怖いもの知らず

 皆さま、おはようございます。 息子の琉太朗が自転車大好き、教育コーチのいっすぅぃ〜です。

 1月21日のブログ『冒険』(クリックでリンク!してます)でも書きましたが、そんな年頃なのか、琉太朗は自転車が大好きなようです。
毎朝、近くの公園までラジオ体操に行く際、歩いたほうが早いんじゃない:roll:って距離でも、自転車に乗っていきます。

 でまた、いろいろと遊ぶんですね。すぐに公園の片隅に自転車を停めるでもなく、公園のあちこちを、デコボコを楽しそうにフラフラとぶらぶらと。

 でまた、ラジオ体操が終わると、そのまま公園で野球の練習だったりするのですが、曜日によってはゴミ出しの手伝い。家に帰ることになります。自転車に乗った琉太朗のゴミ出しパートナーはお向かいの叔母さん。当然のことですが、まっすぐには帰らずに、1〜2ブロック遠回りして、全速力で帰宅、そして急ブレーキ:ase:

 叔母様いわく、「子どもは怖いもの知らずやねぇ〜。だからどんどん大きなっていく」:heart:

 無意識がつくる<壁>のことか:**:

 瞬間、あぶないっと叫ぶことを止めました。

墓石に

 皆さま、おはようございます。三重県のとある公立高校で英語科の教員をしている教育コーチのいっすぅぃ〜です。三重県の公立高校では、3月1日(土)に卒業式が開かれました。

 実は、校長先生も英語科の教員。ということもあり、卒業生に送る言葉の中にテネシー・ウィリアムズの詞を引用されていました。

 テネシー・ウィリアムズは2度もピュリツァー賞を受賞した劇作家です。そして、その中でも有名なのは『欲望という名の電車』:!!: ニュー・オーリンズが大好きな私としては、避けては通れないところです8-) あの映画に感化されたこともあり、ニュー・オーリンズでは電車に乗りました:lol:

 で、校長先生が引用した詞が
 The violets in the mountains have broken the rocks.

 violetは「すみれ」、「すみれ」の花言葉は「小さな愛」「小さな幸せ」「純潔」「誠実」・・・。校長先生も幾つかの例を挙げて説明をされました。「すみれvioletが複数形になっているのにはどんな意味があるのでしょう」という投げかけから、始まっていました。

 気になったので、その話の後に、少し調べてみたのです。詞ということもあり確かに様々な解釈があることが分かりました。
 「誠実で美しい心は邪悪な思惑より勝る」とか
 「純潔な意思をもつ人々が集まれば、歪んだ世界に克てる」とか。

 で、発見が1つ。
 その詞は、墓に掘られているという事実でした:**:

 最後に世に残す言葉が、The violets in the mountains have broken the rocks.

 小さくてもいい、自分の中の<愛><誠実さ>を大事にしよう、と思ったのでした。

人の感覚

 皆さん、おはようございます。 スキーが大好きな教育コーチのいっすぅぃ〜です。

巷は、冬季オンりんピックで持ち切り!ウィンタースポーツに華が咲いていますね。スキーが大好きで、長野オリンピックをリアルに体験した世代ということもあり、あちこちの種目に釘付けです:-0P

とはいうものの、自身のスキーはと言えば、昨日が今シーズン初すべりでした。今年は吹奏楽部の指導や、もし土日に休みが取れても子どもの野球のお手伝い、ということで昨日になりました。
2月20日。12月の間違いじゃないの8-|って感じですが。

 【初】ということもあり、感覚を呼び戻すために「横滑り」から始め、プルークボーゲンやシュテムターンや片足や基礎パラレルやと進めたて行きました。ず〜っと感覚に焦点を当てていました:!!:

 人ってすごいですね。感覚が呼び覚まされて行くのが分かりました。ズレが分かりました。修正もされていくことが分かりました。その自分自身とのやり取りが本当に楽しい:**:
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 で、難はと言えば、筋力が落ちていること:ahhh:

 今シーズン、もう一回は行きます!

