セミナーをやりました

お母さんから「教育コーチング」を通じてエネルギーをもらっている超介です。

9月6日 9名のお母さんと一緒に「子育ち」について学ぶセミナーを開催しました。

100分の会は穏やかに始まり、お母さんの積極的な参加をいただき、最後は「承認のコトバ」が
持っている強さを象徴したムービーを見て終了しました。

 実施前は 予定通り来てもらえるかな、うまく話せるかな など不安もありましたが、はじめてみると、感想を述べていただいたり、発表をしていただいたりしているうちにだんだん私にもエネルギーが満ちてきて、最後はやってよかった、と心から思えました。

 アンケートには、良かった点は?(に対して)全員が日ごろの行動の反省と、今後の決意を書かれていました。100分では短い、もっと。という意見も頂きました。

 また、遠くから同じトレーナ仲間も応援に来てくれました。心強かったのです。

 日本の各地で、人に対する思いをもった人たちが活動している姿を思い浮かべています。
それに触発されて多くの人たちが、人の可能性に改めて気づかれる、そんな青写真を思います。それは現実に動いていることなのです。(きっと)

 

「ゲーム」をやめて「名人」をめざそう!!

「教育コーチング」の名人をめざす超介です。

元商社マンであった人と出会い、話しているうちに体験談になりました。ヨーロッパ、アジアの国々からアパレルの買い付けを担当していたとのこと。彼の経験に興味をおぼえ、いくつか質問しました。「海外の製品を買い付け、国内で販売するためには、日本人の好みを考えて商品の買い付けをするのが大切でしょうね。」とか。すると「フランスではボタンは付けてある程度で、すぐ取れてもみんな気にもしないですよ。」とか、日本文化とある国のそれとの違いについて色々と話をしてくれます。

彼は次に不動産(住宅)の販売に関わったそうです。「これがね、ポイントを知っていると、本当に面白いほどうまく契約が取れるのですよ、それはね・・・・。」「読めるようになったんです、世の中がね。」と教えてくれました。それができるようになるまでの過程は聞きそびれてしまいました。次に聴こうと思っています。住宅販売の「名人」の彼に、どのようにしてそうなれたのかを。

「ゲーム」をしないこと、私はこのことを教育コーチングの研修で学びました。新しい能力を身に付けたり、新しい仕事をはじめるときに、「邪魔するもの」が頭をもたげてきて「わたしにはできない」とか「私の仕事ではない」とか、自身の心の中で「ゲーム」がはじまることがあります。これをきちんとコントロールするのです。

格調高い漢文調の日本語で文をつづる作家の「中島敦」の「名人伝」(弓の名人)を読んだことがありますか?小説の中ではほとんど不可能かと思われるレベルの五感の力が、訓練により引き出されていきます。私は「名人伝」を読み進むうち、ひょっとしたらこういうことも可能かもしれない、と思わず引き込まれていきました。そして主人公は厳しい鍛錬を重ね、ついには弓を使うことも忘れた名人になります。

私もまったく「教育コーチング」のことを忘れた人になりたいと思います。身体の一部になっていて、無意識に使え、自由自在。

「ゲーム」をやめること、これが少しずつできるようになれば、自分がやりたいこと,或いはできることがあることに気がつきました。社内で研修をやりましたが、受講者の様子からもそのコトに気がつきました。

 「ゲーム」をやめて「名人」をめざそう!!!  

眼に見えないもの(成長或いは生まれ変わり)

教育コーチングにかかわると人生が変わるな、と感じている超介です。

環境の変化が大きいときにはそれまでの生き方が通用しなくなり、生まれ変わることが必要な場合があると思います。たとえば中学生、高校生の時代、学生から社会人への移行期、そして中高年のとき、それから私は体験がまだですが、晩年。これらは人生の変曲点であり、時には成長というより生まれ変わりが必要なときもあるかもしれません。同窓会で生まれ変わりを感じ、見違えるような人がいるでしょう。

中年の危機というのもその時期のひとつで、生まれ変わりは大変で時には生死にもかかわるので「危機」というのだと思います。それは、卵から孵化して幼虫、蛹さらに羽化して成体になるような完成形に向けての進化ではなく、激変する状況に適応するように、それまでの身に付けたものは脇に置いて、裸からスタートするのです。それまでに身に付けたものが邪魔をするぐらいだと思います。今までの延長上に未来はなく、まったくゼロからはじめていると思った方よいのです。

こんなことを考えたのは いっぺんやりなおさんとあかん と思うぐらい多方面で順調でないからです。ここ数年で生活習慣をかえ、頭と心と体のリフォーミングを試みていましたが、おッこれは生まれ変わりか、と。コーチングと関わるのもそこからきています。

(中高年でメタボの私はそんなことを感じているのですよ。)

皆さんは、そんなことありませんか?

