彼は自分をさらけ出すことができる

正直は最大の戦略ということを30代で知りえた彼は、自分をさらけ出すことをあまりいとわなくなった。そのことで得たものは落ち着きと自信である。

「自分のことをさらけだしすぎ、相手を考えて話さないと。」

と忠告する女性の部下もいた。それからは言い方には気をつけるようになった。でも、出さないのではなく、相手に応じて表現を変えるのである。

この世界は時間も空間も同じ次元としてあるのだ、ということと私たちがある特定の意識を持って生きている時に出くわす現象は関連があるのだろうか。強く問題意識を持って考えているとヒントになるような事象やら、解答に出会うことが多い。強く願えばかなう、とか、そんな現象である。

正直に生きること、さらけ出すことは彼にとって誠実に生きることにつながる、そう考えているのである。世渡りをうまくやるためには、時には嘘をついたり、脅したり、いろいろとやらないといけないのかもしれないが、それを彼はやらない。

誠実に生きるとは社会規範に従っていくこととは限らない。自分を信じて生きることの意味に近い。ゆっくりと歩いてきたのである。だから今でも自分の成長を信じられる。

おおきな変化がゆっくりと進む

脳の中,ニューロンが伸びて新たな神経のジャングルを創りだす過程は、植物の成長と同じようにゆっくりと進む。それは人格の変容やら、さまざまな能力の伸長からわかることだ。

木を割ってしまい、早く成長を見る人が多い。割れた木は元に戻らず、その人の芽を摘むことになる。もっとも大切なことは木を割らないことだ。それには見えないものを信じる力が多分必要だと思う。たとえば、早急に結論を出し、決めつけてしまうことも木を割ることの一つだ。

夫婦に子供が生まれる時、それが男の子か、女の子かどちらかにやきもきすることもある。(男がよいとか、女がよいとかということではない。)しかし世界中でみれば男も女も同じように生まれる。ある夫婦にとってみればどちらが生まれるかはわからない。でも統計的に見ればどちらも同じ数だけ生まれる、という真実がある。

そういう真実を求めて僕たちは学び続ける。今はわからないかもしれない。しかし、学び続ければ真実が見えてくることを信じている。木を割ってはいけない。

 人の成長は目に見えないけれど、ゆっくりかもしれないが変化していくことは間違いない。それを信じることだ。

悩みがあったとしても

生活時間を3つに分類する。
1.痛みや、苦しみそのものを体感している時間
2.(悩みや不安、不満があったとしても)普通に生活している時間
3.喜びを感じている時間
このように生活時間をわけて考えると、私たちはほとんど
   2の時間+3の時間
を生きているのではないのだろうか?

 「1の時」が来ることを恐れているのが「2の時」であるが、ここに大きな個人差があると思う。普通に生活できる時間であるのに、不安やら苦しみやら不満を心に抱き、生きている充実感がもてない。人生を幸せに生きることができるかどうかは、この「2の時」の過ごし方次第である、それはその人の考え方、行動の仕方如何である、と思う。

 「2の時」を(つつがなく)過ごせる時間と“昔の大人たち”は名付けていた。不幸な出来事はたくさんあるけれど、多くの“不幸なこと”は(つつがなく)過ごすことができないことからきているのではないであろうか?

 仕事がうまくいかない(でも仕事はあるし・・・)、給与が安い(でも無給ではない・・・)上司とうまくいいかない(でもいつも叱られ続けているわけではない・・・・)、夫婦仲が悪い(でもいつも喧嘩し続けているわけではない・・・)・・・・。このように考えてしまうと不幸な時間ばかり、でも
(・・・・・・)から入れば考え方が変わり(つつがない)ことへとつながるのでは。

 自分の生の大きな割合である(と思う)「2の時」を正しく理解できれば、安心して、次を追求していくことができる気がする。生き様である。人の器の大小はそんなところに表れる気がする。

思い出から

幼稚園児であった2人の子どもたちは、父の大きな上着を着たり、革靴を履いたりして嬉々としてまとわりついた。たまに夕方に帰宅した時、食事をしていても飛び出してきて玄関で抱きついてきた。

小学生の低学年までに彼ら(息子たち)が父に与えた愛情は、どんなことがあっても、彼らを見放さない、守り抜く、そんな決意を父にさせた。

中学生から高校生にかけて兄は家庭内で暴力をふるったり、ナイフやらモデルガンをもって喧嘩に行こうとしたり、退学すると言い出し、荒れに荒れた。110番に連絡して暴れる息子を抑えてもらったこともある。その後も父は変わっていく息子を茫然と見守りながら、でも一緒に付き合った。

一家にとって苦しい数年間を終え、高校の卒業式で同年の卒業生の顔つきを見て、彼らそれぞれがその胸の内にドラマを抱えて数年間過ごしたことを感じ取った。教頭は保護者に向かって最後にこう言った。「どの子も、本当に一言では言えないほどの様々な体験をしてきて卒業していきます。・・・・。」

