言葉の奥にあるもの(その1)

  語り手が、自分の心を確かめながら話している時、聴き手はその人の言葉がそこから出てきていることがすぐわかります。

 当たり前のことですが、注意深い聴き手ほど相手の心がわかります。(と、僕は思うのです。)

(ちょっと意識を集中すると、お店の人の挨拶からでもわかります。)

 それから、聴き手が懐疑的な態度では真実は聞こえてこないのです。(もちろん 僕の場合は です)うまくやっていけていない人との場合は、おおかたそうだと思います。

で、そのことに気がついてから、意識しています。

 「私には、あなたのその言葉が受け取れません」

  そう思う時は、時間をおいて

 「それは私の耳が歪んでいるからかもしれません」

というように考え直すのです。

 そして、そのあとで、と自分の立場を見直しつつ、じっくりと相手の言葉を反芻してみます。身勝手受け取り方をしていることに気づくこともあります。

 それでも変わらなければ、そのままにしておきます。

 これぐらいの距離で、言葉と付き合います。(もっと敏感になれば変わるかもしれませんが、当分の間は、相手にもよりますが、これぐらいで。)

 耳ざわりな言葉、その中にも語り手の真実がある可能性が多いとおもいます。特に大切な人との関係程、真実の含有率は高いと思います。

(にがく、つらい体験を繰り返し、そのことを実感し始めています。)

 人を信じることは、そうやってその人の行為の奥のものを見つけ出すことだと思います。

鶴(コウノトリ)の里、墓参

 兵庫県北部の但馬地方にコウノトリで有名な豊岡市があります。農業と自然保護、観光事業の展開の例として紹介されている地方都市なので一度訪ねてみようと思っていました。お盆に帰省した際に両親と一緒に「コウノトリの郷公園」(だったかな?)へ車で行ってみました。到着して公園内を見学して回ってみると、ちょうど給餌前で、オープンゲージの中の池や、畑とその周辺の林には飼育されているコウノトリ17羽(だったかな)だけでなく放鳥されて野生で生活しているコウノトリやら、サギが60羽ほども集まっていました。さらに給餌が始まるとカラス(1羽)ととんび(1羽)も餌を狙いに来て、ガアガアとなくサギの声、逃げ回る小魚を足を上げ、羽を少しはばたかせながら追いかけるコウノトリやらでざわめきます。

 大きな弧を描いて、空を舞うコウノトリはそれほど大きな体でもないのですが、迫力はあります。彼らが自然に舞う姿と、その下に広がる山と平野、平野を流れる川、池、田んぼ、1日にドジョウなら60匹ほど必要で、それだけの小魚を供給できる生態系。コウノトリは、昔、日本の各地にいたらしい、それだけたくさんの小動物が住んでいた環境。どのような自然であったのでしょうか、想像できますか?

 鶴(コウノトリ)を見に行った翌日のことです。家の中の、両親の枕元の棚の中に1枚の写真がさりげなく置かれているのを見つけました。セピア色の古い写真です。モンペをはいてかすかに笑みを浮かべた若いきれいな女性が写っています。20歳前後のまだ幼さが残っている女性です、赤ちゃんを抱いています。真新しい白い厚紙で作った枠に入れられ大切に扱われています。最近母がいただいたようです。

 それは母の姉でした。母と同じ地区(つまり、私の生まれた家―母が嫁いだ家―から300メートルほどしか離れていない)に嫁いだ姉でした。私は母がよくその人のことを話していたこと、その時の母の顔色を思い出しました。仲が良かったようで、残念そうにまた悲しそうに、話す母の表情を。

 でも、写真を見るのは初めてでした。昭和ひとけた生まれ、今年80歳の母は、姉妹、弟は多いのです。母は上から3、4番目くらいです。写真の女性は、嫁いだ先の家族とは折り合いが悪く、気苦労もしていたそうです。そして数年間丹波にいて、夫である人と共に満州に渡ったのです。大学進学を契機に四国へ移り住んだ私は、叔父、叔母とはあまりあったことがなく、その歴史の詳細は知りませんでした。

