とらえ直しをする(その2)

超介です。

  純粋に、事物だけをそのままに見る、ということは難しいことです。いつも私たちは何らかの思考枠にとらわれてしまう、何かのバイアスがかかっているのです。そもそも何もフレームを持たずには見る、という行為は成り立たないのです。

  たとえば、時系列抜きに思考はできません、そして時間は人が考えた枠です。自然は時間とは別にあるんだと思いますが、そのような世界に人は足を踏み入れることはできません。もしできれば時間旅行の可能性がひらけます。そのようなことはありえないでしょう。

  だから、概念で事物を見ているという事実を理解できていて、必要に応じて捉え直しができれば良いと思います。

  壁にぶつかったと感じたとき、その壁の向こう側へいくのであれば、壁を捉え直せばよいと。私は、これまでの人間関係において、何度も失敗をした、と思ったことがあります。最近も過去の人間関係の出来事を夢で見て、夢からさめて強い感情が起こりました。その感情は後悔につながりました。そして、まさに”自動的”にこれからは、このことに負けない生き方をしよう、と決意をしてしまいます。

  そして、過去のことを夢で思い出して新たな決意を”自動的”にする、ということの中に、まだそのことから自由になっていない、という事実があります。

 そのように起こったことに対して、上のように反応することは一つの形としてokだとは思うのですが、一方で狭いとも感じます。夢からさめて1週間ほどたった今、その決意は何だったろうと思ったりもします。いまは、夢から覚めて起こった強い感情の、そのもとをたどりたいのです。

  そのもとの事柄をたどって言葉できちんと説明できたときに、それが捉え直しができたということであり、そこから始まる決意はもっと自然で、身体でわかったように思えて、長続きしていくことが、きっとできます。ちなみに、今回のことについて、私は、まだそのもとまでたどりついていません。宿題を残しています。

捉え直しをする(その1)

超介です。

  故郷丹波に移住して、良いとこ探しをしているうちに、少しずつこの地に対する捉え方が変わりつつあるようにおもいます。捉え直しができそうです。18歳までは、いや生まれてからの58歳になるまでの58年間、私を捉えていた丹波に対する感情は、狭いところ、何もない、だからつまらない、早く出て行きたい、すみたくない、でした。

  もちろん、今でも「私のすむこの家からは最短のお店は1キロほど離れたヤマザキデイリーストアだけでコンビニは8kmはなれたところにローソンがあるだけです」。そして、このとき、事実に即していえば「最短のお店は1キロほどはなれたヤマザキデイリーストアで、コンビニは8kmはなれたところのローソンです」です。この2つの複文の前段と後段に、前の文章では「だけ」がはいり後ろの文章には入りません。「だけ」を入れると、そこに私の「だから少なすぎるんだ、さみしいんだ、不便なんだ」という考え方が入り込みそうな余地があります。

  しかし、「事実」を述べる後ろの文章に注意を振り向ければ、そこからどのような「思考」をするかは自由です。好きになるか、嫌いになるかは私が決めることができます。この決めることができる、ということに気がついて、それが実行できれば捉え直しができます。

  例えば「お店が遠いので、お金を使う機会がないので、無駄使いしにくい、お金が節約できる」「簡単にものが手に入りにくいので、身の回りにあるもので工夫をし始めて、それが楽しい」「甘いもの等を買って、食べる機会が少なくなっているので、たまに買うことのできる100円のお菓子がおいしい」というように。

  そして、丹波が嫌いになった、のも、丹波が好きになった、のも、どちらも決めているのは私自身であることに気がつきます。気がつけば自由になります。

  「事実」と「概念」をきちんと分けて捉えていけば「概念」にふりまわされて疲れてしまっている自分に気がつくことがあります。それを捉え直しする方法の一つが苦手なもの、人に対する「良いとこ探し」です。このことはコーチングで学んでいましたが、最近自分の身に起こったことに対して気がつくことができました。そして気がつくことでわたしは、自由になりました。

