物語を創る

4kmを33分台で ウォ―キング+ジョギング している超介です。

18歳の少年と話をする機会がありました。ある私大の法学部を受験するそうです。面接があるので相談に乗ってほしいと知人から依頼があったので、話を聞かせてもらうことにしました。

大学の入学試験の面接など、受けたことも、もちろん面接官になったこともありませんので、質問を想定して答えを一緒に考える30分にすることにしました。

今回の面接の為だけではなく、彼がどのような人生を送るのか、それを深掘りすることができればよいな、と思いつつ質問をしていきます。

法学部を選んだ動機、何を学びたいのか、大学でやりたいこと等々、質問していきます。私が興味を持つのはその理由です。なぜそうするのか、あるいはなぜそう考えるのか等、理由を次々と尋ねて掘り下げていきます。

そうすると、彼のこれまでの体験談が始まり、あった事、その時にどう感じたかを語り始めてくれます。高校で苦労したこと、ある英語の先生との出会い、その先生がどんな人で、どう感じていたか、なぜそう感じたか等々が語られ始めます。開いた質問(わからない人はECTP受けてネ!)をしつつ傾聴していきます。

そして、さらには法律を学ぶ目的。法律を知っていれば生きていく武器になる、彼はそう考えています。職業に結び付けるほど具体的ではなく、現実感は伴っていないようです。

最後の質問はどんな人になりたいか、そのために大学でどのようなことを始めるのか。ここに至るとそれまでの話の中でヒントがたくさん出てきたので、彼と一緒にそれらを組み立てます。大学を選ぶ理由、法学部で何を学ぶか、どんな人になりたいのか、そしてそのために何をするのか等々の一連の物語が形成されます。それを最後に再度繰り返して、確認します。

私は、人が心の中で描いている物語(それは無意識裡にあるかもしれません)を聞くのはとても興味があります。物語を聞くと共感することが多いからです。中には、現実とうまく付き合えていけていない人(問題視されていたり、コミュニケ―ションがうまく取れていない人)の物語は、うまく聞けないこともあります。私の掘り下げが上手にできていないのかもしれません。

コーチはその人(クライアント)が主人公の、自分の(クライアントの)物語を創ることを支援できます。物語は多様です。自分で運んでいくストーリー(物語)を人は自分の手で作ることができます。コーチはそれを支援する人です。

 あなたのスト―リを聴きたい、共感したい、もっとよく話してほしい、一緒に考えましょう、そのように思っています。物語はいかようにも創ることができ、そのように人生を運ぶことができるとそう信じています。

手帳

 超介です。毎朝40分、あるいていましたが走りを一部加え始めました。1kmジョギング+3km歩き から始めています。いま35分かかっています。1年以内に4kmを20分で走れるようにしたいと思います。

今日(9月29日)書店に行くと、もう来年の手帳が売りだされていました。もう、3ヶ月で2011年になるのですね。なんと早い。11月11日(電池の日になっているらしい)で私は55歳、何という・・・。でも、気持ちは30代くらい?(肉体は・・・・・。)

手前の茶色ぽいのが「高橋」の手帳、その向こうのがここ2年間の手帳(時系列で並んでいます)
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 2年ほど前まで、手帳は既製の縦長の茶色の「高橋書店」の手帳を数年間使っていました。それ以降はA6サイズの100円ノートを使い始めています。これはその頃流行った「情報は1冊のノートにまとめなさい」(奥野宣之さん著)だったか、それに影響されて始めました。2冊組み合わせたものを輪ゴム、紙の帯でつないでブックカバーをかぶせて使っています。1冊はなんでも帳(黒色)もう1冊は目標手帳(青色)です。計4冊の100円ノートが同時に稼働しています。

かばんの中にいつも入れている手帳2冊と道具類、これにカメラ 、ペンケース、携帯など
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  なんでも帳(黒色)には日々の買い物レシートの添付、気になる記事、思いつきメモ、会議メモ、約束、スケジュール等々がごちゃごちゃとあります、これが前半の1冊。後半1冊は長期間、保持しておきたい情報(家族の電話番号とか、住所、それから覚えておきたい文章(お経とかも))等の重要情報中心です。それで前半は2ヶ月で新しくなります。後半は1年以上は同じものが続きます。