 昭和20年8月23日が彼女の命日でした。終戦直後の満州から、家族のある人たちは優先的に日本に引き揚げるべく移動ができたようですが、彼女は写真の子供をすでに亡くし、ひとりであったためすぐには逃げることができなかったのです。青酸カリをもらって、陸軍会館に引きこもり、ロシア軍に見つかる前に何名かの仲間と一緒に服毒自殺をしたとのこと。おなかの中には赤ちゃんがいたらしい。幼子を亡くし、おなかに子供を宿したまま、自害せざるを得なかった人の気持ち・・・・。

 その人のお墓にお参りをしました。墓石の横には千の鶴の子と書いて「千鶴子」という俗名と死亡場所である、都市の名前につながる陸軍会館名が彫り込まれていました。母はその人の名をちゃんずけしてよび、憐みの言葉をつぶやきました。母の気持ちが私に伝わりました。私は手を合わせて祈りました。そして今を生きていることに深く、深く感謝しました。

振りかえること

超介です。

だれかに話を聴いてもらえば
頭も心も整理されて楽になるのに
そのことを知らない人は多い。

そういう人は信号を出している。
言葉使いやら、表情、ちょっとした動作。
それらの信号をしばらくよく見て、近くに寄り添い、
さらに確かめてから
話を聴いてあげたいと思う。

職場でも、家庭でもどこでも特に近くにいる人との関係で
うまくいっていないと感じている人はたくさんいる。
周囲からトラブルメーカーのように見られていて
行き詰っている人もいるけれど
よくよく聴いていくと、
そのひとの本当のこころを感じることができる。

しばらくすると、こちらの焦点があってきて、
それは真実であるなあ、と思う。

それから傾向と対策を一緒に考える。
原因を追究していけばきりがないので、
今からできることを探すのだ。

実は、これは私が自分におこなっていることでもある。
抱えにくいことがあった時、いつも聴いてもらえる人が
いるとは限らない(ほとんどいない)から、そのように振り返る。

過去と他人は変えられない、このことを活かすことは結構難しい。
うまくいっていないことを冷静に見つめても、どうしても
他人に原因を探す癖は抜けない。
自己保存本能?

そのうえで、どう行動できるかが私の 値打ち であると思う。
私の周りの人のために何ができるかだと、思っている。

蝉時雨

7月28日の夜、路上の茶色いかたまりに気付き、近くまで寄ってみると、それは羽化前の蝉のさなぎでした。そっと手のひらに乗せると、ズシリと重い。つるつるで輝く外骨格、土の中から出てきた宝石。近くの植え込みにおいてやり、夜から朝にかけての、羽化を祈りました。
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彼と対話を数回に分けて行いました。彼はひどく悩んでいて、もうずーと神経症的な反応を繰り返しています。(自分が被害者であることから抜け出せず、過去と他人にこだわっています。)

過去と他人へのこだわり(他人が原因で自分がこうなっていること、環境のせいで自分がこうなっていることを訴える)にじっくりと耳を傾けます。延々と彼は話してくれます。

それから 今ここで何を感じているか、尋ねます。すると、彼は自分を振り返り始めます。彼は正直に自分の真実を話してくれます。今なにを、感じているかを話してくれます。それはその時の彼の真実であることがよくわかります。それをまたじっくり聞きます。

時々彼は振りかえります。感情的になっていた自分、被害者的になっていた自分に気が付きます。彼の中で、バトルが始まります。自分が悪いのか、それとも周りが悪いのかを考え始め、でも周りが悪い理由を探し始め、見つけます。

そう感じた時に私は自分の感じたことを伝えます。「あなたは自分が悪くない理由を探そうとしているように聞こえる。あなたは自分を変えるのを怖がっているように見える。」と介入します。

彼の自分を変えることに対する苦しみが伝わってきます。そのことをフィードバックします。そうして一緒に今、変えることがないか探すことを提案します。

会話の間に聞こえてくる蝉時雨は、近くなったり大きくなったりしています。
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8月1日に広島に行ってコーチングのワークショップに参加しました。目を閉じて自分の中の自分を感じ始めると即、涙がサラサラ、頬を伝い始めました。そこにいて幸せを感じ、2時間はまたたく間に過ぎゆきました。これを感じるために広島に来たのだろうと思いました。
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彼も私も時期が来れば脱皮して変わっていけると思っています。

