冬のテーマは承認だ!

教育コーチングで素敵な承認を知った超介です。

 教室に通ってきてくれている塾生たちと冬休みをどのように過ごすかについて、スタッフと一緒に考えました。それで、スタッフみんなでもう一度「承認」を学びなおして、これの強化活動をやろうではないか、という結論になりそうです。

 今も、スタッフ個々には塾生への承認活動をおこなっているのですが、この冬はそれをさらに計画的にやれないかと。近々「ゆうみ」新トレーナーに「承認」を学ぶ会をやってもらい、どう展開するか、みんなで話をすることにしました。子ども達も、スタッフもモチベーションがぐーと上がる冬にしたいのです。楽しみ!!

 それで、再度塾生たちの いいとこ探し をやって、言葉で想いが伝わるように準備を始めています。承認のコトバをたくさん集めて、プレゼントするのです。このプレゼントはお金では計量できません。なぜならその効果はすぐには見えないのですから。

 もちろんすぐ喜んでもらえることもあるでしょうが、さらにずーと先で深く内容に気づき、何かの折に生きる力を引き出すコトバになるかもしれないのです。その意味に子ども達が気づくのはひょっとしたら成人し、結婚して子どもができてからかもしれません。そんなコトバをおくりたいのです。

 私達は、私達の親達の愛情をしみじみと大人になっても感じることが出来ます。その気持ちからもこども達に承認の言葉を伝えたいのです。「ここに生きていてくれてありがとう、出会ってくれてありがとう。」、メッセージにはそんな意味を持たせたいと思います。

子どもの心に届く・・・(その後)

教育コーチングを通じて母親の心を感じている超介です。

10月24日に投稿した小学4年生のお母さんとは、子育てについてよく話をしています。息子が学校で迷惑をかけているのではないか、とか、将来のこととか、色々とお考えです。そして、納得されたことはきちんと実行されるお母さんです。

先日も思い切って学校の先生に考え、悩みをお話になり、そのことをすっきりした声で知らせていただきました。必ずしも先生のお考えと同じではなかったようですが、希望された協力体制を学校がとっていただけるとのこと。それは本人の希望でもあるとのことでした。

 特別支援教育をどう受けるか、という内容です。私はどんな状況になっても、愛情と信頼と尊重でお子さんと向かい合いましょう。信頼が抜けやすいんですよ、とかお話してお母さんの判断を待っていました。リスクがあるかもしれないけれど、子供を信頼しての結論です、と報告していただきました。勇気があるな、と思ったのです。

世の中のお母さんは勇気を持って信頼して子育てをされている方が多いように思います。信頼に必要な勇気をみせていただいたのです。すばらしい!

想いの底にある価値観・・・

教育コーチングで人の想いを感じている超介です。

中3生は受験まで数ヶ月を迎えています。私の担当する教室でも保護者面談をしています。そのときの話。

中3生のAさんは、将来は障害児教育につきたいという夢を持っています。その夢のためには大学にいって教育学を、そして資格を取って・・という進路が必要ですが、本人が進学を希望している高校は普通科ではありません。それがお母さんのすっきりしないところでした。

お母さんから障害児教育にかかわりたい理由を伺いました。お母さんは、親戚に障害を持った子がいてその子と触れ合ううちに何かを感じたようであると、そう理解されていました。

それからまた、「お母さん」になりたい、といったりもする、と。そこで、面談ではAさんのことを一緒に考えることにしました。2つの夢に共通なことを考えて見ましょう、と。話しているうちに、彼女の価値観に気づきました。彼女が感じているものはたとえば、「人に対する優しさ、心のふれあい」を大切にすること、コトバではそのように表現していないけれど、夢の奥にあるのはそういった価値観、信念、そういう方向でありましょう、と。

そうであるならば、たとえ仕事は夢どおりにならなくても、どんな仕事にも通じる価値観であるのでOkじゃないですか、と。素晴らしいお子さんですね、と感じたとおりにお伝えしました。実際、教室でもまじめに取り組んでいるのです。彼女の想いがそのような価値観に基づいていることを思って面談は終わりました。(お母さんに対する承認が少し弱かったかな、と反省しています。今度はきっちりやるぞ、と。)

