夜歩くとき(2)

7月下旬の深夜、下弦の月が東の空低く浮かんでいます。大気のにごりと、薄い雲の影響もあって、でしょうか、低空に赤い月、夕焼け空の赤い雲みたいに。
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 《月兎と帝釈天》
 前世に悪事を働き姿を動物に変えられたサルとキツネとウサギが、どうすれば救われて人間に戻れるかを、毎日話をしていたところに、病の老人が現れました。サルは木に上って木の実を老人のためにとり、キツネは川の魚をとってきました。ウサギはもう何もできないので、「私の体を食べてください」といって火中にその身を投げ出したそうです。 老人は実は帝釈天であり、ウサギの献身に対して、黒焦げの体を月に運んでそれに答えたそうです。それ以来、月にウサギの影が現れるようになったとのこと。

 《ウサギの献身》
 献身はそれ以上説明のいらない言葉のうちのひとつです。

 ウサギの献身の寓話は、過去から現在(今も)まで、それぞれの時代に多くの献身が、あったことを示しています。だから伝わっているのだと。  寓話は情報ですが、その意味を思うときコミュニケーションが派生します。過去から現在までの人々の心が献身なる言葉でつながってきます。

《情報とコミュニケーション》 
各国の人は月を見ていろいろな物語を描きます。同じ月、でもその中に、女の人を見たり、蟹を見たりします。目に入ってくるのは光の信号、人の目のレンズをそれが通り、網膜に到達して視神経で電気信号に変わり。(でもここまでは単なる信号)それが、脳のある神経回路をぐるりと回るにいたって突如、月のうえのウサギが表出します。

 同じ話をきいても、意味が立ち上がってくるときと、立ち上がっててこないときがあります。

 立ち上がってくるときに僕ははっとして、それに気がついて、どこかの誰かとコミュニケーションが取れたように、何かを感じます。
  
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いつに間にか、低い空の赤い月は高度を上げて普段の輝きに戻りつつありました。
  今日も0時ころ、木星の横を赤っぽい光を明滅させながら飛行物体が西の空から東の空へわたっていきました。ちょうど何かの流星群の時期であったのでしょう。細い光の糸を一瞬引いて、あっという間に物質から分子に変わっていく流れ星をウォーキング中に5、6個目にしました。

大渦にのまれて(2)

漢字を見ていると、なぜその漢字をそのように書くのか、
その意味がわからなくなったりすることがありませんか。

このように全体として意味のまとまりを持つものが、何か
を契機にまとまりが崩れ去ることを「ゲシュタルト崩壊」と
いうそうです。

環境に大きな変化などがあったときにも、それまでの意識裡
の思考回路が崩れ去ってしまい、不安感のとりこになったり、
精神が分裂したかのような焦燥感にとらわれることがあります。

自分のよりどころがなくなるからなのでしょう。

自由であるとは「随処に主たること」、すなわちいつでもどこで
も自分で考えて判断して行動できることですが、心のなかに
ゲシュタルト崩壊が起こるとそれができなくなります。

信頼できる、親しい人に話を聞いてもらえれば少し和らぐかもしれません。
私は書物から救いのkey word を探します。その言葉は、もとから自分の中
埋まっていることばであり、書籍にほり起こしてもらっているのです。そうで
ないと鍵の言葉になりません。

自分の命の鍵の言葉です。それをしっかりとつかむのです。

あたらしいよりどころをつくるために。

人の成長とは、出来上がったものが根底から崩され、新たな土壌
に新たな骨格の構築物を組み立て、安定したら、さらに崩壊させて、
より堅牢頑固あるいはより柔軟な建物を作る(自由になるともいう)こ
との繰り返しではないでしょうか。