ドラゴンは走りぬく

 日曜日に、ミュージアム(博物館)にいった。そこで日常とは異なる空間。たとえば、地球史46億年の展示、化石と動物たちの復元模型、解説の図表。進化系統図をみて、絶滅した生物について、想像をめぐらす。地球史の時間の長さを理解しようとして脳があふれそうになる。

46億年の歴史を想像することは難しい。その中で地球が変化し、ある系統の生物が発生して、進化を遂げ、やがて絶滅して・・・、そして今に至るまで・・・・。映像では不可能である。

夏休みの子供たちで、最もにぎわっていたところ、それは世界中からの大型の何種類ものカブトムシやら大型のモルフォチョウ、トリバネアゲハ等々が展示されている世界の昆虫類のブース。

それから、自動タンパク質合成装置(PIM世界最初の機械、一晩で200種類以上ものタンパク質が合成できるらしい)のある生命科学のブース。四国八十八か所の展示等々。自然科学、人文科学、社会科学の情報満載の空間で数時間を過ごす。

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 その夜、なぜか、私は夢の中でドラゴンになった。海と山のせりあった道を走るランナー。私に追い抜かれたランナーが、「彼はドラゴンです」と私の走りを形容した。崖を飛び降りたり、坂道の心臓破りの、苦しい曲がり道でも、エイと気合を入れて四肢を回転させて走りぬく。

 目が覚めて、ドラゴンは宇宙の歴史を理解している象徴として、夢の中に 言葉 だけ表れた、と解釈した。(宇宙を治める神獣 龍 を考える想像力まではなかった!?)

 苦しい時も、つらい時も、ものともせず、それから過去から未来へ叡智なる存在として生き続ける強い存在ドラゴン、それを夢の中で想像した。いい気分。

焦点力(焦点を合わせる力)

焦点ネジをゆっくり回すと、急にくっきりと見える天体の像。夏の夜空で何億光年か先の宇宙にピントを合わせている少年少女は、今何人いるだろうか?

望遠鏡やら、顕微鏡の焦点を合わせた経験のある人は、能力も焦点さえ合わせることができれば格段の進歩を遂げる、そう感じられるのではないだろうか?

 チームでプレイするスポーツでは、その焦点は 気持ち である。サッカーのワールドカップでは日本チームが焦点を合わせることの効果を証明してくれたようだ。

 同じスポーツでも、国技、心技体が大切とされながら、一部のプレイヤーは、どこに焦点を合わせているのか、不明な団体もあるけれど。

 教科学習においても、焦点を合わせること、これを身につけることは重要な事項である。個人の生まれつきの特性、あるいはその時の生育環境(家庭、社会の)の特性によってそれの取得への過程は様々だ。

 30年以上そのことをやってきたので、2,3時間ほど一緒に学習すれば、その子の焦点を合わせるためのやり方は直感でわかるようになった。最も大切なことは楽しくなるかどうかだ。そのためには自立は大切。

 私のこと、私自身が物事に対する焦点をいかに的確にあてるかは、まだまだ発展途上(と思いたい)。

 多くの書物で学んで、それを少しずつ実行したり、何回かの落ち込み(この時は一時的に後退する)を経ていくと、いつの間にか強い焦点力が身についていたりする。

 一つの領域でそのような焦点を当てることを繰り返していると ディ―プスマート力 という力が身についてくる。(これは勝間用語である)それは直観力である。

 達人といわれるひとは、焦点を合わせるトレーニングを数万回もあるいは数万時間かけてこなしてきている。スマートにふるまうことができるその背後にはそれだけの努力(多分本人にとっては楽しみ?)がある。
 
 あなたは何かに焦点を合わせて生きていますか?

さあ! できることからはじめよう!

 さあ! できることからはじめよう! 
 (以下、『私』へのメッセージです。)

毎日、どのような考えを選択するか。良い思考は好ましい感情を呼び覚まし、適 切な行動を導く。動いて感じたことが、よい気付きにつながり、また、・・・・—循環が始まります。

 自分への質問からはじめよう!!
 それは、少しの勇気を出せばできること!!
 さあ、できることからはじめよう!

