厳寒、春よ こい!

 超介です。

 厳寒中、ピラカンサの実が、映えています。枝と葉ばかりのもありますが、多くの庭木やら街路樹のそれには赤い粒が房状に鈴生り、花が少ない今、人目を引いています。実がない、枝と葉ばかりのものは鳥がついばんだあと、それはピラカンサの本来の戦略目的を達成した成果です。

 秋から冬にかけての長期間、こぼれんばかりの赤い実をつけているのは、人様の視覚に訴えるのが狙いではなく、飢えた鳥達の食事となり、その体内にはいり、運搬され、しかるべくところで播種してもらって子孫を増やすのが狙い。

 松山の椿祭りは1月30日〜2月1日の3日間でした。椿さんの時期がいちばん寒い、ということは、この後、春きたる、となるのです。春よ、来い! はーるよ こい!最終日の23時(この時刻で屋台は撤去)少し前、参拝にいきました。車両規制され、両脇にぎっしりと屋台が出ている参道、さまざま店のネタをひやかし見ながら、数百メートル歩いて社に到着。奉納ちょうちんでいっぱいの門をくぐり石段を二、三十段あがって拝殿に向かい、小銭を投げ入れ、鈴の綱をふり、手を合わせ、心を集中します。 
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 商売繁盛の神様ですが、この身すべてよろしくと、心をこめて全部お願いしてきました。それから、左手に向かい本殿を取り巻く回廊を通って右手から出ます。、その間、縦横1メートルくらいの大きさの12枚の絵馬やら、おみくじを引いてそれを引っ掛けるところ、それからこの神社にちなんだ「○○つばき」なるお飾り(?)—–これは1年もの、1年経てば又神社に戻します。愛嬌があって評判—–などたくさんあってこれらを見ておわれば、椿神社参拝の主たる行動はおしまいです。
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神様に(あてにはならないことがわかっていて)何万人もの人々が手を合わせていくのは(私は痛い身体を引きづって・・・・・右腰の関節が炎症、左足はかかとの皮膚をいため、歩行が億劫な状態・・・・)心の底の方では、祈ることに何かの意味を見ているからだと思います。

私の場合は、神様はすべてお見通しであるとし、考えずに心を集中させ、すべてお願いします。それで良し、具体的なことをごちゃごちゃいうのもせこい気がするので。神社に行ってお賽銭を払い、大きな鳥の背に乗せてもらい、どうぞ連れてってくださいとお願いします。赤い実のピラカンサみたいに・・・。

「愛する」について(その7 世界を愛する)

超介です。

 サバイバー(survive(切り抜けて生き残る)→surviver(生き残った者))という言葉をトリイ・へイデンという作家(代表作に「シーラという子」「タイガーと呼ばれた子」があります)の日本での講演をまとめた本で知りました。

 虐待を受けたあとで、あるいは虐待的な環境にいつつも、人生に向かい合い生きつづける人がサバイバーです。シーラには車の中で泣いたがゆえに母親に捨てられたという記憶が刻み込まれています。それでつらい虐待にあっても「泣かない」ということを守り続け、他人とのコミュニケーションをも取れなくなった幼女として「シーラという子」に登場します。彼女は教室に入るなり、部屋の隅の家具の下に一日中もぐりこみ、出てこようとも、話そうともしなかったのです。生き残るために彼女はそうしました。

 虐待というほどでなくとも、人生のある期間、ときにはつらかったり、孤独感にさいなまれたり、悲観的になって世界をうらむようなことはあるでしょう。そして心に傷を抱えたまま生きることもあります。

 そのようなときでもsurviveし、乗り越える人がいます。そのような人には何が起こっているのでしょうか。

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 私の生家は丹波山地の谷間にあり、庭から数十メートル、北以外の方向に進めば、畑、雑草地、隣家等を経て山林に入り、その後、緩やかな丹波山地が続きます。