未来につながる崩壊です。

しかしながら、漢字のゲシュタルト崩壊と違って、厄介なことはなぜそんな
気持ちになるのか理解できないし、まるで大渦に巻きこまれているような気持
ちになることです

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夜歩くとき

教育コーチの超介です。

事情があって朝のウォーキングを休んでいましたが、運動不足がたたり、健康診断結果
の数値にアッと驚き、半年振りに再開しました。

都合で夜のウォーキング(といっても日付の変わるミッドナイト頃)です。怪しまれないように
(?)それらしく、腕を振ってしっかり歩くのです。

今頃は月明かりがあるので、街灯のないような川沿いの道も歩きますが、闇夜のときはル
ートを変えて歩きます。

発見したこと
   1.なぞの飛行物体!
      0時前後の夜の空、北北西中空には北斗七星がゆったりと浮かび北極星
     をはさんで北北東には、カシオペア座がWの開いたほうを極に向けて対峙しています。
     たぶん土星か木星でしょう、西のそらたかく明るい惑星が輝いています。
     ちょうど、0時頃、その惑星らしき星の横を赤い光を回転させながら謎の飛行物体が
     毎夜飛んでいくのです。あれは何でしょうか?人工衛星、国際ステーションそれとも・・。

   2.「空気さなぎ」(?)の材料が飛んでいる!  
      歩いていると、身体に細い糸くず状のものが絡みつくのです。きっと1Q84のリトルピ
     ープルが現れて、「空気さなぎ」作っていて、その端糸が飛んでいる・・・・。
      それとも不安な子グモがお尻から糸を出しながらあもなくさまよっている、気まぐれ親
      グモが糸を繰り出し、網を張ろうと勢力争いをしている・・・・・。

   3.街灯に集まる虫がいない!!
      夜の街(といっても田んぼも,樹木もあちこちにあり一級河川もあるあたり)にも虫がいま
      せん。街灯に集まる虫がまったくいないのは・・・・・・。これは本当に大きな変化です。
      虫はいないほうがよいと思われるかもしれませんが、もし虫がいなくなれば果実は実
      りません。
 
   夜歩けば不思議なことがあります。  
  

久しぶりに

ある男性と面談をしました。

悩みを3回ほど聴きました。あることに対して恐怖を感じていて
そのことに直面すると、緊張してパニックになるとのこと。

状況を話してもらっていると、過去の体験を少しずつ話してくれます。
途中から取り留めなく話が進んでいきますが、ジーと傾聴していくと
次第に彼の心の中に少しずつ、何本かのベクトルのようなものが
現れてきます。

それらにレスポンスしながら、さらに話を聴いていきます。
おぼろげながら心が開いて、整いつつあるように感じてきます。

際限なく進むので、
  「時間の制限があるので、現時点での結論を出しませんか」
と促して、明日の行動を決めてもらいました。

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久しぶりに投稿させてもらいました。

再投稿できる物理的環境を準備しました。それから、原稿を書こうと
PCを開きましたが、2週間ほど、今度は言葉が出てきません。

私の辛卯の年、扉を開けたらそこに広がる世界、そこには大きな渦があり、
半年間呑みこまれていました。

ポーという米国の作家の「メールシュトリームにのまれて」のように。
よくよく自分の顔を見てみれば肌はあれ、やつれ、髪も白くなってし
まっています。周囲の世界もよく見れば以前と異なるようでもある。

小説では主人公は樽につかまっていて九死に一生得るのですが、
私は何につかまっていたのでしょうか、それを今考えています。

たぶんそれは「希望」の要素を持つ何かであることは間違いありません。

このように
   「あなたは今、何を感じていますか?」
から、始まり、じっくりと心の奥にあるものと対話して、言葉に出して
味わってみて
   「そうしてあなたは何をしていきたいのですか?」
と進んで、とりとめもない言葉を発しながら、でもさらに心の奥そこへ
焦点をあててていって、しっかりと目指すものを作り出していくのです。
どんなときでも。

夢が50%

 2011年も教育コーチであることを継続する超介です。

 「夢が50%」達成できたということを書こうとしているのではありません。『無意識の世界の記憶には何が必要か?』ということについての問いかけです。

会社に行って仕事をするときも、家事をする時も習慣的に、無意識に行動しています。それを「夢が50%」というように表現しました。50%は適当な数字です。睡眠中は無意識なので夢100%。

