出会い(その1)

超介です。 

ふるさとへ帰り農作業をしてきました。26アールと17アール合計43アールの稲を刈りました。昨年は26アールの田から2トンほどの生モミを収穫、今年は1.7トンほどの収穫。水分が今年は少なかったようです。昨年比ほど収穫量が減ったわけではありません。
 こちらは小さいほうの田んぼ16アール(16m×100m=1600m2)です。null
 
 こんな風にコンバインで刈り取り、軽トラックにしつらえた運搬具に生もみを入れてライスセンターやら自宅の乾燥機に運びます。null

 (田んぼでの出会い)可憐なつゆくさの花  寝床を追い出される直前のバッタ(キリギリス?の子)、トノサマガエルの子(土色です。わかるかな?)
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稲を刈っていくと、上の写真のように、小さな生き物に出会います。圃場整理がなされるまでは、小さなねずみの巣があったり鳥の巣にを見つけたりしました。何がいるのかと、楽しみでした。ピンク色の小さなねずみの子ー体内がうっすら見えそうなほどのーを手のうえにのせたこともあります。

ふるさとへの往路のサービスエリアで、ヒッチハイクをしている青年と出会いました。4日間、学校が休みになったので、高知から友人のいる京都まで会いに行くことを思いついたそうです。高校を中退して上京して働き、世界を見ようとインドに行き2ヶ月ほどすごし、大阪に戻り数年間、大道具(舞台装置の)つくりの仕事をしていたとのこと。事情があってふるさとに戻ったとのこと。技術を身に付けるべく職業訓練校に入っているそうです。

 礼儀正しい青年でした。いろいろと語ってくれた彼の人生は波乱万丈で苦しい人生に思いましたが、いたって明るく語ります。「特に、インドに行ってから物事に動じることが少なくなったような気がします。」といっていました。

 秋の田んぼの小動物はある日突然、住処を追われ新たな環境に出会いました。青年はふるさとを離れ、さまざまな出来事と出会い変身しつつある姿を語ってくれました。

 出会いには意味があります。成長のきっかけになる出会いを求めていきたいと思います。

書くことについて(その3:ラブレター)

超介です。

 ラブレターほど、相手に伝えたい思いを書く文章はない。自分の気持ちを確かめつつ、知りうる限りの言葉、時には他人の文書や辞書を引きながらつづる。古人であれば歌を贈ったり、今であれば、メールであるかもしれない。僕の時代はラブレターであった。

 中学生のとき、初めてそれを書いた。入学式のときみてどきんとした子だった。相手に電話をして呼び出し、ささやかなプレゼントとともに渡そうとしたが、何かの理由で渡しきれなかった。私の家と、彼女の家は低い山脈を隔て位置していた。何十年か前に、その山脈を越える峠の辺りが切り開かれ道ができた。その道の手前に川がながれていて、橋のあたりに堰がある。ごうごうと流れる川に、橋のうえから渡せなかった手紙をちぎってばらまいた。

 ほんの1分にも満たない程度の短時間であったが、ぽろりと涙を出したような気がする。思い切って書いた手紙の内容は忘れたけれど、書いてすっきりした。記憶に残っている限りではあるが、自分の気持ちを強制されずに表現した初めての文章だと思う。

 その当時は今ほどたくさん言葉をもっていなかったけれど、思い出して書き出すと生々しく感じる事柄がたくさん出てきそうだ。きっと誰でもそうだと思うが、思い出にはドラマがいっぱいある。

 いつでもそうはできないけれど、時には会話も文を書くことも、気持ちをじっくり味わいながら行いたい。自分の気持ちを自分の言葉で話したり、つづることはたのしい。建前だけの言葉で生きていくと、自分を見失う。それで後悔したこともたくさんあります。

 皆さんはどんなラブレターを書きましたか?あるいは書きますか?
  