父はそのことをしみじみと感じていた。

1年間の浪人生活を経て兄は上京して大学に通い始めた。そして初めての帰郷の際、兄は父に向ってこういった。

「とうさん、僕は本当に恵まれていたと思う。」

父はその一言で救われた。

日常から(言葉の重み)

【あなたは「大きな目標を持って、前向きに生きていかないとやりがいは見つからない。どんな仕事でも集中して、心身全部で取り組めば、継続すればやりがいは見つかる」と教えてくれました。】

と、男の一言の「愚痴」に対して彼は静かに返してきました。そして、

【僕はいま、研究づけの毎日です。朝から晩まで研究しています。ひょっとしたら結果は出ないかもしれないけれど、でも精一杯やって後悔のない1年にしたいと思っています。受け身で人生を過ごすような、どこにでもいるつまらない人では、あなたにはあってほしくない。】

男は、自分が繰り返し息子に伝えた言葉を聞かされてはっと目が覚めた。繰り返して自分に言い聞かせてきたこと、それが伝わっていたこと、そして再び戻ってきて彼の胸を熱くした。

息子は、午前3時頃やっと部屋に辿り着き、眠る前に父にメールで伝えてきた。

久しぶりに書いてみたら・・・。

教育コーチングで多忙を乗り切(りたい!)る超介です。

新年度準備と始動で てんてこ舞い でした。それはそれで結構鍛えられ、タフな自分を感じることもできて、よいものです。
(本当は、腹立ち、逃亡したくなるような出来事に襲われ続けていました、ふう・・)

いつの間にか桜は満開、もう散りかけています。川原のネコヤナギも花を散らせて、つやつやの銀色のつぼみがボウーとしたふわふわの花(のあと?)を枝につけています。鶯もホーホケキョ、ホーホケキョとないています。

新しいこととの出会いはドキドキすることもありますが、時には不安で気持ちが一杯になって前に進めないこともあります。乗り越えることが出来れば新たな自分に出会えてうれしい、乗り越えられればよいのですが・・・・。気持ちの容量を知ることは出来た2010年の春です。

こういう時こそ、安全基地のあるなしで過ごし方がずいぶん変わる、と思うのですが、皆さんありますか?あなたの安全基地?悩んだり、落ち込んだりするとき、でも1日たてば全く違う自分に気がつく、何が違うのか、あんなに苦しんでいたのに・・・・。何をコントロールすれば不動心でいられるのか・・・。そこに気がついたとき見つかるかもしれません、安全基地。

久しぶりに原稿を書きましたが・・・・、うまくまとまりません。

変化、期待、そして予感

春の予感、そして人との出会いを楽しみにしている、その奥に教育コーチングを感じる超介です。

曇天、でも肌にあたる朝の風があたたかい。川原には菜の花が咲き、ネコヤナギはその名のとおり、猫毛のような花を咲かせている。桜もつぼみをふくらませ始め、枯れた葦の原からは鶯の鳴き声が聞こえてくる。

いつの間にか春が来ている。ここ数日、四国山脈での降雨、降雪のためか、川の水は大雨の後のように激しく流れている。平野部ではそれほどの降雨量ではなかったので、その増水した流れに目を引かれた。

ある人から、時間があればでよいのですが、とくどく念を押されつつ、お勧めの書籍の紹介をして欲しいと依頼をいただく。毎月発行の裏表1枚の印刷物の書籍紹介コーナー記事に、と。喜んで受けさせてもらう。本の紹介には力が入る、決められた文字数でいかに表すか、である。

先週末にはやむをえない事情で通塾できなくなる生徒とお別れをした。数ヶ月間であったけれどもたくさんの学びが私は出来た。お母さんからは大変丁寧な感謝の意をこめたお手紙をいただいた。私なりの努力はしたけれど、どれだけのことであったか。

知人(といっても人生の先輩くらいの隔たりのある人)から電話をいただく。昨年知り合いになったばかり。ちょっとした用件とのみにいこうというお誘い。私と性格は違うけれど、話しはよく聞いてもらえるし、彼もよく話してくれる。

コーチングをして欲しいというメールをいただく。一月ばかり前にさせてもらった人からのリクエスト。前回の感想と、もし時間が取れれば、という依頼。早速ok返事を出す。

人との出会いはコーチングで学んだ事柄がその奥に潜んでいるのが分かる。

春の予感、自然も移り変わり、私にも様々な出会い(→楽しみ)が訪れる。

心の底を見直す(ある日のセルフコーチング)