 起きている時、夢0%ではありません。無意識な行動がたくさんあるはず。それをざっくり50%であると。その無意識な中に潜んでいるものが厄介なので、それをコントロールする方法を身につけたいと。

記憶をつかって無意識理にある『気分』をコントロールできないのでしょうか。単語、地名の記憶のように『気分』を覚えることができないのでしょうか?覚えることができるならば思い出すことができるので、必要な時に『良い気分』を引き出すこと、これができれば随分生産性が上がるはず。

調子が良い時、悪い時が表れてくるとき、その背景には無意識の世界に潜む気分があり、それをコントロールすることを生き方がうまい人はやっているに違いない、そのように気がついたのです。

2011年は辛卯(かのとう)の年

 あけましておめでとうございます。教育コーチの超介です。
   
  毎年、干支を調べることにしています。(といってもある本からの引用ですが)安岡正篤著『干支の活学』により今年の干支 辛卯(かのとう) について調べます。

 まず『辛』について(同書P116より引用) 

 辛という字は⊥と干と一を組み合わせた文字である。⊥は上を表し干は求める・冒す、一は一陽で、陽エネルギーを表し、人間でいえば男性です。したがって辛は上に向かって求む冒す意味である。今まで下に伏在していた活動エネルギーがいろんな矛盾抑圧を排除して上に発現するという文字であり、したがってそこに矛盾、闘争、犠牲を含むため、つらい、からいということが出てくるわけです。
(一段落略)  
 したがって、今年の辛は庚戊に較べると、意味は一段と深刻切迫であります。昨年を承けて断固として斎戒し自分の心を改めて、自新、更新してゆかねばならない。 
  

 次に『卯』について(同書P178・179より引用)

 『卯』は「畏れ謹んでお互いに助け合って、さらに開発に従事する」という文字です。卯という文字は本来「茆」で<しげる>であり<かや>です。これは開拓しなければならない所を放っておくものですから、草だの萱だのいろいろの草木が生い茂る、その代表が茆です。それでかやという文字になるわけです。卯という文字の真ん中の二本の棒、これは門柱です。古い文字を見るとわかりますが、この外側は本は内側にあったのです。つまり扉で閉め切ってあったわけです。ところが子→丑→寅と来まして、いよいよ新しく積極的に行動、開拓、活動しなければならない。そこで今まで閉じてあった扉を開いた。それがこの卯という字です。扉を開いたその内側に今まで閉じ込められていた未開拓地がある。もちろん草も木も生い茂っているに違いない。その茅や雑草の茂った未開墾地で一番目につくのは何かというと兎であったのでしょう。だからいつ頃か卯が兎になったのもまんざらではない。  

 今年は昨年に引き続いて、より革新・維新が求められる年、そしてそのことにより新しいドアが開き、次なる世界が見える年のようです。努力した結果が見えてきますよ、そのような意味であるようです。もちろんその世界はどのようか、それはどう変わったかによる、とそのように考えます。

 昨年は春からメンタル面でのダメージを大きく受けた年でした。それは様々な事柄との出会いで潜り抜けることができました。過ぎ去っていけばその潜り抜けたことの意味がわかりました。考え方が切り替わる、切り替えることができました。その時の意識のイメージをしっかりと刻むことができました。

 この世界には階層構造があり、修行を積めばその一つ一つの階層を乗り越えることができるようになる、自由になることができることを知りました。それが新しい世界が見えることの意味であると思います。もう20年以上も前に、ある人はそのことを『意識革命』といって私に教えてくれました。最近知り得た言葉の『抽象化能力を高めること』(いわゆる苫米地本に繰り返して書いてあります)と同意だと思います。