 なりたいことの奥に潜んでいる価値観はいつでも、どこでも通じていくものと思いました。

子どもの心に届かない・・・

教育コーチングを学ぶ過程で様々な発見をしている超介です。

 小学5年生のS君は、よくしゃべりながら動くタイプの男の子です。入塾してくれたのは4年生の6月、1年半ほどたちます。当初は通塾も嫌がって教室でもぐずっていましたが、5年になってからはそのようなこともなくなり、成長を感じています。子どもらしさを感じさせてくれる子なのです。

 先日、学校の先生の悪口を話し始めました。色々と質問をして、傾聴しているとどんどん話をしてくれます。自分だけ強く注意されるように感じていること。それで面白くないこと。授業も集中していないこと、等色々出てきます。(よしよし、ほどけてきたぞ、と私、でもそれは脇に置いて・・・)

 でも、なかなかか心の中に届きません。(そのように感じるのです。)そう感じるのは次の理由です。話の内容が先生から自分自身に移ってきて、さあ、それではと、「何があったら集中できるんだろうね?」と気になっていることを質問します。すると「わからん、それはどうでもいいよ。」とシャッターがガシャーンと落ちた感じ。

頭の中に入っていることは勢いよく、生き生きと語ってくれるのですが、私の質問は心に届かない(ように私が感じてしまいます)、状況の質問には答えてくれるのですが、行動の理由等に入るとガシャーンと扉がしまります。教室でも、30分ほどは集中できるのですが、その後、継続できないので、そのことをどう感じているのか質問しますが、届かないようです。(一緒に居ることが出来ていない?)

お母さんともその話をしますが、まだ答えは見つかっていません。少し「我慢」して考えをめぐらす、ということが苦手なようで、お母さんともそれがテーマに話したのです。

でも、よく考えてみれば、落ち着いて自分自身のことを振り返って反省したりすることは、結構難しいことですよね。

何かヒントがあれば教えてください・

子どもの心に届く・・・

教育コーチングを学ぶ過程で様々な発見をしている超介です。

私の言葉は伝わりにくいけれど、なついてくれている小学4年生の話です。いつもは元気よくお母さんの車から出てくるのに、今日に限って車内で沈んだ表情のままでした。勉強する気がないようなので、「今日は遊ぼうぜ」(大胆!)と呼びかけて手をつないで教室に入ります。

なにかあるなと感じて、色々と試みますが、「つかれた」という言葉しか出てこず彼のチャンク(心と頭のなかのぐちゃぐちゃなカタマリ)はほどけません。こりゃいかん、「おしょう日記」みたいにはいかんな、と反省します。

30分ほど勉強らしきことをしてあとは遊んで、そしてだらだらと過ごしました。でも授業が終わるころはだいぶ元気になっていて、お迎えの車の中では元気に車内の機器をいじくってご機嫌な様子。

家庭で両親が彼に色々と話をしていて、それが原因かも、とお母さんから伺いました。その話は学校の先生からの注意で、それを彼に伝えているとのこと。その内容そのものは彼には理解しにくかったようです(それで私は彼のチャンクをほどくことができなかった?)。でも・・・何かが伝わったのだと思いました。

そのことをお母さんと更に話して、これからの数日間の「話し方、聴き方」についてを確認し合いました。

私はこの件でコトバの持っている力について感じました。言葉の記号的な意味はつたわらなくても、きっと、そのコトバに内在する発話者の気持ちが伝わる、そのような力を感じたのです。(意味が理解できない赤ちゃんに話しかける言葉の重要性を思いました。)

 ゆるす ということ

教育コーチングにより生きる力を掘り起こしている超介です。

自己承認(自分をゆるす)をおこなうと、自分が変わっていくように感じます。私は ゆるす というのになにか、方法があると思っていました。でも、そうではないようですね。私の場合はゆるすことの意味を書いた文章をじっくり読んでいるうちに、閉じこめられていた素の自分が出てきます。情動が起こり涙が出てきたり、嗚咽することもあります。ああ、我慢しているな、と思ったりします。