(そうか、私より、もっと若い人がほとんど・・・・うう!!)

眼に見えるもの(青写真)

9月からの「教育コーチング」に関するイベントにドキドキしつつ効果を期待している超介です。

ありたい青写真をえがけばその通りになる、といいますが、うまく描けません。理由は2つあって、一つは青写真が明確になっていないこと、もう一つは絵を描く力が弱いこと、だと思うのです。

寝てもさめてもその理想図のことを考え続け、アイデアをたくさん結び付けて、細部まで具体的な絵にしていきます。その絵の解像度が高まることは、同時に絵を描く力が引き出されいる状態であるので、2つの理由はつながっています。つまり青写真を明確にすることがより重要だと思うのです。

でも、絵を描く力(右脳の力)も鍛えます。「利き手」と同じように「利き目」というのがあります。私は右目が利き目です。体の右半身は左脳がコントロールしていて、そこは論理的な思考をするところだそうです。私は、絵を描く力(右脳の力)は弱いと思うのです。

 それで右脳を鍛え、青写真を描く力を強くするために左手の運動をします。散歩中に左手にもった物をくるくる回したり、掴みなおしたりします。また歩きながら、景色を見て直後に目を閉じ、まぶたの裏の残像を意識します。(ぶつからぬように注意)最初は像が反転し白い像ですが、繰り返していくと、ふとその白い像の向こうからカラーの映像が浮かんできそうな感じになります。今はそんな感じ、もうすこしではっきりと描けるようになりそうです。

 こんなふうに、色々な工夫を重ねて自分なりの習慣(方法)を作ります。

皆さんは自分の力を高めるどんな工夫をしていますか?

眼に見えないもの(壁)

「教育コーチング」研鑽中の超介です。

日中はぎらぎらと照りつけがありますが、朝の空気からは肌に心地よいすがすがしさを感じます。
9月の空、秋の予感。

「眼に見えない壁」に気がつくのは他人からのフィードバックから。物事がうまく進まないときはどこかに壁があるのではと疑ってみることが必要。そして多くの物事はうまくすすまないので、きっと僕の周りは見えない壁だらけに違いないのです。

 他人に見えて自分に見えないものがあるのは自然なこと。特にコミュ二ケーション上の障害は眼に見えないことが多いのです。壁の中には莫大なエネルギーが潜んでいて、壊れると開放されたエネルギーはコミュ二ケーションの流れをぐんぐん進めるに違いないのです。

 だから、まず壁を可視化するためにコトバの力を磨きます。他人からのフィードバックやら、書籍によってわかった認知のゆがみやら、揺らぎを確定させるために記録します。記録をすることで希望を確認し、目標の「星」を見失わないように「星図」を描くのです。ブログへの投稿、手帳への記録、日記、計画書・報告書作成もその一つです。

 壁は時には越えがたい、深くて幅広い溝の体をなすこともあり、思わず引き下がることがあります。「そんなことは僕にできない」、とおもったり、「それは僕のせいではない」と防御して原因を外側に求めたりします。

 9月は運動会のシーズンです。心身ともに鍛え、壁も溝もブチあたったり、飛び越えたりして阻まれているものを自由自在に交流させ、エネルギーを開放していくのです。

 朝のすがすがしさはそれらの季節の予感なのです。(きっと)

眼に見えるもの

 「教育コーチング」がすきな超介です。

 星降る丹波の里から、星空を観察していました。南の空に天の川が垂れ下がる、そこは銀河系の中心方向で、双眼鏡を向ければ、散光青雲、星団等が観察されます。

 広大無辺の宇宙から、星の光は何百年、何千年、何万年もかけて地球に届きます。宇宙に放たれたそれらのほんのわずかの量の光しか地球には届いていないはずなのに。ヒトの眼力のすごさ、まったく

微々々々・・・・たる光の粒

がちゃんと知覚できるのです。

 お盆休みに読んでいた茂木健一郎さんの本からの孫引きですが、オスカーワイルドの言葉。
 We are all in the gutter, but some of us are looking at the stars.

