教育コーチの徒然なる読書日記13

教育コーチのGです。

 第13回徒然読書日記のお題は『尼崎』です。

 私は現在、三重県四日市市に住んでいますが、生まれも育ちも兵庫県の尼崎市で、我が両親は今も尼崎に住んでいます。

 かつて尼崎は、ぜんそく、地盤沈下、光化学スモッグなど、公害のまちとして全国にその名を轟かせて?いました。公園で見かける鳥も、カラス、ハト、スズメ、そしてせいぜいツバメぐらいでした(今では、ムクドリやヒヨドリなどの鳥たちも見かけるようになりました。四日市ではもっとたくさんの鳥種を見かけますが)。

 そんな尼崎ですが、不思議と尼崎の出身者は「アマ」が大好きなんです。そして、尼崎が舞台になっている小説などを読んでニヤニヤするんですよね。

 さて、尼崎を舞台にしている小説はたくさんある(実はそんなにたくさんは無いのかもしれませんが、こだわっているため、たくさん見つけてくる)のですが、その中でも特に4冊の本をご紹介したいと思います。

 まず1冊目は「赤目四十八滝心中未遂:車谷長吉」、2冊目は「白い巨塔:山崎豊子」、3冊目は「あまりかん。:高須光聖」、最後に「幻の光:宮本輝」です。

 尼崎を抜きにしても、ぜひとも読んでいただきたい作品たちですが(というよりも、尼崎抜きで有名な作品がほとんどですが)、特に「赤目四十八滝心中未遂」は昭和40年代の阪神尼崎や出屋敷界隈の猥雑な雰囲気をリアル(実態以上にひどく?)に描写した名作(直木賞受賞作)です。

 「白い巨塔」では、貧窮した労働者の住む町が尼崎で、貧しい長屋に住む人を夙川に住む主人公の財前と対比させた描写がなされています。

 「あまりかん。」はダウンタウンの幼馴染の放送作家が、その幼少時代から高校時代までを綴ったノンフィクション作品です(作者と私は出身高校が同じです)。私の知っている尼崎にいちばん近いのはこの本の風景です(ただし、他のお三方の本に比べると、引き込まれるというほどの本ではない)。

 最後に「幻の光」です。宮本輝は尼崎を舞台にたくさんの小説を書いていますが、この本は初期の作品で、やはり、阪神沿線で貧しく生きる人々を描写しています。

 どの本の尼崎も、あまりいいイメージとはいえませんが、それでも(それだからこそ)アマを故郷に持つ人々の心に響いてくるんです。

 みなさんにも、生まれた町、育った町、またそれ以外の町かもしれませんが、こころの故郷があるのではないでしょうか。もし、故郷を遠く離れて暮らしているのなら、また、いまも生まれ育った町に住んでいるとしても、幼き日の思い出や古き良き故郷の町並みを思い出しながら、自分自身の歩んできた道を振り返ってみるのもいいかもしれません。

三重県開催パパ・ママコーチングセミナー

教育コーチのGです。

 昨日、三重県の鈴鹿市と四日市市でパパ・ママコーチングセミナーを開催。

 午前に鈴鹿市で、午後からは四日市市と、ダブルヘッダーを組み、総勢31名のおとうさん、おかあさん方と楽しいひとときを共有しました。

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 最初は不安げな表情のおとうさん、おかあさん方でしたが、自己紹介、子ども自慢のワークと進むうちに不安は解消され、穏やかな時間の流れの中にも笑顔のはじける、とってもすばらしいセミナーとなりました。

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 午前は研修室、午後はショッピングセンターのオープンスペースという、まったく違った環境でのセミナーでしたが、おとうさん、おかあさん方の熱心さにはいささかの違いもなく、丁寧にメモを取る方、こちらの話すことにしっかりと頷きを入れながら聴いてくださる方、お隣の人とのワークに真剣に取り組む方、本当に素晴らしいおとうさん、おかあさん達でした。

 どちらの会場も1時間30分という短い時間でしたが、大変密度の濃い、学び深くそれでいて温かい場ができていました。

 次は、2月4日(木)四日市市駅前の「ホロン個別学習四日市教室」で開催します。
 詳しくはこちら→http://www.jyda.jp/coaching/lecture/pdf/preseminar.pdf

 また、2月18日(木)、25日(木)には四日市市のじばさん三重で三重県初の親力向上セミナーが開催されます。
 詳しくはこちら→http://www.jyda.jp/coaching/lecture/pdf/yokkaichi.pdf

 どちらも参加枠に空きがありますので、奮ってご参加ください。

教育コーチの徒然なる読書日記12

教育コーチのGです。

 第12回徒然読書日記は『働くひとのためのキャリア・デザイン(著者:金井壽宏 PHP新書)』です。

 金井壽宏さんは、神戸大学大学院で経営学を専門にしている教授です。もちろん、純然たる経営学に関する著書もある(私は1冊読んだだけ)のですが、かなり専門的で難しく、経営学に対する知識が全くない私にはちんぷんかんぷんでした。

