こころのかたち(開いている)から

『心が解放される方法の感覚をつかんだ』(と思っている)超介です。

私の心の構造は、オ・プンマインド、というのでもなく『開いている』漏斗(ジョウゴ)のように上のほうが開いていて後ろのほうが細くなっていて通りが悪くなっている。おまえは『開いている』と、今から37年ほど前にある人から指摘されました。その時は何となくそうか、と感じていました。

なんでも受け取ってしまうが、容量が小さいので、消化不良を起こして苦しむかのようでした。受け入れてしまう、そして後で苦労するのです。外に向かって開き、内側では閉じてしまっているかのような。

無意識理には様々なイメージが乱舞していて、時に外部からある刺激を受けるとつらいイメージが立ちあがってきて、心を暗くする。そこに埋没してしまうとウツ的になりやすい。そのことへの対処法がやっとつかめてきました。(たぶん、多くの人はできているのでしょうが)、『流す』ことがその解決方法であると。

『その時にその状態であることが認知できれば』越えられることに気がつきました。そのように時間をすごし、すっきりできることを頭の隅に置けばよいのです。

身の回りに起こる様々な事象についても、(変化することは不安を呼ぶので)マイナスイメージが起こりやすいのですが、それでも、さまざまな気分を『流す』ことにより、『その意味を考えることができるようになった』ので、楽になったように思います。『意味を考えることができる』ので『完了』させやすくなったのです。

 以上は「心がフッと軽くなる瞬間の心理学」(名越康文)から学んだことです。自由になる方法の一つであると思いました。

本との出会い

 出会いに意味を見出している超介です。
 ここ数年間、たくさんの「出会い」がありました。それぞれに意味があり、複数の出会いを見つめるとさらに「流れ」を感じます。中には、私が探し求めていた、その答えがあると思えるものもあるのです。意味の無いことは起こらない、というまさにそのまま・・・・。物語があります。

 本との出会いも流れを感じ、答えを見つけることがあります。最近出会った本の一部を紹介したいと思います。 

   河合準雄  「ユング心理学入門」(培風館)
 古本屋で見かけたので思わず購入してしまいました。私にとっては、少し難しい内容でしたが ユングの心理学 の実践例がふんだんにある解説書、読み応えがありました。筆者自身が体験してきたことを中心にユングの心理学が解説がしてあるのです。外向と内向、感覚と思考等のタイプ、無意識と意識、自我と自己、元型そして夢についてその意味するところがある程度理解できました。

   諸富祥彦  「初めてのカウンセリング入門 上下」(誠信書房) 
 ジュンク堂(松山では最も豊富な種類の本がある、書店です。)で見つけました。同じ著者の新書を何冊か読んでいて、わかりやすかったので購入して読みました。さまざまな心理学の流派についての解説とカウンセリングの入門の解説書で、総論的でした。1通りしか読んでいませんが、もう何回か読んでみようと思得る本です。

  名越康文  「心がフッと軽くなる「瞬間の心理学」」(角川SCC新書)
 日曜日、書店の棚売りスペースに数冊立てて置いてありました。立ち読みをし、思わずその内容に引きつけられて購入。直後の1時間ほどで読んでしまいました。対話型式の読みやすい本です。心の取扱いについて身近に感じられました。この頃の私の気分をうまく説明してくれる本でした。

   鈴木博   「自分が源泉」(創元社)
 ついに、読みました。というのは、発売直後に立ち読みして内容の濃さに気をひかれ、いつかは読みたいと思っていました。今月、ある人の講演にて著者の名前が出てきて、読書欲を刺激されたのです。書かれていることのうち、いくつかのささやかな実践をし始めました。

  吉田典生   「なぜ「できる人」は「できる人」を育てられないのか」(日本実業出版社)
 この本も以前から書店でよく見かけていましたが、表題が気にいらなかったので遠慮していまし。古書店で手にとって読んでいると、引き込まれ購入してしまいました。他人のありのままを受け入れること、それが「できる人」は往々にしてできていないことに気がつかない、といったことが具体的に書かれています。人を受け入れることの感覚をきちんとつかむことの大切さ、改めて確認できました。