 辛卯の年を、<ある重い階層にいよいよ迫られる年、さらなる『意識革命』を起こして乗り越え、次なる世界に踏み出せ>私はそのように解釈します。

 年明けから、長々と書いた文にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。今年こそ、より皆さんに伝わるメッセージになるように精進して書いていきたいと思っています。

2010年度、出会いの振り返り

 今年の出会いを振り返る 教育コーチの超介 です。

 いろいろな縁との出会いが私という現象を作り上げていきます。すれ違いもありますが、意識していれば、そこここに意味を見つけることができます。感情が波打ち、魂がゆすぶられ、想起する想いが心に刻み込まれ、 人生が造型されていきます。大変つらいこととの出会いもありましたが、それも2010年に彩りを与えてくれた出 会いの一つとなっています。

 2010年の出会いは2009年よりは派手さはなかったように思います。思いつくまま、振り返りたいと思います。

1.義父の逝去
 近しい人の逝去は、亡くなっていく人が自分にとってどうであったかを新たに考える機会でもあり、その意味で出会いです。『人生に思い残すことはない』といって逝った義父でした。

2.手術(胆石)
 数年間の腹部の激痛の原因がわかり、解決することができました。時限爆弾の ように突如、 暴走する痛みに終止符を打てました。最大で指の先程の石が4つほど出てきました。1週間 に満たない入院ではありましたが、医療従事者の方たちの献身的な姿勢に感動しました。

3.カウンセリング
 カウンセリングのセミナー(基本的な考え方)を今年は4回計8時間程度受けることができました。カウンセリングの入門書、心理学、脳科学に関する書籍も読み込みました。春先のメンタル面での落ち込みを機会に、すがるように振り返りの時間を取り、セミナー内容を復習したり、書物に答えを探しました。ある日『考えの切り替え』に気がつき始め、徐々に回復しました。そ のきっかけがセルフカウンセリングでした。

4.目標ノ―ト
 長期的目標から、中期的目標、毎日の目標を1冊にまとめることを7月から始めました。2冊目に入りました。長期的目標は現在18項目ですが、お正月中にあと82項目増やして100項目にします。毎日の目標も重要度、緊急度それぞれ高低に分類し4分野に分けて表現するようにしています。進化するノ―トです。

5.人との出会い
 さまざまな人と出会った1年でした。前の年と同じ程度の出会いの機会であったかもしれませんが、気がつくことが増えたように思うのです。出会いノ―トを作っていきたいと、そのように 思います。読書ノ―トのように。

6.本との出会い
 今年はざっと数えてみて160冊ばかりの本を読みました。印象に残っている本は「ビジネス頭を作る7つのフレームワーク力(勝間和代著)」「ハチはなぜ大量死したか(ローワン・ジョイコブセン)」「モチベーション3.0(ダニエルピンク)」「自分が源泉(鈴木博)」「はじめてのカウンセリング入門上下(諸富祥彦)」「心がふっと軽くなる「瞬間の心理学」(名越康文)」「ユング心理学入門(河合準)」「これからの思考の教科書(酒井穣)」等々ですが、いずれも後半に読んだ本が多くなりました。前半は気持ちに余裕がなく読み込めなかったのです。わゆる「苫米地本」も15冊ほど読みました。最初はそのぶっ飛んだような風に感じていましたが、何冊か読みこんでいくうちに、少しずつ理解が進みました。
  
 ざっと書いてみましたが、やはり、本ほどたくさんの出会いを与えてくれるものはありません。読み方次第でその出会いがさらに立体的になります。より活きた知識になる読書が課題です。

みなさん、今年はどんな2010年でしたか?