 ところが、ひとたび金井先生が経営学を人間的側面から論じると、今回ご紹介する本のように大変読みやすく、しかも「なるほど」「そうだったのか」「そうそう」などと思わず相槌を入れながら読み進めてしまう面白さがにじみ出てきます。

 5,6年前でしょうか、金井先生の講演をお聞きしたとき、その内容の充実度合い、知的好奇心をくすぐるトピック、そしてその話術に、改めて惚れこんだのを思い出します。

 さて、今回ご紹介する本のまえがきに、キャリアについて次のように記されています。

【キャリアとは、簡単にいうと長期的な仕事生活のあり方に対して見出す意味付けやパターンのことを言います。】

 おいおい、簡単にって書いてあるけど、意味が全くわかりません。

 でも大丈夫、この本を読み進めていくと、キャリアとは何か、キャリアというものに対してどのように考えどのように接していけばいいのかが、驚くほどすんなりと沁み込んできます。

 さて、金井さんはキャリアに関して、ザクッと次のような向き合い方を提示しています。

【「せめて節目だと感じるときだけは、キャリアの問題を真剣に考えてデザインするようにしたい」というものだ。】
【節目さえしっかりデザインすれば、あとは流されるのも、可能性の幅をかえって広げてくれるので、OKだろう。】

 そして、この節目を「トランジション」というキャリア論における専門用語や、「クロスロード」という言葉で表しています。

 あれ、どっちも曲の題名で聞いたことがあるような、と思われた方。そう、その通りです。金井さんもジョン・コルトレーンとロバート・ジョンソン(私はエリック・クラプトンのカバーでしか知りませんが)を紹介しつつ、節目論を展開していきます。このあたりの話の展開にも、くすぐられるんですよね。

 人生の節目(トランジション)では、しっかりとキャリアをデザインし、それ以外の時期には流れに身を任す(ドリフト)のもいい。そして、後知恵でもいいから、自分自身のキャリアを振り返り、デザインを再構成する。

【轍(わだち)は、振り返らないと見えてこないものなのだ。】

 そして、

【一見、開始の問題にみえるものは、実は、終焉(英語で、letting it goという絶妙な表現がこれに当たる)をきちんとできていないという問題であることが多い。】

 ときます。

 この一文などは、「う・ん、なるほど。あの場面も、あの時のやるせなさも、letting it goの問題やったんや」と私の脳がすこーんと透き通っていくのを感じました。

【これをくぐらなかったひとに限って、過ぎてしまった過去を振り返ってしまう。】

 教育コーチングにおける「自分を許す」とは、「過去を過去においてくる」こと。まさに、このletting it goを究極まで突き詰めたものといえます。

 さて、ここまでで、ページ数にしてこの本の内容の約1/4をご紹介しました。もちろん、一つ一つの事項はもっともっと内容が濃いですが。

 そして、長くなってきたので、続きは次回ということで。 

教育コーチの徒然なる読書日記11

教育コーチのGです。

 第11回徒然読書日記は『暗号解読 ロゼッタストーンから量子暗号まで(著者:サイモン・シン)』です。

 シュリーマンの著書である「古代への情熱」を読まれたことがあるという方も多いと思います。「古代への情熱」はまさに、古代への夢と情熱があふれた素晴らしい書でしたが、この「暗号解読」は「古代から未来へ到る情熱の書」といったところでしょうか。

 訳者あとがきで、著者であるシンのことを【専門家にとってさえ込み入った内容を、ずぶの素人にもわかりやすく、しかも単に上っ面をなでるのではなく、ずっしりと手ごたえを感じさせるように書ける】と評しています。

 本の題とその太さ(493ページ)から「何やら難解そうな本」なのかなと思いきや、物語としても大変面白く、一気に暗号・古代文字の世界に引き込まれていきます。

 まず、暗号を過信したがためにその命を奪われた、16世紀のスコットランド女王であったメアリーの物語から始まります。囚われの身でありながら、自分自身の支援者たちと連絡を取り合い、イングランド女王であるエリザベスを亡き者にしようと画策をしていたメアリーでしたが、外部とやりとりをしていた暗号文書を解読されてしまい、その結果処刑されてしまいます。

 暗号は基本的に、転置式暗号と換字式暗号とに分かれます。転置式暗号とは並べ替えの暗号のことであり、換字式暗号とは文字を他の文字に入れ替える暗号方式です。

 例えば、「きよういくこちんぐ」という平文(暗号化前の文書)を転置式暗号で暗号化すると「うきよこいくぐちん」という暗号文が得られます(もちろんこれは一例)。また、同様に換字式暗号で暗号化すると「されきかしせなえじ」などとなります。

 メアリーの使用していた暗号は、一種の換字式暗号であったようで、頻度分析(使われている言語がわかっていれば、文章中に出てくるそれぞれの記号の割合を測定することにより、それが平文でどの記号を表しているのかが分かる)という暗号解読の定石を用いることにより、割合簡単に解読されてしまったようです。

