習慣の力

 超介です。

 やることがたくさんあって、それに振り回されるといつの間にか疲れ切ってしまい途中で放棄してしまいがちになります。仕事も人生も推進エネルギーは無限にはくみ出せないようです。本来やりたいこと、目的をしっかり見つめて、優先順位をつけて取り組むことが大前提ですが、持てる時間も有限です。どう効果的に使うかその方法は大切です。

 その効果的な方法の一は習慣を使うことです。私の場合、これまでの学習塾での経験を生かして自塾をスタートしたのですが、理念も指導のスタイル、教室のつくりも、この地にふさわしいオリジナルにしようとしています。こまごまとした、例えば何時に教室を開けて、掃除をどうするか、不在時のTELはどう受けるか等々から、教材の準備、授業、講座準備、宣伝等々やりたいことがいっぱいあります。それに加えて夏からは急遽高校生も受け入れ、高校英語、数学の準備も始めたり。

 多岐にわたることをこなしていくときに、ルーテイン化して決まった仕事にしてしまうと考えずにできるようになり、小さなエネルギーでこなせるようになります。特に時間をかけてやっていかないと身につかないようなものは習慣にしてしまうと楽になります。朝起きてから職場に行くまでの時間、出社してからの内容も決めておいて毎日繰り返すのです。すると迷わずに仕事が進んでいきます。

 子供たちの勉強も習慣がうまく作れれば効率がぐんと上がります。習慣の力を使って新しいことを取り込んでいくと、そこで消耗しないのでさらに次にやりたい新しいことに取り組みやすくなります。

内省するとき(読書から)

超介です。

本が早く読めるというのは、その本のおおよその内容が予測できていたり、理解しやすいとき、つまりすでに知っている感の内容のときです。その内容が脳の中のアクセスしやすい、意識の浅いところにあってすぐ届く感じ、だから早く読めます。速読できるのはすでに知っているからのようです。そして、読書体験を積み重ねていくと知識が緻密化、深化し、理解できる対象が拡大します。するとさらに読みのスピードが上がったり、読める範疇が広がります。まさしく勉強が進む感じです。速読は復習かもしれませんね。

しかし速読できないけれど、興味を惹かれる感じの本があります。それは、最初ペラペラとめくった時、意識の奥の方から呼びかけられている様な感じです。じっくり考えながら読んでいくと納得でき、理解できる本であることが多いようです。このときは、自分の中にあるものを呼び出してきてそれと、本に書いてあるものをが結びつくかどうか試している感じです。この時に内省することが多いのです。わかるということは自分が知っていることと新たな内容を結びつけることなのです。

読書をするとき(もちろん本の種類にもよりますが)、それは自分との対話を、つまり内省する機会だと思います。主宰する塾にも色々な本を並べました。読書体験を積み重ねて深い思考習慣を身につけてほしいと思います。

書くことで内省する

超介です。

コーチングは、クライアントが自分の心に集中しているときスムーズに進みます。さらに、セッション以降に行動が伴いフィードバックがあればダイナミックになります。でも、まず第1段階は振り返り(内省)です。

クールに、第3者が見るかのように自分のことが見える、そうなれば次の展開が期待できます。感情に動かされず、冷静に自らを振り返ることができるように。クライアントが自分の感情を吐き出して、クリアにしていくことが必要な時もあります。それらの過程を支援するのはコーチの重要な役割です。

このような内省の習慣化のためには書くことも、そして読むことも有効です。そのうちの書くことについて実践の一例です。j.スクールでは授業終了時に出席カードを提出してもらっています。A4の用紙にその日にやること、やったことなどを記入できるようにしています。

これを始めてから2か月が経過しました。最後の振り返りの欄を見ているとそれぞれの子供たちの特徴が見えます。さらに一人の生徒の記入内容を見ていると変化が見えるときがあります。「お、変わったな」とわかることがあります。書くことによって内省が進むように、さらにはより生きがいのある学びの実感をつかめるように、と。

読むことについては次の機会に。

あり方と継続力

あり方と継続力

超介です。

1ヶ月くらいなら勉強も、ダイエットも毎日継続できます。でもそれ以上となると、ちょっとした工夫が必要になります。1か月程度続くと、そのことに安心(いや慢心というほうが正確ですが)したり自信が顔をのぞかせてきて、ちょっと自分へのご褒美といって休息日を増やしたり、食べたいものを食べたり、結局途中でやめてしまいがちになります。