       なんでも書きます、貼りますなんでも帳
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 目標手帳(青色)も前半1冊は読書手帳です。読み終えた本の情報、買いたい本のメモ、気になる言葉の抜き書き帳です。後半の1冊が本来の目標手帳、といっても目下の目標、それを崩したものが書いてあって、他のページは1日1ページ枚にその日にやる目標(すなわち仕事)がメモられています。これは仕事をする前に書くことをルールとしています。ただし、私事も入れてあります。毎日の習慣にしたい事柄は月別スケジュールに欄がとってあって、できた、できなかったかを○、×でつけています。もう習慣化すれば外して新しい項目を入れます。

       目標手帳、前半は読書ノート(左)後半は目標(右)(・日々の仕事まで)
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 机上の書見台にこの手帳を当日分の場所を広げ、それをちらちら見ながら仕事を進めます。この2冊の手帳になんでも入れ込んであるので、安心。記憶にエネルギーを奪われたくない人はこんな手帳を用意すると便利です。なかに張り付けるスケジュール、業務リスト等のフォームもより使いやすい形に工夫していきます。手帳も進化します。皆さんは手帳はつかっていますか?スケジュール管理、仕事の管理等どうしていますか?

そろそろ3年目に突入ですね!!!

 超介です。

 2008年10月スタートのこのブログ、もうすぐ3年目を迎えるのですね。

 過去の自分の投稿を読み直すと、その時々の気持ちがよみがえります。書くそして投稿させてもらうことで、何かがはっきりしたり、すっきりしたり、少し先が見えたりしたこともありました。

 読んでいただいた皆さん、コメントをいただいた皆さん、本当にありがとうございます。

 「道の駅」は全国に設置されているようですが、私の生まれた丹波市にもあって「おばあちゃんの里」という名前がつけられています。そのお店には近隣の農業を営んでいる人が農作物を毎朝持ち込んでいて、それが結構人気を博しています。一つ一つの販売量は少ないですが、でも結構人気で楽しみにされている方も多いようです。

 私の日記は荒削りの文が多く、読みずらい内容です。今後はもっと、わかりやすく表現することを目標にします。毎日、ブログを開き、誰が何を投稿しているか、コメントは、と楽しみにしています。それぞれの人の日記には特徴があり、読み応え、見ごたえがあります。日々の生活の中で育てた、あるいは見つけた情報にあふれています。まるで、道の駅に持ち込まれた作物のように。

  お客さん、たくさん来てくれればよいですね。

ある日の夢

 超介です。
 
 Gさんの夢日記に刺激を受けました。夢を見たら、メモを取るようにしています。枕元に手帳をおいて置くのです。最近見た夢から、わかりやすいものを一つ紹介します。

 「気心が知れた友人と話をしていました。それから一人で喫茶店のようなところで本を読んでいました。すると、ある男の人が表れて、読んでいる本に興味を示してくれました。私の読んでいる本は「ロンググッドバイ 村上春樹訳」でした。黄色い表紙の少し厚い本です。でもページをめくってそれを見せると、その中身はほとんどは絵、つまりマンガで、ところどころ解説文の文字のみのページがありました。それから、彼と話をします。彼はある人のマネージャーのようなことをやっているそうです。でも、そういった人を支える仕事ばかりではなくて、自分も表に立ちたいと気持ちを打ち明けてくれました。それで私はコーチングをしましょうと申し出たのです。すると彼は手帳を出して見せてくれました。それは普通の大学ノートでしたが、1ページに3コ程度の図が並んでいます。赤、青、黄色等の色で鮮やかに塗られた意味不明の図形です。ぺらぺらとページをめくって見せてくれましたが、思いついた時のメモのような図が、丁寧に収集されているのです。」

 最初に私自身が登場しましたが、ある人のマネージャーも、「私」であると思います。夢の意味を考えていて、そうに違いないと思いついたのです。

 読んでいた小説の中身(絵が多い→マンガ)、コーチング(この場合はセルフコーチング)、その結果、男(実は私)が示した、さまざまな色で塗られた意味不明の図形が収集されたノート(このノートは大切です)。私にとってはピーンと感じるものばかり。それぞれの意味は・・・、私にはそれらが、何を象徴しているか想像がつきます。(冷汗!!)

 私の中の「何者か」が考えたり、感じたりして画像を描いているのです。

だから、夢であっても、リアル(現実に近い)に感じるのです!!