また勇気と元気をもらいました

 みなさま、おはようございます。 三重県の公立学校で教員をしているいっすぅぃ〜です。 本年度は学年の主任を任せていただいています。

 この<学年主任>という役職、生徒との距離感が近すぎず遠すぎず、生徒とコミュニケーションを取るのにちょうどよい距離感だなと感じることがあります。先週もそんなことがありました。

 月曜日のことでした。職員室の片隅にある小部屋で、担任の先生となにやら話し込んでいる様子でした。涙声の生徒の声も聞こえてきました。ちらっと見える担任の先生は、なんだか少し疲れている様子。時間を確認すると、1時間半程になっています。

 担任の先生が少し席を外した際、「少し入りましょうか」と聞いてみました。
 
 「長くなったので、そんなには長くしたくないのですが。入ってもらえますか」と。

 「ほんの少しでもいい、何が出来るかを一緒に考えたい」と前置きをして、<どうしたいのか>を中心に話をどんどん聴きました。でも、イケてない、出来ない、ダメだに戻っていきます。その度に、「何が出来るか」に戻ります。話はぐるぐる回っているようでいて、少しずつ進展を見せます。その生徒の顔は明るくなっていきます。『変わりたい』という言葉を残して、その日は終わりました。

 その日はそんなにじっくりとは時間を掛けませんでした。当然、何かがあることを期待して8-)

 次の日の朝、ショートホームルームにて、その生徒はイヤホンをしていたようです。周りの仲間たちも少し奇異な目で。『変わってやる』の始まり:mrgreen: そのまま、授業も同じようなことを続けていたようです。
 とうとう、4時限目の授業後、授業担当の先生に連れられて職員室に来ました。

 5時限目、担任の先生と話をしているのを見つけました。
 「入りましょうか」と担任の先生に問うと、「なんだか授業に出たくないと言うんですよ」との返事。

 「僕は普通じゃないんです」から始まり、小学校の時に精神科の病院に入院をしていたこと、その病院から通学していたこと、その病院に居たくなくて心の底から退院したかったこと、そんな生活をしていたら病院に戻すよと今現在母から言われていること・・・。いろいろと話してくれました。

 「普通ってどんなこと?」「“普通”の幅はこのソファーの幅とそちらの幅とどちらに近い?」「その認識は変えられるもの?」・・・。「本当にしたいことは何だろう」・・・。たくさん聴きました。

 そして【ポジション・チェンジ】:**: 今の君はどんな状態、なんて声を掛ける・・・。

 で、どうする? 「教室に戻る」とそそくさと戻っていきました:!!:

 木曜日、帰り際のその生徒に会ったので「どんな感じ?」と聴きました。
 「あの<幽体離脱>が効きました」:!!: 「ほんと、感謝してます」

 役に立てた、そんな風に感じ、またやる気が出ました:wink:

冒険

 おはようございます。 わくわくすることが大好きな教育コーチのいっすぅぃ〜です。

 今年初の冒険は、1月2日のことでした。私が住むのは四日市市。四日市市を山の方(西)へ進むと御在所岳という有名な山があります。そのに麓は、菰野町という町があります。その菰野町は妻の母親の里になります。ここからはおよそ10キロ離れています。
 1月2日には、その里への親戚の集まりが、毎年行われています。

 年末のことでした。息子の琉太朗が、「来年の菰野のあつまりは、僕は自転車で行く」と言って譲らないのでした。冬の時期の菰野町は、大きな山の麓ということもあり、、雪もたくさん降るところで、雪がないにしても時雨れていることが多い場所です。「天気が良ければなぁ〜」と言いながら、私の内心は<必ず晴れますよう>、周りの大人は<無茶はさせたくない>、そんな様相でした8-)

 やはり、予想通り、その日の四日市は少し時雨れていました。「この天気だから、きっと菰野は大変な天気に違いない。やめておきな」という大人たち。「いやいやぁ〜、もぅ行くと決めてたんだし、行かずにはおれませんがな」という子ども1人と大人1人。
 ま、そんなに良い天気ではないながらも、出発をしました。

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 自転車の車輪の大きさや、乗り心地を考えると、私の方がかなりアドバンテージがあるものになっているので、いろんなことを観察しながら走っていました。
 琉太朗は、かなり一所懸命に走っていました。意外と体力があることが分かりました。交通ルールやマナーを考えながら一緒に走ることができました。今日の日のことは、いつまでも忘れない、そう確信しました:heart:

 「面白かったぁ〜。夏休みは、毎日パパとパパの学校まで行く:!!:」 うれしいんだけど、私にとっての学校は働きに行く場所なんだわ:roll:と思いながら、次回はどこへ出かけようか思案する私でした。

