継続力、モチベーション

超介です。

継続が難しいとき、その原因はいろいろあります。最近気がついたことは、「いつやるか→いまでしょう→でもやれない(やりたくない)」つまり身体がついていかない時の原因、或いはどうすればついていくか、についてです。

英検準1級合格目指して単語を覚えようと、単語集を手に入れましたが、ほとんど分からない単語ばかり。はじめ、2級とのレベル差に呆然としました。でも、該当レベルの英書を分からないなりに読んだりしていると、分からないことに慣れてきて、いつの間にか違和感を感じなくなりました。

なんとか、時間をかけて接しているうちに出来るようになる、を実感しました。それで次に、英語の単語を5日間で50個覚えることを始めました。これで300個ほど、つまり1ヶ月半ほどは続きました。いけるか、とおもったのですが、その後息切れしました。嫌になったのです。

で、どこで息切れするかを考えると、最初の1日目、一気に50個覚えようとし、見て、発音して、意味を頭に入れて(このために単語、和訳、使用例をノートに書きます)いくのが億劫で、エネルギーがきれるのです。ここさえ乗り切れれば後の4日はグーと楽なのでいけるのです。そこで、最初の作業を3日に分けることにしました。簡単なことですが、そのことに気がついて再開するのに1ヶ月ほどもかかりました。この間に、何人かに相談して幾つかの方法を試行錯誤しました。でも、どれもピンとこなかったのです。その暗記作業を逃げる理由をさがしていたことに気づきました。いまは、作業を再開し、現在400個目から450個目の単語を暗記しています。次に詰まったときは、もっと早くリカバーできそうな感覚があります。

これは仕事のEPDCT(estimate →plan →do →check →taste)と一緒です。特に継続するために重要なのはcheck(到達度を調べる)とtaste(結果を味わう、反芻する)の重みです。とくにtasteこれは次につながる行動エネルギーを汲み出す方法の一つです。見えにくい過程ですが、ここに重点をおいてきちんとやることです。

スケジュールだけでは動かない(動けない)のはモチベーションがセット出来ないことが理由になることが多いとおもいます。これまで仕事でも、勉強でもこれが理由で、死屍累々。いままでは、「やる気が出ない」の一言で片付けて、諦めがちでした。でも、もう一歩踏み出せば、つぎの課題が見えてきて、モチベーションが上がるのです。プランを立てるときにいつ、何をやるか、どうやるか等々の後ろに潜んでいる、見えないもの(モチベーション)が計れているか、です。モチベーションのセット方法は他にもありますが、それはまたの機会に。

小中学生、高校生に接していたときにはわかっていたんですが、我が事になると…………。(反省)

見えない、気がつかない、酔ったうさぎ

不明航空機の事故のニュースを見聞きしながら思い出した本があります。昨年の夏頃読んだ「パイロットの妻」です。この本はパイロットの夫の飛行機が墜落します。そして、妻の追跡により、その原因が徐々に明らかになってきます。分からなかった夫の心、夫は、実は別の人物として国外で妻子を持って生活していたことが明らかになってきます。妻には全く信じられないことが起こっていて、実は事故の原因にも繋がっていた、というストーリー。

「こと」に関連したことが身の回りにないと気がつかず、まさかそんなこと、起こらないだろう、そのことについて考えすらしない、そういうときがあります。そんな経験が僕にも幾つかあって、怖い思いをしたことがあります。そのひとつ、この松山は温暖で大きな災害もない地域だと思っていました。でも、つい2週間ほどまえ、3月14日の午前2時頃、震度5の地震には驚かされました。南海トラフの地震ではなかったようですが、こんな「地震などおこらないだろうと思いこんでいたこと」に気づかされました。2001年の芸予地震を経験をしていたにもかかわらず。

見えていないことは、見ていないからであること、読書にもそれが表れます。久しぶりに「三四郎」を読み返しました。5年ほど前にも読んだことがありますが、今回は前回と比べてとても面白く読め(たと思い)ました。今から100年以上も前に書かれた小説であるのに、明治時代の人たちの生き方、感じ方がとても新鮮だったのです。5年前、それ以前にも何回か読んで、筋がだいたいわかっていたし、この小説について書かれた文章も幾つか読んだからでもあるのでしょうが、いままで、そのような面白さに出会っていなかったのです。同じ文章なのに。

最近、電子ブックを手に入れ、寺田寅彦の随筆を一つ読みました。「数学と語学」というエッセイです。その中に言葉の限界性というようなことが述べてあり、言語について「うさぎの足跡」という形容があります。書く側から言葉を捉えていくとき、言葉を重ねていくと、意味が飛び跳ねて何処かへ行ってしまう、当初とは思わぬ処へ流れてしまう、というような意味です。言語化出来ないこともあるし、出来得ることも不適切にしていることもあるし、まさに僕など、「酔ったうさぎ」です。せめて、「醒めたうさぎ」になろうと思います。