白日夢

 無意識の世界に気がついた教育コーチの超介です。

 

夢をみてその意味するところを考えるようになりました。覚えている時はメモをし
ますが、就寝中に見る夢は覚えていないことが多いようです。断片的ではあり ますがストーリーがあります。

 

ストーリーがない、ワンカットの夢を見ることがありませんか?一瞬、時間にすれ
ば0.1秒もないのではないでしょうか、意識が切れて(眠ったようになって)その時 に夢を見るのです。ウトウトした時にね。この夢は意味がわからないものばかり。 妄想です。

 

この10日間ほどで記録しているものは

1.30年ほど前に釣りに行ったことのある池の水際。
    赤茶けた手のひらくらいの板が3,4枚紐につながれたまま浮かんでいます。

2.長い黒髪の白い和服姿の女性が立っています。後ろで髪を束ねています。
    (平安朝の女性?)。顔はわかりません。

3.深い井戸があって、つるべが落下していきます。

4.深夜の公園で、月明かりの下、男が地面にさかさまになって地面に突き刺さっ
     ています。2本の足が空に向かって逆さに立っています。

     1本は折れ曲がっています。
     胴体から上は土の中にあるのです。

  これらは数日間の隔たりがありますから、意味のつながりのようなものは無い
と思います。
一体、無意識の世界では何が起こっているのでしょう?
本人の知らない間に脳の中に様々な事象が想起されている?

別れの季節(1)

 別れの季節に 戸惑う 教育コーチの超介です。

 新しい道を歩き出すあなたへ(感謝を伝える)

教室運営を
意欲的に引きうけてくれて
ありがとう。

ワード、エクセル、パワーポイントの
手ほどきをしてくれて
ありがとう。

教室の閉鎖が決まった時、
(株式会社ですから仕方がないのですが
それはもちろんつらいことでしたから
泣きましたね)
でもいやな顔一つせずに、会員から、
講師のことまで全部引き受け、
こなしてくれて
ありがとう。

部門移動を快く引き受け、
それまでの経験が生かせると、
意欲を見せてくれて
ありがとう。

それまでの経験と、
新たな学びを続けて、
業務に挑戦し
遺漏なく全うしてくれて
ありがとう。

誰彼、区別なく
出会えばいつも明るい声で、
笑顔で応対してくれて
ありがとう。

電話の声もいつも元気よく、
明るい声で話してくれて
ありがとう。

(あなたがここからいなくなることは大変残念です。
株式会社でのお仕事、お疲れさまでした。)

難関の国家資格合格
おめでとう。

実は自宅で毎日5時間ほど3年間も勉強していたのですね。
そのような苦労を一切見せず、合格!
爽やかな感動を
ありがとう!

新たな道へのスタート
おめでとう。

わかるということ(3)

時間の流れについて考える教育コーチの超介です。

   【過去は化石だ。それまでの時間が、その後の時間に影響を与えるという考え自体、化石にとらわれている。】

 Gさんの読書日記(12月19日)の、小説からの引用文を読んで、いま読んでいる本に繰り返しでてくる時間は
          「未来」→「現在」→「過去」
とながれる、という意味を考え始めました。「情報空間」においては時間もその次元の一つにすぎないといいます。宇宙の果てにある星雲、星団の光は何十億年、一番遠いところからは百三十億年もかけて私たちの目に届いています。(望遠鏡を通じて光を集めて、時間をかけて集積させて目に見える像として、見ています。)そして私たちはその事がわかっています。

 情報空間の時間軸百三十億年前の目盛の位置にある姿であるとわかっているのです。地球暦2010 年の今はどうなっているかはわかりませんが、2010 年の目盛の位置の事象であることはわかっています。

 極端な例でしたが、「情報空間」を舞台に思考すれば、未来から現在そして過去へと時間が流れるように生きていくことが可能です。今から見れば過去にあったことの意味がよくわかる、といった経験はほとんどの人が持っているのではないでしょうか。

 「情報空間」において私たちの生身の人間が見える世界は限定されてはいます。でも、「情報空間」がわかるのとわからないのでは生き方が異なってきます。(と思います。)見える世界の中で、やりたいこと、望み、等々のフレームをもって日常を生きれば、未来の断片が見えてきます。未来はそこにあるのです。時間は「未来」から「現在」そして「過去」へと流れるのです。夢、目的、目標の有する役割が浮き上がってきます。