 このように、暗号の歴史は、暗号作成者と暗号解読者の戦いの歴史でもあります。

 また、第2次世界大戦でドイツが使用した暗号機である「エニグマ」が、その構造から暗号化のシステムまで、大変詳しく、しかも臨場感たっぷりに描き出されています。完璧かと思われた「エニグマ」が、実はイギリスによって解読されており、そのことが戦況に大きな影響を与えていたこと。さらに、最大級の国家機密であったことから、戦後も解読がなされていたことがひた隠しに隠されていたことなど。

 この次には、古代文字の解読にその人生を捧げた多くの人々を、そのエピソードとともに紹介しています。エジプトのヒエログリフ、ロゼッタストーン、シャンポリオン、クレタ島の線文字B、ホメロスのイリアスとオデュッセイア、ヴェントリスなど。古代へのロマンがフツフツとわき上がってきます。

 最後は、現在でも使用されているDES暗号やRSA暗号、さらには未来の暗号である量子暗号などが詳しく紹介されています。

 これらの暗号には、その暗号を解くキーとなる「鍵」が存在しますが、その「鍵」をやり取りするときに盗聴されるというジレンマがあります。両者が「鍵」を知らなければ暗号は解けないが、暗号化するための「鍵」を相手に伝える際に盗聴される恐れがあります。この問題を解決したのがRSA暗号です。RSAとは、その暗号を発明したリヴェスト、シャミア、アドルマンの頭文字をとったものであり、次のような例えを使って解説されています。

 Aさんは手紙を箱に入れてその箱に錠をかける。そして、その箱をBさんに送る。途中で第三者の手に箱が渡ったとしても、錠を開ける「鍵」がないため手紙を読まれる心配はない。そして、箱がBさんの手に渡ったとしよう。ところがBさんも「鍵」を持っていないため手紙を読むことはできない。ここで、Bさんは自分の錠をその箱にかけて、Aさんに送り返す。Aさんは送り返された箱についている自分自身の錠を自分自身の「鍵」で開けて、Bさんに再度送る。そして、届いた箱についているのは、Bさん自身の錠であり、Bさん自身の「鍵」でその箱を開け、Bさんは無事手紙を読むことができるのである。

 これが、RSA暗号の概念ですが、実際は「一方向関数(素数を用いたモジュラー関数)」「公開鍵と秘密鍵」などがキーワードとなる、大変難解な暗号方式です。また、現在では、署名方式としてインターネットでも広く利用されている暗号です。

 悔しいことに、この本の素晴らしさを100分の1も伝え切れていません。ぜひ、シュリーマンの「古代への情熱」と併せて「暗号解読」を手にとって読んでみてください。

教育コーチの徒然なる読書日記10

 教育コーチのGです。

 第10回徒然読書日記は『本気で生きよう!なにかが変わる(著者:丸山浩路)』です。

 著者の丸山浩路さんは、NHK教育テレビの「手話ニュース845」のキャスターとして活躍された、もみあげが大変印象的な方です。

 もし、この本を手に取ったことがないという方がみえたら、ぜひとも一度読んでみてください。この本には、丸山さん自身が見聞きしたエピソードと自身の体験から生み出された感動の物語が、これでもかと紹介されています。

 まず、いきなり冒頭で紹介されている「五井先生と太郎」のエピソード。涙なしには読むことができません(ネットで検索してみてください)。

 また、「親と子は同い年」という章には、【そもそも親は不遜ですよ。子どもより年上だと思っておられるでしょう。長く生きているという意味では、確かに大人は子どもの先輩です。でも、親になったのは子どもが生まれたときでしょう。そして、子どもの年齢と同じ年月をかけて親としての経験と知識を積み重ねてきたのです。・・・】とあります。

 読んだ当時、「なるほど、そうやな、親と子は同い年か」と心から納得したのを覚えています。

 さらに、「空気が動くとコミュニケーションが豊かになる」として「しんだ、まだだ、ええいワシは真田じゃ」というエピソードが紹介されています。この章のように、おもわず「ぷっ」と吹き出してしまう笑いのツボもたくさん仕組まれています。

 そして、最後の章では「心が変わると人生が変わる」として、少年院で講演をしたエピソードが紹介されています。このエピソードの中で、ヤンキースの松井秀喜さんも恩師から教わったといわれている、次の言葉が紹介されています。

【心が変わると態度が変わる
 態度が変わると行動が変わる
 行動が変わると習慣が変わる
 習慣が変わると人格が変わる
 人格が変わると出会いが変わる
 出会いが変わると運命が変わる
 運命が変わると人生が変わる】

 また、坂村真民先生(真民先生の詩集は、いずれ徒然日記でご紹介します)の詩も、随所に紹介されています。
【本気になると 世界が変わってくる 自分が変わってくる
 変わってこなかったら まだ本気になっていない証拠だ
 本気な恋 本気な仕事
 ああ 人間一度 こいつを つかまんことには
 坂村真民「本気」】

