岐阜へ行ってきたぞ・ぃ

 昨日6月20日、岐阜へ行ってきたいっすぃ・です。
岐阜へは、スキーや吹奏楽関係でよく行くのですが、今回は「教育コーチング」
のことで、です。

 場所は、岐阜市のJAぎふアグリパーク鈴ヶ坂にて、「パパママコーチング 親力
向上セミナー(講演会)」を行いました。岐阜青年会議所からの依頼です。

 呼んでいただいたのは、『親子ふれあいスクール』・自然の中で親子が協同
体験を行うことで、家族や自然を慈しむ心を育み、すべての人やものへの感謝
の心の大切さに気づく・という取り組みの中で位置づけられたものです。
実際には、参加される親子で、田植えをして収穫して料理をする。その間、子ど
もたちは自然や稲の勉強をし、親たちは「パパ・ママコーチング」を学ぶ。
今回の講演会は午前に開かれたのですが、午後は器つくりをするということで、
スタッフは大忙しのようでした。

 会場が体育館?!のようで、どんな風に着席されるのか“?”、声はどんな風に
響くのか・届くのか“?”。でしたが、岐阜青年会議所の方々(以前の名古屋
ご参加いただいていたこともあり)の笑顔で、ホッとでき、暖かさを感じるなか始
めることが出来ました。そして、参加者の大きな頷きや笑顔笑い声に手応えを
感じ、案山子さん、がまちゃん、かずこさん、ほっしー、そして案山子さんの友人
の鳥さんに助けられ、無事終了いたしました。
 で、その後には、喫茶店でかずこさんの独演会?! いや、皆での語り場となりま
した。

 今回の参加者は160名。引き続き第2段として10月31日に実施されます。
その日の午後には昨日作成した器で、それまでに育てたお米でカレーライスを
食べるようです。親力が向上した保護者と「自立」へ歩みだしている子どもたち、
想像するだけでわくわくしてきます。

 大変な取り組みだと察するのですが、ぜひ「明るい豊かな社会」の実現、そし
てそのための「ひとづくり・まちづくり」、これからも応援したい取り組みです。

細い線 その2

さてさて、昨日の続きです。 いっすぅぃ・です。

私には3歳下の弟がいます。
私が6歳、弟が3歳の時のことでした。

夏の夜のお風呂上り、千葉に住むおばあちゃんからもらった浴衣を着て、
家から外へ出たときです。
狭い路地を挟んだはす向かいのお宅で、花火をしていました。

まぁーくんとたぁーくんもやる?
と誘われて、花火をもらい、そのまま自分の家の前に歩いて来ました。

風の強い日でした。

「猛、すわりぃ・」と促したときのことです。
しゃがもうとした弟は、手に持った花火を自分の方に向けてしまい、火が
浴衣に着いてしまいました。

一気に燃え上がる浴衣、弟。

家の中に走りこんで、「猛が・っ!」と叫んだのですが、親が外を見ると、
私の後ろのガラス戸はきちんと閉められている。
外にはボウボウと上がる火が見えたそうです。

私は、そのとき、「あついぃー」と言いながら、仁王立ちしていた弟のこと
が忘れられません。

弟は、一命を取り留めました。 全身にやけどを負ったまま大人になりま
した。

レイの弟が、遊んでいるときの事故がもとで目の前で亡くなった。そのこ
とを知って、弟と自分のことを思い出しました。
そして、生と死の間に横たわるラインってなんて細いんだろうって感じた
のです。

そして、子どもの頃って、この“細い線”は一段と細い、そんな気がするの
です。

細い線 その1

リズム&ブルース、ソウルミュージックが大好きないっすぅぃ・です。

先日、遅ればせながら、『Ray』を観ました。故・レイ・チャールズを描いた
映画です。
ジョージアの貧しい家庭に生まれたレイは、少年時代に緑内障で視力を
失う。けれども「施しは受けず、自分の足で立って生きなさい」という母の
教えを胸に、ソウルミュージックでスーパースターになっていく。という半生
を描いたものです。

50年代に黒人が置かれた状況やドラッグとの絡みなども、当然気になる
ところでしたが、私が一番感じたことが、“細い線”でした。

視力を失う一年前、レイは弟を亡くします。
一緒に遊んでいたときに、洗濯桶の横で足を滑らせた弟は、そのまま洗
濯桶の中で溺れてしまったのです。
目の前で。

弟が亡くなった一年後に視力を失った。その事実からも、子ども心にどう
捉えていたんだろう、なんて考えると、その闇の深さにも思いが及びます。

音楽界での成功とは合わせて、レイはドラッグに溺れていきます。
その折々に見る幻覚が水の中に埋もれる幼い手や足。

ドラッグからの社会復帰のために入った厚生施設で最後に見た夢のよう
なもの。「レイは悪くないのよ」という母親。そしてその向こうに姿を現す
元気な弟。

「その出来事」が、レイのトラウマであり、抗う対象であり、才能を開花さ
せるものであったのでしょう。

が、私の心に残ったのは、そのことよりも“細い線”だなぁってことでした。

命あるもの

毎日が楽しく、生命が輝いているなぁなんて実感しながら日々を送っている
いっすぅぃ・です。

巷には、「口蹄疫」の話題が溢れていますね。関係者の方々の苦労は大変
なものと察します。ですので、ここへその話題を、とも思ったのですが、ある
ニュースでのコメントが私のこの辺に突き刺さりました。

