2011年は辛卯(かのとう)の年

 あけましておめでとうございます。教育コーチの超介です。
   
  毎年、干支を調べることにしています。(といってもある本からの引用ですが)安岡正篤著『干支の活学』により今年の干支 辛卯(かのとう) について調べます。

 まず『辛』について(同書P116より引用) 

 辛という字は⊥と干と一を組み合わせた文字である。⊥は上を表し干は求める・冒す、一は一陽で、陽エネルギーを表し、人間でいえば男性です。したがって辛は上に向かって求む冒す意味である。今まで下に伏在していた活動エネルギーがいろんな矛盾抑圧を排除して上に発現するという文字であり、したがってそこに矛盾、闘争、犠牲を含むため、つらい、からいということが出てくるわけです。
(一段落略)  
 したがって、今年の辛は庚戊に較べると、意味は一段と深刻切迫であります。昨年を承けて断固として斎戒し自分の心を改めて、自新、更新してゆかねばならない。 
  

 次に『卯』について(同書P178・179より引用)

 『卯』は「畏れ謹んでお互いに助け合って、さらに開発に従事する」という文字です。卯という文字は本来「茆」で<しげる>であり<かや>です。これは開拓しなければならない所を放っておくものですから、草だの萱だのいろいろの草木が生い茂る、その代表が茆です。それでかやという文字になるわけです。卯という文字の真ん中の二本の棒、これは門柱です。古い文字を見るとわかりますが、この外側は本は内側にあったのです。つまり扉で閉め切ってあったわけです。ところが子→丑→寅と来まして、いよいよ新しく積極的に行動、開拓、活動しなければならない。そこで今まで閉じてあった扉を開いた。それがこの卯という字です。扉を開いたその内側に今まで閉じ込められていた未開拓地がある。もちろん草も木も生い茂っているに違いない。その茅や雑草の茂った未開墾地で一番目につくのは何かというと兎であったのでしょう。だからいつ頃か卯が兎になったのもまんざらではない。  

 今年は昨年に引き続いて、より革新・維新が求められる年、そしてそのことにより新しいドアが開き、次なる世界が見える年のようです。努力した結果が見えてきますよ、そのような意味であるようです。もちろんその世界はどのようか、それはどう変わったかによる、とそのように考えます。

 昨年は春からメンタル面でのダメージを大きく受けた年でした。それは様々な事柄との出会いで潜り抜けることができました。過ぎ去っていけばその潜り抜けたことの意味がわかりました。考え方が切り替わる、切り替えることができました。その時の意識のイメージをしっかりと刻むことができました。

 この世界には階層構造があり、修行を積めばその一つ一つの階層を乗り越えることができるようになる、自由になることができることを知りました。それが新しい世界が見えることの意味であると思います。もう20年以上も前に、ある人はそのことを『意識革命』といって私に教えてくれました。最近知り得た言葉の『抽象化能力を高めること』(いわゆる苫米地本に繰り返して書いてあります)と同意だと思います。

 辛卯の年を、<ある重い階層にいよいよ迫られる年、さらなる『意識革命』を起こして乗り越え、次なる世界に踏み出せ>私はそのように解釈します。

 年明けから、長々と書いた文にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。今年こそ、より皆さんに伝わるメッセージになるように精進して書いていきたいと思っています。

2010年度、出会いの振り返り

 今年の出会いを振り返る 教育コーチの超介 です。

 いろいろな縁との出会いが私という現象を作り上げていきます。すれ違いもありますが、意識していれば、そこここに意味を見つけることができます。感情が波打ち、魂がゆすぶられ、想起する想いが心に刻み込まれ、 人生が造型されていきます。大変つらいこととの出会いもありましたが、それも2010年に彩りを与えてくれた出 会いの一つとなっています。

 2010年の出会いは2009年よりは派手さはなかったように思います。思いつくまま、振り返りたいと思います。

1.義父の逝去
 近しい人の逝去は、亡くなっていく人が自分にとってどうであったかを新たに考える機会でもあり、その意味で出会いです。『人生に思い残すことはない』といって逝った義父でした。

2.手術(胆石)
 数年間の腹部の激痛の原因がわかり、解決することができました。時限爆弾の ように突如、 暴走する痛みに終止符を打てました。最大で指の先程の石が4つほど出てきました。1週間 に満たない入院ではありましたが、医療従事者の方たちの献身的な姿勢に感動しました。

3.カウンセリング
 カウンセリングのセミナー(基本的な考え方)を今年は4回計8時間程度受けることができました。カウンセリングの入門書、心理学、脳科学に関する書籍も読み込みました。春先のメンタル面での落ち込みを機会に、すがるように振り返りの時間を取り、セミナー内容を復習したり、書物に答えを探しました。ある日『考えの切り替え』に気がつき始め、徐々に回復しました。そ のきっかけがセルフカウンセリングでした。

4.目標ノ―ト
 長期的目標から、中期的目標、毎日の目標を1冊にまとめることを7月から始めました。2冊目に入りました。長期的目標は現在18項目ですが、お正月中にあと82項目増やして100項目にします。毎日の目標も重要度、緊急度それぞれ高低に分類し4分野に分けて表現するようにしています。進化するノ―トです。