 この本を通して丸山さんが一貫して訴えかけているのは、暑苦しいほどの「本気の人生」です。

 出版されて10年が経つ本ですが、本当に感動と学びの多い一冊です。

教育コーチの徒然なる読書日記9

教育コーチのGです。

 第9回徒然読書日記は『こころゆたかに生きる(著者:林覚乗)』です。

 著者の林覚乗さんは、福岡県にある南蔵院の第二十三世住職であり、「出会う人に明るさを与えられる人間でありたい」を信条に、全国各地で公演を行っているそうです(あとがき)。

 この本には、さまざまな人々のエピソードとともに、林覚乗師の深く温かい思いが綴られています。

 「かけがえのない命を生きる」として、ある女子高校生のエピソードが次のように紹介されています。

 この女子高校生(A子ちゃん)は、生まれた後の小児まひが原因で足が悪かったそうです。A子ちゃんが3年生のときの水泳大会、そのクラス対抗リレーの選手を決めるときに、同じクラスのいじめっ子が意地悪く、泳げないA子ちゃんを選手にしてしまいました。

 家に帰って、いつもはやさしいお母さんに泣きつきましたが、

 【「おまえは、来年大学に行かずに就職するって言っているけれど、課長さんとか係長さんからお前ができない仕事を言われたら、今度はお母さんが『うちの子にこんな仕事をさせないでください』と言いに行くの。たまには、そこまで言われたら『いいわ、私、泳いでやる。言っとくけど、うちのクラスは今年は全校でビリよ』と、三年間で一回くらい言い返してきたらどうなの」】と言われます。

 そして水泳大会の日、水中を歩くA子ちゃんに対して、わあわあと奇声や笑い声が聞こえてきます。

 そのとき、一人の男の人が背広を着たままプールに飛び込み、A子ちゃんの横を一緒に歩き始めました。

 【それは、この高校の校長先生だったのです。「何分かかってもいい。先生が一緒に歩いてあげるから、ゴールまで歩きなさい。はずかしいことじゃない。自分の足で歩きなさい」と励まされた。】

 一瞬にして笑い声は消え、みんながA子ちゃんを応援し始めた。

 このエピソードにたいして、林覚乗師はこうまとめています。

 【A子ちゃんがどんなにかわいそうだと思っても、お母さんが代わりに泳ぐことはできないし、校長先生も変わりに泳ぐことはできないんです。ところが、私たちは、ともすると絶対的なものと比べて劣等感を持ったり、優越感を持ったりするんです。一人ひとりが自分の命の大切さに気がついて、その命を、この世に還元して生きることを大切に考えるべきだと思うのです。】

 教育コーチングでは、コーチの得る究極の成果を「クライアントの自立」であるとしています。クライアントが何か問題を抱えていたとしても、コーチがクライアントの代わりに何かをすることはできません。コーチは「人は自分の中に答えを持っている」との信念のもとにクライアントと関わっていき、クライアントが自分自身の力で乗り越えていく支援をしていくだけです。教育コーチングのあり方は、林覚乗師の思いにも通じるものであると感じています。

 紹介されているエピソードをもう一つ。

 北海道での出来事です。終電に飛び乗ったある中年男性が、乗車券を車内で買おうとしたとき、財布も小銭入れもない。途方にくれたが、正直に車掌さんにそのことを伝えました。ところが、この車掌さん。虫の居所が悪かったのかどうか、許してくれません。次の駅で降りろと言ってくる。次の駅で降りても家に帰る手段はありません。ホームで寝るには北海道の夜は寒すぎる。

 困っていると、横にいた同じ年格好の中年の男性が回数券をくれました。お礼をしたいからと、名前や住所をたずねてもニコニコと手を振って答えてくれません。なぜ教えてくれないのかと文句を言ったら、

 【「実は私もあなたと同じ目にあって、そばにいた女子高校生にお金を出してもらったんです。その子の名前を何とか聞き出そうとしたけど教えてくれない。『おじさん、それは私のお小遣いだから返してくれなくて結構です。それより、今おじさんがお礼だと言って私に返したら、私とおじさんだけの親切のやりとりになってしまいます。もし、私に返す気持ちがあったら、同じように困った人を見かけたらその人を助けてあげてください。そして、またその人にも困った人を助けるように教えてあげてください。そしたら、私の一つの親切がずっと輪になって北海道中に広がります。そうするのが、私は一番うれしいんです。そうするようにって私、父や母にいつも言われてるんです』と私に話してくれました」】

 日本には「恩送り」という考え方が古くからあります。この言葉は江戸時代にはすでに使われていたようですが、親切をしてくれた人に対してその恩を返すのではなく、第三者に対してその恩を送っていくことにより、善意が広がりをもっていくというものです。この恩送りを題材にした「ペイ・フォワード」という映画をご覧になった方も見えると思います。

 私もこれまで本当に多くの人にお世話になってきました。また、ほとんどの場合、その恩をお返しすることが叶わぬままになっています。
 ですから、自分が受けた恩を私も次の世代に送っていこうという思いで、教育に携わっていますし、教育コーチングのトレーナーとしての活動も行っています。