 その山林の中に、かつて人が生活していたらしき痕跡があります。周りを雑草や木の葉、竹葉、腐葉土に覆われた石積みやら穴(井戸の跡)があります。

 そこには昔(たぶん江戸から明治にかけて)屋敷や、畑があり人が住んでいたのです。が、もうそのことは誰も知らず、もちろん記載された本もありません。その辺りは私の先祖が継承してきた土地なので、私につながる人たちの生活跡であると思います。

 百年以上前に、屋敷、農地があり人々が明るい空の下で生活していましたが、長い年月を経、山林の中に埋もれてしまいました。現在の様子を目の当たりにしつつ、その時の様子を思う時、私の中で、そこのほうにある、なにかの感情がゆれました。

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 松山が好きになっていることに気がついたのは一瞬でした。こちらに来て10数年以上たった、ある日の午後、建物の階段をおりて、四国山地の山々を見たときに、この地域が好きになっていることに気がつきました。そのときも、何かの感情がゆれたことを覚えています。それは、車の運転になれ、タイヤやらフロント、ハンドルが体の一部になったことを感じるのと同じ様でした。その土地が体の延長になったかのような親しい感じ。

 丹波にも愛媛にも過去から現在まで、多くの人がそこに住んでいて、そこは単なる空間ではなくて、人々の生活の場であり、人が作ってきた有形無形のものがあふれています。世界も人も一緒に変化しつつ時が流れて、時の、その経過の力でつながっていくものがあります。あたり前ですがそれを実感する、しないでは大違いで、感ずるとき、その人の世界に対する態度、生きかたが変わり始めると思うのです。

 つらいときがあります。弧独感にとらわれ、辛い世界の中で生きていくことから脱出したいと思うとき。思いが通じる世界ではなく、愛してほしい人から、愛されずに、時には虐待された子供のように、心が傷つき、世界に対するあきらめがおこるとき。でも、我慢し、挑戦し、大きく感情をも揺らせながらでも生きていく・・・・・・そうできれば・・・・・・・。

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 人は変わり続けていくことができます。愛されなくとも、いつかは愛すことができたり、我慢をしたりしていくうちに、時間が過ぎていくうちに、世界とうまくつきあうことができるようになると思うのです。

「愛する」について(その6 心のモードチェンジ)

 超介です。

 一日の終わりに、その日のことを思い出したり、朝、前日のことを思い出したりする人は多いと思います。心の中が雑然、ざわざわしてくるとき、さまざまな不安定さを伴う心中、鎮魂し、モードチェンジを行います。

 分析思考傾向が強くて、ついついこれまでの経験、体験、環境と心の不安定さを関係づけてしまいがち。でも分析しても心、鎮魂せぬことの方が多く、分析せずにありのままを受け取ろうと。(じぶんをゆるす)

 目を閉じ、何かあるいは誰かからの、『やらないといけない攻撃』(これは他人からの、どこか依存した思考、自分自身からではない)を脇におき、自分を取り戻す、自分だけになるのです。物思いにふけるように、自分ひとりになろうと、心に決めて。

 どんなところからでもよい、他人の思考に依存しないで生きようと決意して(まるで中学生か、高校生のようですね。五十路の半ばなのに!!)います。壁にぶつかり、心が折れそうになるたび、『いかん、いかんよりかかっている、しっかりせい』と。

 ふと気が緩み、どうかした瞬間に、『愛される人になりたい』と依存してしまい、卑屈になります。そうではなくて『愛する人になること』を選択します。でも、まだどこか甘えが出、同時に安易な感情に押し流され、やっと依存心に気がつき、鎮魂、自分を取り戻すことを始めるのです。

 それでモードチェンジを試みます。

 心全体のモードチェンジ、次元をあげる。
 
  超えるぞ、 進化していくぞ、と。

四国松山 道後の紹介

 超介です。

 今回は四国松山道後の紹介です。
 先日久しぶりに道後にて食事、ガラス美術館にもいきました。

 松山市内を走る路面電車(おとな150円 子供80円)の終点が道後駅。日に数回は漱石の『坊ちゃん』に出てくるような蒸気の電車(に模したもの。こちらは確か1000円ほどもしますが)が到着します。これまた、明治時代風の駅舎を出れば、広場の先には『からくり時計』が設置されていて、ちょうどの時刻にはそのひょうけた動きと音楽に、人があつまります。近くには足湯も。