不落因果、不昧因果

超介です。

小豆を煮て、砂糖で周りを直方体に固めた、出雲の和菓子「薄小倉」をいただきながら、「自分をゆるす」について考えていて、かなり前に読んだ本(「安岡正篤」のなにかの講話集だったと思います)で知った松平不昧と号したお殿様を思い出しました。

不落因果(因果に落ちない)、不昧因果(因果に眩まされない)というのは、大雑把にいうと、禅宗の言葉で何事にも迷わされずに生きる姿勢をいうようです。でもこれは言うが易しで、よくよく注意して、振り返っていかないとできません。その感覚を言語化するのはちょっと難しい。

因果とは、この世の出来事は原因と結果で繋がっていて、現れた結果が次なる事象の原因になって、というふうに連鎖していることをいいます。原因から結果が派生する、その途中経過を業といいます。悪い因でも業次第で良い果を得ることが出来ます。逆もあります。これが因果律、この世の中はこの因果の糸が複雑に絡まっていてできているとする見方です。

でも、因果律に囚われると、そこからは運命論的に生きてしまい、運命の糸に囚われているかの如くの考えになります。さらに、そこからは抜け出しにくくなる。つまり、もう自分の運命は決まっている、かの如くの見方で、自分、世の中の未来を見てしまう傾向になる。「どうせ俺は、どうせこの世は………」みたいになるわけです。

禅宗の百丈和尚という人の教えは、因果に落ない(不落因果)のではなく、因果からは抜け出せない、しかし因果に眩まされるな(不昧因果)と、です。それを肝に命じて、出雲松江藩の第七代藩主松平治郷は自らを不昧と名付けたとのこと。

不昧因果は、コーチングで、ありのままの自分を見つめるー自分をゆるすーということと繋がっていると思います。自分を許せたとき、そのときは、それまでの囚われに気がついたとき。そして、自由に次の一歩を踏み出すエネルギーを得るのです。

ややもすると、不落因果にこだわる傾向から、僕は、状況の中で生きていくときに、それを誰かの所為にしたりしないで、そのままそれを受け入れ(これがちょっと難しいのですが)て、自分がどう行動すれば良いかということを常に考えて進んでいこうと思います。自分の心の内面のありよう次第で変わり、変われる、それが僕の不昧因果。

これから、「象」を飼う

超介です。

40年間住んでいた四国愛媛を離れて故郷兵庫県丹波市に引っ越すことにしました。創業以来35年間(前身の会社で1年間アルバイトしていましたから正確には36年間ですが)勤務していた会社を3月20日に退職し、自宅を売って清算して、5月から再度郷里で人生を再スタート。生地は過疎地で、超高齢化地域、仕事の種類も少なく、その上私は若くありません。どんな人生をこれから生きようか、可能か、と考えています。18年丹波で生活して、その後学生生活を5年間、途中3.5年間ほど宇和島での生活を挟んで40年間愛媛で生活、主に松山で、そしてこれから再び丹波。

5年間の学生生活と35年間の会社人としての生活にはたくさんのドラマがありました。

いつかはこんな日が来ると思っていましたが、今は、これまでの体験が大変貴重であったと思えます。その時々は辛いこともありましたが、それらは起こるべくしておこり、僕にその時々、メッセージを伝えてくれました。これまでの出会えた多くの人々に心から感謝をしています。

35年間在籍していた職場、その体験からは、最近改めて気がついたことです。仕事で「一番課題となっていたこと」は自分の内側にいる「象」をどうコントロールできるか、であること。これにつきます。そしてこれに気がついた時、次の課題が見えたのです。それは、もちろん「象」をコントロールする実技を身につけることです。この方法は多くのひとが教えてくれています。

「象」とは感情、意欲など意識理ではコントロールしにくい存在。確かにあるのに、扱いにくいもの、見えないけど、理屈で無く自分を支配するもの、いくら頭でわかっていても身体がついていけないときのその理由となっているもの。皆さん伝わったでしょうk?「象」が皆さんのなにであるのかが?