 もし、1日の始まりに不安を感じたならば、その不安の根っこに何があるかをじっくり観察し、言葉を掘り起こそう、表してみよう。そして、そのマイナスの言葉をプラス表現にしてみよう。
 それから、(不安がある日も、ない日も)毎日、自らに問いかけよう。

「今日、やりたいことはなんだろうか?」
「それができたら、どのような気持ちになるだろう?」
「何があれば、それはできるのだろうか?」 
「私の長所は何だったろう?それを今日はどのように使おうか?」 
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 もし、1日の途中で壁にぶつかり、しゃがみ込んでしまったら、その壁をじっくり見つめ、何の壁か、考えてみよう。壁の向こうに何があるか、想像してみよう。
 それから、マイナス感情に浸りそうになった時こそ、未来に向かう、前向きの質問をしてみよう。

「この難事から私は何を学ぶことができるのだろうか?」
「これをチャンスにして、誰に働きかければチームがよりよくなるんだろうか?」
「うまくいったとしたら、何があったからなのだろう?」
「その手段はどうして手に入れたのだろうか?」
「最大限にうまくいったとき、何を得るのだろうか?」
「最悪の場合はどうなって、その次には何をすればよいのだろう?」
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 もし、1日の終わりにむなしさを感じたら、お酒を飲んでごまかしたりせずに、その原因をじっくりとさがそう、突き止めて言葉で表してみよう。
 それから、(むなしさを感じていなくとも)次のように問いかけてよう。

「今日は何を学んだのだろうか?」
「今日は得たものは何だろうか?」
「今日うれしかったことは何であったろう?」
「誰がいてくれたから、ここまで来れたのか?」
「今日は誰に感謝しようか?」 
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 さあ、今日からはじめよう! できることから始めよう!
 今日うまくいかなかったら、また明日から再挑戦しよう!

 繰り返し、繰り返し、・・・・・・、・・・・・・、
 習慣をつくろう!!

 性格が変わり、きっと人生が変わる。
 持って生まれた命を自身の手で運ぶこと、
 つまり運命をつくることができるのだ!!

学習する習慣について

数日前に、朝9:40・夕方の4:15まで ある資格の更新講習がありました。5年毎の講習、今回が初めての更新でした。弁護士等の法律関係者が講師を務めました。3冊合計で1000ページほどもあるテキストをあちこち飛び回りながら、早口で講義が進んでいきます。受講者のレベルを想定していて、授業の構想を考えてこられている(らしい)人はやはり判りやすい講義をされます。そういう人の授業は構造化されていて、なるほどと思わせてくれるのです。聴きがいがある講義です。

    【授業といえば、最近ハーバード大学の公開講義で「ジャスティス」
    だったかな、それを胆石手術入院中にテレビでみました。これは受
    講者同士での意見交換もあったりして、大変面白かったのです。
    術後の傷の痛みを少し和らげてくれました。】

参加するだけで更新資格を得られるので、120名ほどの受講生の中には居眠りする人もいます。私は受講料(2万円弱)がもったいないので、最後まで集中して聴講し、デジタル録音機に全部記録を取りました。(時間がある時に、聞きなおして内容をしゃぶりつくそうと・・・、強欲な!)

 私の強みに「学習欲」があります。私自身の中では34項目中、上位から数えて4番目の強み(才能)です。(詳細は「さあ、才能に目覚めよう」を参照ください。)学ぶこと、そのものが楽しめる、これが「学習欲」の正体。いつの間にか、変化を遂げている自分に気がついてうれしくなります。

 本を読むことにあこがれ、お金があれば書籍をたくさん買い込んだのは大学生になってから、でもずーと積読で、30代中ごろまでそのまま。それまでは意欲はあれど、多くは読めませんでした。時間はたくさんあったはずなのに、読書はできませんでした。(邪魔するものがありました。それが何であったかは、またどこかで書いてみたいと思います。)それが30代の中ごろから変わりはじめました。そして50歳近くになって加速したのです。記録も取り始め、この5年間では800冊余り読みました。(Gさんほどではないですが、私にとっては大進化!)