 今、ふと次の言葉が頭をよぎりました。

 「明日からを7回言うと一週間になり、来週からを4回言うと1カ月になる。
  来月からを12回言うと1年がたち、来年からを数十回言うと、私たちは灰になる」

教育コーチの徒然なる読書日記8

教育コーチのGです。

 ブログ読者の皆さんは、これまでにどのような本(小説)を読んできましたか。

 今日は、いつもとは少し違ったアプローチで徒然読書日記を書いてみます。

 まず、私が中学・高校のころ(そう、25年ほど前)、片岡義男の本を読み漁りました。
 片岡義男といえば、「彼のオートバイ、彼女の島」「湾岸道路」「メイン・テーマ」など、いわゆるハードボイルド作家。
 片岡義男の描きだす世界にあこがれ、自分もいつかはステーションワゴンに乗り、横浜本牧ふ頭(小説では湘南がよく出てきてたんですが)で煙草を吹かすなどと妄想していました。
(実際には、高校3年生のとき、友人の兄さん所有、ボロボロの軽四ワンボックスで横浜へ行き、友人がサイドブレーキを引いたまま車を運転していてクラッチを壊してしまい、修理工場に車を置き去りにして新幹線で帰ってきたという経験をしました)

 片岡義男の次は、渡辺淳一に流れて行きました。
 「死化粧」「自殺のすすめ」「阿寒に果つ」など、純文学の世界にのめりこみました。
 俺もいつかは、雪化粧をまとった北海道を、透き通るような肌をもつ女の子と旅をする、などとこれまた妄想を抱いていました。
(実際には、北海道へ行ったのはこれまでに1回だけで、しかも男子校の修学旅行の引率、クタクタになるまで男子高校生と一緒にスキーをしたという経験があるのみ)

 渡辺淳一の次は、司馬遼太郎、池波正太郎にとことん、のめり込みました。
 「燃えよ剣」「功名が辻」「最後の将軍」「坂の上の雲」、「真田太平記」「剣客商売」「忍びの女」などの歴史小説です。
 特に「坂の上の雲」の主人公である秋山好古・真之兄弟には、大きな憧れとともに、俺も世界をまたにかけた活躍をするぞ、との熱い思いを持っていました。
(実際は、うーんですが)

 大学生活に入り、落合信彦を読み始めました。
 「2039年の真実」「モサド、その真実」「二人の首領」などのノンフィクション小説です。
 落合信彦の影響で、アメリカへのあこがれが大きくなり、友人(男です)と二人で1ヶ月間アメリカ西部を放浪したのもこの頃です。
(ほとんどお金がなくカード払いにしていたため、帰国してからも大学へは行かずに、わき目も振らず働きづめました)

 最近では、小説をほとんど読まなくなりましたが、少し前に村上春樹の「1Q84」を読んだあとで、職場で席が近くの元校長先生とその話で盛りあがり、それ以降、その方が村上春樹の昔の小説やエッセイを私に貸して下さるため、村上春樹小説を週に1冊は読んでいます。
(実は、村上春樹は「1Q84」と「ノルウェーの森」「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」しか読んだことがありませんでした)

 以上、どこまで行ってもとりとめのない徒然読書日記でした。

教育コーチの徒然なる読書日記7

教育コーチのGです。

 第7回徒然読書日記は『たった3秒のパソコン術(著者:中山真敬)』です。
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 これまでの読書日記とは打って変わって、あり方ではなく、やり方を紹介している本です。

 私の現在の仕事は、まさにパソコンが相手。毎日出勤すると、デスク上に2台のノートパソコンを広げて仕事をしています。みなさんも、多かれ少なかれ仕事でパソコンを活用しておられることと思います。

 そして、私がよく使うアプリケーションは、言わずと知れた、エクセル、ワード、IE、アウトルック等です。

 私はマウスを使わず、ノートパソコンのタッチパッドを利用しています。なるべくキーボードから指を離したくないがためなのですが、それでもタッチパッドを利用しようとすると、キーボードからいったん指を離さなければならず、なんとか少しでもパッドを使う回数を減らすことができないかと考えているときに、この本に出会いました。

 序文にこうあります。

『本書では、ショートカットキーを中心に、「仕事と頭の回転」を速くするワザを紹介した。』

『ためしに、毎朝、ワザを1つ覚えて、仕事で使ってみていただきたい。これまで1分かかっていた作業が、たった3秒ですむようになるかもしれない。』

 この本を読む前にも、いくつかのショートカットは利用していましたが、便利だと思えるほどではありませんでした。ところが、この本に紹介されているワザを使うようになってからは、ショートカットなしではパソコンを操作できないと思えるぐらいに、必須のものになっています。

 グーグルなどで「ショートカットキー」と検索すると、ショートカットの一覧が掲載されているWebページがたくさんあるのがわかります。【一例 http://sweety.jp/honobono/faq/shocut.html