これが今の僕の課題。どう扱うか、それが僕のこれまでの人生の今の時点での大きめの括り、でありかつこれからの課題でもあるのです。これまで、この扱いにくい存在とうまくつき会えたこともあり、そして手こずらされてきたこともあること、それが、僕のおおきな財産です。それをコントロールできればさらに大きな体験ができそうに思えるからです。

それをつかって、あるいはさらに開発してどう生きて行くか、です。

これからもこのコーチング日記は続けます。書くことが、解決の一つの方法でもあるのです。それが田舎での歳時記であったとしても、僕が仕事を続けて行くときの貴重な「象」の餌になると。書くことで、自分をより理解し位置づけることが可能ですから。

皆さんこれからも読んでくださいね。

是迄体験したこと、これからのこと

超介です。

人生、いろいろあって当然。やっと、そう思えるようになりました。人の生き方は、人それぞれ。ひとまわりに近い年齢になり、こうありたい、ということの意味を少し深く理解できるようになりました。

職業やら、あるいは業績を求めて生きることは分かり易いし具体的で良いとおもいます。でもそれにこだわっていきつつ、さらにそこへ到達して行く過程、さらにそれにこだわろうとする理由を揺るがせずに生きる、そちらもとても大切であること。教育コーチングで学んだDoing-Being-Havingの生き方の意味するところ、それを従前より実感しています。

僕の生き方のスタイルでは、学びをレールに据えていこうと思うのです。これ迄の人生を振り返ると、目標を据えてそれを目指していくよりも、出会いに合わせて選択してきたように思います。向こうからやってくる様々な機会、それを学びのチャンスと捉える、それの方がしっくりくるのです。様々な機会の中には苦しいこともあります。たとえば持病である皮膚のあれも、健康について学ぶ機会になりました。まだ良い状態とは言えませんが、さらに工夫すべきチャンスだと。

仕事では35年間、沢山の事を学びました。スキル面も多くの体験ができましたが、今痛切に感じているのは
「出来ない」と思っているのは「自分」である
ということです。今までたくさんの仕事に向かいましたが、何とか過ごしてきました。その体験からの最大の学びです。「出来る」と思うことから始めれば、以外と困難に感じたことでも乗り越えられるということです。最初はびびっても、逃げずに立ち向かえば、なんとかなるということです。これが最大の学びです。特に自分の身の回りに起こることは全部そうでした。

で、私のこれからは一歩進めて自ら目標を立てて進む生き方です。出会いに合わせて選択する生き方から、こちらから出会いを求める生き方への転換です。そちらへ徐々にシフト出来るようにするのです。

集中力がつくサプリメント

超介です。

何かをやる時に、その気になれない、そわそわしてしまい継続できない、その対策について書きます。集中力をつける、というか集中する時間をもつ、そして頭を回転させるサプリメント。

それはパズルを解いたり、計算問題を解くことです。学習塾で働いているので、中学受験の算数を解いたり、教えることがあります。これが結構おもしろい。それをサクサク解くのです。10問中2、3問はちょっと考える問題があるレベル、計算は暗算(式を見て筆算せずに答えをぱっと書く)が出来るか、できないか位のレベルでやるのです。じっと集中して数字を頭の中で動かします。

長期に亘り数学やら算数を教えてきましたが、自分の思いつきの力、めぐりに自信がない時があって、鍛えようと思い、論理パズル、ナンクロなどの問題集を10冊以上、解きました。10年以上前のことですが、慣れればできるようになることを実感しました。その感覚で、計算問題もスムースに取り組みます。

集中する、の最大の障害は、私の場合は「気になることがある」という気持ちです。なので、すぐできることはなるべく即、その時、その場でできるように、行動したり、着手したりして、引きづらないようにします。自宅もなるべく常に整理しかたづけます。仕事もすぐに、片付けたいものです。つまり、即電話して要件を済ませたり、メモしたり、メールしたりします。そのために道具もつかいます。もちろんスマホ、タブレット、パソコン、これらは情報共有するシステム(クラウドなど)があるので、Appleで揃えました。録音機も買ってその場で思いついたことも音声メモできるようにしています。でも、まだまだ使いこなせてません。発展途上、修行中(ずーと、一生かも(笑))です。これはサプリではなくて集中体質作り。

で、こういう風に常に情報処理しつつ生活し、午前中はウォーキング前、活け花の水換え、掃除、勉強の前などに頭に油をさすみたいに、計算問題をときます。僕の場合ば中学受験用の問題集です。サクサクとければ気分も向上。時々解けないパターンがあって、ちょっと復習し、納得、頭スッキリ。せいぜい10分、15分位。学校でやってる朝の読書みたいな感じです。

朝はだいたいそんな感じで、一人で過ごします。昼からはどちらかといえば行動とコミュニケーション中心、体を動かしたり、人と会ったり方々にTELしたりが多いのです。そして夜は又一人でボチボチとやります。

朝の計算は頭をスッキリさせるサプリメント。自分にあったサプリメント、探して見ませんか?