書くことについて(その2:ある日のセルフコーチング)

超介です。
ある朝起きると気分が悪く、頭が重いのです。いろいろとやるべきことが走馬灯のように駆け巡り憂鬱です。のろのろと朝の支度をし、会社に向かいます。
気分が依然とすぐれないので、途中で喫茶店によりコーヒーを注文し、それから、ノートを開いて
「気分が悪い、頭もはっきりしない。いろいろ気になる。」
と、ノートの左半分の一番上に書きます。そこから気になっていることを右半分に上から書き出していきます。たとえば、次のようになります。
(以下フィクションです。事実と右側には気持ちも書きます。この気持ちにゆがみが出   
                             ることが多いのです。)
1.業者へ発注する仕事の仕様変更が必要:嫌がられるかも
2.部門の売り上げが昨年より相当悪い:このままでは部門閉鎖か。
3.子供が昨夜は帰宅していない:悪い友達に振り回されている?
4.部下のRの就業態度が上長には悪評価のようだ:私に指導がくるかも
5.実家の両親が週末にはかえってきてほしいといっている:休みたい、疲れる
6.次月から1名アルバイトを契約解除して人件費を削減:文句を言うだろうな
7.宅建資格の更新に費用が2万円ほど必要:またお金がいる、家計が苦しいのに
8.全体に体がだるい、運動をしていない:時間と気力がない
9.8,9月は読書量が激減した:勉強のやり方を変えるべきなのか
10.仕事の整理ができていないので、能率が悪い:このままでは
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このようにして書き出していくと、胸のむかつき、頭のふらつきはだいぶ取れてきます。そして、それぞれの項目の横に矢印を引いて分析やら対策やらを書き込みます。
1.→時間の都合を聞いて訪問し、状況を説明して依頼すること。
   ポイントは ?社内事情の説明 ?私の考え だな。
2.→今年度の見通しのまとめをする。そのためには情報を集める。
   必要な情報は?同業者の動き  ?お客の変化
   これの私見をまとめて、部門内メンバーに送り他の情報と対応策を求めよう。
   それが次の会議のテーマだ。
3.→メ−ルをうっておこう。「どうしている?大丈夫か?」
4.→悪評価と感じたのは→Sの発言→Sに再度詳しく聞く、それから動くこと。
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このように書いていくと頭はどんどんすっきりして体が動きやすくなります。ノートを右と左の欄にわけて表記していくのでダブルカラム法、というようです。私の場合は、出社してから、手帳に上記の作業項目を日割りしながら記入します。どんどん迫ってくる他部署からの仕事、外部からの仕事も随時重ねて手帳に入れ込んでおきます。
 これが私の目標手帳の中味になります。こなしていきます。できたら赤線で消去。
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 コーチングでいうところのチャンクをほどく、と一緒です。
心理学の範疇ではこのように書いて、考えてゆがみをなくしていくことを、論理療法とか認知療法とかいうようです。悪感情の原因は非論理的思考、非合理的思考であるので、これを論理的思考、合理的思考に書き換えればそれらが雲散霧消する、というわけです。
そうです。「書き換える」。このためにノートに書いてみるのです。自分で書いてみて(話すと同じ)ジーと見つめる(沈黙を大切にする)、そして考えていくと「気づき」がうまれ、それをさらに「書く。さらに繰り返していくと行動すべき内容が見えてきます。
これらはノートとペンだけでよいので経済的!!安上がり。
 お悩みの方、ぜひやってみてください。 
   

書くことについて

超介です。

起こっていることはひとつ、事実はひとつ(であろうと思われる)
であるのに受け止め方は人それぞれである。

一つの事象がが起こってそのことを受け止めるとき、
時には愉快でない、不愉快な気分に落ち込むことがある。

それは「考えかた」 がそこに介在するからである。その考えかたに
偏りがあったりすると、感じ方も受け入れがたくなる。不愉快になったり
不安になったりするのだ。

そんなときのためにコーチやら、カウンセラーやが機能する。

素直に事実をそのまま受け取れる人は
どんどん挑戦的に生きているのではないだろうか。
うらやましい!

