超介です

 梅雨にはいり不安定な天候が続いています。でも雨が降って気温も適度なこの季節、僕は好きです。一番 生き物が元気になる季節だからです。庭の雑草がぐんぐん伸びます。

 自宅に花を活けました。花があると部屋の中の空気が変わります。
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 活け花などしたことないのですが、2か月前のある日、花を置くことの面白さに気がつきました。毎日曜日は野菜などを数日分買い物にいくのですが、その際に切り花も買います。100円から200円ぐらいの切り花を3束ほども買ってきます。朝または夜に水を変えます。置く場所、花の種類によって1週間しっかりとそこにいてくれる花と、すぐにしおれてしまう花、いろいろです。
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 誰かからもらった古い花瓶やスマートボール(古いですね)でもらった景品、ダイソーで買ってきた100円の首の長い花瓶、海苔の入っていた広口の瓶、この4つの容器に入れて玄関、リビング、キッチン等に置くのです。
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 空気が変わる、というのはもちろん僕がそのように感じるだけです。なぜそのように感じるのかといえば、花が気に入ったからです。朝のウォーキングで野草を摘んで活けてみれば、もっと気に入ると思います。世界が変わるのは自分が変わるから、ですね。
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いかに習慣化するか(その4)

 超介です

 春先の田植えと同時期、故郷丹波の畑でかぼちゃの苗を植えました。トラクターで土を起こし、耕運機で畝を作り、温室で育てた苗をカップから取りだして、土の上に置きます。母と新婚の甥夫婦と私で作業をしました。浅く土に穴を掘って植え込み、その苗一本毎に囲いを作ります。若い苗を、虫害、温度変化等から守るためだそうです。竹の杭を苗の周りに3本さして、それに底と天井を抜いた、筒状のビニールの袋をかぶせてます。そのあと水をやって植え込みはおしまい。花が咲いておいしいかぼちゃが実をつけるまで育てます。

 

河原の桜は葉を茂らせています。
 

小さな実(サクランボではないですが)が一つなっています。見えますか?
 

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 「注:これは本文内容とは関係がありません」

  「思いの種をまく」の意味は、心に何かが、刻み込まれる経験です。だれもが持っていると思います。どのような土の上に何が播かれたのか、誰がまいたのか、その時、空は晴れていたか、風は吹いていたか、など想像しつつ、思い出してみませんか。

 昨年、私はコーチングの講座で「インナーチャイルド」に出会いました。もう50年以上の前の私の姿に出会いました。ああ、そこにいたのか、とやっときちんと承認できました。
 それからは、それ以前に「自分を許す」(自己承認)というワークを行ったとき、何かの感情がでてきて、心が熱くなったり、また突然涙が出てきたり、それらの意味が理解できたように、感じました。
 そうして、そのように、自分のことがわかってからは「種蒔き」がうまくでき始めたかのように思います。どこに石ころがあって、水路があってとかがわかるようになり、苗の育ちよくなってきたかのように。
 自発的な意志が生まれ、よりはやく、「行動を(刈り)取る」ことができるのです。挑戦しようとする姿勢につながり、ブレずに、行動できるようになったようにも思います。人との関係にも振り回されにくくなりました。孤独が深まった気もしますが、やりたいことに気が付き、行動しやすくなったような気がするのです。

思いの種をまく、その時、人の周りの環境がどうであるかは、とっても大切です。
  

あなたが種をまいた時、空と風はどんなで人はあなたにやさしかったでしょうか?
  

ひょっとしたらあなたの今を大きく左右しているのはそれではないですか?

いかに習慣化するか(その3)

 超介です。

 入梅しましたね。
 松山では数日前に入梅、生き物たちがもぞもぞと動き出す季節となりました。海の魚もそうなので、さらに生き物たる私も、それをめがけて釣行のプランをもぞもぞと・・・。朝のウォーキング途中にもこのような生き物が・・・。
          

「この中に 何か がいます、みえますか?」

  
                        

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           (注:以下の本文内容とは関係ありません) 

               思いの種をまき、行動を刈り取り
               行動の種をまいて習慣を刈り取る
               習慣の種をまいて、人格を刈り取り
               人格の種をまいて人生を刈り取る
 
 ある研修で紹介してもらった、このフレーズ、ある本で読んでいたのですが、改めて研修時に聞いて、新鮮に届きました。より具体的にわかった気がしたのです。そう、ただ一歩踏み出せば、そこから自分の人生を、思うがままに変えていけると勇気をもらったのです。

 それは、救いのスコップです。手に入れているはずだけれども、うもれているものを掘り起こす、スコップ。可能性を掘り起こすシンプルなツール、それが習慣。

 習慣は人生に直結する。人生そのもの。習慣が人生で果たす役割が大きいこと、その理解は、習慣化の推進エネルギーになります。意識して始まった行動の変革が、無意識理にたたきこまれていくとき、人格が変容しはじめ、さらに人生そのものが変わり始めるのです。
 
 僕の場合も「思いの種をまく」に相当するイベントがありました。そして次々と変わっていきました。それはまた次の機会に投稿することにします。

いかに習慣化するか(その2)

