

このフレーズは教育コーチングの場で学びました。その言葉の奥の意味として、最初は「大変つらいこと、それに何の意味があるのか!」「私へのペナルテイ・?」とそのまま、つらいことを否定的にとらえていました。

で、(もちろん時間の経過はありますが)「心の手入れ」をすれば、「このつらいことから、私は何を学べばよいのだろう、意味のないことは起こらないはずだから」というように捉えなおすことができるのです。そうできた時、穏やかな心情、心の自由と自らの可能性を感じるのです。
 
 「意味のないことは起こらない」という言葉が「大変つらいこと」の体験を通じて「心の手入れ」ができると、すこし、心の水準が上がります(聴く力、観察する力も上がります)。そして少なくとも、「すべてのことから学ぶことができますよ」と私にとっての、その言葉の奥の意味を見つけ出すことができるのです。

  でも被害者意識のままでは心の水準も、聴く力、観察する力も上がりません。

 私は受け身で、内省的でイジイジ考える傾向があります。だからこんなふうに考えるのでしょう。でも、時々思いつき(一種の気づき、着想)を得ることがり、その時には心が晴れます。このような気づきを重ねていけば変身を続けていけると思います。

(もう十分 変わっている!変なやつかもしれませんが・・・)

言葉の奥にあるもの(その1)

  語り手が、自分の心を確かめながら話している時、聴き手はその人の言葉がそこから出てきていることがすぐわかります。

 当たり前のことですが、注意深い聴き手ほど相手の心がわかります。(と、僕は思うのです。)

(ちょっと意識を集中すると、お店の人の挨拶からでもわかります。)

 それから、聴き手が懐疑的な態度では真実は聞こえてこないのです。(もちろん 僕の場合は です)うまくやっていけていない人との場合は、おおかたそうだと思います。

で、そのことに気がついてから、意識しています。

 「私には、あなたのその言葉が受け取れません」

  そう思う時は、時間をおいて

 「それは私の耳が歪んでいるからかもしれません」

というように考え直すのです。

 そして、そのあとで、と自分の立場を見直しつつ、じっくりと相手の言葉を反芻してみます。身勝手受け取り方をしていることに気づくこともあります。

 それでも変わらなければ、そのままにしておきます。

 これぐらいの距離で、言葉と付き合います。(もっと敏感になれば変わるかもしれませんが、当分の間は、相手にもよりますが、これぐらいで。)

 耳ざわりな言葉、その中にも語り手の真実がある可能性が多いとおもいます。特に大切な人との関係程、真実の含有率は高いと思います。

(にがく、つらい体験を繰り返し、そのことを実感し始めています。)

 人を信じることは、そうやってその人の行為の奥のものを見つけ出すことだと思います。

鶴(コウノトリ)の里、墓参

 兵庫県北部の但馬地方にコウノトリで有名な豊岡市があります。農業と自然保護、観光事業の展開の例として紹介されている地方都市なので一度訪ねてみようと思っていました。お盆に帰省した際に両親と一緒に「コウノトリの郷公園」(だったかな?)へ車で行ってみました。到着して公園内を見学して回ってみると、ちょうど給餌前で、オープンゲージの中の池や、畑とその周辺の林には飼育されているコウノトリ17羽(だったかな)だけでなく放鳥されて野生で生活しているコウノトリやら、サギが60羽ほども集まっていました。さらに給餌が始まるとカラス(1羽)ととんび(1羽)も餌を狙いに来て、ガアガアとなくサギの声、逃げ回る小魚を足を上げ、羽を少しはばたかせながら追いかけるコウノトリやらでざわめきます。

 大きな弧を描いて、空を舞うコウノトリはそれほど大きな体でもないのですが、迫力はあります。彼らが自然に舞う姿と、その下に広がる山と平野、平野を流れる川、池、田んぼ、1日にドジョウなら60匹ほど必要で、それだけの小魚を供給できる生態系。コウノトリは、昔、日本の各地にいたらしい、それだけたくさんの小動物が住んでいた環境。どのような自然であったのでしょうか、想像できますか?

 鶴(コウノトリ)を見に行った翌日のことです。家の中の、両親の枕元の棚の中に1枚の写真がさりげなく置かれているのを見つけました。セピア色の古い写真です。モンペをはいてかすかに笑みを浮かべた若いきれいな女性が写っています。20歳前後のまだ幼さが残っている女性です、赤ちゃんを抱いています。真新しい白い厚紙で作った枠に入れられ大切に扱われています。最近母がいただいたようです。

 それは母の姉でした。母と同じ地区(つまり、私の生まれた家―母が嫁いだ家―から300メートルほどしか離れていない)に嫁いだ姉でした。私は母がよくその人のことを話していたこと、その時の母の顔色を思い出しました。仲が良かったようで、残念そうにまた悲しそうに、話す母の表情を。

 でも、写真を見るのは初めてでした。昭和ひとけた生まれ、今年80歳の母は、姉妹、弟は多いのです。母は上から3、4番目くらいです。写真の女性は、嫁いだ先の家族とは折り合いが悪く、気苦労もしていたそうです。そして数年間丹波にいて、夫である人と共に満州に渡ったのです。大学進学を契機に四国へ移り住んだ私は、叔父、叔母とはあまりあったことがなく、その歴史の詳細は知りませんでした。

 昭和20年8月23日が彼女の命日でした。終戦直後の満州から、家族のある人たちは優先的に日本に引き揚げるべく移動ができたようですが、彼女は写真の子供をすでに亡くし、ひとりであったためすぐには逃げることができなかったのです。青酸カリをもらって、陸軍会館に引きこもり、ロシア軍に見つかる前に何名かの仲間と一緒に服毒自殺をしたとのこと。おなかの中には赤ちゃんがいたらしい。幼子を亡くし、おなかに子供を宿したまま、自害せざるを得なかった人の気持ち・・・・。