作物育て から 作物育ち (その2)

 生きる力は重要ですが、力は見えません。それらは感じることはできます。電気もエネルギーもそうです。目に見えるわけではないけれど、その効果をそれらが流れている時に感じます。

 だから生物本来の力、というものは目に見えません。でも、たとえばこのブログの「そら日記」で掲載されている「そら」さんの鳥、花、虫たちの写真を見るときに、僕はそれを感じます。皆さんはどうですか?生物本来の持っている力があるように「そら日記」の写真から感じませんか?

 そして、抽象的な大切なものは言葉、写真、絵、工芸品,音楽、それから仕事も、形態はさまざまですが「表現」されないと、みえなくなってしまいます(当たり前ですけど)。それが創造という行為の価値だと思います。

 大切なことは表現され続けないと、伝わっていかないし、存在すらやめてしまう。生物本来の力もそういったもので、それを大切にしていかないと見失われてしまうと、思います。生き物に、無制限な人のエゴにまかせた人工的な手入れをし続けると、見失ってしまうのではないかと、そのように書きました。(9月13日の 超介日記 に)

 生物本来の力を信じた農業(作物育ち)とは、具体的には次のようなことだと思います。日本の伝統的な農業の中で使われる「丹精込めた作物作り」というとき、それは根から茎、葉、花、果実、そして土、気候までも配慮し、種子から発芽して開花、結実するまで、常に「植物全体」に配慮した作物作りということだと思います。これが「作物育ち」を支援する農業「丹精込めた作物作り」だと。つまり存在の承認を大切にする農業が「作物育ち」です。

作物育て から 作物育ち

農業のことを考えていて、教育コーチングと通じる部分があるなぁ、と思いました。
  子育て→子育ち ・  作物育て→作物育ち
 ということを考えてみたいと思います。

 昨今の作物の育成は様々な品種改良(接ぎ木、交配、遺伝子操作々)、防虫、早期育成等の為の施薬等々、その植物及び動物本来の持っている力を無視しているかのように思えます。もちろんそのような方法を否定するわけではありませんが、本来の生物の持っている力を大切にする、そのような視点の農業が進化すれば・・・と思ったのです。

 農業に関する本をいくらか読みました。初めて無農薬栽培リンゴ作りに成功された青森の「木村秋則」さんの関連本(奇跡のリンゴ など)が起点になりました。自然農法による野菜作り、日本の農業の現状、農業政策、さらに近年目覚ましい進歩をとげている分子生物学の知見が盛り込まれた自然観の本(たとえば福岡伸一さんの本など)を読んだのです。それらの情報あるいは、私の両親の農業事情等を理解し上記のようなことを思ったのです。

 和歌山で果樹栽培等している義兄からきいたはなしです。緑色植物は根から道管を通じて水を吸い上げ、葉でできた光合成産物(でんぷん)を糖に替えて師菅を通り植物体の隅々まで必要個所に運搬します。道管は茎、枝等の中心部に近いところ、師菅は茎、枝等の表面に近いところを走っています。(ここまでは中学の理科でやりましたね。)

 そのような仕組みなので、茎、枝等の適当な位置で表面をはげば師菅が遮断されます。時期を選び、そう施術すれば葉でできた養分が全部果実に集約し、早期に収穫することができるのです。そのようにしてできた柿を9月5日にもらって食べました。美味しいのですが、ちょっとやり過ぎではないか・・・と。皆さんはどう思いますか?

 このように植物、動物の生命の仕組みを応用して、改良されたものはたくさんあります。でも、際限なく人のエゴ中心に展開しているうちに、しっぺ返しを食らうのではないかと・・・。(もう食らっている・・・・。)

 私たちが、「子育て」ではなく人本来の力を大切にする「子育ち」を想うように(わからない人はぜひ ECTP教育コーチング入門講座 を。WEB受講できますよ。)、食べ物としていただく農作物、動物に対してもそのような視点が強調されてもよいと思ったのです。

 生物本来の持っている力を信じた「作物育ち」を支援することが、安心、安全なおいしい作物作り、につながる、それをかつて日本の伝統的な農業はやっていたのでは、と(たとえば「丹精込めた作物作り」というような言葉に示されるような)。私は昔の曲がったキュウリ(でも冷やして塩をつけて食べるとうまい!)、凸凹のトマト(でも味が濃い!)等々を知っています。薬を使う、人工交配する、遺伝子操作する、大量生産することは必要なことだと思います。ただ、それらを用いつつも生物本来の力を中心に据える方法がもっと進化すればよいなと思ったのです。