 最近の読書傾向です。心理学の理論と実践、そのようなテーマでまとまりそうです。人と向かい合う時に、私自身がどのような人であり得るのか、それが試されることが多いのです。社外の人との交渉の場でも、そして子供たち、保護者の方との向かい合いでも試されます。(そう思うのです。)

 このような試み(読書をして学んだことを取り入れて生きていく)を繰り返して、習慣にしていきたいと思います。ああでもない、こうでもないと試行錯誤しつつ、つかみ取るのです。

夢から・不安・祈り

夢からコンプレックスを感じている超介です。

 夢をみました。

 周囲は見覚えのない顔の人ばかり(私より若い、後輩の大学生)のいる大学内を歩いています。私は大学を卒業できない不安に捉われていました。

 大講義室で語学の授業があるのですが、ほとんど欠席していて最後のコマのほうで授業に出ているのです。思い出すと他の実験等の授業にも出ていないことに気がついて、途方に暮れています。

 なぜか夫婦で大学の寮らしき建物に引っ越してきて、私はベランダでたくさんの本を積み上げています。でもそこは、居住スペースに付随しているのではなくて、別のところに部屋があり他の荷物をそこに置かねばなりません。部屋へ行ってみると、うなぎの寝床のような奥までながい部屋です。家具は見当たりません。薄い青のカーペットが敷いてあります。こんなところに、と茫然としていると、管理人のような女性が、新入居者らしい人と入ってきます。

 どうやら私は部屋を間違えたようです。でも鍵を合わせると、きちんと合うのです。なぜ?と立ちすくんでいます。ここで目が覚めました。

 不安(コンプレックス)なことがあってそれが大学を卒業できないことに投影されているのだろうと。これまでも数回同じように卒業できない夢を見たのです。後半のベランダでの書物の積み上げ、部屋の間違いは初めて見る夢でした。(これは単純に本が多くなり、家人に責められていることからの反映?わかりやすい!)

 私には不安があって、それが何かを邪魔している?! それがこの夢の意味かな?

 「ゲシュタルトの祈り」という詩を思い出しました。

        ゲシュタルトの祈り

    私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
    私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。
    そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
    私は私。あなたはあなた。
    でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
    たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。
                                           フレデリック・パールズ

 「祈り」とパールズがいうように、「私はわたしのために生きる」こと、「あなたがあなたのために生きる」こと、それは生まれつきそうあることが自然とできるのではなくて、「祈って」までも、注力して手に入れることなのでしょう。確かに私たちは、よくよく振り返ってみれば誰かに何かを依存して生きてしまっていて、そのゆえに悩みやら、不安を抱え込んでしまうような、そういう気がします。

 何かを気にして引っ張られている状態が不安を抱いている状態で、それが多くの時だけれども、私は私のために生きる、あなたはあなたのために生きる、それでよいと、ありのままに受け入れることができていれば私の感じているコンプレックス、不安のようなものはきっと・・・・・・。毎日のことをきちんと、区切りをつけて完了させていけば、不安からは自由になれる、そうありたい。

 この詩のように祈ります。

インナーチャイルド

 南の国のホ・オポノポノから学んだこと(超介)

心のどこかに住んでいて
時々顔を出してくる存在
あなたの存在に気がついた日を覚えています

それは遠くではない日のこと
朝ベッドから起きることができなくて
不安と迷いに捉われている時でした
あなたの存在に気がついたのは

今までも確かにいたのだけれど
私があまりにもあなたを無視して
世界に反応してしまっていたので
気がつきませんでした

ごめんなさい
許してください

声に出してそうつぶやいたとき
あなたがいることに気がついたのです

ありがとう
あなたを愛しています

そうつぶやいたとき
私の胸の中に熱いものが流れました

遠い昔の友達に出会った時のようなこころもち
それはひょっとしたら
あなたとの別れが
物心つく前であったからかもしれません

再会できてよかった
いいえ、あなたはいつもそこにいて
ずーと我慢して待ってくれたに違いないけれど

 不安と迷いの雲が晴れ
心は軽くなっていました

熟達する

4キロメートルを32分30秒でウォ―キング+ジョギングするようになった超介です。徐々にジョギングする距離が延びてきてタイムが短縮されてきました。でも、がんばりすぎるともたなくなるのでしばらく32分台前後で11月末まではやろうと思っています。12月頃からは30分未満を目標にしようと。