それから、特にストレスまみれになったときには、ひとりになれるところにいって15分程度横になり目をつぶってじっとします。そして何が起こっているのかを味わうのです。そのまま眠ることもありますが、でも起き上がるとリセットされていて集中力を取り戻すことが出来るのです。

この感覚は、これまでもなんとなくわかっていましたが、ゆるす という言葉で表現されて意識裡にあがってきて、さらにくっきり身についた、というふうです。お勧めの本は「ゆるすということ」(ジェラルドGジャンポルスキー サンマーク文庫)です。最近読みました。繰り返して読んでいます。

 その時々で 自分 が変わる、または こころが流れるように動く のような感覚があったので心象を書こうとすると途中でとりとめもなくなってしまい、ブログにも投稿しにくかったのです。それでしばらく投稿するのをやめていました。

 これまでより深く考えることができるようになりました。自分のことをより深く理解していけるような気がするのです。そのさきにあるのは、さらに自由に動ける自分です。いい意味で 軽くなった自分 それを感じます。

親の心から

教育コーチング普及活動推進中の超介です。

あるお母さんが小学校の先生からのメッセージを持参された。そのメッセージは連絡帳に書かれたものであったので、お母さんはそれを自分の手でメモ用紙に写し取り、それを私に手渡された。そこには、小学中学年のその子の今と将来に対する、先生の不安と悩みがつづられている。

翌日、メモに書かれた文章を何回か読み直すうちに、お母さんの心が想像できて、たまらなくなって、電話をして話をうかがった。でも、お母さんは現実(小4であるが小1内容程度しか理解できていない)をきちんと受け止められていた。その上でどうするか、迷われていることがわかった。

現実をきちんと受け止めている人は強い。受け止めているので、その現実に振り回されず、思考し判断し行動できるからだ。主体的に生きることができるからだ。お母さんは強い、そう感じた。

私がお答えしたことは2つ。一つはどの道を選んでも人生は様々に発展させることができること、あと一つはその子の長所を見てあげましょう、ということ。お母さんに言う必要は無かったかもしれない。

 その日、また別に、ある夫婦が相談に見えた。中3生の娘がまったく勉強しない、成績もひどい、ということらしい。1時間ほどお話をうかがって、家庭の様子が想像できた。感じたことだけをお伝えする。次はお子さんに来ていただいて、体験授業を受けてもらい、面談してからお話しすることを約束する。

 私が教育コーチングをも介しておこなうことは、人(自分自身も含めて)を信頼することである。信頼には勇気と責任が伴い、そのためには十分な知恵、知識、スキルも必要である。だから学ぶ。あらゆるチャンスを通じて学ぶ。人が信頼できれば、その人はぐんぐんと、のびのびと生きていくことができる。

 ご夫婦とお子さんをどこまで私が信頼できるか、試されると思っている。

 生きることの醍醐味を味わうことができる機会が、たくさん押し寄せてくる。

(最初で最後の)告白、そして節目

教育コーチングで自己開発していく超介です。

「素敵」という言葉を使うことはめったにありませんでした。ところがこの数週間のうちに「ああ、これが素敵ということか」、と言葉の意味を感じるようになりました。

「本音」と「建前」が分離してしまい、いつも我慢して、気持ちを押さえつけて生きてきたようにおもいます。

ある日何の前触れもなく、涙があふれてくる時があるのです。

日常の自分をゆっくり振り返ることなどしていませんでしたが、教育コーチングを始めてから、振り返りをする機会に恵まれました。色々なセンスを学ぶにつれ、私という人間がなぜ今、ここに、こうして、あるのか、その意味をずしんと感じる時があるのです。

先日京都に行き、駅前の雑踏のなかで、黒い石のベンチに座り、帰りの夜行バスを待つ3時間ほどの間にテキストの文章の1箇所(「許す」)を何度も繰り返して読みました。すると、急にこみ上げてくるものがありました。それは何回も波打ってきます。「建前」と「本音」の境目がとれて、情動が動き出す。何の前触れもなくあふれてくることがあった涙の意味にはっきりと気がついたのです。