ある畜産農家の方がインタビューに答えていらっしゃいました。
発生地の仲間に電話をかけるのも気が引けるんです。自分の子どものような
牛や豚を、自分の手で殺さないといけないんですよ。あの死んでいくときの
叫び声が堪らないんですよ。こちらを見ている目が。かわいそうでかわいそう
で。牛や豚っていっても生きているんですよ。生き物なんですよ。自分が大事
に育ててきた子どもなんですよ。

そのような内容でした。
内容がリアルでした。ちょとショッキングでもありました。
畜産農家の方にとっては「お金儲け」の手段であるだけでなく、牛や豚に、愛
情をもって接している、自分の分身みたいなものなのだ、とひしと感じたです。

それ以来、「口蹄疫」のニュースを見聞きするたびに思い出すのです。

昨日、ラジオを聞いていると、「口蹄疫」のニュースの後には、娘の点滴に水道
水を混ぜて死傷させたという事件の裁判の話でした。

命あるものにどう対しているか。 自身のあり方に問いかけられています。

GWとは

昨日はこどもの日でしたね。朝から、素振りの練習には付き合えたものの、
半年に一度の“風呂大掃除”にいそしんでいたいっすぅぃ・です。「こどもの
人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日」なんだから、
母に日頃の感謝を行いで表したわけです。

さてさて、連休でしたが、皆さんはゆっくりできましたか?
私は相変わらず元気にワクワク過ごせました。印象的なのは2つ。

まず1つ目:ご存知だと思いますが、この連休の始め4月29日(木)には、名
古屋で初開催!の研究部会主催のワークショップを行いました。超満員の
会場は火傷するぐらい熱くいってましたよ。

2つ目:その2日後、5月1日(土)。私の担任するクラス生徒にむけて『学習ゼ
ミ』を行いました。当然、学習方法や進路の具体的な話もあったのですが、
最初はみねGに。“本気シフト”へのギアチェンジを意図して欲しいとお願いし
ました。力のある友人がいてよかった・(笑)

あっついあっついGWの始まりです。

GW、一般的にはゴールデンウィークでしょうが、この教育コーチング界では、
「みねGウィーク」なのです!!

4月29日はメイントレーナーとして、50人超え、会場いっぱいの人を沸かせた
みねG。5月1日も。 50人の参加者を<熱い世界>へ導いてくれました。

・感想から・
 一番最初の夢・目標の話。なんかイイなー、と思いましたぁー!!
 一番最初に話された人のコトバで「一瞬一瞬を大切にする」ということです。
これから、何年でもこのコトバは通用するから。大切にしていきたいです。
 今日一日、たくさんの情報が聞けて、とてもためになりました。そして、これ
からの高校生活のやる気がわいてきました。
 今回のゼミの内容で「頑張ろう」というやる気をもらえたので感謝です。

なにやら【動き出した】感触のある感想があります。今日、どんな顔をして学校
に来ているか、授業を受けているか、とても楽しみです。
みねG、おおきにです。

コーチングを授業でも!と、新年度から面白い授業をしているいっすぅぃ・です。

先週、従兄弟の一人が亡くなりました。日曜日には勤務でしたので、土曜日の
通夜に出て日帰りしようと、大阪に向かいました。

がしかし、私の母は9人兄弟。だから従兄弟もこれでもかってぐらいに多いので
す。多いだけに勢いがハンパじゃない。流れに任せているうちに、結局、従兄弟
たちと朝まで飲みました。
人が亡くなってとは思えない、不謹慎ながらも非常に盛り上がった、絆が深まる
時間でした。

集まったメンバーを見渡すと、背中に刺青があるのやらバツ一やら。私が一番ま
っとうに生きてきたぐらいなもんで(笑)。デキソコナイばっかり。実際、数年前まで
は、「俺の周りにはデキソコナイばっかり」、そう思いながら生きていました。

デキソコナイ。世間で言うところの“【底】の人間”ってやつでしょうか。今は、【底】
にはいないから、正確に言うと“【底】を見た人間”ということになるのでしょうか。
でも、私を含めた本人たちは全然【底】なんて思っていないんです。【底】へ辿り着
いたというよりは【遣り切った】っていう、そんな感じです。潜り抜けて来たと言って
もいいかもしれません。
遣り切ったからこそ、もうあそこへは行かないって強さもあります。一緒に飲んでい
て、力が漲ってきました。力をもらったようです。

朝一、6時6分鶴橋発のアーバンライナーに乗りながら、おばあちゃん、おじいちゃ
んに対しての感謝の念が込み上げてきました。
私はおばあちゃんっ子で、おばあちゃんがいたから「食う寝るところ、住むところ」が
存在し、生きてこれたという時期も、確かにあったなぁ、と。そして、おじいちゃん・
おばあちゃんがいたから、こんなに力強い兄弟や従兄弟たちに囲まれているんだよ
なぁ、と。