これは私の生家の周辺です。この山のふもとの小さな集落で生まれて18歳までここで過ごしました。おだやかな丹波山地のなかの小さな谷間の中の集落です。

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ここが遊び場であった近所の神社、蝉の幼虫をとって羽化を観察することが楽しみでした。脱皮すること、変わること。

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知人にレコ―ディングダイエットをやって、見るからに細くなった人がいます。記録すること、自分のやったことを見直すだけでずいぶん人は変われるものですね。

一日のうちに振りかえりの時間をもち、心の見直しをすることの意義を知りました。入浴中にその時間を取ったりする人、就寝前にブランデーをちびちび舐めつつ行う人、朝の散歩を使う人。

私は、意義はわかっていますが、なかなかうまく見直せません。(ということを振り返っています。)その時々で外界と反応してしまっていて、本当に何がしたいのかじっくり考えることをせずにさまざまに歩いてきたような・・・。

そのように反応して生きてきて取得したものがたくさんあります。体験財産はたくさんあります。それでこれからはもう少しゆっくりと熟達していく部分をも、もちたいと感じ始めました。

運動も、勉強も、仕事も、人間関係も少しずつ努力を継続していって力を蓄えていこうと、秋の夜長に欲深く考えています。

物語を創る

4kmを33分台で ウォ―キング+ジョギング している超介です。

18歳の少年と話をする機会がありました。ある私大の法学部を受験するそうです。面接があるので相談に乗ってほしいと知人から依頼があったので、話を聞かせてもらうことにしました。

大学の入学試験の面接など、受けたことも、もちろん面接官になったこともありませんので、質問を想定して答えを一緒に考える30分にすることにしました。

今回の面接の為だけではなく、彼がどのような人生を送るのか、それを深掘りすることができればよいな、と思いつつ質問をしていきます。

法学部を選んだ動機、何を学びたいのか、大学でやりたいこと等々、質問していきます。私が興味を持つのはその理由です。なぜそうするのか、あるいはなぜそう考えるのか等、理由を次々と尋ねて掘り下げていきます。

そうすると、彼のこれまでの体験談が始まり、あった事、その時にどう感じたかを語り始めてくれます。高校で苦労したこと、ある英語の先生との出会い、その先生がどんな人で、どう感じていたか、なぜそう感じたか等々が語られ始めます。開いた質問(わからない人はECTP受けてネ!)をしつつ傾聴していきます。

そして、さらには法律を学ぶ目的。法律を知っていれば生きていく武器になる、彼はそう考えています。職業に結び付けるほど具体的ではなく、現実感は伴っていないようです。

最後の質問はどんな人になりたいか、そのために大学でどのようなことを始めるのか。ここに至るとそれまでの話の中でヒントがたくさん出てきたので、彼と一緒にそれらを組み立てます。大学を選ぶ理由、法学部で何を学ぶか、どんな人になりたいのか、そしてそのために何をするのか等々の一連の物語が形成されます。それを最後に再度繰り返して、確認します。

私は、人が心の中で描いている物語(それは無意識裡にあるかもしれません)を聞くのはとても興味があります。物語を聞くと共感することが多いからです。中には、現実とうまく付き合えていけていない人(問題視されていたり、コミュニケ―ションがうまく取れていない人)の物語は、うまく聞けないこともあります。私の掘り下げが上手にできていないのかもしれません。

コーチはその人(クライアント)が主人公の、自分の(クライアントの)物語を創ることを支援できます。物語は多様です。自分で運んでいくストーリー(物語)を人は自分の手で作ることができます。コーチはそれを支援する人です。