稲刈りについて

 9月3日、金曜日の夜に松山を出発、夜中に丹波市の実家着、土曜日と、日曜日に刈り取り作業を行いました。昨年よりも暑かったせいでしょうか稲の生育は良かったようです。が、両親は82歳、81歳この暑さのなかで2か所の田(もう1か所は近所の人につかってもらっています)の稲刈りは相当に酷でした。体調と体力に気を配りつつ作業をこなしていました。
(刈り取り前です) null
 両親と私は農業従事者の高齢化問題、後継者問題の当事者なのです。それでここ数年、私は田植え、稲刈りは帰省して手伝っています。できるだけのことはしていこうと。日本は、食料の供給については質、量ともに大きな課題を抱えています。競争力をもった農業(農業従事者)が育っていないので、大変なことになる、といわれています。(うむ・・・、大上段の構えで書き始めてしまった・・・。でも、このままいきます!)
        (2条ずつ刈り取ります)  null
 国内の食料事情は過酷、見通しは暗いようです。日本にお金があるうちは世界中から食料の輸入も可能でしょうが、世界人口がこのまま増え続けて、日本の農業の低落傾向がこのままだと、輸入もままならなくなるのでは・・・。外国も、自国の食料が不足しがちになれば、輸出はしません。さらに、行うとしても、日本に食料がなければ、足元を見られて、高価格になり、国内の多くの人は食べられなくなる?
      〔奥までずいと刈り取っていきます) null
 それに加えて質の問題(安全性の問題)があります。自然と異なる、全く工場のような施設で育成される動物、農作物は大変リスクの高い食料です。さらに遺伝子操作によるによる効率的な生産、自然界のバランスを壊しすぎると、あるところからは復元できません。これらの問題は世界中で進行しているようです。安心安全な食料の確保がさらに困難になる?
         (あと少し) null

 今年は県外から義兄夫婦と県内他都市から妹が実家に駆けつけてくれました。私はコンバインで刈り取ったり、軽四トラックで生籾をライスセンターに搬入したり、主役で活躍(?)したつもりですが、暑さでバテました。気分が悪くなり作業途中、水路で足を冷やしたり、上半身裸になってぬれタオルで拭いたり。体内のバランスが崩れました。1時間程度で回復可能ではありましたが。

 稲刈りは今はコンバインを使って行います。40数年前は手で刈り取っていましたが、本当に大変でした。稲を刈り取り、田んぼで干して運搬車で家に持ち帰り、脱穀して・・・。それが当たり前でした。今は2日あれば作業はほとんど終わりです。

 今年の収穫は27アールの田んぼから2トンの生籾、16アールの田んぼから14石の生籾が収穫できました。2つの田んぼの収穫量の単位の違いは一つはライスセンターに収めたので、その伝票からの数字、もう一方は自宅の乾燥機に入れたのでその目盛からの数字だからです。両親の日記によれば例年より少し良いとのこと。
      (刈り取った後) null
 日本の未来のための、農業に対するいろいろな取り組みが各地で行われています。生産から加工、流通までを従事者がコントロールし生産性を上げているところもあります。自然保護、観光と農作物の生産、教育との組み合わせで、地域にお客さんを呼び込み活性化していくことなど。それらが大きく育てばよいのですが。自然農法、有機栽培、減農薬栽培等の人にやさしい食料の生産。可能な範囲で実行していきたいと思っています。

(文字が多くて読みずらいのに、ここまで読んでいただいてありがとうございます。)
       

言葉の奥にあるもの(その4)

(私の 心の手入れ) 

   「心の手入れ」をしていない畑には作物が実りません。カラカラになって、どんな作物も 芽吹きません。「させられている」人生の繰り返しになると畑は乾いてしまいます。雑草が 生えたり、岩がころがったりして作物がうまく育ちません。「邪魔するもの」ができていま 
 す。

  でも、気がつけば、「邪魔するもの」を取り去ることもできます。本当に気がついたときは、 心からそれがわかります。 それからは、より自由になって、作物を育てることができま 
 す。   

(あなたの 心の手入れ)・・・のために私ができること

 私が、あなたのことを大切に思う理由は、あなたが何かができるからではありません。

 あなたが私に対してどういう気持ちを持っていようと、私はあなたを大切に思っています。 

 そのような人が、この世界にいることがあなたに伝わっていれば、私は幸せです。

 あなたが自信をもって生き抜いていけますように。

言葉の奥にあるもの(その3)