「認知のゆがみ」によくとらわれる。
僕のとらわれの多いパターンは「心のフィルター」だ。
たった一つの出来事が心を重くし、世界を暗く見てしまうことが多い。
まるで一滴のインクがおちてコップの中が黒くなるみたいに。

ゆがみをなくすための一つの方法が書くことだ
事実を書く、この場合の事実とは出来事と自分の感じたことだ。
ノートにこんなふうに書く。
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事実を書いてそれから分析をする。
矢印を引いて、そこからなぜそうなのか、とか正しいかどうか
とかどんどん矢印を引いて書き足す。

そのときに役立つのが「認知のゆがみ」パターンだ。
人が陥りやすいゆがみの型はよく研究されている。
それを虫眼鏡みたいにつかって考え方を正しくしていく。

素直な自分になれる。

ふるさと丹波から(その3の追加+α)

「・・・さよならだけが人生だ」というフレーズは中学校の同窓生からのメールが引き金になっ
って浮かんできました。

ふるさとをはなれて40年近くたち、帰郷するたびに変わっていく風景やら、近所のあるいは
両親の姿が思い浮かびます。

仕事やら家族やらとの関係もどんどん変わっていき、僕は今どこに行こうとしているのか。
このフレーズは、そのような振り返りのドライバーのような働きをしました。

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8月は休みも多くあってたくさん本が読めそうなきがしましたが、4冊ほどしか読めませんでした。
でも素敵な本と出会いました。古書店で見つけた分厚い(770ページほどあります)本です。4000円近くする本ですが定価の1/2で買うことができました。
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考え方と行動を変えることにより感情も生理的反応もコントロールできるということを学びましたが、そのことをより具体的に説明してあります。デビッド・バーンズの「いやな気分よさようなら」という本です。ゆがんだ認知をとらえ、合理的な考え方に変えていく具体例がたくさん示してあります。

気分がすぐれないときに、それをノートに書いて、その理由を書き進めたり、認知のゆがみに
留意して分析したりして合理的な内容に書き換えていくのです。セルフコーチングと同じです。

ふるさと丹波から(その3)

教育コーチの超介です。

「・・・・・さよならだけが人生だ!」
この・・・・にみなさんはどんなフレーズをいれますか?

丹波市から高速にのって(僕の車はあちこち傷はありますが、漆黒のトヨタのWISHプレートNOは1111です。)舞鶴道、中国道、播但道、山陽道、瀬戸大橋、高松道、松山道とおよそ380kmを駆け抜け四国松山市に戻りました。

その途上、瀬戸大橋線のサービスエリア(与島)の店内でこのPCを開いた時、中学校の同窓生からのメールが届いていたのに気がつきました。

もう数年で「アラ環世代」の彼・彼女らに、私の近況と「帰るよ」とメッセージをおくっていたのですが、その返事をいただいたのです。彼女もちょうど同じ頃、帰郷、ここ2年ほどで 今生の別れ となったご両親の墓前にお参りしたとのこと。

私は、墓前に向かい手をとじる彼女の姿が目に浮かび、そして50年ほど前のお父様のご様子を思い出し(私が小学校に上がる前の頃でした。ある特殊な仕事につかれていた、当時30代のそのお父様の仕事の様子を思い出したのです)一つ、二つの文を記述し、返信しました。直後に再返信があり「懐かしい父の姿、ありがとう」の感謝と、遠距離の移動の私へのねぎらいをもらいました。

そのときに冒頭の「・・・・さよならだけが人生だ!」というフレーズが、僕の心にたまらない切なさを伴って浮かんでたのです。

松山まで、ハンドルを握りつつその言葉を繰り返していました。

親と子はそれぞれの親と子(親とだけの人もありますが)といつかは必ず今生の別れを持ちます。
もうそれは宿命です。世界は 別れ であふれかえっています。親と子、夫婦、兄弟、恋人、友人、知人、見知らぬ人とも、愛していても、憎しみあっていても、知らぬ仲でも必ず別れます。

でも、同時に、別れがあるということは「出会い」も同じ数だけあるのです。「・・・・・さよならだけが人生だ」が切なく響くのは出会いから別れまでの、その間に意味があるからなのです。きっとそうだと思います。

