セッション(出会い)

超介です。

『 いつもここから始まる。そこは、意識されないスタートライン。全く0から、時にはマイナスの目盛りから始めているのかも知れない。それをあなたがどのように感じるかをその時、私は知らない。それが出会いだ。

しかし、そこから始まり、努力を継続し、ある高みに到達した時、私の内側には確かに喜びに近いものを感じるので貴方にもそれが有るだろう、と私は考える。それが私が今の人生の様々なことを継続している理由だ。

けれども、矛盾するかもしれないが、これが一番大事なことの一つ。人はそれぞれに居場所が異なるので、私の感覚と才能(もしそういうもがあるのなら)と貴方とのそれは違うはずだ。それで同じように感じたり、考えたりしていないかも知れない。だからこそ、いろいろな考えと生き方がこの世界に満ちていて、それらが地上を豊かにも、混乱させたりもするのだと思う。

だから 、セッションの際にも、普通に生活する時にも、謙虚な人がそうするように、行動はもちろん、感想を述べたり、考えを述べたりする際に少なくとも言葉選びは慎重にしたいと思う。』

内省する

超介です。

 「(自分が)どの高校に進学したいかわからない」と、中学1年生が話しかけてくれました。彼は自分がどの学校に行きたいのか、あるいは行くべきかという思考をしました。このような思考ができるようになったこと、あるいは質問をしてくれたことをうれしく思いました。周囲と自分との関係を思っている彼を、確かな手ごたえとして感じたからです。

 人は瞬間的な思考、感覚的な言葉で生活し、そこからの限界を感じて、内省を始めます。
その人の内側に育ってきているものがあると、発する言葉の質が変わり始めます。

 その時、まさにコーチとして向かい合うことが有効になります。彼の心の中に何があるかを同じ視線に立って探していきます。今回、結論は出ませんでしたが、今後何かの時に同じような思考を彼はすると感じます。そして、そのときに立ち会えれば、「選択すること」の意味を伝えようと思います。

Guitar事始め

超介です。

久しぶりに、40年ぶりにギターを手にし、保管していた音叉で調弦をしました。購入した中古のギターは弦が(多分)古く、押さえにくいので新しい弦を購入して張りなおしました。初めは弦の張り方も忘れていて、うまく張れず、すぐ緩んで音程がくるいました。今は小さな調整具もあるようなので、それを買ってきて弦単位で合わせてみようとおもいます。

毎日2回ほど合計1時間ほど教則本を見たりCDを聞いたりしつつ練習をしています。
どのフレットを抑えればドかも忘れていましたが、4,5日すると単音で簡単な曲を弾けるようになりました。2週間ほどで左手にタコができて固くなりました。

3週間ほどはすこし難しめのパートやら、曲を前日に練習しておくと、寝ている間に何かが起こって翌日はうまく弾けるようになっていることに気が付きました。身体記憶がよびさまされるようです。意識している、頭には残っていないのですが、身体のどこかに学習履歴が記憶されて、睡眠中に芽吹いてくるような感じです。

でも、昔学びきれなかったところ、高音部の音階のおさえやら、セーハ(1本の指で複数弦を押さえる)はうまくはできた記憶がなく、やはりスムーズにはいきません。でも、このままいくと2か月ほどで40年ほど前の技術(たいした技術ではないですが)は取り戻せそうです。(あくまで予想ですが。)
 
 ここまでは何となく教則本に従って練習しているとスキルが戻ってきましたが、これから、以前よりうまくなるためには工夫が必要です。今、思いついて実行している工夫は、一つの技術、曲のパートの集中練習をすること、それもちょっと難しめである内容を、です。できていることはより良い音を出すように、と目標を決めてやります。以上のように、3つほどの練習課題を決めてやっています。

 ギターの練習からいろいろと学ぶことができます。

なにを学ぶか

超介です。

 理解できていることと、それが使えることとは全く別なのに混同してしまう場合があります。「数学が苦手」な人の場合、ある問題が解けない、でも、説明をしていくと多くの人が理解できるようになります。説明方法の適切さにもよりますが、「そうやって説明してもらえるとよくわかる」といいます。数学の場合には、基本的には「答えは一つ」であるので、誰でもふさわしい考え方にさえ出会えばそれを解くことができます。