タモリ論から

超介です。

人の言うこと、書くことのうち、信じる、信じないは、目に見えないからではなく、誰がそれを言ったり、書いたりしているか、それによるところがおおきいですね。

目に見えない愛の力、その人が持っている可能性、これらは確かにあるのに、時として信じられなくて、見失ってしまう時もあります。お金とか、財産とか確かに目に見えるものは消えないので信じられます。でも時が経てば、それらでさえ形を変えたり、もちろん使ったり、あたりまえになって、あるのかないのか曖昧になります。

最近「タモリ論」(樋口毅宏 新潮新書)という本を読みました。この本の内容は、お笑いに詳しくない僕にとって、面白かったです。(僕には)見えないお笑いの世界がその中に広がっています。筆者はある漫画からのフレーズ(「海を知るものは賢者であり、海を語るものは馬鹿だ」)から海を笑いに変えて「笑いを知る者は賢者であり、笑を語るものは馬鹿だ」と書いています。

読んだ時に、なかなか理解できない、というか入り込めない本があります。そいう時はやめてしまうか、それとも無理やり読み切ってしまうかですが、この本はそんなに分厚い本ではないので読み切りました。そして読み切った後で、入り込めない理由をページをくりながら考えた時、僕は、多分「笑いを知らない愚者」だろうと、多分そうだろうと思ったのです。笑いを知っている者は読むことにもっと集中できるんだろうと。

笑いを知る賢者であれば、語られることが伝わる、でも知らない愚者にはそれは伝わらない。語りだけでは伝わらない(伝わりにくい)ことがある、ということです。笑い(何がどう、おかしいか)も目に見えにくいですから。

ですから、知らない愚者に伝えることができる人、とはその発する言葉にある種のパワーを詰め込めることができる人です。

僕が笑いのこと、筆者のこと、あるいはタモリのことをよく知っていれば、もっと面白く読めるのでしょう。そのことが分かって、そして言葉で表現して伝わることの限界があることを意識したのです。さらに、愛、可能性など見えないものを伝える力のある言葉を持つ人になるため、しっかりと学んでいこうと、今、思うのです。これは、学習塾で働いてきた体験からも痛切に思うことなのです。大切なことを伝えるパワーを持とうと。

自分でデザインする

超介です。

地球の自転によるコリオリの力は、北半球では進行方向に対して右向きの力であるので、僕たちは前を向いて進む時には微妙に右にそれながら進むらしい(これは冗談です)。そして、この地球では急速な変貌を遂げる空間があり、よくよく気をつけないと(もしそこに居れば)、僕たちはいつの間にか影響を受けて、さまよって道を見失いがちです(これはよくあることです)。

僕の場合、1955年に生まれてから今までは日本全体が激動の58年間でした。前半は高度経済成長、その影響を受け、時間が経てば豊かになるという感覚が育ち、それが世界を見る視点でした。後半の30年程はそれはちょっと違うぞ、と思い始めそして今は、そのことを意識し、ここまでを感謝しつつ、その上でより自分に合った生き方をしようとしています。

5日間で英単語を50個覚えるため、連続して毎朝その50個の単語をチェックして、出来なかった単語を覚えていきます。それをくりかえすと、5日目には完全におぼえられます。1ヶ月程続けました。300個の、その作業以前は1割も覚えていない単語を1ヶ月後には8割近くは覚えて書けるようになりました。でも、それからは嫌になりました。続けるのが辛くなったのです。それで、教えてもらっている英会話教室のオーストラリア人講師に片言の英語と身振り手振りで単語帳とノートを見せて伝えると、彼は「尊敬する、凄いね」など言ってくれましたが、「そりゃ、嫌になって当然、それは受験生の方法だよ。高校生までのね。社会人は色々やることがあるからね。モチベーションは続かない。でも凄いよ。そこまでやったのは。」(まだまだ未熟な英語力の僕に、あえて彼はその役割から英語しか話さず、そしていろいろな単語と、身振り手振りで教えてくれます。多分そんな意味でした。)

受験モードで英語をやっているよ、と。そして彼は英字新聞と問題集を見せながら、「こんなにたくさんの単語があるのに、一つ一つ覚えていたら大変だよ。文を読んで、最初は短い文でいいから英語そのままで読むようにする、問題を質問から読んで本文からその部分を探して読み取る、などの方法もあるよ、と。あなたのために、あなたがそれを自由に選べば良い、と。