超介です。

 2年前、それまで3年間ほぼ毎日継続していた朝のウォーキングが途切れました。理由があったのですが、夜間に移行することもできなくてなってしまいました。始めたとき(今から5年前)は毎朝、随分エネルギーが必要でした。やったかどうか○×をノートにつけて励みにしたり、靴やら服にこだわったり・・・。

 昨年9月からの身体の変化(好転)を受けて3月から日曜を除いてほぼ毎日歩き始めました。抵抗無くウォーキングができるようになりました。その理由を挙げてみると(内容はかぶっていますが)
1.過去の実績(習慣になっていたことが身体に残っている)がある
2.目的が理解できている
3.歩き始めるときの努力が必要無い。(抵抗がある日はしません)
4.歩くときの楽しみがある(短文を覚える。目に入った草花、風景の写真を撮る。
   挨拶をする。等)
5.適度の疲労感が心地よい
  などです。

 特に強調したいのは1と3です。身体が過去3年間の体験を記憶していて、 歩くことの必要性やら、途中で生じるいくつかのトラブルの対処方法(トイレに行きたくなった時どうするか、とか)がわかっているのです。なので抵抗がありません。抵抗があるとき(たとえば天候が悪いとき、体調が悪いときなど)は歩きません。

 習慣化するとは身体が覚えること、なので、体に覚えてもらうと習慣化できます。(あたりまえですよね)繰り返すこと。だから、3日か坊主でも意味があります。

  英語の音読を通じて『身体が覚える』という体験をはっきりと自覚しました。英語の学習法を説明した本などに『英語が口になじむ』という表現がよく記載されています。毎朝目覚めると同時に、30分ほど英文を音読しています。教材は英検3級程度の本で、音源(CD)がついているのでウォークマンに落として、ヒヤリングしながらほぼ同時進行で発音(シャドーイングというそうですね)していきます。通読すれば1時間ほどで読みきれる20課の、短い本です。毎日5課ずつ、1回あたり2度繰り返して36回(つまり72度反復)読みました。20回程度ぐらいから『英語が口になじむ』という感覚を自覚し始めました。100回は読もうと思っています(途中からは暗誦したいと思っています)。 

いかに習慣化するか(その1)

超介です。

 プチ断食を始めて体質変換を試み、予定の減量はできて健康度がかなり向上しました。ただまだ皮膚に乾癬の症状が残っているのでネットやら色彩治療の先生に相談しつつできることを探っています。その中で食事について再度チェックをしているうちに炭水化物の取りすぎではないかと、気がつきました。それで、また少し食生活を変えてみようと、玄米食を始めました。

 初めて炊飯器で炊いた玄米を食べてきて気がついたことがあります。それは「ああ、お米も野菜なんだ」ということです。つまり皮つきで食べたほうがよいはずだと。去年の9月19日から食生活を変えましたが、その変化のうちにニンジン、サツマイモ、ミカン、リンゴ等々なるべく皮つきでいただく、というのがあります。玄米ごはんは確かに「もさもさ」して色もついていて白米と比べて「おいしくはない」のですが「野菜」とみなせば、皮つきで、つまり玄米でいただくほうが断然よいと思えたのです。

 それで、玄米食を習慣にしようとしています。洗うのも簡単ですし、何よりも自然のパワーが入ってきそうと思えるのです。何事かを習慣化するときにその方法の一つにその習慣をどの様にとらえるのか、があります。習慣化する内容に価値がおけるかどうか、です。この場合、私はそれまでの食生活の改善から、食べるものはなるべく自然に近いところでいただくことにし、自然のパワーを体に入れようとしているので、習慣化できそうなのです。

田舎の春に思うこと

超介です。

丹波市に田植えのために帰省中です。

今年の五月三日は春なのに、丹波では少し寒さが残っていて、朝はストーブがほしく、温まってから仕事にでます。稲の苗も、もう少しそだってほしいと、田植え部隊面々(両親、私、姉、姉の息子夫婦の6人)の都合のつくかぎり、遅らせ、明日4日に行うことになりました。

今日は、カボチャの苗を畑に植えたり、蕨、菜蕗、タケノコを採ったり田舎の春を楽しんでいます。(写真はうまくロードできないので後日に再度投稿しますね)

普段は、あまりよく観察しないのですが、じっくり若葉もみると、とても深くみえます。味わいが深い、つまり情報量が多い、という意味です。言葉では若葉一文字、でもそのものから伝わってくるものは一単語では表現できません。

言葉は大変な情報量を最小限に包み込む風呂敷です。柿の木の若葉一枚からも、じっくり観察すれば、その表面には粉を吹いたかのごとく小さな毛状のものや、次々と細くなって枝分かれしていき、葉っぱ全体を細かく区分している葉脈、つやつやと光沢のある薄緑の表皮、そのかすかな色のまだらなぐあい、等々たくさんのリアルが浮かんできます。

そのリアルを受け止めているとき、人間も、その自然の一部であることに思いを巡らせます。

出会う人とのリアル、ちゃんと受け止めよう、一つも単語で割り切れる程人も、人生も単純ではないと。そのことに気をつけた上で関係を作っていこうと、感じるのです。

Change from black into white

超介です。

Chang color
色を変えることにしました

黒から白へ
ここまでなんとなく選んできた黒
これからは白に

白紙の白ではなくて
真珠色に近い白色

ジェット機、宇宙ロケットの
スピードと耐久性を含有する色

ガラスではなくて白磁
透明ではなく実在の白

黒い携帯電話を白に
白のウオークマン
白いiPod、ipad
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名刺入れも黒から白
黒いウィッシュは白いアクアに

色にこだわって変わる、
自分を変える、変わる。

あなたの色は何色?