 日常の仕事も、そのほかの人間関係も決してスムーズではなくて、うまくいかないことのほうが多く、まったく「我々は下水溝の中にいる」ように思うときがあるのですが、でも、夜空の星をみていると意識が吸い込まれていって、そしていつの間にか心が浄化されるのです。そして魂に力が吹き込まれるのです。

 だから「いくらかの人たちは星を見ている」のです。どんなに遠くに「目指すもの」があったとしても、私達の「知覚」は何百、何千、何万光年も隔てて届くほんのわずかな星の光をも、本当に「美しく」感じることができる眼力のように素晴らしいのです。

だから私達は迷ったときも「星」を見れば決して「方向」を見失うことは無いのです!!

あなたの「星」はどんな星ですか?

眼に見えないもの

いよいよ迫ってきた9月6日の「教育コーチング」セミナー準備中の超介です。

 お盆の休みの間は主に読書にふけっています。といっても普段から読書の時間は多いと感じているので、他のこと(たとえば海釣りとか)をと思うのですが、まあ、書籍から触発されることが結構あるので、こちらのほうが面白くてこうなってしまっています。

 「力」、「電流」、「磁力」とか眼に見えないけれども「存在」するものを知ったとき、その意味を実感(慣れるまで)時間がかかりました。世界に「存在」するとは、それを知覚する私がいて始まる関係(? たぶん正しいと、思っています)であると意識できるまで。

 で、私にだけ存在して、他の人には存在しないものがあるのが自然であることが理解できました。人の知覚の仕組み(脳みその構造)はおそらく個人差があるんでしょうから。コミュ二ケーションが取れているときはそんな違いを乗り越えているときですよね。同じものをはじめから見ている人とは関係つくりはコントロールしやすい、でも見えていない人とは・・・。苦労します。

 苦労しますが、でもふと同じものを見ているな、と感じられるときは幸せになります。それは相手が見ている地図の一部を発見したときです。信頼関係が一歩進むときです。人と関わってよかったと感じ、大切にしたい時間です。

「一緒に居る」ように努力をしていると、そのような時間に時々立ち会えて幸せになれるのです。

飛び越える勇気(考えてきたこと、いること)

教育コーチング研鑽中の超介です。

やはり、現在と同じように就職が困難な時代、仕事をどうするか真剣に考えた時がありました。まだ就職先は決まっていなかった時です。どんな仕事がいいのか?あてはありませんでした。あるいは、ぜひこれをやりたい、というものを見つけることもできませんでした。

 それで、昔の僕は、どんな仕事であろうと、やりがいに結び付けられる力を想定しました。そしてそれを身に付けようと考えたのです。どんな仕事であろうと、やりがいに結びつける力があれば僕の人生は幸せだ、と。そしてその力に僕は出会いました。E→P→D→C→T→E→・・・・とサイクルをまわす、というやつです。

 もう90歳近くの老人が、特攻でなくなった戦友のことを目の奥に光るものをたたえて語る映像を見たとき、生きることの重みがずしんと伝わり、仕事のことやら、プライベートのことで心を悩ましていることのありがたさを感じます。これはゼロベース思考というやつで、今自分を捉えているものの外枠を考える、そうすれば次に何を目指すべきか、ヒントが見えてくるのです。

 本は毎日読んでいます。最近は同じ本を何回も読むことが多くなりました。いまよく読んでいるのが茂木健一郎さんの「脳を生かす仕事術」「脳を活かす生活術」「脳を生かす勉強法」この3部作です。これらは彼の著書の中では易しく書いてある本なのでしょうが、それでも僕にとっては右脳と左脳をフルに働かせないと読み込めない箇所がたくさんあります。それで、あれこれと考えながら読むと、脳に栄養剤が注入された様になるのです。あるいは、さび付いた回路に油を差したような感じです。これを何回も繰り返して読んで、脳みそをかき回し、覚醒させるのです。

 壁にぶつかったとしても、必ずクリアする方法がある、飛び越える勇気を持とう!