 Webページを参照して、ショートカットを身につけるのも一つの手ですが、私は、文庫サイズのこの本がお気に入りです。

 特に、便利なショートカットは、「コピー・ペースト、ウインドウの切り替え・一斉最小化、全体選択、IEで前のページやホームページに戻る、ログオフ・シャットダウン、メールの新規作成・転送」などです。

 Ctrl+Aで全体を選択し、続いてCtrl+Cでコピー、移動をしてCtrl+Vで貼り付け。本当に1分かかっていたことが3秒ですむというのも大げさではないと思います。

 興味が湧いたという方は、ぜひ一度お試しください。

教育コーチの徒然なる読書日記6

教育コーチのGです。

 第6回徒然読書日記は『あなたの夢はなんですか?私の夢は大人になるまで生きることです。(著者:池間哲郎)』です。
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 著者の池間さんは、NPO法人の代表で、主にアジアのゴミ捨て場やスラム街の貧困地域を撮影や支援のために足を運び続けています(著者プロフィール)。

 この本は、そういった活動を通して、池間さんが実際に見聞きした、アジアの貧困地区における人々の現状を書き綴ったものです。

 プロローグにこうあります。
『ゴミの山で生きる人々、マンホールの中で暮らす子ども、
 売春婦として売られて行く少女、飢えを忘れるためにシンナーを吸う子ども、
 貧しさゆえに親から引き離された子どもたち・・・・・・、
 そんな多くの悲しみを見てしまったのです。
 やせ細った子どもの亡骸をこの胸に抱いたこともあります。
 見なければよかった、知らなければよかったと思うことも、時にはあります。』

『それでも、どうしたらいいのかと悩んだ末に、
 見てしまった以上は何かするべきだという結論に達したのです。
 たとえ無力であろうとも、
 自分にできることはやっていこうと心に決めて行動することにしたのです。』

『ただ多くの悲しみに出会い、心を動かされただけなのです。』

 そして、フィリピンで出会った一人の少女が紹介されます。

『かつてフィリピンの首都マニラに、スモーキーマウンテンという場所がありました。
 一日中ダンプカーでゴミが運びこまれ、ここに捨てられていきます。
 積み重ねられたゴミは自然発火して、いつも煙が上がっています。

 だから「煙の山」、スモーキーマウンテンと呼ばれていたのです。
 あたり一面、目も開けられないほどの煙と、
 吐き気をもよおす悪臭がただよっていました。

 ビンやスクラップなどのゴミを拾って、
 それをリサイクル業者に売って暮らしている子どもたちがいました。
 中には5歳にも満たないと思われる子どももいます。
 手や足は真っ黒に汚れ、皮がめくれて血だらけ。

 それでも子どもたちは、一心不乱にゴミを拾っていました。
 その姿は生きるために必死で戦っているように見えました。
 子どもたちに話を聞いてみました。
 全員がゴミを拾うことを毎日の仕事にしている子どもたちです。

 その中に一人の少女がいました。
 足の先から頭のてっぺんまで真っ黒に汚れ、
 ボロボロのTシャツを着た10歳ぐらいの女の子です。
 瞳がキラキラと輝き、かわいい笑顔が印象的でした。

 私はこの子に聞いてみました。
 「あなたの夢はなんですか?」
 少女はニコニコしながら答えました。
 
 「私の夢は大人になるまで生きることです」
 
 この答えを聞いて、グッと胸にきました。
 笑顔だったから、よけいにこたえました。
 大人になるまで生きるなんて当然のことだ、と思っていました。
 そんな当たり前のことが夢だと聞いて、愕然としてしまったのです。

 彼らが必死で生きている姿を見て涙が止まらなくなり、
 ゴミの中で人目もはばからず大声で泣いてしまいました。
 ぶざまな人生を歩んできた自分が恥ずかしくなったのです。

 同時に「今まで何をしていたのだ」と怒りとも思える感情がわき上がり、
 「真剣に生きなければ」と心の底から思いました。』

 また、タイでは親を守るために子どもたちが売られていく、そのような現実が存在していると訴えかけています。

 さらには、カンボジアのスラム街、モンゴルのマンホールチルドレン、地雷で足を失った少女など、悲しくも力強く生きている人々が描写されています。

 著者は毎年、モンゴルの貧しい子どもたちを沖縄に招いて、沖縄の人々のモンゴル支援に対するお礼の意味を込めて、彼らの得意な曲芸や楽器演奏によるコンサートを開催しています。
 このコンサートのため沖縄を訪れたある少女に、著者はこう語りかけました。

『もっと勉強して日本に留学しないか。
 私たちが全面的に協力するから沖縄で勉強してみないか』

『すると、その言葉に少女は異常なほどの反応を示しました。
 体中が震え、両手を握りしめて大きな声で泣き出したのです。
 「本当に夢を見てもいいのですか!本当に夢をつかんでいいのですか!?」』