不安をコントロールする

 超介です。

 不安もみずからが作り出すものなので、それをコントロールするのも自分次第、ということがわかるためには、まず、それを頭で理解するだけではだめで体験が必要でした。それは、思い切ってやってみるという体験です。さけることもできることでも、気にかかること、あるいは先延ばしするだけになることなどを思い切ってやってみると、行動してよかったと思えます。少なくとも、結果が出るので次に進みやすくなるからです。

 行動することに対する障壁が低くなったとしても、不安は別の角度から襲ってきます。ある範疇の事柄についての無意識の中に潜む否定的な考えが突然支配的になるのです。それは、これまでいつもだめだと考えてしまっていて、それが定着しているような感じなのです。それがわき起こってくるとき、ときには体調が悪いのではないか、だからそのように感じるのだ、というように割り切ろうとすることもあります。体調の場合もあるかもしれませんが、でもよくよく考えてみると、その否定的な考え方が体調の悪さを作り出し、否定的な考え等は持っていないんだと、カムフラージュしているときもあります。

 選択心理学で学んだことですが、思考と行動と生理的反応と感情は一つのまとまりである。そして生理的反応と感情はコントロールできないけれど、思考と行動はコントロールできる。だから思考と行動を選択することにより生理的反応と感情も管理できる。

 また、生理的反応と感情の役割はセンサーであるとしています。

 「ああ、自分はネガテイブになっているなあ」と自己承認を始めることができれば不安の感情が派生する原因が見えてきて、とるべき行動に結びつく、と思うのです。そういう意味では不安という感情もとるべき行動を決定するためのセンサーの働きをしてくれます。

 これまで、あまりにも与えられた仕事やら、私事に受け身で対処してきたため、
このセンサーの働かせ方はまだ十分に身に付いていません。フリーになった今は、自分で決めることが増えてきて、このセンサーを使いこなしつつ行動をすることが課題です。

 ここまで読んでいただきありがとうございました。

ペースをつかむ

超介です。

 新しい環境にだいぶ慣れてきました。丹波に住まう前に四国松山で40年間過ごしたこと、松山のすばらしさがあって、こちらに移り住んだ最初の2ヶ月間ほどの、丹波での生活には違和感がかなりありました。退職して定職を持たぬフリーの身、就活中の身であることも影響して、身体的には、夜眠りが浅い、疲労感、頭痛、腹痛等となって表れてきていました。

 多分環境変化に適応ができていないんだろうな、と。40年前に松山に一人で生活を始めて、なじんで、好きになったとはっきり意識できたのは10年後であったし・・・。でも、今回は少し人生経験もあって、最初から丹波での生活の 良いとこさがし を始めました。それと符合するかのようにコーチングカレッジでメタ認知を学んで自分の状況をちょっと離れてみること、これも意識しておこなえ、そうは落ち込まずにいることができています。

 嫌な環境、嫌な人とはつきあう必要もないかもしれません。でもさけられない環境、人間関係、かつそれらを受け入れにくいとき、スムースにするときに「良いとこ探し」は有効だとおもいます。教育コーチングでも関係を考えるときの、観点を変えるものの見方、事実と概念等を学びました。

 以前、教務指導の現場にいた頃、職場の大先輩に、うまくなじんでくれない子供について相談し、大先輩は「生徒理解」という考え方を教えてくれました。それは「この子はこんな子、と決めつけるのではなくて、現在のその子の環境、これまでの環境、場面毎のその子の振る舞い等々いつも踏み込んで見ていきましょう」、というような意味でした。理解するの進行形(理解ing?),動きがあるのです。

 人も、環境も「こんなもんだ」と決めつければ、そこでとどまってしまう、ということ。はじめから結論を出してしまうと、そうなってしまい、その結論でokの場合はいいのですが、不満であるなら、それは変えれる、いや変われる、と今は思えます。

 コーチングをやっていて、ふと「この人はこんな人なんだ」と決める自分に気がつきます。それから、そこからはなれます。それをおいといて再度相手に集中します。そうした方が良い成果が出ます。