5.人との出会い
 さまざまな人と出会った1年でした。前の年と同じ程度の出会いの機会であったかもしれませんが、気がつくことが増えたように思うのです。出会いノ―トを作っていきたいと、そのように 思います。読書ノ―トのように。

6.本との出会い
 今年はざっと数えてみて160冊ばかりの本を読みました。印象に残っている本は「ビジネス頭を作る7つのフレームワーク力(勝間和代著)」「ハチはなぜ大量死したか(ローワン・ジョイコブセン)」「モチベーション3.0(ダニエルピンク)」「自分が源泉(鈴木博)」「はじめてのカウンセリング入門上下(諸富祥彦)」「心がふっと軽くなる「瞬間の心理学」(名越康文)」「ユング心理学入門(河合準)」「これからの思考の教科書(酒井穣)」等々ですが、いずれも後半に読んだ本が多くなりました。前半は気持ちに余裕がなく読み込めなかったのです。わゆる「苫米地本」も15冊ほど読みました。最初はそのぶっ飛んだような風に感じていましたが、何冊か読みこんでいくうちに、少しずつ理解が進みました。
  
 ざっと書いてみましたが、やはり、本ほどたくさんの出会いを与えてくれるものはありません。読み方次第でその出会いがさらに立体的になります。より活きた知識になる読書が課題です。

みなさん、今年はどんな2010年でしたか?

白日夢

 無意識の世界に気がついた教育コーチの超介です。

 

夢をみてその意味するところを考えるようになりました。覚えている時はメモをし
ますが、就寝中に見る夢は覚えていないことが多いようです。断片的ではあり ますがストーリーがあります。

 

ストーリーがない、ワンカットの夢を見ることがありませんか?一瞬、時間にすれ
ば0.1秒もないのではないでしょうか、意識が切れて(眠ったようになって)その時 に夢を見るのです。ウトウトした時にね。この夢は意味がわからないものばかり。 妄想です。

 

この10日間ほどで記録しているものは

1.30年ほど前に釣りに行ったことのある池の水際。
    赤茶けた手のひらくらいの板が3,4枚紐につながれたまま浮かんでいます。

2.長い黒髪の白い和服姿の女性が立っています。後ろで髪を束ねています。
    (平安朝の女性?)。顔はわかりません。

3.深い井戸があって、つるべが落下していきます。

4.深夜の公園で、月明かりの下、男が地面にさかさまになって地面に突き刺さっ
     ています。2本の足が空に向かって逆さに立っています。

     1本は折れ曲がっています。
     胴体から上は土の中にあるのです。

  これらは数日間の隔たりがありますから、意味のつながりのようなものは無い
と思います。
一体、無意識の世界では何が起こっているのでしょう?
本人の知らない間に脳の中に様々な事象が想起されている?

別れの季節(1)

 別れの季節に 戸惑う 教育コーチの超介です。

 新しい道を歩き出すあなたへ(感謝を伝える)

教室運営を
意欲的に引きうけてくれて
ありがとう。

ワード、エクセル、パワーポイントの
手ほどきをしてくれて
ありがとう。

教室の閉鎖が決まった時、
(株式会社ですから仕方がないのですが
それはもちろんつらいことでしたから
泣きましたね)
でもいやな顔一つせずに、会員から、
講師のことまで全部引き受け、
こなしてくれて
ありがとう。

部門移動を快く引き受け、
それまでの経験が生かせると、
意欲を見せてくれて
ありがとう。

それまでの経験と、
新たな学びを続けて、
業務に挑戦し
遺漏なく全うしてくれて
ありがとう。

誰彼、区別なく
出会えばいつも明るい声で、
笑顔で応対してくれて
ありがとう。

電話の声もいつも元気よく、
明るい声で話してくれて
ありがとう。

(あなたがここからいなくなることは大変残念です。
株式会社でのお仕事、お疲れさまでした。)

難関の国家資格合格
おめでとう。

実は自宅で毎日5時間ほど3年間も勉強していたのですね。
そのような苦労を一切見せず、合格!
爽やかな感動を
ありがとう!

新たな道へのスタート
おめでとう。

わかるということ(3)

時間の流れについて考える教育コーチの超介です。

   【過去は化石だ。それまでの時間が、その後の時間に影響を与えるという考え自体、化石にとらわれている。】

 Gさんの読書日記(12月19日)の、小説からの引用文を読んで、いま読んでいる本に繰り返しでてくる時間は
          「未来」→「現在」→「過去」
とながれる、という意味を考え始めました。「情報空間」においては時間もその次元の一つにすぎないといいます。宇宙の果てにある星雲、星団の光は何十億年、一番遠いところからは百三十億年もかけて私たちの目に届いています。(望遠鏡を通じて光を集めて、時間をかけて集積させて目に見える像として、見ています。)そして私たちはその事がわかっています。

 情報空間の時間軸百三十億年前の目盛の位置にある姿であるとわかっているのです。地球暦2010 年の今はどうなっているかはわかりませんが、2010 年の目盛の位置の事象であることはわかっています。