認識し、形式知とすべし

 皆さま、明けましておめでとうございます。教育コーチのいっすぅぃ〜です。
私は、大学生の時に、東京の田無(たなし)市という所に住んでいました。今はその市は西東京市という市になっています。
その田無市に、大学の寮がありました。その寮も、今は建っていません。新しく留学生用の寮に建て替えられたようです。

 寮は2人一部屋、ほとんどプライバシーというものはなし8-)
 という狭苦しさはあるものの、本当に充実した大学生活を送れました。金銭的なことを考えても、一年間で居住費が36000円。そこでなければ、東京での生活はおろか、大学を卒業することも出来なかったかと思います。

 そして、そんな中で生活したものですから、寮での仲間との繋がりはとても強いものになります。先輩・後輩関係なく。また、日本中どこに行ってもそんな仲間がいる、という感じです。そしてここ名古屋では、東海地区の者が集まり、毎年1月3日に『名古屋呑み』:!!!:
 今年も盛り上がりました。

 いろんな職業に就く人たちと話をするので、刺激的な話もたくさんあります。
 今日は、その中から「今年はこれをテーマに」と思った話題を1つ。

 「暗黙知」と「形式知」という話です。
 暗黙知は、人間が語らない(語れない)が持っている知識、を表すようです。形式知とはそれの対になる言葉で、言語化やマニュアル化した知識を表すようです。ビジネスの世界ではよく使われているもののようです。私も、出会っていたかもしれないですが、「おっ、これ、今年のテーマやん」と思ったのは今回が初めてです。
 その時話をしていた後輩も、教育やその彼がやっていることは暗黙知が多く、形式知にすることは難しい、と話をしていました。

 実は以前より、メモをもっと取ろう、思いついたことをどんどん書こう、とノートを買っていました。手帳も持っています。が、誰に見られるわけでもないのに、間違ったことを残すことはしたくないという気持ちが働くのか、なかなか書く(描く)ことが出来ないでいたのです。
 だから!! これだ:**:と感じたことだし。

 【認識し、形式知とする】 これが今年のテーマです。

強く望めば叶う!

 おはようございます。 音楽をこよなく愛する教育コーチのいっすぅぃ〜です。 
11月は公私に渡って、演奏会本番が毎週ありました。そしてまた、明日と明後日、顧問をする吹奏楽部のコンサートです。明日は「桑名市民会館」、明後日は「ばんこの里会館」で演奏をします。

 その「ばんこの里会館」でのコンサート、1人の女性のリクエストから始まりました。

 毎年、6月に吹奏楽部のコンサートを開催します。今年のコンサートの後、<「ばんこの里会館」でレストランを経営しています。ぜひ、「ばんこの里会館」に来て演奏をしてください>という強い依頼を受けて実施されることになりました。

 演奏会をするには、ちょっとした条件があります。会場に十分な広さがあるか、その会場は押さえられるか、運搬はどうするか、時間は確保できるか、ニーズに合った演奏が出来るか・・・。
 最初に会ったとき、費用の段取りができないので、から始まり、どうしようかと案を練るところから始まりました。なんだか、依頼演奏というよりも、一緒に知恵を絞って、演奏会を企画するといった感じでした。
 本校だけの企画ではなくて、地元の中学とのジョイント企画にしてはどうか(その地元には依頼演奏でとてつもない力を発揮する中学生達がいるんです)とか、一日のプログラムをどうするか、運搬代は・・・、と。
 正直なところ、ちょっと厚かましいおばちゃんやなぁ:lol:からだったのですが、せっかくのファンです。逃がすわけにはいきません8-)

 ま、もとはと言えば、その方の心に惚たところからでした。ほんとに情熱的で、純粋。
 結構、型破りな感じなのですが、憎めないお人柄。そして『生きているうちに楽しんでおくんやわ』の心意気。
 
 様々な障害を乗り越えて、いよいよ明後日、です。

 明日&明後日の演奏会、みんなでHappyになってきま〜す:heart:
 

心の愛

 皆さん、おはようございます。 スティビー・ワンダーが大好きな教育コーチのいっすぅぃ〜です。
皆さんも、きっと、この曲をご存じだと思います。

I Just Called to Say I Love You (←リンクしてます)

 実はこの曲、先週お亡くなりになったネルソン・マンデラさんに捧げられたものでした。

No New Year’s Day to celebrate   No chocolate covered candy hearts to give away
No first of spring   No song to sing
In fact here’s just another ordinary day
 No〜、No〜、っていろんなものが全くなく。監獄の中だものね。
Made up of these three words that I must say to you
I just called to say I love you
I just called to say how much I care
 でも伝えたいこと、伝えなきゃいけないと思っていることがある、そんなところに閉じ込められてしまったあなたに、と。