 未来と自分は変え放題、これでいこうと。そしてそのために動いていこうと。

就活

超介です。

 四国松山から兵庫県丹波市に引っ越し後、1ヶ月あまり経過しました。生まれた土地で再スタートして様々なことを経験することができました。実家の農作業は田植えから始まり、その水田の管理(主に圃場の水量調整)、田圃と畑の周りの土手の草刈り、畑の耕し、それに伴い田植機、トラクター、耕運機、草刈り機、農作業用運搬機の使い方の基本、それから所有している田畑の特徴、自治区の日役等。両親の体力等の衰えも目の当たりに実感しています。

 今日は就活セミナーに参加してきました。かつて採用の仕事をしていたのと逆の立場で、今度は採用される側に。今日のセミナーは就職活動にあたっての心構えがテーマで、自己分析等をおこないました。一番難しかったのは将来像の設定、つまり目標設定です。ここで思考停止。「こんな突拍子もないこと考えてもなー」とか「本当は自分がなにをやりたいんだろう?」とか、決められない自分がいます。いまは「でも、人生の一大チャンス、いい機会であるので、じっくり考えよう」と開き直っています。

 セミナーではこれまでにやってきたこと・できること(can)、やりたいこと(want)、そしてやるべきこと(must)の3つの円の共通部分が大きいと自由自在に働きやすいなど、教えていただきました。重なりはまだ見えにくいのです。丹波に帰ってきたことはmustの円を確認するためでもありました。じっくり考えるのは、この3つ、これをじっくり見つめれば見えてくるはず、と思うからです。
 
 結構大きな変化を超えてきた自分に少し自信がついてきて、それは未来像に少しずつ好影響を与えてきているように、そう感じます。

疲れる理由 から

超介です。

その作業終了直後にはわからず、数時間経ってから疲れていることに気がついたことがあります。最近はもっぱら両親に教えてもらいながら、自宅の農作業をやっています。トラクターを使って田んぼやら、畑を耕した時のことです。機械に乗り運転して作業するのです。乗って作業するから楽で良い、と思っていましたが、途中で気分が悪くなったように感じました。丁度乗り物酔いの感じなのです。草刈り機を使って作業する時も同じように感じました。

これはつまり疲労でした。運動をして疲れるのは、自分で体を動かしたことからくる疲労です。でもよく考えれば、自分で身体を動かすのも、外部から動かされるのも身体が動くという意味では同じなので、疲れて当然、と納得しました。機械と身体が同調して動くようになれば疲れない、と父が言います。きっとそうですね。機械を使いこなす、とはそのことも条件にはいるのでしょう。

心の疲れを実感したことがあります。それは労務管理をしていて人の話を聞くことが多かった時、時には愚痴を聞いたりするのですが、これが続くとぐーと心が重くなる感じでした。たぶん、心が外部から激しく動かされていたからだと思います。今は、聴き方、質問の仕方をコーチングの理論で学んだり体験したので、たぶん、「話を聴く」ことは苦痛にはなりません。自分の課題と、相手の課題を分離することの重要性、有効性も最近本(嫌われる勇気、岸見一郎 古賀史健)を読んで学びました。

このアドラーの教え、「課題の分離」から「共同体の感覚」までまだ十分に理解できたとは言えませんが、これまでもやもやしていたことをスッキリとさせてくれて、的確な視点を与えてくれそうです。もう少し学んでいこうとおもいます。