早く失敗してもっと良い方法をがして行けば良いことに、気がつきました。目的意識は保ちつつ、道を探しつつ進むこと。それは自分をデザインして生きることにつながります。自分をちょっと高い位置から見て何をしているのかチェックします。そうすると「自分を支配しているもの」に気がついて意味が見えてくるのです。そうして立ち上がってまた進みます。さらに、うまくいかない状況は過去の多くの人が経験していて、それを人に聞いたり、書籍で読んだり(それで僕は本をたくさん積読)、ネットで調べたり(いろいろなITツールに挑戦中)するのです。学習塾で働いているので、学び続けることは、教える者の当然のスタイルです。そこから得られる喜びを時々お話すると、子供達も大人たちも真剣に聞いてくれ、そして僕は嬉しいのです。

未来を考える

超介です。

最近次の本を読みました。
【働かない息子・娘に親がすべき35のこと】(二神能基・畠中雅子 泰文堂)
【里山資本主義】(藻谷浩介・NHK広島取材班 角川oneテーマ21)
どちらも、今起こっている現象の意味を時代背景と、未来から探り出しています。

【働かない・・・・】は生きがい、働くことの価値についての捉え直しです。幸せになるために生きる、働くことはそのための手段であるはずで、全ての人が働くことにそれが見出せる状況ですか?ということの問いかけを【働かない】若者現象は暗示しているのではないか。その意味を抑えながら、著者たちは、現実に自宅にこもって働かない息子、娘たちが幸せになるための処方箋を書いています。今ある資産、状態を冷静な視点で捉えて戦略を立てるのです。

【里山資本主義】はグローバル化した、それゆえに不安、不安定をも時にはもたらすお金を基準にした資本主義に対して、それ(お金中心資本主義)の存在の否定ではなく、経済の本来の目的に戻って、地域が特徴(資産など)を生かしてより自立的に生きる道を示しています。それは昔に戻るのではなく、ここまで技術が進歩して知恵の蓄積が世界中にあるので、それを生かす行きかたです。ここにも出てくるのは幸せとは何か、です。地域にある資産をよくよく考えてその地域で循環的な経済を作ろうという提案です。

この2冊の本は最初の【働かない・・・・】の著者の一人である二神氏より紹介してもらいました。二神氏は若い人たちの自立化などを支援して来られた人であり千葉県にあるNPO法人【ニュースタート事務局】の代表です。そして私の恩人であり人生の先輩です。

さらに 私事ですが、私は来年還暦です。自分の人生の後半の目的、目標を設定して再スタートする時期が来ました。ここまで私も時代の大きな変化の影響を受けつつ生きてきました。これまでのこと、これからのことを考える良い視点をこの2冊は与えてくれました。

悪戦苦闘してポイントを掴む

超介です。

試行錯誤して、悪戦苦闘する時期は苦しいですね。でも、いろいろと試すことが出来るだけの体力と気力を確保しておけば、得られるものは順風満帆の時代よりもありそうです。過去にとらわれない勇気も必要です。

折れても咲く花。勿論、ただ買ってきて瓶に活けているだけのいけ花ですが、季節によりお店に置いてある花の種類も移り変わっていて面白いですね。冬季は花ものは少なくなって実もの、枝ものが多くなっています。お店で白い百合を見つけたので買ってきました。活けようとしたら、蕾がついている枝ごと折れてしまいました。バランスがわるくなったので、もうひとつ蕾のついている枝をおりました。そのまま捨てるのは惜しいので、小さな瓶にさしておきました。それが、今満開です。花だけで生きているのです。茎とともについている花よりも綺麗です。もう2週間ほども生きてて、健気に、どんどん美しくなって行く様を写真に撮りました。

挫けずに継続する学び。昨年5月より、1週間に50分ほどかけて読んでいた洋書(FOR THE LOVE OF PHISICS 邦訳名 これが物理学だ)を先日、10ヶ月かけて読了しました。洋書を読み切るのは、これで3冊目。英語を勉強する目的は3つ程。
1、英検準1級に合格すること➡︎今年度中に達成すること
2、洋書を読み切ること➡︎とりあえず【7つの習慣】を今年度中に読み切る。
3、英会話力UP➡︎2020年東京オリンピックで通訳(ボランティア)する。
どれも相当、背伸びした目標です。
このうちの2、次に読もうとしているには】ジェームスアレンの 【原因と結果の法則】これは英語の勉強を始めた時に読んでみようと決めたうちの1冊。勿論、横に訳書をおいて音読します。そのまま本文の英文を理解できる力はまだないのです。

悪戦苦闘、試行錯誤して、ポイントを掴み取るためには目標は重要。目標を掴んでいれば、様々な事柄と出会い、次の一歩を踏み出して進むことができると思います。