 「心の手入れ」の方法はいろいろあります。散髪に行く、服を変える、飲みに行く、釣りをする、博物館に行く、一日中ボーとする等々、そのようなことをしつつ課題から逃げないでいる時「心は手入れ」されて水準が上がるような気がするのです。目に前のつらい出来事からも逃げないで向き合う、ただそのままだと沈没(!)するので、あの手この手で心を だましつつ付き合います。 

 以前にも書きましたが、私には収集心があります。A6の手帳には、食べ物やらこまごました買い物のレシート、ちょっとした切り抜きの貼り付け、思いついたこと、会議のメモ、読書記録、各種スケジュール等々の添付がされていてパンパンになっています。整理はしていません。時系列で並べているだけです。私にとってはこれも「心の手入れ」の一つ。

 言葉の収集もしてみたい、と気になる言葉もノートに書いています。その中の一つ、「過去と他人は変えられない」は教育コーチングの講演会(3年前?)で初めて出会ったフレーズでした。未来と自分を創りだすことの可能性を考えさせてくれる言葉です。

「未来を創りだす」ということは重いですよね。ずーと引きずっています。多くの人がそうであるとはおもいますが、どのような仕事を選んで生きていくか、どこにだれと住むのか、と考え始めたとたんに思考停止に陥りそうになります。未来が見えない!!皆さんはそんなことはありませんか?

就職活動をしている学生さんには激励をしたくなります。「あんたはえらい!」と。自分の未来と向き合う、不確定な未来にむけて行動を起こす、その挑戦する姿勢に感動するのです。私はその時期には、そのような勇気を持ち得なかった。だから、今もその課題と向き合わされています。

 いま、この時にできることを大切に、最大限に生かして生きること、その延長に未来があるのだろうとそのように思うことで、精いっぱいです。「人生のその時(今も)自身への与件に対して、深く学び、考え、行動し続けること。そのことを通じて世界に「大切なこと」を伝える、表現する人であり続けること。」これが精いっぱいの、今の私のミッション。(自分のことしか考えていない・・・・!)

言葉の奥にあるもの(その2)

 「その人の行為の奥のものを見つけ出す」ことができるのは、同じものが自分の中にあるからです。自分の中にない時もあるはずなので、その時には相手に教えてもらいます。当然、わかる時もあるし、わからない時もあります。

 でも、わからないけれど本当らしい、真実らしいというように感じることがあります。その感じ取る力の大きさこそ聴く力(観察する力)のレベルだと思います。さりげなく、でも言葉の端々やら、イントネーション、表情、動作に注目して理解していく力です。

 そのように聴く力を強くするためには、自分の心をある水準に高める必要があることまではわかります。そうなんだろうなぁ・、と。そうなってくると自由になれるんだろうなぁ・、と。それで、いろいろと手を変え、品を変えつつ、「心の手入れ」をします。

 たとえば、「大変つらいと思うこと」があった時,次の言葉を思い出しました。

    「意味のないことは起こらない」

このフレーズは教育コーチングの場で学びました。その言葉の奥の意味として、最初は「大変つらいこと、それに何の意味があるのか!」「私へのペナルテイ・?」とそのまま、つらいことを否定的にとらえていました。

で、(もちろん時間の経過はありますが)「心の手入れ」をすれば、「このつらいことから、私は何を学べばよいのだろう、意味のないことは起こらないはずだから」というように捉えなおすことができるのです。そうできた時、穏やかな心情、心の自由と自らの可能性を感じるのです。
 
 「意味のないことは起こらない」という言葉が「大変つらいこと」の体験を通じて「心の手入れ」ができると、すこし、心の水準が上がります(聴く力、観察する力も上がります)。そして少なくとも、「すべてのことから学ぶことができますよ」と私にとっての、その言葉の奥の意味を見つけ出すことができるのです。

  でも被害者意識のままでは心の水準も、聴く力、観察する力も上がりません。

 私は受け身で、内省的でイジイジ考える傾向があります。だからこんなふうに考えるのでしょう。でも、時々思いつき(一種の気づき、着想)を得ることがり、その時には心が晴れます。このような気づきを重ねていけば変身を続けていけると思います。

(もう十分 変わっている!変なやつかもしれませんが・・・)