5時間コーチング その後

以前ある生徒のコーチングで
5時間傾聴したことを書きました。
その後、彼はどうなったか。

良く成功哲学の書物では
「人は一瞬で変わる」などと書いてあります。
そういう場合もあるでしょうが
普通の中学生にそれがあてはまるでしょうか。

3ヶ月前、5時間傾聴したあと、
「頑張ってみようかな」と言った彼、
豹変したわけではありませんでした。
気分が乗らない日も幾日もありました。
コーチの私たちができることは
自分でやると言っている時、まずは信頼して見守ってあげることでしょう。

最近、彼のお母さんからうれしいお話をききました。
自分から進んで漢検を受けると言ったそうです。
お母さんいわく
「勉強のことで何かを受けたいと言ってきたのは
考えてみれば初めてかもしれません」……と。
「女の子の成長は緩やかな感じですけど、
男の子は上がり下がりが激しい感じで成長していくんですね…」
そして、
「なんだか期末テストでは○○の教科、100点満点目指すそうです」
と、嬉しそうに話されました。

教育コーチングに出逢って私もまた密度の濃い時間を過ごしています。

子どもの成長を階段をのぼることにたとえるなら、
大人はつい高いところから「早く登ってこい!」と
ひっぱりあげようとするか、
あるいは自分が下にいるくせに「もっと高く登れ!」(笑)
と、応援してしまいがちです。

子どもは自分で一段一段ちゃんと階段をのぼってきます。
たまに駆けあがったり、2段とばしをしてみたり、
時には降りて行ってしまったり。
あるいは広い踊り場で時間を費やすこともあるかと思います。
でも、信じましょう。彼らはのぼってきます。必ず。

聴きましょう。

話しましょう。

あんみつ日記

すっかり秋ですね。

いよいよ小学校入試がスタートしました。
先日、講師の先生が
「小学校入試はまさに教育コーチングですね」と
話されました。

近年の小学校入試は、面接、絵画、行動観察
運動、ペーパーテストと多岐に渡り出題されます。

面接、絵画では
「この小学校に入ってどうなっていきたい?」など
全て開いた質問で年齢相応の受け答えができるか
聞かれます。

そして親子の関わりで印象に残る面接があります。
ある小学校では
「最後に、ご両親からお子様へ声をかけてあげてください。」と言われます。
学校側としては
合否が出るまでに、受験に向けて取り組んできた
我が子への承認をしてあげて欲しいという思いがあられます。
まさに小学校受験はコーチングです。

入試直前、期待と不安の中の保護者と一緒に
精一杯持てる力を発揮して欲しいと願います。

子どもの絵

こんにちは。9月になるのに暑い日が続いていますね。

先日、教室で「絵画・言語表現講座」を実施しました。

小学校入試で「絵を描くことを通して子どもたちとコミュニケーションをとり、聞く力を見る」いうことがきっかけでした。
この講座が、とてもご好評を頂いたのは、お受験対策にとどまらなかったところではないかと思います。

一人ひとりの「表現」から想像性や思考力を養い磨きをかけることはもちろん、子どもたち自身が、自分の描いた絵を発表したり、お友達の絵の感想を伝える中で
「絵を描いて良かったな・。」「楽しかったな・。」と感じて笑顔になってくれました。
友だちの描いた絵の説明を聞いて、その絵の良さを一生懸命伝えている姿は印象的でした。

保護者の方も子どもたちの描いた絵に「上手に描けたね」から「どんなお話の絵なの?」「そのあとはどうなるの?」と子どもの話を嬉しそうに聞いておられました。このような親子の会話は、コーチングそのものだと思います。
それは、まさに親子のコーチング力!の入試です。

子どもたちの輝く表情と、保護者の眼差しが講師一同
嬉しかったです。

航行中

「底荷」というものがあるそうです。

底荷は船の航行時に重心を低くし、転覆を免れる役割を果たすそうです。
底荷を積むことにより、目先の利益が得られるわけではありませんが、
それがあるからこそ長期の安全な航海ができるのです。

私たちにとっての日常は、まさに航海の連続と言ってもいいでしょう。
いろいろなことが起こるわけで、
瞬時の判断がいつも必要とされています。
いつも上手くいくとは限りませんが、
失敗するからこそ進化することもあります。

私にとっての底荷とは。
仕事、家族、人とのつながり、いろいろ考えられますが、
教育コーチングも大事な底荷のひとつ。
これがあるから、目的地まで安心して航海できるのだと思う。

みなさんの底荷は何でしょう?

立秋も過ぎ、夏休みも後半ですね。
暑さにお気を付けください。

傾聴

ある生徒のことを書きます。

その子は今春受験を終えて、みごと難関の第一志望校合格を果たした。

しかし、入学して4ヶ月目、自分の考えていた学校生活と

実際の日常がどんどん離れていったようだ。

そして、とうとう何もかも嫌になった。

長かった4ヶ月の毎日の繰り返し。

私は、こうすれば?

ああすれば?

こんな考え方だってあるじゃないか?