 道後温泉本館(建物が古式ゆかしい温泉、それだけ暗さもありますが。市は数年かけて補修工事を計画しているようです。)および新館椿湯(こちらは大理石をふんだんに用いた明るい浴場)に浸かったあと、近隣のそぞろ歩きがお勧め。ただし、今は松山も一番寒い時期なので防寒着用で。

 ここ中予松山(愛媛=伊予 を三つに分ける呼び名のひとつが中予、あと東予、南予と呼ぶ。)では『椿さん』という商売の神おわす、椿神社(椿神社は市の南地区にあり、東地区の道後からは車で30分くらいのところにあります)のお祭り時が最寒い時期といわれていて、今年はそれが1月末。このお祭りはとにかく1Km(もっとあるかも)ほどもある参道にぎっしりと屋台が立ち並ぶのが圧巻です。それにつられて老若男女、どっさりと集まります。

 でありますから、今は年中で最も寒い時期。四国松山、暖かい、と思われるかもしれません。雪はめったに積もりませぬ。しかし暖房も厚着も必要。海沿いの松山に向けての高速道路が積雪で通行止め、となることも冬季期間中は何回かあるのですよ。

 (道後温泉本館にもどります)本館を左に出れば、緩やかな坂が建物を半分取り囲んでいて、その先、さら左に進むとベージュの敷石の4、5人横に並んでもゆったりの歩道が両脇にある道に続きます。この あたり、周辺の旅館、ホテルが近年たてなおされたこともあり、(たぶん電柱も地下に)明るいのです。人力車があったり、足湯があったり、そぞろ歩きによいのです。

 先日、知人と会食の予定があり道後に路面電車でいきました。道後駅から商店街を散策、どのお店も明るく、若い店員さんも結構います。出口のところにある温泉本館を左に曲がります。『道後ぎやまんガラス館』を目指してあるき、入館しました。婚礼会場が前面にあって、ガラス工芸の展示場は建物の少し奥まったところにあります。そこにいたるまでの通路沿いには、青白く照明された池、その周囲には白鳥(これは道後温泉本館のシンボル、温泉のてっぺんに白鳥がいます。)があります。

 ガラス工芸は江戸時代から明治大正期にかけての、虫かご、キセル、タバコ盆(私にはこれがいちばん素敵でした。)金魚鉢、電灯の笠、すだれ、ガラス枕、もちろんコップやら、お皿やら各種食器も、さまざま色とりどりでした。小さな美術館ですが、変質しにくいガラスの工芸品、美術品の展示ゆえ、過去の人の日常がしのばれます。

 松山にきてね!

最近の読書

最近の読書

超介です。

 皆さん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 ここ数ヶ月、読書は小説中心になりました。  

 特に、次の3つに惹かれました。

 1.池波正太郎 
  剣客商売
   文庫で出ています。全部で15,6冊あったでしょうか、読み出すととまらなくな
   ってしまいました。さまざまな職業の登場人物、剣の修行、そして料理等ついて、 
   主人公の剣の達人、秋山親子中心に描かれます。

 2.トリイ・ヘイデン 
  ?シーラという子 ?タイガーと呼ばれた子 ?機械仕掛けの猫 ?子どもたちは今
   障害児教育の経験のある著者がノンフィクションで書かれたのが?、?、たぶん半
   分以上フィクションであろうと思われるのが?、?は筆者の来日講演内容が中心の
   対談集です。?は虐待を受けた子が、熱心な教師により心を開いて成長し隠されて
   いた才能が周囲にに認められていくという物語です。?は?の続編でタイガー=シ 
   ーラです。シーラのその後の物語です。?のシーラがその内面の成長を自身で語り、 
   行動します。シーラの自立への物語です。?は複数のストーリーが同時に進行して
   いきます。自閉症のような子供とその親、教師が登場しますが、親と教師の話の中 
   に、入れ子のように、その親が物語をします。教師と子供への指導のストーリーは 
   最初は擬音を発する子が徐々に意味を含んだ言語を始め対話に至り、途中で現実に 
   起こったある事件を暗示するフレーズを話すようになります。複数のストーリーが 
   最後にそのつながりがあらわになります。 