教育コーチングを使ってセルフコーチングしている超介です。

積年のストレスに襲われて(と思っている)、休みたくなった時は人生を振り返るよい機会だと思えてきました。やらねばならない(と思い込んでいる)公私にわたる仕事(その内容、それに関わる人間関係も含む)、それらにおされて心の底に自分の想い(おそらく怒り、憎しみ等のマイナスの)がたまりこんでいる・・・・。

それらを吐き出す機会を失ってきて、今に至ったのだと。で、生きる力が弱まり、休みたくなっているのであると。だから休み、無理せず、(気持ちを)大切にします。本物のやさしさ、丁寧さ、誠実さを目指します。

よくここまで無理してきたな、がんばってきたんだな、奇跡に近いな、と『自分を許し』ます。そして、心の底に潜んでいる自分のマイナス感情をもきちんと認めます。

(このように自分の内面を表現することは一種の暴走。私の吐き出し。読んでくれる人に失礼かも?)

これまでも休みたくなったことは度々あります。でもその都度、切り抜けてきました。エイ、ヤー、と思い切って進んできました。振り返ると、よくがんばってきたな、と思えるのです。今回はこれまで以上になぜ疲れたか、よく振り返り(そうすればエネルギーが充填されてくると思えるので)、そうして可能性のある行動を選択するのです。

自分の魂をみつめて生きていくこと、そうすればもっと人の気持ちがよくわかり、それがよい人間関係をつくるチャンスを与えてくれると思います。

可能性を選択する

人の可能性を選択すること、これを教育コーチングによって学んだ超介です。

習慣は大きなストレスがかかったとき崩れてしまう。習慣がその人の何と結びついているかが試される。しっかりとその人が大切にしておきたいものと結びついているなら崩れない、と思う。実生活ではどうであろうか?

こんなことを考えるのはつぎのような体験をしたからである。

人間関係がひどい、仕事でミスをする、立場が大きく変わる、身内に大病を抱える、知人が自殺するなどのことがあり、この数ヶ月、かなりのストレスを感じていた。目覚めた後、マイナス感情(不安、緊張)に苛まれ、起き上がれないのである。

いつもは少々へこんでいても跳ね起き、朝の習慣(ウォーキング、家事、読書)に入りこむのにそれが出来ない。出来るはずである、でも、そうすべきでない、無理にやらないほうがよい、無理に動けば何か大切なものを見失しない更に不安が拡大するような気がしたのである。

それで、ジーとする。起き上がることに時間がかかるのである。外にでてもパニックになりそうな不安。

そのような日々を過ごしたが様々な方法を駆使し、ようやく回復してきた。それで少しずつ動けるようになった。何がかけていたのかが少し分かった気がする。それは自分の可能性に対する信頼である、そう思っている。自分の可能性に対する信頼である。私は、自身に可能性があることを選択する。

ためらい

教育コーチングを会話に取り入れ、信頼関係を作る超介です。

2月21日(日)は四国の伊予松山では『椿さん』という大祭の中日であり、大変な人出でした。この時期、寒さはピーク、ここからは春にむかうそうです。私は当日、知人から相談の予約を受けていて、1時間ほど会話しました。仕事のこと、将来のこと等についてのコーチです。

彼女は、30歳前の女性。営業中心の会社で、ある教育サービスの提供を行っています。一通り様子を聞いた後、質問をしました。『厳しい条件(仕事上の無理難題、給与が安い。)でもがんばれているのは何があるから?』彼女の答えは、『今のお客様との関係、よい関係が出来ている。』慕われているようです。『そう、それが大切なもの。』そしてまた、『仕事は楽しくやらないといけないと思っている、そう努力しています。』とも。

眼に見えないけれども大切にしておきたいこと、でもそれらは表現されないと存在をやめてしまいます。話す、書く、(絵に)描く、(作品を)創る、(仕事で)表現する・・・、何らかの形式でその存在が表現されていないと、それは失われてしまいます。ある時その動きが止まると、見えなくなって不安になってしまう。だから、私は『大切にしておきたいものについて』質問します。

彼女はためらっています。今の仕事を継続すべきか、それとも転職すべきかと。同時に今、彼女は自身の中にエネルギーを充填しているのだと思います。どちらに向かって進むかは彼女次第。  

翌月曜日に、小、中学校の同窓生がなくなったという情報が飛び込んできました。自殺。それも、一人でなく、父親と一緒に。同窓生間に衝撃が走りました。数十年ぶりの中学校の同窓会で、最後に前に立ち三本締めをしてくれた彼、小学校、中学校の頃、ひょうきんさがあり周囲を明るくする男であったのに。親子で投身自殺、というむごさに呆然としました。

ためらいは無かったのであろうか?その胸の奥にあるものに誰も気がつかなかったのであろうか?或いはかれは表現しえなかったのであろうか?ひょうきんな行動の奥に何があったのであろうか? それを思いもよらない行動で表した、でも別の方法で表現できなかったのだろうか?