丹波でスタート

兵 庫県丹波市に引っ越しする為、愛媛県松山市の自宅の売買、清算、引越しと兵庫県丹波市の実家の準備と引越し後の整理に明け暮れた1ヶ月半でした。ようやく全部片付き、数日まえに転入手続き、幾つかの住所変更、失業保険給付申請等も終わり、自室と小さいながらも書庫を作って大方整理できました。
この間、日課にしていた決め事は実行しませんでした。そろそろ再開しようと思います。自室の机上も片付け、道具も並べて開始準備終了です。明日から再開です。
丹波市の高速のインターから8kmばかり離れた私の新たな住居は、竹田川の上流、幅1kmにみたない平野(というほど広くはない、平たく田んぼが広がっている地域)の山里です。
朝は、鳥の声で目覚め、今の季節は雨が降っていれば昼頃からは、そうでなければ夕方からはカエルの合唱でうるさいほど。住居から200m山路を登れば丹波山地の山に入ります。南向きの窓を開ければ新緑の樹木の間に数戸の家屋が見えます。この自治区は戸数わずか34戸です。自然に溢れた処です。その自然がどんどん様変わりしていきます。コブシ花が咲き乱れた山の後に山桜が映え、今は常緑の杉、檜やら新緑の木々が混じって山を彩っています。
自宅から一番近いお店は2kmほどは慣れていて、そこまで行かないと飲料の自販機もちょっとした食料も手に入りません。コンビニは8kmほど離れたJRの駅のある地区にあります。でも、20kmほどの処の市の中心まで行けばスーパー、家電店等の大型店舗、Mac、回転寿し店等々があり、生活するには十分です。情報はインターネットから、欲しいものもネットで発注すれば数日内で届きます。
色々なお店やら施設もできていて、探索も楽しみです。実家の農作業も少しずつ始めています。
随分と山の中ですが、ここでしか出来ないことがたくさんありそうです。

卒業できないのです!

超介です。

最近良く夢をみます。大学を卒業出来ない夢です。卒業できていなくてあせりを感じています。授業が理解出来ない、出席していない、等で単位が取れないので卒業できていないのです。何年も留年してどんどん自分だけが遅れているのです。

このことと、様々な本を読む、英語の勉強をする、実家の農業をきちんと出来るようにする、という気持ちとは何処かで繋がっています。

 何かができていない喪失感があって、それが時々無意識裡から夢になって顔をだし、それに突き動かされて学ぼうとするんでしょうか? それでは、喪失感のようなものは何なのでしょう?

なりたい自分になろうとするようにやって来れなかったからかもしれません。先日、10歳上の先輩と2年ぶりに出会い2時間ほど話しました。生まれた時代が10年違い、育った環境も私とは全く違う人ですが、そんな人からから、私がどう見えるのか、貴重な意見をいつもいただきます。

 今回彼との対話から、生年である1955年及びそれ以降の日本の時代環境と、生まれてから身につけた考え方の両方が原因で、自分のやりたいことを探さずとも生きてこれたことと、喪失感とが結びついているように感じました。

それは、僕だけではなく異なる形で多くの人にもある気がします。多くの人は忘れているだけ、あるいは気がついていても無視しているだけかもしれません。当たり前になっていて、今更という感じ、僕が遅れて感じているだけかもしれません。

 今ここで、時代のせいにしたり、生まれつきのせい、育った環境に理由を探すのは、それから自由に考えていきたいからです。自分の生き方がゆがんでいるのではないか、それを探る為です。僕は平凡な人間です。ありもしない天才的な才能を持っている人間ではなく、それでも自分をよく知りたいとおもっています。

書くことについて

超介です。

この投稿で300回目となりました。これまで読んでいただいた皆様、ありがとうございます。生活していて、ふと頭に浮かんだことを覚えておいたり、短い文にしておき、気の向いたときに文章にして、何回か校正して投稿させていただいてます。

文章を書くことについて抵抗を感じなくなったのは、会社での経験からです。創業当初、教材を作ったり、テストを開発したりして、物事を計画的に進めることを覚えました。そのようなことを10年ほどやりました。その後、引越しして、本部から離れた勤務地にて、担当のエリアの計画書を書き始めたのです。最初は経営者の計画書の目次を写しました。分析的な思考の型を理解し、それを真似て、自部門の計画書を幾つも作りました。20年ほど前のことです。また、運営メッセージを自部署内でFAX配信していました。枠を作って、その中にワープロで書いた文章を貼り付けていましたが、これは1週間で複数回、多いときは土、日は除いてほぼ毎日発信していました。そのような時期が数年間あって、その頃から主に安岡正篤、大前健一等の本を繰り返して読むようになりました。