ふるさと丹波から(その2)

ふるさと丹波で夏祭りにいき童心にかえりました。そこは 四十戸ほどの小さな集落です。
私がすんでいたころは小学生が20人ほどもいましたが、40年後の今は数人しかいません。

それでもお盆になれば、里帰りをする人の家族たちでにぎわう夏祭り。子供も20数人はいます。
40年ほど前の子供たち(つまり今は50代の大人たち)が中心になって盛り上げてくれました。

ホールインワンゲーム、牛乳瓶のふた飛ばし、ビンゴゲーム、花火大(小?)会・・・
幼馴染と今年も話ができました 
「小さいころはやせっぽちだったのに貫禄が出てきたね。」
(そう、昔の僕とは違うよ・・・)など思ったり。

お盆前には生家の庭木の枝を打ち払い、さっぱりと。
緑と空の青さが際立つようになりました。

13,14日は御詠歌をあげたり、お寺さんに来ていただき仏事をこなします。

お盆明けには、秋に向けて農機具(コンバインとトラクター)の手入れを済ませました。
(年老いた両親の未完了の仕事になっていたようです。)

(松山の)自宅に山積みになっていて、
そのままであれば古書店に行ってしまう運命の本を救うべく
(家人には)こっそりと帰省毎に生家に持ち帰り、2階の書棚に並べ、
ゆりいすをおいて、そこで読書にふけります。
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ふるさとでは、活性化のためのさまざまなイベントが行われていて、
めぐっていくといろいろ発見があります。

丹波竜を見にいきました。2006年に恐竜の化石が発見された町、残念ながら
その日は展示場所等がお休みでした。
それで、化石を探した後の石を拾ってきました。つめの先ほどの小さな化石も見逃すまいと
細かく砕かれて数ミリサイズになっています。

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左がその石、つまり恐竜がのし歩いていた時代の土の化石、今から7000万年前から
1億数千万年前の時代、悠久の時の流れの、針の先の先の・・・・先っちょ数十年のわが身。
逆に、そのわが身を構成する分子、原子をさかのぼり、さかのぼりすれば、悠久のときを越え恐竜の時代のこの土とつながっています。

そのことを考え始めるといつしか思考は浄化され意識がどこかに・・・・・・。

ふるさと丹波から

休みに入り、丹波にかえっています。

暑い日が続いています。生家は今は農機具類の倉庫等に使っています。里山はすぐそこ、今年はサルが数十匹あらわれたそうです。生家の庭先のグミは彼らのデザートになってしまったそうです。おおぶりの真っ赤なおいし実だったはずなのです。

近くの柏の木にはカブトムシが蜜を吸いにきていました。捕まえると角をぐいぐいふり、鋭いつめで抵抗します。右側の甲に傷がある若武者カブト。
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夕方、散歩に出かけ、桜並木でセミの大合唱に出会い、こっそり近寄って何匹か捕まえました。
アブラゼミとニイニイゼミと、なんとヒグラシも捕まえることができました。ヒグラシは山の中で木々の高いところにいて捕まえるのはむずかしいのです。カナカナカナ・・・・・という鳴き声はよく聞くのですが姿を見つけたり捕まえたりはむずかしかったのです。
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神社にはいると地面にたくさんのセミの抜け穴がありました。これも昔と変わりません。

朝は母に同行して、道の駅に少しばかりの唐辛子となすびを出荷しました。開店前ですが、新鮮な野菜やら花を求めて多くの買い物客でにぎわっています。nullnull

サバイバル(その2)

 我が家の小さな庭で初めてセミの抜け殻を見つけました。庭といっても敷地の北西隅の2,3畳ほどの土地です。そこには13年ほど前に植えた椿の木、もみじ、7年ほど前に植えたイチョウ、5年ほど前に丹波から持ち帰ったサンショの木、そしてどこからか飛んできたのか、鳥に運ばれてきたのかヒイラギと大人の腕ほどに育った広葉樹(名前は調べていません)があります。null