まず、1ヶ月程度の継続は、計画と記録だけでできます。毎日行う内容を決めて、記録をつけていけば31日程度はできます。ポイントは実行する内容と、場所、時刻、量をよく考えて決めることとそれから記録と反省を毎日行うこと。私の場合は朝の時間帯がいかに活用できるかが決め手になります。夜になると気力と体力を消耗してしまっているのでエネルギー枯渇、実行できにくくなるのです。

次に、2か月以上の長期にわたる継続のポイントは何のためにやるのかという、目的意識がセットできているかどうかです。継続したい事項は目的が達成されればそれで終了です。ちょっとできるようになって評価されたい程度のことであれば、それで終了です。私の場合は大体これです。そもそも、目的が軽いから、ある程度達成できるとそこでやむのです。

自分のあり方と継続して身に着けたいこと、達成したいことが重なっているかどうかが、ポイントなのです。子供たちとのかかわり方を通して追及しているのはあり方と行動を重ねることです。本当の願いに気が付いて生活し、行動しているかがとても大切なのです。

朝起きぬけの体験から

超介です。

数日前の朝、目覚めると白い直方体の箱が見えました。天井近くの壁に横が長く、そして開口部が付いています。(きたぞ、この感覚!)ここはどこなんだろうという不安を感じつつ、そのままでいます。方向感覚もまだ戻ってきません。しばらくこのままでいようと横たわっていました。

そのうちに、脳の回路がつながって白い躯体がクーラーであること、いつもの自室で横たわっていることが自覚できます。これはクーラーであると、過去の知識が蓄積しているから、認識できます。けれども直方体、白という知識も蓄積されていなければ、見るという行為も成り立たないのかもしれません。

過去の知識の蓄積が今の認識を形作っているので、それがゆがんでいれば、世界を歪んだレンズから見ます。時々はall clear にしてみることも必要かもしれません。何かにとらわれていないかと。

数学、英語、理科、国語、社会などの教科の勉強やら、家庭、学校で起こる様々なイベントを通してレンズ磨きをやっていけるようにしたいと思うのです。そのために、(j.スクールという自塾を)子供たちの経験することに彼ら自身がきちんと向かい合える場にしていこうと。そのためにコーチングは強力な武器です。

子供の変わり方は、想像以上です。特に、自分でやることの意味と意義の感覚をつかんだ時は行動がかくんと変わります。私のそれぞれの人への向かい合い方も時にall clear にします。

見えていないけど

超介です。

「自分と異なる体を持った存在のことを、実感として感じてみたい」と帯にあります。「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(伊藤亜砂 光文社新書)を読みました。

 見える人は2次元で世界を見ることができます。では見えない人は世界をどう感じているのか?筆者は「見えないがゆえに「死角」が存在しない、3次元で理解をする」というように説明をしています。つまり全体を俯瞰するように把握するという意味です。

 この本を読み進めた理由は、塾生やら保護者の方々の行動、考えに対して私自身が「見えてないなあ」と思うことがあることからきているようです。理解したがり、わかりたがりの傾向のある「私」なので、どうすればよいか、を探しているようです。

 「情報」と「意味」の違いについて筆者は説明します。「情報」とは視覚情報、聴覚情報等の神経をとおって脳に行くもの、「意味」は脳が判断する中身、価値。障害のある人に対する「情報」の措置(補助的な対応)も無論大切です。例えば、点字ブロックとか、音声ガイダンスとか。そして、さらに「意味」はもっと慎重に扱われるべきと。意味をうまく共有できた、と思えたときに同じ床に立てるからです。

 例えば、計算間違いやら、ちょっとした写し間違いで、想定以上の点数をとれていない生徒がいます。それはひょっとすれば「集中できない」→「集中しない」→「他の考えが邪魔をする」→「他の考えに邪魔をさせている」→・・・・・・→「もっと注目してほしい」という「意味」かもしれません。

「見えてないなあ」と感じるのは「意味」が共有できにくいのかもしれません。「意味」を共有したり、作り出したりするのは大事な私の仕事です。

見えていないなあ

超介です。

 数日前に読んだ本です。「シンプルに考える」(森川亮 ダイヤモンド社)、著者はLINE(株)の元社長さんです。選んだ理由は2つあります。4月にj. スクールをスタートさせた、そのメニューであるコーチングを用いた自立学習の参考になりそうであったから。もう一つはネットサービスを提供する会社に興味があるからです。

 教える塾ではなくて子供が育つ塾にしたいと考えてコーチングをフルに使っています。もちろんそれぞれの生徒が直面している受験やら、学校の勉強、進学、進路それらを対応させています。そのうちやろうとしている塾のスタイルが「定型的なメニューではなくて個別の(自由度の高い)メニュー」「結果(点数)支援型ではなくてあり方(生き方)支援型」を追求していることに気が付きました。この部分は見えてきたことです。