ステイーグ・ラグーン
   ミレニアム1〜3(各部上下)
   話の内容は各部で独立していますが、ミレニアムという雑誌社の記者とドラゴンの
   タツーを入れ直感像記憶能力を備えた女性が主人公であり、特に2部と3部の話は
   連続しています。リスベットは問題解決能力は高いけれどコミュニケーションが取   
   もに解決します。2部、3部はそのリスベットの生い立ちにかかわる物語です。2
012年12月に3部が出版(ハヤカワ文庫)されたのですが、作者は2004年に
50歳でなくなっています。

 小説を読む面白さは、リアリテイを感じつつ、その世界に引き込まれていく過程にあります。作家が語るその世界にはさまざまな事象がちりばめられていて、読者はそこから刺激を受け、自分の持っている知識を刺激されつつイメージ空間を広げていきます。

 剣客商売では「剣の達人のものの見え方」(彼もまた、優秀な問題解決能力を有する人物です)、トリイ・ヘイデンの作品からは「障害児教育からの学び」、ミレニアムからは「情報操作能力」などを味わうことができました。   

2012年を迎える

超介です。

いよいよもう数日で2012年ですね。

 2011年は辛卯(かのとう)の年でした。辛は伏在していたエネルギーが発現する、卯は扉が開くという意味でした。
これに象徴されるがごとく、国内では東北大震災、原発、大相撲八百長発覚、歴史的円高、国外では欧州危機、「アラブの春」による独裁体制の崩壊、反格差デモの拡大等々が勃発した年でした。

2012年は「壬辰(みずのえたつ)」の年です。干支の文字の意味するところを調べてみます。出典は「干支の活学」(安岡正篤 プレジデント社)です。

同書(P141から)によれば壬(じん)は次のような意味があります。

これに任せる。人材を知ってこれを用いて、用いてこれに任す、それを「任用」というわけです。任さなければ「任用」ではない。単なる「使用」にすぎないのであります。だから大事な問題を任すことのできる人間を要する。またそういう人間を用いなければならない。それが「任―みずのえ」の大事なひとつの意味なのであります。

さらに辰(しん)は同書(P199から)に次のようにあります。

 説文学からいいますと要するに寅、卯と来まして、ここで初めて非常に陽気に行動的になる。物事の活力が依然として盛んになるわけです。(略)はじめは門を開いて(前年の卯)中へ入ろうとしたら草や木が茂っておった。それを刈り取ったり、何とかしているうちに崖(辰の意味)が出てきた。(略)とにかく「辰」は「今まで内に蔵されておった、あるいは紆余曲折しておった陽気、活動が、外に出て活発に動く」というわけです。

今年は昨年に続いてさらなる活発な動きが出てくる年、しかしこの年を乗り切るためには、誰か強力なリーダーがでてきて一発でおさめる、ということではないようです。そこ、ここの問題それぞれに任せるに足る人材が必要であろうと。また、問題も、その中には発展的に立ち上がっていく希望の種もあるかもしれません。

竜(辰)のようにさまざまな陽気、陰気が立ち上がってくる。そのような年にそれぞれの部署にふさわしい人物の任用ができる組織であることが必要であると干支が示しています。

個人の生活でいえば、各人がそれぞれの運命に立ち向かい、責任をもってことにあたろうではないか、という解釈でよいかと思います。

今年やってきたこと(その1)

超介です。今年やってきたこと を思いつくままに たな卸し します。

1.ブログ投稿を中断、再開しました。

前半は投稿しませんでした。後半から再開しました。

 言葉と文の奥にあるものを探るために「『出会い』」「『愛する』について」、などとテーマを決めて文章を書かせてもらいました。テーマを決め、それについての種を探して文を書きます。