その翌日も同じ文章を繰り返して読みました。そうして前日の京都の夜のことを振り返りました。そのときも、そのままを受け止めて「許す」をおこないました。そこで私は深く感動しました。昨日よりもくっきりと自分のことが理解できたからです。そして、いままでより強く主体性が発揮できそうな予感がしました。

起床時の憂鬱をコントロールできそうな気もしたのです。新ためてECTPのテキストを読み直しています。以前は読み飛ばしていたのに、ああ、ここにこんな意味があったのか! と気がつきます。「信頼」の項目を読めば、現場で対応していた子ども達との関係がなぜうまく進んでいるのか、より深く理解できるようになりました。

うまくいっていないと感じる関係の理由も理解できます。解決できるかどうかは別にして。

同様なことはECTPのテキストだけでなく、他の本でもそんなことが起こりはじめました。言葉の意味が立ち上がってくることが増えてきています。そのことを感じながら読書を楽しみます。

いつの間にか不機嫌になったとき、時間をとって自己観察をします。すると刺激にそのまま反応している私に気がつきます。コントロールされている私に気がつけば、(時間はかかりますが)対処の仕方が見えてきます。こうしようと、そういう気持ちがわいてくるのです。

「日常の中に学びを落とし込む」これができれば、私はさらに自由になり強くなると思うのです。
これが「素敵」の意味!!

もうすぐ1年ですね。

教育コーチングを普及させたい超介です。

 このブログが始まってからもうすぐ1年たつのですね。私の最初の投稿は「挨拶」でした。「挨拶とは相手の気持ちにさっと入る」ことだ、そして「教育コーチング」を通じてであった人は「挨拶の上手な人が多い」というような内容でした。

 9月19日の京都での「トレーナー総会」でもそれを強く感じました。初対面である人ともすぐに自然に会話ができるのです。それは、「教育コーチング」の学びを通じてどんどん自然体であることの強さが出てくるから、のような気がします。

 今回の総会の研修からも、より強くなる手がかりを掴みました。自然体であることの強さは、より私を自由にしてくれるのです。ですから読書をしていても、言葉の意味がよりこちらに届いてきます。

 このブログの超介日記は今回が74回目になります(数えました!)。 次回は2年目の始まり、これからはテーマ、というか、スタンスというか、もう少しまとまりのある内容にして、超介らしさを見つけ、表現したいと思っているのです。(無理かな?)
 

農作業を終えて

教育コーチングの普及に努めている超介です。

9月6日(日)のセミナー終了後ふるさと丹波に帰り、農作業をおこないました。一反七畝(だったかな)ほどの田んぼから773kgの玄米が収穫できました。30kgの袋26個を保管庫に積み上げて作業は終了です。これを精米していただく新米が楽しみです。新しいお米をたくと、つやつやと光り、粒がたち、よい香りがするのです。

ほとんどの田んぼは稲刈りが終わり、黄金色であった平野部の風景は薄茶色の入った肌色やら、その後に生えた稲の芽(これを ひこばえ というらしいですね。)で薄い黄緑色になっています。その奥にはそれほど高くはない(でもたぶん海抜400メートル以上はあったと思います。幅広く広がっているのです。)丹波山地が深い緑に包まれてあります。ふもとにある家々も秋の収穫の大仕事を終えて、一段落ついているかにみえました。

 今日(9月13日(日))は所属する企業の宿泊研修がありました。土曜日から泊り込み、未来に向けてのあり方をデスカッションする時間を数グループに分かれておこないました。自らを信じる力を強くするきっかけにしようと呼びかけました。そのために未来を想像し、今、これからやるべきことを話し合ったのです。

 教育コーチングの活動も、仕事も常に期待をこめて、種まき、水遣り等々せっせとおこないます。運動会もたけなわ、秋祭りも始まります。日ごろの努力、練習がそのとき開かれるように、私達の活動も継続的に行い、方々で花開くようにしていきたいと思います。