サングラスをかけていることに気がつく

教育コーチングに導かれている超介です。

集中力の無い子がいて、それを強化するために我慢させて教材をやらせていましたが、ふと、私の勝手な思い込みに気がつきました。そうだ、5分しか集中できないのだったら、そこで勝負しようと。それで、たくさんの種類の教材を手元に用意し、次々と提案して80分を楽しみました。成功!いつもはぐったりとして母親のお迎えの車に乗り込んでいましたが、今日は意気揚々と、胸を張っています。

私自身もセミナーや研修で話している、「人はかけているものに目がいく、足りないものを探す」に陥っている、そのままの自分に気がつきました。集中力が無い子=次々と新しいことに挑戦できる子 だったのです。私は、欠点をみて、その子の可能性を引き出していなかった。彼はそのことを私に教えてくれたのです。私自身もその教材にたのしく取り組むこと、これが大切でした。「いつのかにかサングラスをかけた私」になっていました。

「このくらいの学年であればこうでなければならない」「受験校がここであれば今これくらいできなければならない」・・・・・、こういった思い込みが、そうでない現実の子ども達に強制をかけます。が、その思い込みを一旦はずすと、違う道が見えてきます。(きっと。)

問題意識が答えを見つけてくれました。ふと読んでいる本(幼時鍛錬 川村史記 中央教育研究所)に答えがあることに気がついたのです。強い問題意識を一旦脳に入れると、いつの間にか答えに出くわします。不思議な脳の力との出会い!!

★★★★★ 
前回の答え
1.親と子
  (木のうえに立を書いて横に見るを書くので親、親が   見守るのは子 だから)
2.東 
  (木の向こうに日があります。)
3.杳い(くらい)
  (あまり使いませんが、木の下に日と書いて日の出前、日没後の暗さを表します。)

  算数問題(不思議な計算)
1.計算をしてみてください。いくらになりますか?
                        (電卓可)
      12,345,679×9
          
2.では次の計算を暗算でやってください。
      
     12,345,679×72

母と子の出会いに感動する

教育コーチングの普及活動ingの超介です。

母親の涙の前で、やんちゃな男の子がうんうんと素直に頷くのです。そのとき私は一緒にいてその子にお母さんのこころを言葉で表します。そのようなことを何回か繰り返せば、子どもの心の奥底に何かが現れはじめ、それを私は見極めてそこに、語りかけていきます。想い出を作るみたいにするのです。

母親の力は偉大で、いつもそれに圧倒されます。身長が親より大きくなっても、子どもは親についていきます。思い通りにならないわが子に不機嫌な親がどんどん先に歩いていき、でも子どもは不安そうに、少し困った表情を浮かべながらついていきます。

今日はコーチとの面談の日、コーチは母親の話(愚痴が多いのですが)をじっくりと傾聴します。コーチは母親からも子どもからも、心にあるモノをどんどんくみ出し、それがお互いに透いてみえるまでくみ出します。充分に話し終えた母親はすっきりとした表情で子どもを置いてかえります。教室では子どもがじっと、おとなしくして勉強します。コーチはその子には何も話しません。普段どおりに授業を終え、顔をみてにっこり笑って「ご苦労様、よくがんばったね。」とねぎらいます。

そのようにして僕たちは親と子どもに付き合うのです。決して親と子に説教をするのでなく、奥底の気持ちをくみ出し、くみ出しして、本当の姿を浮かび上がらせようとするのです。3つの信念(人は育とうとする生き物だ/人は自分の中に答えを持っている/人はぞれぞれ)どおりに。

そのような経過をたどっていくとき僕たちコーチも、親子から力をもらっていることに気がつくのです。ありがたいことです。

★★★★★★★★★
前回の問題の答えは 意 です。皆さん大正解だったと思います。ではこれはどう?
(漢字+α)クイズ 1.「木の上に立ってじっと見守っている人がいます。」これは誰と誰?
          2.「木のむこうにお日様がある。」ここはどこ?
          3.「木の下にお日様がある。」これはどんなとき?
 (注)1,2は小学生で習う字です。たぶん。でも、3.は珍しい使い方でちょっと難しいかも。