    【時に「学習欲」は厄介なものです。たとえば、幅広く興味を持
    ち過ぎます。さまざまな範疇に興味を持ち、散漫になりやすい
    のです。(それで、いまだに何者でもない自分!) それから、
    つらい体験も「学ぶ」機会と考えてしまいやすい、はまり込んだ
     環境から抜け出しにくいような・・・、健全でないような・・・・。】

 『学習欲』に気がついたのはつい最近です。それで私の行動がさらによく自己 理解できました。

ミュージカル「正岡子規」観劇記

 四国松山は正岡子規の出身地であり子規堂、子規博物館があります。そのどちらへも私は数回足を運びました。子規堂には彼が使用したノートも展示してあって、その中に数学の三平方の定理の証明が筆で書かれているページがあるのを見つけました。俳句やら、短歌、それから病床で書いたらしい絵もありますが、私にはその数学のノートに一番リアリティーを感じました。明治人の学問に対する真摯な向き合い、憧れのようなものを感じたからです。もちろん彼は明治のこの地ではエリート、特別な人であったのでしょうが。

松山の隣の東温市の商業施設に『坊ちゃん劇場』(夏目漱石の小説 坊ちゃん にちなんで命名されています)があります。そこで今年は「正岡子規」(ジェームス三木さんが脚本・作詞・演出されています)というミュージカルが上演されています。先日、観劇しました。生でミュージカルを観劇するのは初めてでしたが、楽しめました。

司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』等の小説や、秋山兄弟について書かれた書籍(書名は忘れました。文庫で出ています。)等で文字から「正岡子規」についての知識はありました。(大河ドラマ 坂の上の雲 は見ていないのです。)ミュージカルの俳優さんたちの ひたむき な語り、歌、踊りを見ているうちに、その知識に生命感が吹き込まれてきます。

いつの間にか、子規とその周囲の人との交流を模擬体験していました。物語の楽しみはその作中の人物等になって仮想体験することですが、文字で表現された物語以上に、リアリティ・を感じることができました。観劇者は普段の日常から離れて、異空間にすまい、感動して、そして終了以後癒されていることを知ります。

子規は文学革新運動を通じて、同時代に生きる人々の心に火をつけようとしました。その生きざま、戦いが 死神の登場 により激しくかつユーモラスに演じられていきます。また人口に膾炙した多くの俳句、短歌がうたわれ、見る人(見て聞く人)の、それらの作品を読み、知りえた時の、個人的な感動が呼び覚まされます。さまざまな仕掛けが異空間での体験を味あわせてくれるのです。

上演終了時の俳優さんたちの退場時には拍手が沸き起こり、続きます。私も、劇場の出口で見送ってくれる出演者の一人ひとりに握手して、「感動しました。ありがとう。」とお伝えしました。

強み を見つける

ストレングスファインダーというのをやってみました。人の能力を34の項目に分て分類し、アンケートのようなテスト(これが 強み発見機―ストレングスファインダー なのです。)で上位5項目をピックアップします。(さあ才能に目覚めよう という本に詳しく説明されています。web上で受験します。)

私の強みは「収集心」「内省」「着想」「学習欲」「共感性」と出ました。納得のいく回答でした。自身の力を明示されて、ひとりで考え事をしたり、すぐ泣いてしまったり、学ぶことが好きで本を読みまくったり、仕事の机の周りにはたくさんの棚があって、さまざまな情報が集まっていたり、仕事やら、人間関係の新しい切り口、見方に気がつくと楽しかったり、ブログにせっせと投稿したりすることがみんな理解できました。

また、上記以外の項目について無理をして取り組んでいることもよくわかりました。(あきらめるわけではありません。アプローチの仕方、心構えを変えることに気がついたのです。)「人はそれぞれ」を具体的にする方法を一つ見つけました。

書籍代金1600円で受けることができます。自分の才能に もやもや を感じている方、お勧めです。どのように仕事、人間関係に向かい合えばよいかのヒントが得られますよ。