いろいろ提案したいこともあった。

しかし、とにかく先ず聴こう、と思った。

そこからスタートだ。

1時間、2時間、3時間、・・・5時間、向かい合って

生徒はその胸のうちをすべて語ってくれた。

度重なる大きな沈黙。こみ上げるものを受け止めながらの長考。

「だいたい話せた」

その言葉で私は次の世界が見えた気がした。

こんなに長く、深く、傾聴をしたことは初めてだ。

正直なところ、くたくたになった。

どのような結果になるかは、今のところまだ分からない。

しかし、私は信じられる何かを感じている。

生徒も自分の新しい心を感じている顔だった。

お土産

先だって、京都のある塾を訪問させていただきました。

自分の仕事場にばかりいると、授業はばっちりだ!と思ったり、
見えてはいるが、実は視野が狭くなっていたりするものです。

よその学習塾を見学することはとても自分を進化させます。

その訪問先の塾で見たものは、「本気」でした。

生徒を徹底的にフォローしている。
(手とり足とり教え込んでいるのではありません)
自主的な勉強につながるように関わっている。

大きなお土産をもらって帰りました。

もうひとつお土産

キヨシコーチから教えてもらった
八坂神社の龍馬&中岡慎太郎像
     ↓
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未来という方角を向いていらっしゃいました。

キヨシさんありがとうございました。

読書

みねG氏推薦の「本物に学ぶ生き方」 小野晋也著 致知出版社
を読みました。
9人の日本人の思想、あり方に触れられるとのことで
そのお得感から楽しみに読み始めました。
9人イッキはさすがに受け止めきれませんので
一日に一人のペースにしました。

そしてとうとう最後の一人になりました。
今日はふらっとスタバに立ち寄り読書、しっかりと読み切る計画です。
そして電車の中で再読モードへ、
鞄に入れると本の存在を忘れてしまう恐れがあるので
カバンなしで手にもっての出勤です。
左手に本の重さだけが確かでいいです。

家をいつもより早めに出て
木々の緑を眺めながら
少し離れた駅まで歩いてゆく。
途中のカフェで読書タイム

とてもいい本でした。

店を出て明るい舗道へ
手に持つ本は読まれた分だけ軽くなったのだろうか。
濃い本の内容で私の頭と見ている目の前の世界は、
質量と光量が増したような気がします。

本をひらくと、世界も広がる
ページをめくるほど、人は新しくなっていく。

雨のち晴れ

私の塾の勉強ネタとして仕入れた算数パズルの本を
一番下の子が「むずかしい、むずかしい」と言いながらやっている

あんまり言うので覗いてみると
まだまだのレベルです。
やり方そのものが分かっていない感じもしたので
まずはやり方をアドバイス、

しばらく静かに集中しています。
そのうち、「あっ!」とか「だめだっ!」とか「あ・」とか言ってます。
気になりますが、頼られてしまうのがここでは一番避けたいことですから
ほうっておきます。

随分考えたのでしょう
とうとう弱音を吐き始めます
わからないよ・(かわいらしく、女の子っぽく言ってきます)
おしえてよ・
それでもほうっておきます。

ついに近くにすり寄ってきました
「これさ・」
ついに来たか!
こちらは身構えます。
はじめはニコニコしていましたが
こちらが教えてくれないとなると
はっきり「おしえて!」と詰め寄ります。

「自分でいろいろ考えてやってみなさい」
そのとたん、やっぱり!
目から涙が……。

パズルで泣くか・?
と思ったのですが、若干娘には甘いパパになってしまいます。

「どこが選べるの?まだ試してないところあるんじゃない?」
ああ…、答えに近いこと言ってしまったかな?

もうこれはロスタイムのようなものか。
自力では今日は無理かな?と案じていた時、
できました。満面の笑顔。
そんなものなのでしょう。

教えない → 泣き顔と笑顔 → お互いの小さな進化

ウチの塾ではこのバージョンアップ版が本日も繰り広げられます。

坂本龍馬

両国で開かれている特別展「龍馬伝」に行って来ました。

龍馬に出逢ったのは大学生の頃。
司馬遼太郎著「竜馬がゆく」、
それはもう、面白くておもしろくて、
うっかり講義の時間を忘れるくらいでした。
今にして思えばしあわせな読書体験です。

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龍馬の魅力って何でしょう。
人それぞれかもしれませんが、
やはり、大らかな人としての「あり方」ではないでしょうか。
ここに多くの日本人は憧れると思うのです。
自分を超えて、日本のことを思い、日本から世界を眺め、
世界軸の中で自分を在らしめようとした龍馬。
それも幕末の動乱の時期、
一青年の夢に日本列島が龍のように翻った瞬間です。

古めかしい多くの展示品。
それは単なる物体です。
しかし、それらを観ていて込み上げてくるものがありました。

直筆の和歌、書簡の数々。
海援隊にまつわる品々。
龍馬が持っていた刀。その美しさ。
対して近江屋で龍馬を斬りつけた脇差。
その龍馬暗殺現場にあった血痕付きの屏風。

連れだって観に行った仕事仲間の方が
「魂を揺さぶられませんでしたか」とぽつり。
的確すぎる言葉だと思いました。

展は初日の平日、午前中でもあったのですが
思いのほか若い人、女性も多かったように思います。
そして、真剣な眼差しで展示物を観ている姿、
一人ひとりの中に確かに龍馬がいるのだなと判りました。

心なのか身体なのか、
自分の芯にテンションがかかってくるような時間でした。

特別展「龍馬伝」のURLは→こちら

あんみつ日記

春が来た!と思ったら
今日は真冬みたいに寒いです。

今朝はND小校長先生の講演会を
伺いました。

幼児期の子どもとの関わりについて
いつも心に残るお話をしてくださいます。

「賢い子に育てるために」という演題の中で
イメージできる子というお話が印象に残りました。

例えば、花瓶を割ってしまったとき
どうのように接するか?
叱りながら片付ける、こんなところに花瓶を置いておいてごめんね・・・
ではなく、花瓶の気持ちになってみるような
物にさえ敬意を表せるかイメージ化できるかが大切だと
仰られました。
目に見えるものを通して目に見えない大切なものを感じ
とり独立した人になっていく。

親の心の持ち方、伝え方の大切さを改めて思い知らされました。