 そして著者は、エピローグでこうまとめています。

『ボランティアには大事なことが三つあります。
 そのことをよくわかってほしいと思います。

 一つ目は、「理解する」ということです。

 二つ目は、「少しだけ分けてください」ということ。

 三つ目は私が最も伝えたいこと。
 一番大事なボランティアは、自分自身がまず一生懸命に生きること。私はそう思います。』

 3年前、200名近くの高校2年生たちに、先に紹介したフィリピンの少女に関するエピソードの読み聞かせをしました。
 その時の彼らの感想をいくつかご紹介します。

「たしかに自分は大人になるのが夢ということは考えたことが無かったし、大人に普通になると考えてた。テレビだって好き勝手に見てるし、時間のむだ遣いになることばかりしてると思う。でも、日本に生まれてこなかったら、テレビなんて見れなかっただろうし、ひまつぶしもできなかったと思う。日本に生まれてこのようなことが当たり前だとか思ってたけど、もう少し人生について考えなくてはいけないな。」

「今までは大切なコトを大切にしていなかったと思う。これからは大切にしていきたいと思った。私たちは日本に生まれて、生きることが当たり前のようになっているから、当たり前って思わないで生きていきたい。」

「日本という国に生まれたことを誇りに思い感謝したい。」

 そして、高校2年生たちに向かって、こう結びました。

「日本では、お金がないと言っても餓死するということはありません。
 大人になるまで生きることが夢だという人もいません。
 恵まれすぎていることにさえ気づいていない人がほとんどです。
 日本という恵まれた国に生きてあなたは何を成すのですか。
 あなたがどれだけ恵まれているかを、自分の力で何でもできるということを、
 どれだけの人が理解していますか。
 努力に努力を重ねてどんなことでも成し遂げて下さい。
 この幸せな国に生きるあなた方には、その権利がある、その義務がある。
 すでにある、この幸せに気づいて下さい」

 さて、
 「あなたの夢はなんですか?」

教育コーチの徒然なる読書日記5

教育コーチのGです。

 第5回徒然読書日記は『人を伸ばす力 内発と自律のすすめ(著者:エドワード・L・デシ)』です。
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 著者のエドワード・L・デシは、「内発的動機づけ」研究の第一人者であり、本書は1995年に出版された「Why we do what we do: The dynamics of personal autonomy」を1999年に日本語に訳したものです(訳者あとがき)。

 出版は約15年前とかなり年月がたってはいますが、その内容は、現在でも十分に通用します。

 さて、人は外的報酬(ごほうびなど)がやる気を高めるものと考えがちですが、デシは研究をとおして『外発的報酬は内発的な動機付けを低下させる』という理論に行き着きます。

 まずは、ちょっと長いですが、デシが紹介している、あるユダヤ人の寓話を引用します。

『ある町の偏屈な男たちが、洋装店を目抜き通りに開いたユダヤ人の男性を
 町から追い出そうと躍起になっていた。
 
 彼らは、その洋服屋に嫌がらせをするために一団の乱暴者を送り込んだ。
 この不良たちは店の前で毎日、大声でやじったりののしったりする手はずだった。
 ぞっとするような事態だったが、その洋服屋は賢かった。

 不良たちがやってきたある日、洋服屋は彼らのやじったりののしったりする努力に対して
 全員に十セントコインを一枚ずつ手渡した。
 すると彼らは喜んで、ますます無礼なことを叫び続けた。

 次の日も彼らは十セントを期待して騒ぎにやってきた。
 しかし、今度は五セントしかあげる余裕がないと洋服屋は告げ、
 全員に五セントずつ手渡した。
 彼らは少しがっがりしたが、五セントでも金がもらえることには変わりがないので、
 各自五セントのコインを受け取り、叫ぶだけ叫んで帰って行った。

 次の日、彼らはまたやってきた。
 今度は一セントしかあげられないと洋服屋は言って、コインを手渡そうとした。
 それを聞いて憤慨した不良たちは、あざ笑いながら言い捨てた。
 おれたちには、一セントぽっちのはした金のために
 わざわざやじるような暇はないんだ、と。