超介です

あなたの色は何色?
What is your color?
というように訊かれて、
あなたはどのようにこたえるでしょうか?

心の中をながめて気持を確かめ
何色がそれにかなうのか
とあてはめてみたり、
もっと直接的に何色が好きか、つまり
どんな色調の洋服を身にまとっているか
自室の家具、カーペット、壁の様子を思い浮かべ
何を選択し、そうしたかをおもいだします

色の源は電磁波で
それは、周波数に応じたエネルギーを持つ
つまり色はパワーを持つ
(僕の身体は実際に
      それで治療をしてもらったのです)

だから、人には固有色があるのは当然で
そのスペクトルを分析できる人がいる

色が意識と無意識の世界
そのはざま説明する役割をにないつつ
物語は進みます

16年前の謎の解明が始まり
事実が明らかになります
日常の世界から異界にはいり
理由は不明のままですが
解明の旅、巡礼を終えたとき、
元の世界に戻り
再出発のエネルギーがうまれます

読者を楽しませそして
優しい気持ちにさせてくれます。

村上春樹 『色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年』
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春の感傷

 超介です。

 低気温のために開花が遅い川原の桜も、わずか1週間ほどで散ってしまい、いまや枝には若芽と1/10ほどの花びら、草原の上にピンクの点々を残しています。先週末は、温暖な松山も嵐に見舞われ、気温も下がって一時期冬に戻ったかのようでした。桜も一気に散りました。
 (こちらは散る前の、ほんの10日ほど前の川原の桜)
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  春は移動の時期、別れと出会いがそこここで繰り返されて新たな思いで歩み始めておられる方も多いと思います。私もそのうちの一人。教育コーチングを学びはじめてから、どんどん人生が変わり始めました。人生の隅に積み残していた課題が片付き始め、また、思わぬところから貴重なものが出てきたりしました。
 (これは今週初めの同じ桜)
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  10年以上前の春先、松山から高知県幡多郡の漁港に一人でよく釣行しました。ゆったりとカーブを描く、しかし ぎざぎざのリアス式海岸の地図上の一点の漁港を目指して海に向かう。深夜峠を越えて、眼下に漁港の桟橋の常夜灯の明かりが見え、ほっとしたこともあります。ほとんどが初めての土地なので、それは冒険とも探検ともいえるような釣行でした。何を求め、深夜、片道4時間以上もかけ、一人海に向かったのでしょうか。

  暗いうちに漁船が出港し、海鳥が鳴き始め、朝日があたりを染め始め時間が進んでいきます。ジワリと時には一気に沈み込む浮きに竿を合わせ、リールを巻き上げ、海中の生き物の手ごたえを感じる。朝の海辺の風、潮、土と木々のかおり、その豊かさ、竿先の生き物の躍動の手ごたえを目ざして釣行していたように思います。

  年末から今年の桜の散るつい最近までに、出会い、身体の変化、新たな言語(英語とIT)の学び、そして人との出会い と別れなど、なんと色々なことが、次々と起こったことでしょう。凸凹のリアス式海岸のように激しい、でも豊かな人生の海との出会いでもあった春。

  I-podを購入しました。今春の総括そして今後の思いを込めて、『気高い夢を見よう。それがあなたの人生になる。』(ジェームズ アレン)という言葉を選び印字してもらいました。豊かな海の獲物の手ごたえを感じながらスタートできる幸せ。

「決まりきったステップ」とはちがう一歩を踏み出したとき素晴らしいことは起こる

 
超介です。

 表題の内容は、「決まりきったこと」の中には「無意識の中に潜む固定観念」それもこの程度であろうという、一見「常識」的なものの見方、とらわれの「概念」からの脱出のすすめ、というような意味です。

 できるのに、できないと思い込んでいた自分に気がつくことがありませんか?もう年だから、男だから、女だから、田舎だから、内気だから、そうそう、上司があんなだから、幹部があんなだから、パートナーが〜だから、・・・・、と依存をして、何もやらないこと或いはできない理由を見つけようとしたりしていることはありませんか。僕はよくあります。

 でも、少しだけそのことに自覚的であるようになり始めたので、少しずつ変わるようになりました。できないのではなく、やらない、行けないのではなく、行かないと言う回数が増えました。

 ほんの些細な『違う一歩』であるのに、素敵なことが起こり始めます。心の中で自由を感じ始めるのです。その自由とは自分の生き方は自分で決める、本来もっていたのに、どこかで置き忘れていた自由だと思います。

 これは心の持ち方の問題ではありません。行動の変革です。