と、書きましたが、実際はテーマを決める段階ですでに種をもっている
ので、テーマと種は同時に私の中にはいってきています。いったんテーマを決めて書くと、そのテーマがKEY WORDになり磁石のように次の種をひきつけ その1、その2、その3・・・・と次々と新しい話がつながります。

 長くて、わかりにくい文章で皆さんにはご迷惑をかけています。表現力を高めていくための学習を進めていきます。

2.(突然ですが)めがねを変えました。

 金縁のフレームから、黒縁(青色の半透明の縞が入っています)に変えました。度が進んだのか(老眼です!!・・)見えにくくなっていました。11月11日の誕生日を契機に、より一歩進める超介になろうと、イメージも変えようと思いました。

3.日青協の名刺を発注しました。パンフレットを仕入れました。

 教育コーチングのことを話す機会を作るために準備をしました。準備はできましたが行動は予定の30%程度です。パンフレットはちょうど手ごろな説明資料です。作成に当たられた皆さんに感謝します。

4.地域のイベント、施設に参加、見学、勉強会でも受講をしました。

 冒険遊び場講演会、山岳博物館、タオル美術館、トローンボーン演奏会、養護施設講演会、美術展・・・・・など10月から日曜日を使って行動し、人と話すきっかけつくりを意識して行いました。最近では、教員の勉強会(選択心理学の)を知り、参加し始めました。衛生管理者対象のセミナーではカウンセリングの講座を複数回受講しました。

 今日はとりあえずここまで たな卸し。

今年できなかったこと

超介です。

今年できたことは後日まとめることにして、出来なかったことをあげてみたいと思います。

 まずは釣りです。

 数年間、釣りに行っていなかったのですが、考えを変えて(大げさですが)再開することにしました。道具をそろえて、11月末くらいから隙間時間をねらって瀬戸内の海にいきました。宇和海まで足を伸ばせばよいのですが、それだと、往復時間、釣り場での時間、潮位を考慮すれば1日半ほどほしいのです。目下そこまで時間調整が出来ないので、再開が可能な 瀬戸内海でのルアー釣り をはじめました。
 
 過去、仕掛けをしっかり作ってえさ釣りで宇和海のタイなどを狙っていました。ルアーなど邪道であると公言していましたが、こそこそと始めました。が釣れません。道具はそろえることが出来たのですが・・・・・。
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 読みたい本が読めなったこと。

 再読したいのですができていない本もたくさんありますが、購入したけれど読めていない本はやはり分厚くて難しそうな本です。目下そのベストスリーは次の写真の本です。今年はカウンセリングやら心理学の本をよく読みました。それから後半になって小説を多く読むようになりました。
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「愛する」についてその5の2)

超介です。
 
 人の未来について考えたり、話したりするときに、自分の考えの伝え方が少し変わりました。
 
 「個人の自由と尊厳」を尊重する立場は大切です。それについて考えるきっかけになった小説に出会いました。それが、この「朗読者」(ベルンハルト・シュリンク)です。世界中でよく売れたようです。読まれた方もいらっしゃると。null

 15歳の少年ミヒャエルと36歳(21歳も年上)の女性ハンナとの恋愛という衝撃の場面から始まります。が、ある日、突然ハンナが消えてしまいます。そして数年後に、大学生となった彼のまえに、裁判の被告として彼女が姿を見せます。ミヒャエルとハンナが出会う前のことでした。ナチの収容所で女性の看守としてハンナは働いていたのです。収容所が火事になり、たくさんの人が亡くなりました。その事件におけるハンナの責任を問うものでした。

 収容所の看守という立場での行動について、ナチスが崩壊した後、個人としての責任を問われます。体制の中で、火事の際、囚人を解放しえなかった状況について、彼女は裁判官に問いかけます。「もしあなたが私の立場であったならどう行動しましたか?」と。裁判官はこたえを回避します。

