問を立てる、主体的である、立命する、選択することの重要性を再々教育コーチングで感じている超介です。
答えが初めからある問題(数学の問題のように)に対処していると、いつの間にかそれを探す習慣が身についてしまいます。不都合なことがあれば、その原因の犯人探しを始めたりするのです。でも世界はそんなに単純ではなくて、どのように『問をたてるか』『答えをたてるか』が重要で、そうすればより創造的な関わり方をすることができます。
誰の本に書いてあったかは忘れてしまいました。
『人生にはじめからは意味は無い、人生があなたに意味をつくることを求めている。』
過去、何人かの首相の指南役でもあった陽明学者安岡正篤師の講演集から、知命と立命という言葉を知りました。次のような意味です。安岡師は『命』とは宇宙の本質たる限りなき創造変化であり、絶対的なものではあるけれども複雑な因果律がある、それを探って知り(知命)、因果の関係を操作して新しく運命を創造変化させていくことを『立命』、と説明しています。
スティーブン・R・コビー著『7つの習慣』のうちの第一の習慣は『主体性を発揮する』です。主体性を発揮するとは、条件反射とは違います。つまり(外界からの)刺激をうけて考えもせずに無意識で反応、行動することではありません。人は刺激があれば、それを自覚、想像力、良心、自由意志により反応を選択することができる存在です。それが主体性を発揮することであり、人と動物との本質意的な違いなのです。
昨年末に『選択理論』を読み始め、「ああ、ここにも同じことが書いてある」そのように感じました。我々は環境から『情報』を得るだけで、その解釈はその人がそれぞれにすることができる。だから環境にコントロールされずにいることができる。行動を選択することができる。うつ状態も、落ち込みもそれは本人がそのように選択しているのである。だから、それ以外の選択も可能である。
誰もが様々な悩みを抱えているように、私にも立ちふさがる壁があって、超えられない、どうしよう、そう思うことがあります。その解決法をいつも探しています。それで多くの本を読んで考えてきました。過去と他人はかえられない、けれど未来と自分は変え放題、を理解し、さらに自分を変える糸口も少しつかめてきたように思うのです。多くの人が同じことを伝えてくれています。
立ちふさがる壁があっても、可能な範囲で一歩踏み出せば、気持ちが少し変わります。そこから新たなエネルギーが生まれ、まったく超えられないと思っていた壁、その高さが少し低く感じられます。さらに一歩踏み出し・・・・。