その後、塾の運営現場をサポートする部署に移り、今度は文を書く機会は減りましたが他の分野(不動産、人事等)の知識を身につける必要があり、宅建やら衛生管理者の資格をとって業務に生かすようにしました。そうすると、社内外の色々な人と出会ったり、トラブルも含んで様々な出来事に遭遇することができました。このことは、文章を書く上でも好影響を与えてくれています。引き出しがたくさんできたのです。あるテーマの文章を作るとき、それに関する引き出しを開けてそこから関連情報を取り出すことができる、そんな感じです。

文章を書き出してみて、自分が何を考えているかが分かります。それまでは、引き出しの中にあるので、中身は見えません。書き出してみると、引き出しがあいて、陽があたって見える。それは人が話すことによって自己理解が進むのと同じ構造です。そして書いていくと、同時に情報整理が進んでいきます。そのような過程を経ていき、書くことが苦にならなくなり面白くなってきたのです。

コーチングと出会ったのは7,8年前、そしてこのブログが始まったのは、2008年10月からです。途中中断していたこともありましたが、およそ5年間書かせていただきました。楽しかったです。ちょうど35年勤めた学習塾を退職、愛すべき愛媛松山から故郷兵庫丹波に移る時期と300回目が重なりました。3日後の4月21日に松山を離れ、丹波に移住します。様々な想いが去来します。

このブログの私の文章はわかりにくいかもしれません。でも、これからも精進して、伝わるような内容になるように努めます。英語とICTを通じてさらに引き出しを増やすこと、これをしつつ、日本語の練習に励みます。もちろん読書と実体験も。

みなさん、どうぞこれからもよろしくお願いします。
ありがとうございました。

ぼーとする

超介です。

ぼーとしていた方が良い結果が得られる時があります。

意識を集中させすぎると上手くいかないことが幾つかあります。例えば車の運転、いつもぼーとせよ、というわけではありません。注意を周囲に払いつつですが、リラックスして運転することは大切で、とくに初めて訪れる地域、そこは目新しいので、周りの事物に気を取られて目的地を逃してしまうことがあります。目的地のことを頭において、周りを、全体を見つつ運転する、と目当ての光景が飛び込んでくる、もちろんそこからは集中。でも、考えすぎていると、行き過ぎてしまうことがありませんか。もちろん運転に慣れていないうちはダメです。

よくよく訓練されて身についている事柄は無意識裡に入っていて、自動化されているのでほっておきます。その次の課題を意識裡において取り組みます。私は、センスの良い人をみてると、その動作が自然体、それを感じます。そして、練習不十分で肩に力が入っている私。

覚えたことを即、そのまま応用して練習する時期があります。その時は意識して練習すれば良いのですが、次の段階はそれが自然と使えるようになること。この時は、ぼーとしていた方が良いように思えるのです。

練習はしていないのですが、そして、決していま何もしていないわけではないのですが、35年間勤務していた会社を退職して、自宅でせっせと引越しの荷造りをする毎日で感じたことは季節の移り変わりを感じるようになっていること。毎日のルーチンのウオーキングをこなすとき、温度変化がよくわかるようになりました。歩きながら、1日の、会社でのこなすべき仕事を考えたりすること少なくなり、プレッシャーから解放される度合いが減ったように思います。そして、プレッシャーのかかる状態(それがあると感じてしまう時)だと、意識がそこに向かってしまいがちで実力が発揮できません。ですが、今はそこに気を取られていないので、五感が以前より自然に働いているように感じるのです。

意識の集中と拡散、それと合わせて自分の身体的な能力の伸長、発揮をしていくことは大切で、達人への道はその使い方の習得ではないでしょうか。それが達人が多方面に通用する能力を持ちうる所以だろうと、そう思います。必要に応じて意識の集中と拡散のコントロールが出来る人になりたいと思います。