 その人のお墓にお参りをしました。墓石の横には千の鶴の子と書いて「千鶴子」という俗名と死亡場所である、都市の名前につながる陸軍会館名が彫り込まれていました。母はその人の名をちゃんずけしてよび、憐みの言葉をつぶやきました。母の気持ちが私に伝わりました。私は手を合わせて祈りました。そして今を生きていることに深く、深く感謝しました。

振りかえること

超介です。

だれかに話を聴いてもらえば
頭も心も整理されて楽になるのに
そのことを知らない人は多い。

そういう人は信号を出している。
言葉使いやら、表情、ちょっとした動作。
それらの信号をしばらくよく見て、近くに寄り添い、
さらに確かめてから
話を聴いてあげたいと思う。

職場でも、家庭でもどこでも特に近くにいる人との関係で
うまくいっていないと感じている人はたくさんいる。
周囲からトラブルメーカーのように見られていて
行き詰っている人もいるけれど
よくよく聴いていくと、
そのひとの本当のこころを感じることができる。

しばらくすると、こちらの焦点があってきて、
それは真実であるなあ、と思う。

それから傾向と対策を一緒に考える。
原因を追究していけばきりがないので、
今からできることを探すのだ。

実は、これは私が自分におこなっていることでもある。
抱えにくいことがあった時、いつも聴いてもらえる人が
いるとは限らない(ほとんどいない)から、そのように振り返る。

過去と他人は変えられない、このことを活かすことは結構難しい。
うまくいっていないことを冷静に見つめても、どうしても
他人に原因を探す癖は抜けない。
自己保存本能?

そのうえで、どう行動できるかが私の 値打ち であると思う。
私の周りの人のために何ができるかだと、思っている。

蝉時雨

7月28日の夜、路上の茶色いかたまりに気付き、近くまで寄ってみると、それは羽化前の蝉のさなぎでした。そっと手のひらに乗せると、ズシリと重い。つるつるで輝く外骨格、土の中から出てきた宝石。近くの植え込みにおいてやり、夜から朝にかけての、羽化を祈りました。
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彼と対話を数回に分けて行いました。彼はひどく悩んでいて、もうずーと神経症的な反応を繰り返しています。(自分が被害者であることから抜け出せず、過去と他人にこだわっています。)

過去と他人へのこだわり(他人が原因で自分がこうなっていること、環境のせいで自分がこうなっていることを訴える)にじっくりと耳を傾けます。延々と彼は話してくれます。

それから 今ここで何を感じているか、尋ねます。すると、彼は自分を振り返り始めます。彼は正直に自分の真実を話してくれます。今なにを、感じているかを話してくれます。それはその時の彼の真実であることがよくわかります。それをまたじっくり聞きます。

時々彼は振りかえります。感情的になっていた自分、被害者的になっていた自分に気が付きます。彼の中で、バトルが始まります。自分が悪いのか、それとも周りが悪いのかを考え始め、でも周りが悪い理由を探し始め、見つけます。

そう感じた時に私は自分の感じたことを伝えます。「あなたは自分が悪くない理由を探そうとしているように聞こえる。あなたは自分を変えるのを怖がっているように見える。」と介入します。

彼の自分を変えることに対する苦しみが伝わってきます。そのことをフィードバックします。そうして一緒に今、変えることがないか探すことを提案します。

会話の間に聞こえてくる蝉時雨は、近くなったり大きくなったりしています。
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8月1日に広島に行ってコーチングのワークショップに参加しました。目を閉じて自分の中の自分を感じ始めると即、涙がサラサラ、頬を伝い始めました。そこにいて幸せを感じ、2時間はまたたく間に過ぎゆきました。これを感じるために広島に来たのだろうと思いました。
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彼も私も時期が来れば脱皮して変わっていけると思っています。

ドラゴンは走りぬく

 日曜日に、ミュージアム(博物館)にいった。そこで日常とは異なる空間。たとえば、地球史46億年の展示、化石と動物たちの復元模型、解説の図表。進化系統図をみて、絶滅した生物について、想像をめぐらす。地球史の時間の長さを理解しようとして脳があふれそうになる。

46億年の歴史を想像することは難しい。その中で地球が変化し、ある系統の生物が発生して、進化を遂げ、やがて絶滅して・・・、そして今に至るまで・・・・。映像では不可能である。

夏休みの子供たちで、最もにぎわっていたところ、それは世界中からの大型の何種類ものカブトムシやら大型のモルフォチョウ、トリバネアゲハ等々が展示されている世界の昆虫類のブース。

それから、自動タンパク質合成装置(PIM世界最初の機械、一晩で200種類以上ものタンパク質が合成できるらしい)のある生命科学のブース。四国八十八か所の展示等々。自然科学、人文科学、社会科学の情報満載の空間で数時間を過ごす。

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 その夜、なぜか、私は夢の中でドラゴンになった。海と山のせりあった道を走るランナー。私に追い抜かれたランナーが、「彼はドラゴンです」と私の走りを形容した。崖を飛び降りたり、坂道の心臓破りの、苦しい曲がり道でも、エイと気合を入れて四肢を回転させて走りぬく。

 目が覚めて、ドラゴンは宇宙の歴史を理解している象徴として、夢の中に 言葉 だけ表れた、と解釈した。(宇宙を治める神獣 龍 を考える想像力まではなかった!?)

 苦しい時も、つらい時も、ものともせず、それから過去から未来へ叡智なる存在として生き続ける強い存在ドラゴン、それを夢の中で想像した。いい気分。