 スティビー・ワンダーもネルソン・マンデラも黒人
 ネルソン・マンデラは黒人差別政策のアパルトヘイトと闘った人
 スティビー・ワンダーも黒人差別と闘い続けている人。おじいさんの「私には、色が何を意味するのか分からない」という言葉には、とても深いものを感じずにはいられません。

 R.I.P.Nelson Rolihlahla Mandela

人の記憶

 みなさま、おはようございます。 この水曜日に旧友に会ってきた教育コーチのいっすぅぃ〜です。

 私は、小学校を6回、中学校を1回、高等学校を1回、転校をしているので、あちこちに友人がいます。反面、長く付き合っている友人は少ないのかもしれません。そんな中、水曜日に再会した友人は小学校来の友人です。
 小学校来の友人ですから、話さなくともお互いの<育ち>についてはある程度知り合えており、余計な説明は要らない、そんな関係です。

 そんな友人が、社会保険労務士の試験を頑張っている、というので、応援がてら遊びに行ってきました。昔はあまり「勉強」というものが得意ではなかったんです。その友人。でも、今は、火がついている。いろんな事情がある。<だから>というのは確かなんだけれども、今、徐々に変身している。そんな友人から力をもらいました:**:

 一緒にお昼を食べて、京都大学界隈をぶらぶらと歩きました。そのお昼のときの話です。

 私:「一昨年やったかなぁ、父親に会いに行ってきたで」
 友:「あの家にまだ住んでんのん」
 私:「そうや。 でも、あの家の前の道ってあんなに狭かったかなぁ。車一台通るのがやっとや」
    「あの奥にある道んとこ入って行って、ザリガニ釣りとかしたよなぁ」
 友:「あぁ、オートバックスの裏やな。 もうあの辺も変わったなぁ」
 私:「田んぼやった所に建物が建ってるみたいで、奥にも入っていけへんかったわ」
 友:「あの家に、まことちゃんのマグカップ、まだあるかな」
 私:「あったなぁ〜、そういえば」
 友:「あれにファンタ入れて飲むのん、大好きやってん。 飲んでたら、うんちが出てくるやろ〜っ」

 この話題のマグカップは、その底にうんちを似せたものが鎮座しているその名も『ビチグソカップ』
お互いが「俺さぁ、小学校のときのこと、あんまり覚えてへんねん」と言っていたにも関わらず、「こんなもの」を覚えている。で、それでファンタを飲むのが大好きだったことを覚えている友人。

 いやぁ〜、子どもにとって「うんち」は偉大8-)
 いやいや、人間って変なものを覚えているなぁ〜、っと:ase:
 

「観る」と「見る」

 皆さん、おはようございます。 この月曜日、免許センターで一日お世話になりました、教育コーチのいっすぅぃ〜です。いやぁ〜、ちょっと言うのも恥ずかしい理由で、ですが:ase:

 私にとっては初体験(何度もしたいという方はいらっしゃらないと思いますが)。 
「自身の車を運転するときの性格を知りましょう」といった簡単なテストに始まり、講習に次ぐ講習、最後に実車技能講習。 
本当に丸一日かかりました。しかしながら、その中に、様々な発見もありました。

 特に印象に残ったことをここでひとつ。
実技技能講習が、本来なら3人で1台の車に、なのですが、人数の関係で私のグループは2人。実際の運転の後、他のグループよりも時間があったからか、教官の方からお話をしていただけました。

 お2人にお話ししておきたいことがあります。(紙に「観」と「見」の字を書かれて)これからは、この「見」ではなく、観察の「観」の字で運転していただきたいのです。
 「見」は、視覚に入ってくる情報を受身的に受け取るということです。「観」はじっくりと、こちらから積極的に見るということです。
 運転している最中に、他のドライバーの違反を見つける、そんな態度で運転に臨んで欲しいのです。お2人は、きっとオービスですよね。オービスの手前には必ず表示があります。「観」であれば、それを見落とすこともなかったでしょ:!!:

 文字通り「舵を切る」、ハンドルを握るときには【執者であれ】と:**:

 そう、あの日、コーヒーをほとんどコップ一杯ドヒャッとこぼしたり、頭を柱にぶつけたり、変な日だったんだなぁ〜:lol: