2009年の出会い

教育コーチングによってたくさんの出会いを得た超介です。

 2009年も様々な出会いの年でした。ちょっと棚卸しをしてみます。
イベントとの出会いは・・・・
    

1位 同窓会(39年ぶりの中学同窓生との出会い) 

2位 トレーナー総会(コーチングトレーナーの集まりがあったのです)   

3位 子育ちセミナー(お母さん、お父さん向けに初めてやりました)

4位 社内研修会
色々と12回ほどやりました。各回2時間ほど) 

5位 準上級更新講座(ドキドキでした、何とか合格しました)

かな。これらは順位をつけるべきものではありませんが、印象度でをつけました。1位は再会の感動物語。2位は同じ志を持つ人たちの集まりの感動、そして新たな刺激の場。3位は自分の変化が実感できた場。4位は影響力を感じている場。5位は今年のスタートをきることができた場。

それからストレスとの出会いは・・・・
    

1位 病気(肌荒れがどんどんひどくなってしまって・・・) 

2位 ナイショ、ナイショ(大変苦しんでいますが・・・) 

3位 仕事上の出来事たくさん(これも大変ですよね・・・)
    
です。でこのストレスの原因こそが私を語りはじめるきっかけになり、イベント、本との出合いにつながっていくのです。

本との出合いは・・・・
 1月・12月の今日までに読んだ本は146冊(複数回読んだ本は回数を加えています)。
その中でもっとも印象に残っているベスト5は
 

1位 グラッサー博士の選択理論  ウィリアムグラッサー著

2位 地頭力を鍛える       細谷巧著    

3位 考える技術・書く技術    バーバラミント著    

4位 動的平衡         福岡伸一著    

5位 ゆるすということ      ジェラルドGジャンポールスキー著
 繰り返し読んだ回数の多い本は 茂木健一郎さんの「脳を活かす勉強法」「脳を活かす生活術」「脳を活かす仕事術」これらは夏休みを活かして10回ずつ読みました。茂木さんの本は興味をひかれて読み続けていましたが、卒業したかったので、発想法、思考法のインプットをするために思い切ったのです。結果は・・・・?やはりいまでも新刊本を見つけると手に取って買ってしまいそうになります・・・、う、中毒なってしまって・・・。 今年の傾向は繰り返して読む本が多くなったこと。小説はほとんど読まなかったこと。(漱石やら鴎外等読みたい本はあるのですよ。)コーチング、ファシリテーション、NLPに関する本も22冊読みました。(勉強してます。)「選択理論」はつい最近読み始めました。これは大いなる生きる指針になりそう、と思っています。昨年の「7つの習慣」以来の影響を与えてくれそうです。

  感じる の意味

教育コーチングで 感じている 超介です。

12月には2回の自主研修会を社内でおこないました。私にとっては参加者の顔ぶれを想像し、流れを考えながらプログラムを作ることやら、戸外の自然の写真を取り込みながらパワーポイントで教材を作ったりするのも楽しいことなのです。

研修会が始まると、少しのリードだけで参加者が取り組んでくれるので場全体の雰囲気に注意しておくだけでよいのです。普段は指示命令やら、きっちりと組まれた報告・連絡・相談経路での情報のやり取りが中心である仕事なので、自主的、能動的、自由な情報のやり取りを中心にするワーク形式の学びは新鮮でまずまず好評でした。

そのことは実施後の感想文で「元気になりました」「爽やかな気分です」「ぽかぽかしてきました」「体から緊張が抜けました」等々の記述からもよくわかります。

感情やら、生理的反応の高揚感は働くことやら学ぶこと、生きることへのモチベーションに直結すると思います。私もそうです。他人と過去は変えられない、しかし自分と未来は変え放題、このときの自分を変えるとはまさに「行動と思考」を変えること(もちろんプラスの向きに)であり、それが感情と生理的反応の高揚につながることを実感しました。(最近 グラッサー博士の選択理論 を読んでその理論的裏づけをしりました。 ああ、面白い!!)

人を育てる(いや、人は育つ)

教育コーチングに育てていただいている超介です。

11月29日(日)は広島でのセミナーを受講してきました。大手学習塾(最大手です)塾長のY氏による講演会でした。松山を午前中にでて しまなみ街道 を走り、昼過ぎに広島入り、13時30分から16時まで受講し、帰路、途中のファーストフード店(ああ淋しい、淋しい)に立ち寄りおなかを満たして帰りました。自宅にたどり着いたのは21時になっていました。

 セミナーでは研修等人事関連の内容に興味を惹かれました。何段階ものステップを踏んで登用されていく研修、資格取得システム等の説明に納得をしました。組織で運営する、しかも大きな組織(学習塾として)ではどうしてもシステムを組んで、という発想になるのですが、大変丁寧にその研修、資格取得システムが組まれているな・・・。という感想を持ちました。人を育てるシステムです。

 話を聞いていて、形(システム)をきめて運用しても、それへの信用度(そこで育っていく人の実力完成度みたいなもの)はさあ、どのくらいまで可能なのか、そこを見切らないと永遠にシステム改築工事が続くように思いました。

 そこらへんを考えていると、僕も体験した(教育コーチ育成の)ETCの仕組みは信用度の高いシステムだな、と思います。「人が育つ仕組み」をそのまま再現しているからだと思うのです。(受益者の僕は育てていただいているという表現をとるのですが・・・、運営する側からの視点は育つ仕組みと表すべきかと。)

 「人を育てるシステム」ではなく「人が育つシステム」、社内での研修も「育てる」ではなくて「育つ」「気づく」「変る」「行動する」「分かる」・・・場を演出したいと思っています。

12月に入り師でもないのですが、心だけは走り回り、しばらく投稿できませんでした。

走り回る心もこれからはかいてみたいな・・ミタイナ。

再会その2

再会は存在の承認の場になると教育コーチングを通じて感じている超介です。

今回の39年ぶりの再会(中学の同窓会)がなぜ私に多くのエネルギーを与えるのかを想っています。思わず、自然に握手を求めたり、ハグしたりします。半世紀以上越えて(54年間)生きてきて、素直に自分をだせるだけの知恵がついたのでしょうか、異性ともこだわらずにそうしたのです。

丹波から四国松山に来た当初は、知人もなく一人ぼっちでした。それからの年月が故郷とその地の人々への想いを募らせます。生活は仕事を中心、人間関係も仕事からの関係、息苦しくなっているのかもしれません。同窓会の時間は、閉じ込められた球形の室内に、穿たれた窓からの温かく、かつ新鮮な風でした。

同時期に生きた人たちとの再会は 存在の承認の場、そのように思えるのです。たのしいことばかりではありません。逝去した人のことについて話したり、子どもを事故でなくした、家人との関係で悩んでいる、仕事で苦労している、親の介護等、それぞれの人生の悩み、苦しみを話し合ったりもします。でもそれは愚痴る時間ではなく、それらを認め合うことができる時間でした。「そうか、あなたはそんなにも苦しんでいるのか、悲しいのか。」 僕たちはそのような心の交換ができたのです。(きっと)

 ゆるしの時間であったのだと思います。様々な場と時に選択をし続けて今の私がある。私はいままで
に幾度ともなく、物足りない自分の性格を形成したのは過去の歴史である、そして頭と心の中を探り、私を操るたよりないものを掴もうと思っていました。でもこれからは、それらもゆるそうと思うのです。
もっと、ありのままに、素直にこれまで過ごしてきたときを振り返り、大切にしたいと思っているのです。

再会(42年ぶり)

教育コーチングの学びによって、出会いの意味を感じている超介です。

22日の日曜日、神戸で中学校の同窓会がありました。今から39年前の同窓生です。ほとんどの人とは中学卒業以来だったのです。早朝松山を高速バスで出発して昼前に三宮へ、会場は神戸ポートピアホテルでした。中学の同窓生が料理長をやっているお店で開かれました。同窓生81名のうち39名が集いました。そして、なんと42年ぶりに担任であった先生(中1の2学期までの担任、2学期末に結婚退職されました。)も出席いただいたのです。

先生は当時、20代の音楽の先生でした。そしてなんと、その先生からは、42年前に私達生徒が書いた作文を返却いただいたのです。道徳の時間に、魯迅の短編小説(小さなできごと)の感想文を書きました。自分の書いた作文を読み返すと、当時の私(13歳)がどのようであったか、その一端が浮かびあがってきます。

そこに表れているのは、おさない私のあまりにも単純な人物観でした。「魯迅が乗っていた人力車の車夫が老婆をはねた。魯迅の制止を聞かず、車夫はその老婆を交番に連れて行き、自分が怪我をさせたと申し出た。その車夫の背中が魯迅にはだんだん大きく見えてきて、そして己の小ささを感じた。」そんな内容です。なぜその背中が大きく見えたかについての理由を私は書いています。あまりにもあたりまえの内容で、ふう・・、何も考えていないじゃないか・・とそう感じました。でも、一生懸命考えて書いた作文だったかもしれません。

その若い担任は実は社会の先生で、音楽を教えるのは苦労されたらしいこと、そんなことをお話されました。そうおっしゃると、なんとなく音楽の授業の緊張した雰囲気が思い出されてきて、そういえばあまり笑いがなかったような気もします。それでも違和感はなく、それ以上に先生に魅力を感じていたのです。たった、9ヶ月の担任期間でした。3者面談で部活入部を決めかねていて、バレーボール部をすすめていただいたときの優しいまなざしを思い出します。作文も先生に気に入ってもらえるように書いた気もするのです。そのことを先生にお話しすると、うれしそうに感想を述べられました。「そのように慕ってもらっていたことを知って、それだけでもきた価値がありました。」、と。

その当時の自分、そして一緒に生きていた人たちと再び出合うこと、それは本当に素敵なことです。想い出を宝物に感じます。かけがえのない、そして2度とやってこない時間。そのとき一緒に過ごした人たちと出会い、振り返ると、胸が熱くなります。ああ、僕たちはあんなふうに生きてきた、と、その命を認め合うとき、エネルギーがあふれ出てきます。僕はその会の間、何人にも握手を求め、相手を見て言いました、「逢えてよかった、本当にありがとう」と。幸せな時間、存在、命の承認の時間。

聴く耳

子どもの発達に驚き、教育コーチングの有効性を感じる超介です。

ある独立行政法人が主催する認知療法のセミナーを受講してきました。出来事・事実に対する認知モデル、自動思考等の説明やら、実際に自分がある状況ではどのような反応をしているかチェックし、心の内側にどのような自動思考があるかを考え、発表しあったりしました。

うすうす感じていたことではありますが、どうも私は物事が平和裏(穏やかに)に進むようにみてしまい(中核概念、スキーマ)、危機を感じ取るセンサーが弱かったり、うまくいかないことの原因を自分に引き寄せて考えすぎる、自責的、傾向(自動思考)があるように思います。

そしてこの平和志向的な中核概念(スキーマ)が何を意味するかはぼんやり感じているのですが、それとどのように付き合う(向かい合う)かは見えていません。それがなくなれば自分でなくなるような気もしてきて・・・・・。気が遠くなるように思えてくるのです。これとはじっくりと付き合っているうちに必要に応じて編成、変質がおこるんだろう(きっと)と思うようにしています。

担当している子どものうち、なかなかこちらの気持ちが通じず、いつもコトバが一方通行であった子が
ふと、今日「聞く耳」から「聞こえる耳」になっていて「聴く耳」に変わりつつあるのに気がつきました。社会性の発達が見えたような気がするのです。注意をするとちゃんと聞いていることが分かったのです。すねることが少なくなったのです。彼の頭の中で、何かの回路がおぼろげながら出来つつあるかのように思えるのです。もちろん本人は認知していない。

お預かりしてから約8ヶ月たちます。じっくりお付き合いさせていただいていますが、人の能力の素晴らしさを味わっています。

私の奥にある「中核概念」もこんな風にして周囲の人たちとの付き合いのなか、本人の知らぬところで生まれてきたのだろうなぁ・・・、とおもったのです。

プレゼント

超介はこの世界から多くのプレゼントをいただきます。そのうちもっともうれしくて、他の人にどんどんおすそ分けしているのが教育コーチングです。

11月11日で54歳になりました。その日の夜遅く、遠くに住む息子からメッセージ(メール)をもらいました。そこには部活と実習で遅くなってしまって、と断りをいれながら、誕生日に対するお祝いの言葉がありました。私は、人生を主体的に生きていてくれていることが父(私)への最大のプレゼントであること、ありがとう、と返事をしました。私の本当の気持ちを伝えます。

それは、私が私自身の遠くに離れて住む両親へ渡すことが出来る唯一のプレゼントでもあります。

どんな困難な状況にあっても、主体的に生きる人は充実した時間を過ごすことができます。それは本当に大切なこと、今日はそのための話を1時間、入社前研修でしました。

プレゼントにはその場で分かる意味とライフイベントを経ると分かる意味が含まれる場合があります。
プレゼント=その場で分かる意味+あとでわかる意味

プレゼントと同様、質の高い教育は後でわかる意味の含有率が高いものです。教育ビジネスではこの2つの意味を重ねてずしんと社会に提案することが必要です。対価を払っていただくという敷居があるからです。その場で意味が分からないとお金を払ってもらいにくいし、永続性を持つためには後でわかる意味を含む必要があるからです。(と、思っています)2つの意味を重ねることに尽力します。

本とのつきあい(20代まで)

教育コーチングに関する学びを読書をも通じておこなっている超介です。

あてもなく、だらだら書きます。

小学生の頃から、友達が少なく、一人で遊んでいた。特にたくさん本を読んでいたわけではない。眺めていたくらいである。今も覚えているのは「ああ無情」くらいである。長編小説の初めの部分を読んだようであるがまだ記憶に残っている。銀の食器を盗んだ主人公が捕まったとき、その教会の牧師より「それはあなたに差し上げたのです。」と言った。子ども心にゆるしの持っている力を感じた。

中学生になって、性格はかなり明るく、積極的になった。読書はあまりしなかった。ただ本をみるのはすきであったようにおもう。勉強はあまりした覚えがない。その当時の高校入試は兵庫方式という思考力テスト+内申点で合否が決まり、実力がなくても合格できたし、そもそも、出願時に調整が入って、不合格者がほとんど出ない。

高校入学後は、授業についていくのが大変であった(中学で勉強していなかったので)。入学直後のテストの結果に驚き、勉強を始めた。高校3年生のころ、ふとしたきっかけで短歌会の集まりに参加し、国語の教諭がひとかどの歌人であることを知った。友人とその先生宅へ伺ったおり、応接室の書棚に世界文学全集が並んでいて、それらを全部読まれたという先生に敬服した。

その後、文芸班に入り、小説(太宰治とか)を少々読んだ。高校3年の夏には京都の嵐山の寺院で1泊2日の研修をしたこともある。卒業生の文集にある先輩の散文に強く引かれて、同じ様な散文を書いた。その後35年近くたって、その先輩が「江上剛」という作家になっていることを知った。

大学に入り知人がまったくいない寂しさから、文芸部に入部した。入部当時には6回生、8回生という猛者がいて、たくましさの洗礼を受けたように思う。のみ(お酒を)にはよく連れて行ってもらった。コトバの起源(古代人が始めて海を見たときの心に沸き起こってきた感情がコトバの始まり、など)等について語ってくれたりした。本をまずまず集め始めたが、相変わらず積読であった。
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読書近況 小説はほとんど読まないのですが、最近古本屋で「ロンググッドバイ」(チャンドラー 村上春樹訳)を見つけたので、買ってしまい、半分ほど読みました。主人公の探偵がとても魅力的です。

保護者面談より(その3)

教育コーチングにより親子への理解を深めている超介です。

入塾して2ヶ月ほどの中3生です。教室での学習の様子を見ていて、こんなにきちんとできるのに、どうしてテストはこんなに結果が悪いのだろうか?私はそのような疑問を持っていました。そのお子さんのお母さんと面談しました。疑問をストレートにぶつけます。

お母さんは悪いテスト結果がずーと続いるからか、私の疑問に対しては(成績が悪いのは)あたりまえのようにお話されます。そこで色々と質問をさせてもらいました。(よく言えば)“友達のような感覚”です、お互いにいいたいことを言い合っています、とのこと。それで、状況の質問を色々と行いその後「では、どんなお子さんになってほしいとお考えですか?」と質問します。状況から少し抽象度を高めて、「素敵な未来」を考えてもらおう、と思ったからです。

なかなか答えにくい質問であったようで、「普通の子」「特には・・、考えたことはありません。」と。それで、しばらく期間をかけてこのことを追っかけていこうと思いました。(別の日に、何かの機会に再度話してみるのです。)お母さんの意識の中にこの質問を持って欲しいと思ったからです。

その子を取り巻く状況が変わるために何が必要でしょうか?私は2年半前の神戸での「子育ちセミナー」で次のコトバ教えてもらいました。(このときが教育コーチングとの出会いでした。)
               「過去と他人は変えられない」
このコトバの後ろには「未来と私は変えることができる」という意味が控えていて、そこにこだわっているのです。「未来に向けての素敵な質問」を掛け合うことが出来る親子の関係つくりを支援していくのです。

保護者面談より(その2)

教育コーチングによる面談を味わっている超介です。

これも、中3生の女子Bさんのお母さんとの面談での話です。今は明るくて、よく話をしてくれますが、最初はそうでもなかったのです。気になっていたことは自己否定的な発言が多かったことでした。

 そこで、そのことをお母さんにお話しました。するとお母さんもそのことに気がつかれ、家庭での話し方をかえるように決められたのです。その直後、彼女からは否定的な言葉が劇的に減少し始めました。そのことを?笋砲討?知らせすると、お母さんは心から喜ばれていました。それから数か月後の面談でした。様子を伺うと、以前と比べてずいぶんと彼女から学校のこと、塾のことをよく話してくれるようになったとのこと。

 お母さん、お子さんとの距離が以前より近づき、より心が開けてきたように感じたので、それで次の話を進めることにしました。教室での学習が、学習ではなくて作業が多いこと、手先の仕事になっていて頭に情報の入る割合が少ないことについてです。「抽象に耐えること」が苦手なのです。それで、学習の実感がつかめていないので、たのしくなく(たぶん)集中が持続しにくいのではないか、といったことです。

 頭の中に情報が入るように目を閉じて考えたり、問題から目を離してその意味を把握すれば、問題が解けるので、頭の回路は十分働いてます。課題は情報をどのように脳の回路に入れるか、です。お母さんは「この子は頭がとことん悪い」と考えていらっしゃったようです。でも、そうではなくって、脳内回路の使い方がまずいだけなのです。

それで、そのためには比喩的ですが、「立ち止まって考える」ことが出来るようにすればよい、つまりなすべきこと(目標)がきちんと意識できるようにしましょう、我慢が出来るように・・・・・・・・・・・。
具体的には・・・・・。というような話をしました。

お母さんから話をうかがっていると、お子さんの長所がたくさん見えてきます。面談にてお母さんと一緒にお子さんについて考えるとどんどん理解が深まり、感動するのです。