 あなたのスト―リを聴きたい、共感したい、もっとよく話してほしい、一緒に考えましょう、そのように思っています。物語はいかようにも創ることができ、そのように人生を運ぶことができるとそう信じています。

手帳

 超介です。毎朝40分、あるいていましたが走りを一部加え始めました。1kmジョギング+3km歩き から始めています。いま35分かかっています。1年以内に4kmを20分で走れるようにしたいと思います。

今日(9月29日)書店に行くと、もう来年の手帳が売りだされていました。もう、3ヶ月で2011年になるのですね。なんと早い。11月11日(電池の日になっているらしい)で私は55歳、何という・・・。でも、気持ちは30代くらい?(肉体は・・・・・。)

手前の茶色ぽいのが「高橋」の手帳、その向こうのがここ2年間の手帳(時系列で並んでいます)
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 2年ほど前まで、手帳は既製の縦長の茶色の「高橋書店」の手帳を数年間使っていました。それ以降はA6サイズの100円ノートを使い始めています。これはその頃流行った「情報は1冊のノートにまとめなさい」(奥野宣之さん著)だったか、それに影響されて始めました。2冊組み合わせたものを輪ゴム、紙の帯でつないでブックカバーをかぶせて使っています。1冊はなんでも帳(黒色)もう1冊は目標手帳(青色)です。計4冊の100円ノートが同時に稼働しています。

かばんの中にいつも入れている手帳2冊と道具類、これにカメラ 、ペンケース、携帯など
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  なんでも帳(黒色)には日々の買い物レシートの添付、気になる記事、思いつきメモ、会議メモ、約束、スケジュール等々がごちゃごちゃとあります、これが前半の1冊。後半1冊は長期間、保持しておきたい情報(家族の電話番号とか、住所、それから覚えておきたい文章(お経とかも))等の重要情報中心です。それで前半は2ヶ月で新しくなります。後半は1年以上は同じものが続きます。

       なんでも書きます、貼りますなんでも帳
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 目標手帳(青色)も前半1冊は読書手帳です。読み終えた本の情報、買いたい本のメモ、気になる言葉の抜き書き帳です。後半の1冊が本来の目標手帳、といっても目下の目標、それを崩したものが書いてあって、他のページは1日1ページ枚にその日にやる目標(すなわち仕事)がメモられています。これは仕事をする前に書くことをルールとしています。ただし、私事も入れてあります。毎日の習慣にしたい事柄は月別スケジュールに欄がとってあって、できた、できなかったかを○、×でつけています。もう習慣化すれば外して新しい項目を入れます。

       目標手帳、前半は読書ノート(左)後半は目標(右)(・日々の仕事まで)
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 机上の書見台にこの手帳を当日分の場所を広げ、それをちらちら見ながら仕事を進めます。この2冊の手帳になんでも入れ込んであるので、安心。記憶にエネルギーを奪われたくない人はこんな手帳を用意すると便利です。なかに張り付けるスケジュール、業務リスト等のフォームもより使いやすい形に工夫していきます。手帳も進化します。皆さんは手帳はつかっていますか?スケジュール管理、仕事の管理等どうしていますか?

そろそろ3年目に突入ですね!!!

 超介です。

 2008年10月スタートのこのブログ、もうすぐ3年目を迎えるのですね。

 過去の自分の投稿を読み直すと、その時々の気持ちがよみがえります。書くそして投稿させてもらうことで、何かがはっきりしたり、すっきりしたり、少し先が見えたりしたこともありました。

 読んでいただいた皆さん、コメントをいただいた皆さん、本当にありがとうございます。

 「道の駅」は全国に設置されているようですが、私の生まれた丹波市にもあって「おばあちゃんの里」という名前がつけられています。そのお店には近隣の農業を営んでいる人が農作物を毎朝持ち込んでいて、それが結構人気を博しています。一つ一つの販売量は少ないですが、でも結構人気で楽しみにされている方も多いようです。