 今年はセミがたくさんいるような気がします。最近虫が少なくなったなあ、と感じていましたが、今夏のセミはそうでもないようですね。小さな私の自宅の庭でも初めての羽化の証拠を見ることができました。ほんの少しの土地の小さな木にセミが卵を産み、幼虫が地中に下りて、数年たって地上に現れ羽化したのです。命の循環を感じました。

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 「カールロジャーズ入門 自分が自分になるということ」(諸富祥彦 星雲社)という本を読みました。その中に「自分が”自分”になるということ(第2章)」があります。この30ページほどの部分は私にとってのサバイバルの術となる内容でした。その章の内容の見出しを一部書き出しますと次のようです。null

 現代人の自分喪失のプロセス/自分探しの時代/自分らしく生きるための心理学/自らの実感を頼りに生きるべし/人は、他者との関係において初めて自分自身になれる/私の気づき体験/人は他者との関係において初めてひとりになれる/・・・・・・/心のメッセージを聴く/クライエントのクライエント、生きているそれ/自分自身になる瞬間/・・・・・・・  

 ここに書いてあるのは知識ですが、現代人がとらわれがちな迷いの、大渦にのまれているときの、生きるための、少なくともガイド(理論)にはなると思いました。もちろん、その具体化、実践がコーチングであり、カウンセリングであるのですが。

 人が成長する瞬間の実感(つまり自分が成長したと思える実感)そして、その構造がわか
るのです。セミが殻を脱いで変身するように、次のステップに移りサバイバルしていく術の理論です
  
 人の心が見える神の視点があれば、この時代は、現実の戦場以上に荒涼とした風景に見えるのではないでしょうか。世界で1年間に自死する人は100万人以上、戦争で死ぬ人以上の人が自死しているのですから。

 生き残っていくサバイバルとしての術がもっと公開、提示されるべきかと。

サバイバル

 新たな職場環境に移り、少しなれて業務をこなしているうちに、仕事のやりがい、実感を見失いつつありました。

このブログでも取り上げられたドラッガーのマネジメント(エッセンシャル版です)を3週間ほど前に読みました。

「しかし、学ぶことのできない資質、後天的に獲得することができない資質、始めから身につけていなければならない資質が、一つだけある。才能ではない。真摯さである。」という文に出会い、目が覚めました。少し大げさかもしれませんが、「命の鍵となる言葉」と感じました。自分の人生をマネージできるのはその人自身ですから、これは万人に有効な言葉です。

 それ以来、迷い、もやもやが飛んでいって仕事をこなすスピードが速くなりました。「おまえは今、その活動に対して真摯であるか?」と問いかけるのです。苦手な仕事、対人関係においてもより正面から対峙できるようになりました。
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1週間ほど前に、「前向き思考の見つけ方」(マーシャル・ゴールドスミス)という本をを見つけました。その中で「モジョ」なる言葉に出会いました。
 
 モジョ」の便宜上の定義をマーシャルゴール・ドスミスはこのように書いています。

   今
   自分がしていることに
   前向きな気持ちを持つこと
   それは自分の心のうちから始まり
   外へ輝き出るものだ 

 そして:著者は、 次のようにモジョについてのべていますます。

     責任をとる 前進する 一歩進んでやる 人に感動を与 える 感謝の気持ちを   持つ 好奇心が 強い 人に気を配る 人生に情熱を持つ 活気 がある
 
 
さらに、日々の活動一つ一つについて評価の観点を10項目いれたスコアカードを作り、モジョの度合いを測定する方 法を示しています。私も作って「目標手帳」にはって使い始めました。

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  左側がモジョスコアカード、評価項目が10個あるので横に長くなっています。その右側はある日の目標を記入した目標ノート(1日にやりたい活動のリスト)です。

これは日々の活動に10この焦点を当て、評価し、モジョ度を上げていく方法です。日々の自分の活動の中に意義を見出していく方法です。やってみませんか?閉塞的(と感じてしまっている)な状況をぶち破り、サバイバルできます。