 問題のパターンはいろいろありますが、答えはそれぞれに一つ、その問題に解くのにふさわしい考え方(概念)とを組み合わせる力、これを鍛える必要があります。したがって、例題とその演習からはじめて、次に様々な問題があって、その中の一問を解く、という練習が必要になります。そこを意図した学びができるかどうです。できることを繰り返すのではなくて、です。

 一方で、できることを繰り返して定着させ、そのレベルやら、スピードを向上させるのはスポーツとか、芸術系の学び、あるいは語学系の課題に有効です。様々な概念の使い方をトレーニングするのと、身体のもっている力を研ぎ澄まし、身体を道具化したり、道具を身体化したりすることが必要です。

 コミュニケーションの「答えは一つ」ではありません。でも往々にして数学の問題と同じように「客観的な答えがあるものとして」解こうとしてしまうときがあります。

『流暢性の罠』

 超介です。

 新しいことを学ぶことについて、他人を見ていれば『それはだめだろう』と、よくわかることがあります。例えば私の主宰する塾でも、学習の方法に関してそれを見受けることがあります。

 課題を「ノートつくりが目的」かのようにやっている生徒もいます。そのように生徒に誤解されやすい「宿題」を学校から出される場合もあるようです。理解できて、定着していると思いこんで、実は作業しているだけとか。それを指摘すると、それに気が付き超えていける人もいますが、気が付きにくい人もいます。私自身も仕事において「ノートつくり」をしていて進んでいない、とハッとすることがあります。適切な方法とタイミングで自身に対して理解度、定着度をチェック(テスト)できるかどうか、覚醒している必要があります。

 自分が何をしているかに意識が向いていて、それが合目的かどうか判断をしつつ行動を継続することは意外と難しく、『フリ』だけしている、そのような事態が起こりがちです。

 最近読んだ書籍「脳が認める勉強法」(べネディクト・キャリー ダイヤモンド社)の中では『流暢性の罠』という言葉で紹介されています。

繰り返すことの効用

 超介です。

 5,6年前に仕事上の必要性から英語の勉強を始めました。英語の雑誌を購読したり、CD教材やら、メール教材等をやってみました。いろいろと試しましたが、一番効果があったのは、音読学習です。これまでにも英語教師からは音読の重要性を教えてもらったとは思うのですが、理解できていませんでした。数学やら、理科とは異なり、国語や英語等の語学はコミュニケーションツールなので体得しないとできたことになりません。
そして、
 繰り返して音読していると、ある時から英語が『口に馴れた感覚』がわかるようになります。そして生活の中で目にする英単語やら英文を見ると読んでみたくなっていることに気が付いたのです。このような学びの成果は他の『具体的な能力の取得』においても得ていたはずですが、音読はそれを明確にしてくれました。毎日、あるいは適度な間隔をあけて繰り返すことにより身についていく能力があることが意識できたのです。

 それからは、様々な学ぶべき内容についてどのように繰り返すかを意識するようになり、同時に繰り返して学習したりトレーニングすることに自信が持てるようになりました。焦らずに、悩まずに一定のトレーニングを習慣づけることの楽しみが生まれたのです。

流れを作る

超介です。

年の初めに今後やることを計画した際、昨年までと違いを作ることを考えました。目の前のことにとらわれすぎずに、変化を起こすにはどうしたらよいか?もう少し正確に言えば、もう大きな変化を起こすことはできないのだから(と無意識に思い、それはもう還暦だし、今更新しいことなど無理、という固定観念からきています)、思いついたことがあっても今までは、否定していたのです。それから離れようと思えたのです。