 私の日記は荒削りの文が多く、読みずらい内容です。今後はもっと、わかりやすく表現することを目標にします。毎日、ブログを開き、誰が何を投稿しているか、コメントは、と楽しみにしています。それぞれの人の日記には特徴があり、読み応え、見ごたえがあります。日々の生活の中で育てた、あるいは見つけた情報にあふれています。まるで、道の駅に持ち込まれた作物のように。

  お客さん、たくさん来てくれればよいですね。

ある日の夢

 超介です。
 
 Gさんの夢日記に刺激を受けました。夢を見たら、メモを取るようにしています。枕元に手帳をおいて置くのです。最近見た夢から、わかりやすいものを一つ紹介します。

 「気心が知れた友人と話をしていました。それから一人で喫茶店のようなところで本を読んでいました。すると、ある男の人が表れて、読んでいる本に興味を示してくれました。私の読んでいる本は「ロンググッドバイ 村上春樹訳」でした。黄色い表紙の少し厚い本です。でもページをめくってそれを見せると、その中身はほとんどは絵、つまりマンガで、ところどころ解説文の文字のみのページがありました。それから、彼と話をします。彼はある人のマネージャーのようなことをやっているそうです。でも、そういった人を支える仕事ばかりではなくて、自分も表に立ちたいと気持ちを打ち明けてくれました。それで私はコーチングをしましょうと申し出たのです。すると彼は手帳を出して見せてくれました。それは普通の大学ノートでしたが、1ページに3コ程度の図が並んでいます。赤、青、黄色等の色で鮮やかに塗られた意味不明の図形です。ぺらぺらとページをめくって見せてくれましたが、思いついた時のメモのような図が、丁寧に収集されているのです。」

 最初に私自身が登場しましたが、ある人のマネージャーも、「私」であると思います。夢の意味を考えていて、そうに違いないと思いついたのです。

 読んでいた小説の中身(絵が多い→マンガ)、コーチング(この場合はセルフコーチング)、その結果、男(実は私)が示した、さまざまな色で塗られた意味不明の図形が収集されたノート(このノートは大切です)。私にとってはピーンと感じるものばかり。それぞれの意味は・・・、私にはそれらが、何を象徴しているか想像がつきます。(冷汗!!)

 私の中の「何者か」が考えたり、感じたりして画像を描いているのです。

だから、夢であっても、リアル(現実に近い)に感じるのです!!

作物育て から 作物育ち (その2)

 生きる力は重要ですが、力は見えません。それらは感じることはできます。電気もエネルギーもそうです。目に見えるわけではないけれど、その効果をそれらが流れている時に感じます。

 だから生物本来の力、というものは目に見えません。でも、たとえばこのブログの「そら日記」で掲載されている「そら」さんの鳥、花、虫たちの写真を見るときに、僕はそれを感じます。皆さんはどうですか?生物本来の持っている力があるように「そら日記」の写真から感じませんか?

 そして、抽象的な大切なものは言葉、写真、絵、工芸品,音楽、それから仕事も、形態はさまざまですが「表現」されないと、みえなくなってしまいます(当たり前ですけど)。それが創造という行為の価値だと思います。

 大切なことは表現され続けないと、伝わっていかないし、存在すらやめてしまう。生物本来の力もそういったもので、それを大切にしていかないと見失われてしまうと、思います。生き物に、無制限な人のエゴにまかせた人工的な手入れをし続けると、見失ってしまうのではないかと、そのように書きました。(9月13日の 超介日記 に)

 生物本来の力を信じた農業(作物育ち)とは、具体的には次のようなことだと思います。日本の伝統的な農業の中で使われる「丹精込めた作物作り」というとき、それは根から茎、葉、花、果実、そして土、気候までも配慮し、種子から発芽して開花、結実するまで、常に「植物全体」に配慮した作物作りということだと思います。これが「作物育ち」を支援する農業「丹精込めた作物作り」だと。つまり存在の承認を大切にする農業が「作物育ち」です。