 そして彼らは騒ぐことなく立ち去った。
 結局、洋服屋は不良たちの嫌がらせを阻止することに成功したのであった。』

 この寓話は、お金が欲しくて行っていた行動ではないにもかかわらず、報酬を与えられた途端に内発的動機づけが低下してしまうということを示唆しています。

 さらに、デシは巧みな例をあげ、内発的動機づけと外発的動機づけの差異を明確にしていきます。

『都会の動物園に行けば、お馴染みのオットセイの曲芸が見られるだろう。

 オットセイは腹ペコになった自分の口に飼育係が魚を放り込んでくれるので、
 その魚をもらうためなら何でもする。

 前ビレで拍手をして見せたり・・・・。
 飼育係たちは、報酬を使って望ましい行動を引き出すのがとてもうまい。
 
 このような曲芸ショーは、報酬を与えることが
 抜群の動機付けテクニックであることを証明している。

 「もし、オットセイでそんなにうまくいくのなら、
 私の子ども、わたしの生徒、わたしの部下にもそのやり方が通用するはずだ。」

 しかし、動機づけの問題はそんなに単純ではない。

 オットセイの場合にもそのことは当てはまる。

 たとえば、飼育係がいなくなったとたん、見せ物の芸も消えてしまう。

 報酬は行動の出現率を高めるかもしれないが、
 それは報酬が提供され続ける範囲での話である。』

 次のような2つの実験も記されています。

『大学生に簡単なキューブパズルに取り組んでもらった。
 調査をすると、パズルは面白く、好きであると学生たちは答えた。
 
 こののち、学生たちを2つのグループに分け、パズルに取り組んでもらった。
 1つのグループにはパズルを解くごとに金銭的報酬が与えられ、
 もう一つのグループは報酬が何もないグループである。
 
 30分ほどパズルに取り組んだのち、実験が終了したことを告げ、
 実験者は数分間部屋を空ける。
 
 この間に被験者の学生たちがどの程度パズルに取り組むかを観察すると、
 金銭的報酬を支払われた学生は、報酬のなかった学生に比べ、
 自由時間をパズルに費やすことはずっと少なかった。
 
 人はいったん報酬を受け取り始めると、その活動に対する興味を失うのである。
 そして、報酬が打ち切られると、もはやその活動をしたいと思わなくなるのである。』

『学習の前に、テストをされると予告された子どもより、
 他の子どもにあとで教えてもらうと伝えた子どもの方が
 内発的動機づけが高く、概念的理解度も高かった。

 ただし、機械的暗記は、テストを予告された子どもの方が成績が良かった。
 しかし、1週間後に行ったテストでは、
 テストをすると予告された子どもの方が忘れた量が多かった。』

 そして、デシはこうまとめています。

『人は報酬を、統制するものだと見がちだということである。』

『報酬によって人は多くの活動に対して興味を失ってしまう。』

『その活動を金銭という報酬を得るための単なる手段としてしか見なくなり、
 その活動にかつて抱いていた興奮や熱意を失ってしまうのである。』

 また、自分自身の内部にひそむもう一人の自分について、

『だれの心の中にも主人と奴隷の関係がある程度存在している。
 人は自らをかなり自律的に偽りのない自分にもとづいて調整できるが、
 一方では自分にプレッシャーをかけたり批判したりして、
 かなり統制的あるいは独善的な仕方でも調整をしている。』としている。

 これは、ティモシー・ガルウェイがインナーゲームで記したところの、
 セルフ1・2にも通じる考え方です。

 教育コーチングでは、このような自分自身にプレッシャーをかける内的な自己を
 「ウィスパー」と表現しています。

 では、どのようにすれば、人は内発的に動機づけられるのでしょうか。

 デシは、次のように記述しています。

『人には、自分の自律性あるいは自己決定の感覚(自己原因性)を経験したいという
 生得的な内発的欲求があると思われる。』

『内発的に動機づけられるためには、自分が有能であり、
 自律的であると自分自身で認識している必要がある。』

 また、シャーロット・セルバーの「センサリー・アウェアネス(人の内的な機能をはたらかせ、本当の自分に触れる機会を増やす手法)」を引用し、「ねばならないを手放したときに、そこに至ることができる」という趣旨の主張を展開しています。

 これはまさに、徒然読書日記3でもご紹介した、教育コーチングでいうところの「自分を許す」ということにほかなりません。

 前にも書きましたが、教育コーチングのプログラムの中でも、ぜひとも「自分を許す」は体験いただきたいものの一つです。
 
 さて、最後になりますが、教育者、親、上司としての私たちにとって、大切なことが書かれています。
 
『統制しないで励ますというスタンスは一見容易なことのように思えるかもしれないが、
 実は決してそうではない。
 自律性を支えることは、実は強制することよりもむずかしく、
 より多くの努力や技能が要求されるのである。』

『プレッシャーを与えるよりも、それを取り除く方が学習を促進することが示された。
 統制が学習効果にマイナスの影響を与えるという知見は、
 人間一般に通用する特徴であると解釈できるのではないだろうか。』

『独立性とは、独力で何かをすることであり、
 他者からの物質的、情緒的支援に頼らないということである。
 それに対して自律性とは、自由な意思と自己選択の感覚をもって、
 自由に行動することである。
 独立していてしかも自律的な人もいれば、
 独立していて、しかも統制されている人もいる。』

『自律性の支援が自由放任と同じでないことは、
 いくら強調しても強調しすぎることはない。』

 狭き門の一節を思い出しました。

『力を尽くして狭き門より入れ。
 滅びにいたる門は大きく、
 その路は広く、之より入る者おほし。
 生命にいたる門は狭く、
 その路は細く、之を見出す者すくなし』

 教育コーチングのアプローチは、決して簡単で楽で広いというわけではありませんが、狭くても生命にいたる力強い路です。

 とかっこよく決めましたが、狭き門の主人公のように若かりし頃に従姉に淡い恋心を抱いて、見事にふられた過去を持つGでした。