小さな一歩を踏み出せば、始まることを知っていました。意識をしてそうありたいと思い続けると、無意識裡にそれがしみ込んで勝手に進化することも知っていました。新しいことへの挑戦は、組織に属していた時は周囲の要請から派生していました。ロジカルシンキング等の様々なビジネス思考の学習、宅建、衛生管理者の資格、コーチング、一番新しいところで英語。それらは全部が仕事上の必要性が起源でした。

自分がやりたい場(=j.スクールなる小さな場)を作って、塾生たちの成長を感じたり、植木鉢の中のグリーンの育ち具合を見ているうちにやってみたいことが少しはっきりと見えてきました。

「時間の流れを未来から」にする方法

超介です。

年頭に、目標を111項目書き出しました。昨春、自営を始めて数か月は目標を決める必要は特に感じていませんでした。ある程度基礎的な動きが決まってくると、今度は目標を書き出してみる必要性を感じました。

いざやってみると30項目ほどはすぐ書き出せました。チェックしてみると、小さな事ばかり、それからは未来を創造しつつ書き出しました。10年先のものから今月中にやるものまで、思いつくままに。すぐできる小さなことも大きな投資が必要なものも、気になったのを思いつくままにどんどんと。書き出したものを眺めてさらに付加していきます。

今月の目標は11項目ありますが、そのうち3項目は達成、6項目は着手済です。やって見ると、目標から今を眺めることができて、能動的な行動がとれるようになります。

時の流れを捕まえることはできません。しかし流れを作りだすことができるのです。それは未来を創造し、目標を作りだすことから始まります。

時間は未来から流れてくる

超介です。

 時間が未来から現在へ、そして過去と流れていく。過去から未来ではなく、未来から過去へと流れる。 
 
 過去は変えることはできない〈過去の事象の解釈は変えることはできるけれど〉過去にとらわれる生き方は過去から未来へと時間が流れているというとらえ方だ。「今までこうであったからこれからもこう、と。私はこれまでこうだったから、だから、これは無理だとか」、という考え方だ。だから、人が夢を語るとき、過去から未来へと時間が流れていると考える人は「今のあなたでは無理、これまでのことをよく考えてごらんよ。」というように、(その人のためを思い)でも結果として足を引っ張ることになりがちだ。こういった人をドリームキラーというらしい。身近にいる人ほど、過去をよく知っているのでそうなりがちだ。
 
 しかしながら時間が未来から現在へとそして過去へと流れていると考える人は、そうではない。未来から今を規定するのだ。つまり、目標やら目的から今をとらえるのだ。それらが時間の流れを未来から今に流し込んでくる。年初の目標設定はこの流れを作るためにとても有効だ。
 
 ある時代まで、私は時間が過去から未来へと流れると思っていた。そして、今は未来から流れるようになった。

 皆さんの時間はどちらへ流れていますか?

読書の仕方

超介です。

 ここ2年ほど読書量がグーと減りました。昨年どれぐらい読んだかなと振り返ってみると、それ以前の3割ほどでした。月に数冊のペース。そして読書をする時間とエネルギーは「新しい習慣つくり」に吸収されつつあります。塾を始めたので『教科の勉強』、特に高校の数学の教科書、問題集を解いたり、英語の勉強をすることが増え読書時間にとって代わりました。
 それに加えて本の繰り返し読みをするようになりました。啓蒙書、ビジネス書をざーと目通しして読むことも時にはありますが、その冊数は減りました。それよりも、これはと思った本に見合った読み方をすることが増えました。例えば『スタンフォードの自分を変える教室』という本があります。大学の授業内容をまとめた講義録ですが、この講義は1週間程の間をおいて行われたようで、それに合わせて私も或る章を読んでから1週間はその講義の課題をこなしてみるのです。できたかどうかチェックしながら。
 本を読むという習慣から一歩進んで内容を身に着ける、やってみる機会が増えてきました。時には繰り返して、10日間、朝昼晩と3回同じ4ページほどの文章を繰り返してよむ、とか。これはといった良書は知識に終わらせずに、無意識の中にしみ こませるように繰り返すのです。
 何を作るか、そして材料によって調理の仕方が異なるように、読書の目的と書物の内容によって読み方が異なってきます。