 学習塾で35年間仕事をさせてもらって、その体験から見えることもあるし、逆にその体験が邪魔をして見えていない(だろうこと)こともあります。現場で小中学生及びその保護者の方々に来ていただくと、私自身が「(私は)見えていないなあ」と感じることが多いです。特に彼、彼女らの感性の部分、何を重要視しているかです。

 この見えていない部分はそのままにしておいていいことも、それだけではいけないときがあります。

それだけではいけないとき、それらと向き合うコツは「自己開示」であるように思えます。先日期末テストが終わり、その結果を子供たちが持ってきて話してくれました。「それでどうなん?○○さんはどんだけ満足なん?」などきいて「ほう〜。」「そうなん。」など。そしてどうしてそう思う、とか私の感じたことを伝えるのです。私も彼らも大きく心の窓を開くのです。すると自然にその後が進みます。

どうやら、この私も、彼らも「自己開示」がうまくできるかどうかは普段の在り方にかかわってくるようです。「シンプルに考える」はそのヒントを与えてくれました。

せつなさの来るところ

超介です。

過去を振り返り、生きてきた自分をそのままに受け止めていくと、せつなさがあらわれてきて胸がいっぱいになります。例えば、40年間過ごした四国松山へ再訪すればきっと、松山インターの手前の最後のトンセルをぬけたあたりでは、そうなるだろう、と。

そこに足を踏み入れれば、そこでの40年間の、いろんな出来事が思い出されてきて、それと同時にその時あじわった様々な感情が一気ににじみ出てきます。寂しかったこと、つらかったこと、悲しかったこと、うれしかったこと、感動したこと、楽しかったことがごちゃまぜになってせつなさとなっているようです。

その後はにじみ出た感情に心の表面が洗われてきれいになってポジティブになっている自分に気が付くことが多いのです。

 何年か前、まだコーチングを習って間もないころに「ゆるす」を意識して、おこなったり「心の2層構造」ということを知りえて理解が進みました。

無意識にしまい込まれている様々なものたちが、意識の層に浮かび上がってくるときに、同時にポコポコ泡みたいにでてくるせつなさ。
 

飾ることから離れる

超介です。

「超マイペース」です、という自己紹介をする人に出会いました。彼はあまり「動じない」人で興味、関心のままに行動しているように見えます。かといって、「わがまま」というわけではなく、人の話をよく聞く姿勢を持つ人です。

よく見られたい、こんな風にみられたくない、という思いにとらわれ、自分を飾りすぎて、言いたいことがあらわせない、という自分に気が付いているので「超マイペース」な人が私の前に現れているんだと思います。 

 先日、神戸市での(一般社団法人)日本青少年育成協会総会後の講演会の2人の講師の方からも同じようなことを感じていました。お話の内容はもちろん素晴らしかったのですが私はその語り口、そして自己開示を含む内容に大きな関心を持ちました。

 自分の持っているエネルギーを、最大限やりたいことにそそぐ生き方を見せていただいたように思えたのです。

 同じことを尊敬する人からもアドバイスとしていただいていることに気が付きました。j.スクールのことを話しているときに「あなた自身のひとを出せばよい。受験塾でも自立塾でも関係ないよ。」とアドバイスしてもらっていたのです。

 飾ることにとらわれすぎないように。

Beliefから自由になる

超介です。

「自分はできない」という思い込みにとらわれると、「できない理由さがし」が始まって、何を見ても、体験しても、堅牢な「できないworld」を構築していきます。逆に「できることさがし」をやれば「できないworld」から一歩を踏み出し、行動するエネルギーが得られます。

「できること」もあるし「できないこと」ともあると、少し客観的にとらえることができるようになりました。

組織塾の中で守られていたから「できる」と思っていたことは、個人でやってみると「できない」ことにちかい、と感じることもあります。組織から離れて独立して動くようになって、それまでは「できない」ことが「できる」と思えるようになることもあります。

「思い込み」(Belief)から完全に自由にはなれないですが、やろうと決めたことに向かって行動が繰り出せていないときに、何かの「思い込み」にとらわれているのでは、と考えるようになりました。

そして、もう一つ。「過去の実績・経験から」ではなくて「未来の姿(=達成)から」見ることを意識するようになりました。そこ(未来の姿)へ行くんだったら当然これは通る道、というように「壁」と思っていたことに向かい合えるようになりました。

そして、その道を通る、不安や迷いがあって、それを味わいつつ、通ろうとしている自分がいます。