新年度スタート

息子の琉太朗は今日から新学期です。
春休みの最後にと、昨日の午後は休みをもらって『木曽三川公
園』
に2人で行って来たいっすぅぃ・です。

今日は、新しいクラス、新しい担任の先生が発表されるらしく、
ドキドキわくわくした様子でした。

私の方はといえば、明後日8日に新入生を迎える立場。今年度
は1学年の担任。進学特化クラスの担任です。

なんだか私は、教員としてとても恵まれていて、ほとんどを学年
付きの担任であったり生徒指導であったり、主任であったり、の
仕事を任されています。ですので、3年スパンで環境が変わった
り、仕事を考えたり、生徒を見たり。
そして、沢山の卒業アルバムが手元にあります(笑)

入学してくる生徒たちは、このクラスを自ら選んだということもあ
り、わくわくしているのだろう、大きな夢を抱いているんだろう、と
一層緊張しています。
「3年後、自分はどのようにして卒業生を送り出したいか」
「最初の日になる4月8日はどのように迎えたいか」
「3年間、どんなクラスにしたいか」
など、自問自答し、様々なことを胸に描き、責任とやりがいを感
じているところです。

変わるのは

日々、子どもに教えられているいっすぅぃ・です。

ガッツさんが、少年野球チームのことを日記にされていましたね。
実は、私の息子の琉太朗も、この2月になって野球チームに入りました。

近くの小学校で練習をしているのを気にしていたのか、興味を持っていたのか、
散歩をしているときにジ・ッと見ているときに「一緒にやってみないか」と誘って
いただきました。
数回、お誘いいただいているうちに、正式に入団が決まりました。

琉太朗、小学校に入学したとたんに寝小便をしなくなりました。

が、遊んでいるときかテレビを観ているときか、気付かないうちに小便をしてしま
っているということが毎日のように続いていました。

本人も、したことを気付いているのか、いないのかも分からない感じでした。
「なんとかしたい」という気持ちが伝わってくるときと、「もう何も言わないでくれ」
という気持ちが伝わってくるときと。
「責めないようにしたい」ということは家族で了解して、関わっていました。

そのうちに、周りの子どもが気にするような年齢まで続かないといいけどな、と
いう心配をしていました。

今回、野球チームに入ると決まったこともあって、ママが
「ますます格好いい琉太朗くんになるだろうなぁ」
「おしっこを、いつもトイレでできるようになると嬉しいなぁ」
なんて言葉がけをしていました。

なんと、なくなったんです! 遊んでいるうちのおもらし。

不惑

誕生日を迎えました。 いっすぅぃ・です。

で、“40”です。  「不惑」です。  道は見えています。
一本です。  でもかなり欲張りで、ぶっといです。

もちろんそこには、「教育コーチング」もあります。 

日曜日のことでした。
クラブの終了時に、「今日の感想」を生徒が述べることになっているのですが、
その言葉の冒頭。
「私のなかでは、石田先生はおだやかな先生なのですが・・・」

きっと、5年前に同じようにありたいと思っていても、そうは捉えられていなかった。
そんなことを確信します。

この先、大きく太い道が見えています。

P.S.
誕生日の歌って、たくさんあるんですね。
今朝、娘の琉里子が歌ってくれた誕生日の歌は初めて聴くものでした。
誕生日って、1人ひとりにある特別な日だからなぁ。

門出・節目

卒業生を見送り、残務、机整理をこなしているいっすぅぃ・です。
今年度は3学年の担任で、本当の意味で「送り出す役回り」でした。

実は、その3学年担任ということもあり、卒業式を<特別な日>にしたいと、あることを考えました。

保護者の方々に『手紙』をお願いしたのです。

ある意味、“高校卒業”は「親と学校が深く連携して子に関わる」という期間の終わりだと思う。
12年前、小さな背中に真新しく大きなランドセルを背負って入学式を迎え、それから、どんな
時があっただろうか。そんなことを考えている。しかしこの“高校卒業”は、そんな時間の続きの
節目のような気がする。お父さん、お母さんにとっても、大きな節目だと思う。
という担任の想いを語り、お願いをしました。

ヒントは、皆さんもご存知の『親力向上セミナー』から得たんですよ。

ブラジル籍の生徒の両親は、日本語は大丈夫だろうか。
離婚されたお父さん宛に送れば、お母さんにも書いてもらえるのだろうか。
全員の生徒への『手紙』が届けばいいけれど、、、。
色々と悩みました。

卒業式当日の朝、最後の一通が手渡しで届きました。
一人ひとりに宛てた手紙が全員分、揃ったんです!! お父さん、お母さん、ありがとうという気持
ちでいっぱいでした。

そして、数人のお母さんからいただいた「私宛への手紙」には、卒業式とはまた違う涙を流しま
した。

4日の木曜日、クラスで最後、進路の決まっていなかった生徒が、就職試験の合格をいただき
ました。この2日間、「卒業だなぁ」を味わっています。