7月下旬の深夜、下弦の月が東の空低く浮かんでいます。大気のにごりと、薄い雲の影響もあって、でしょうか、低空に赤い月、夕焼け空の赤い雲みたいに。
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《月兎と帝釈天》
前世に悪事を働き姿を動物に変えられたサルとキツネとウサギが、どうすれば救われて人間に戻れるかを、毎日話をしていたところに、病の老人が現れました。サルは木に上って木の実を老人のためにとり、キツネは川の魚をとってきました。ウサギはもう何もできないので、「私の体を食べてください」といって火中にその身を投げ出したそうです。 老人は実は帝釈天であり、ウサギの献身に対して、黒焦げの体を月に運んでそれに答えたそうです。それ以来、月にウサギの影が現れるようになったとのこと。
《ウサギの献身》
献身はそれ以上説明のいらない言葉のうちのひとつです。
ウサギの献身の寓話は、過去から現在(今も)まで、それぞれの時代に多くの献身が、あったことを示しています。だから伝わっているのだと。 寓話は情報ですが、その意味を思うときコミュニケーションが派生します。過去から現在までの人々の心が献身なる言葉でつながってきます。
《情報とコミュニケーション》
各国の人は月を見ていろいろな物語を描きます。同じ月、でもその中に、女の人を見たり、蟹を見たりします。目に入ってくるのは光の信号、人の目のレンズをそれが通り、網膜に到達して視神経で電気信号に変わり。(でもここまでは単なる信号)それが、脳のある神経回路をぐるりと回るにいたって突如、月のうえのウサギが表出します。
同じ話をきいても、意味が立ち上がってくるときと、立ち上がっててこないときがあります。
立ち上がってくるときに僕ははっとして、それに気がついて、どこかの誰かとコミュニケーションが取れたように、何かを感じます。
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いつに間にか、低い空の赤い月は高度を上げて普段の輝きに戻りつつありました。
今日も0時ころ、木星の横を赤っぽい光を明滅させながら飛行物体が西の空から東の空へわたっていきました。ちょうど何かの流星群の時期であったのでしょう。細い光の糸を一瞬引いて、あっという間に物質から分子に変わっていく流れ星をウォーキング中に5、6個目にしました。