 その裁判で彼女は他の看守より、もっとも重い判決をうけそうになります。ところが、自分の「あること」を開示すればおそらく無実が判明し、罪は軽減されるのに、そのようにしようとはしません。それを知った大学生のミヒャエルは、自分が開示すべきかどうか迷います。そして、父親に相談したり、裁判官に面接をするのです・・・・。

 「おまえが良いと思い、相手のために、その人の立場に立って考え、その上で助言をしたことでも、相手の人がそう思わず別の判断を示すこともある。おまえは、相手がどちらを選ぶにせよ、相手の選んだ道を尊重するし、そのことを『どちらを選ぶにせよ、私はあなたの選択を尊重します』と、相手に伝えることだ。」と、ハンスの父親は息子に語ります。

 父はミヒャエルに「個人の自由と尊厳の尊重」することを具体的に語りました

 それから、月日は流れ、ミヒャエルも幼馴染との結婚やら離婚等を経験します。が心の底にハンナへの想いがあることに気がつき、それを抱き続け、服役(無期懲役囚としての)中の彼女にさまざまな書籍の朗読テープを送り続けます。彼女の「あること」とは「文字が読めない、書けない」ということでした。ハンナは模範囚として生活し、みんなの相談を受けたり、文字を学び始めて、手紙を彼に書いたり、その後、また孤立したりします。そして恩赦を受けます。開放される前日、ミヒャエルと再開を果たします。しかし、彼女はその直後自殺、・・・・・。物語は意外な結幕を迎えます。

 「朗読者」の内容は以上です。私はこの小説の中の「物語」の意味を見つけようと、特にハンナの自殺の意味を考え続けています。

 世界は時間的にも空間的にも構造化されています。「意味の無いことは起こらない」という意味は、たとえば人が生きてつらい体験をする時に「あなたにはつらい体験であろうと、その意味づけをすることができる」と捉えることができることだと思います。そして、生まれてから死ぬまでのプロセスを豊かな物語にできるのです。一旦その物語に気がつけば、人生の意味がわかり、より自由になれるとおもうのです。その自由をもって、再度生きなおし、その人にとってより良い物語を再創造できると思うのです。人生を「良い仕事にできる」ようになると。

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 私は幼稚園の展覧会でみた、幼児の描いた絵が、自由に伸びやかであることと、「個人の自由と尊厳の尊重」ということがうっすらとつながっていることに気がつきました。

 私は、その絵は子どもたちの人生の「物語」であると思ったからです。

「愛する」について(その5の1)

 超介です。

 美術館で幼稚園児と中学生の作品展を催していた。子供たちの絵、特に幼児の描く絵は見飽きない。美術館の展示室であるのでかなり広い。いくつかの部屋の壁面いっぱいに作品が展示してある。たとえば「虹色のクワガタムシ」という絵では、用紙いっぱいにクワガタムシの絵がかかれ、その中に人、花、動物、木等々が所狭しと描かれている。

 これらの絵に惹かれるのは、そこには描きたいものを描く、という自由と選択があるからだ。自由奔放に動く心が見えるからだ。子供の心を見失うことと、自身の羅針盤を見失うことは似ている。中学生の絵になると自由奔放さが隠れ、代わりに、他人の視線を意識した常識の線が現れてくる。誰が見てもすぐわかる作品になる。

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 仕事ではルーチンでもプロジェクトでも、いったんそこまでの歩みを止めて、何をえたか、どこまで達したかを括り、次の目標を決めたり手段を再整備したりするのに、人生ではそのような手間をかけない人が多い(のではないだろうか)。

 人生の岐路に立つときは計画を立てる。それまでの歩みの棚卸しをして、どのような日々を暮らし、何をえたのか、何ができるようになったのか、等を書きだしたりして掘り起こす。それを見つめれば自信が生まれる。そうしてその底に隠れている、自分の価値観を掘り起こす。その価値の羅針盤が示す方向を見定める

 そうすれば、納得のできる人生を再度、踏み出すことができると思う。どのような方向に歩みだすかは個人の選択の範囲だ。

 幼児の絵心のように自由奔放に未来絵を描いて方向を決めたい。節目節目にそのように
進む方向を決めていきたい。