 極端な例でしたが、「情報空間」を舞台に思考すれば、未来から現在そして過去へと時間が流れるように生きていくことが可能です。今から見れば過去にあったことの意味がよくわかる、といった経験はほとんどの人が持っているのではないでしょうか。

 「情報空間」において私たちの生身の人間が見える世界は限定されてはいます。でも、「情報空間」がわかるのとわからないのでは生き方が異なってきます。(と思います。)見える世界の中で、やりたいこと、望み、等々のフレームをもって日常を生きれば、未来の断片が見えてきます。未来はそこにあるのです。時間は「未来」から「現在」そして「過去」へと流れるのです。夢、目的、目標の有する役割が浮き上がってきます。

わかるということ(2)

「わかる力」を阻害する一要因を考える教育コーチの超介です。

 学習指導をしていて、「なぜ、きちんと学べるこの子の成績がこんなに悪いのだろう?」と思うことがあります。保護者と面談をしてそのことをお伝えすると、よく出てくるのが「いじめ」です。子どもたちが学ぶ場において、のびのびと学習できない状況であるなら成績が良くなるはずはありません。

 「認知コスト」というようですが、いじめられることが気になって、どうやり過ごすか、耐えるかにエネルギーを使って、課題に集中できないのです。成績が悪くなるのは、すごく当然です。脳の回路をいじめ回避のためにフル回転するのですから。大人だって、職場でいやな上司、同僚、あるいは厳しい評価にさらされた時、それらをどうやり過ごすかにエネルギーを使ってしまいへとへとになり、その人らしい仕事ができない、創造的になれないこと、理解できますよね。

 この「認知コスト」は人によって違います。人の言葉に大変敏感に反応してしまう人もいます。そうでない人もいます。(私も「認知コスト」が大きいタイプでした。この頃はしたたかになって・・・。)「わかる力」はもちろん「認知コスト」をかけないほうが大きくなります。ストレスがたまるとやる気がでない、前向きになれないですから。

たとえば「いじめ」がないようにすること、怖い上司がいない職場等の環境整備ができれば「わかる力」は伸長するのですが、でもそのような理想的な環境はつねには望めません。個人の耐性にも違いがあります。

 ではどうすれば「認知コスト」を下げることができるのでしょうか?

たとえば

環境を変える→環境を認識している自分を変える→考え方を変える→「認知コスト」を払っている自分に気がつく→具体的な行動に気がつく→・・・・・・

「教育コーチング」はこのような流れを支援することができます。時間はかかりますが、でも「いじめ」を受ける側、行う側に分けて、理屈をつけて説得して・・・・、というだけでは状況は改善しにくいのではないでしょうか?

わかるということ(1)

 認識することについて振り返る教育コーチの超介です。

 20年程前、新部門の立ち上げにかかわり、不安や悩みに取りつかれて悪戦苦闘していた時のことでした。実家に帰省し、その悩みを話していると、当時60代の父親から「お客を集めてサービスを売ること、それだけだろう」と喝破されたことを思い出します。

 その時は気持ちを理解してもらえないもどかしさもありましたが、そのもどかしさは仕事以外のことから派生するものでした。問題を単純にとらえればよいのに、いろいろなものをまとわりつかせてしまい、底なし沼にはまったかのような心境でした。

 父親のアドバイスはコーチング的ではありませんでしたが、端的でした。認識するとは「知ってわかること」ですが、往々にして見えているはずであるのに、わからないことが多いものです。20年前の私は仕事の概要がわかっていませんでした。残念ながら父に指摘されてもわかりませんでした。今は父の言葉の意味が大変よくわかります。

 こんなことを書いているのは、実は「わかるようになる力」(部分をみて全体が理解できる力)を育コーチングは伸ばすことに寄与する、そう思うからです。私たちは、はじめてみる犬でもほとんど「犬」であることがわかります。(馬のように大きい犬や、鼠のように小さな犬ではわからないかもしれませんが)これは、当たり前のようですが、でも不思議なことであると思いませんか?はじめてみるのに何であるかわかるのですから。

 子供たちに教えていると「なぜわからないんだろう」と思うことがよくあります。答え、解法を教えて、結果として問題が解けることより、「わかる力」が伸びるほうが価値があると思っています。「わかる力」が伸びるとその生徒のモチベーションが上がります。一つの現象を見て全体を把握したり、予測したりする力につながるのです。その次を挑戦する力につながります。「わかる力」が伸びる環境作りを工夫してきました

 ポイントは1.到達度に応じた課題 2.考えること(教えないこと) 3.スピード(集中) この3つだと思います。

 教育コーチングでは「答えがその子の中にあること」つまり「問題の解決をその子自身がすること」を信じて、子供と寄り添います。そのことは子供の「わかる力」の伸長に効果的なのです。「わかる力」は生きる力に直結します。ものすごく大切な力なのです。これについてはもう少し続けて考えてみたいと思います。お付き合いいただければ幸いです。

出会い(3)ー1週間で出会った人たちー

 人と出会うたびに発見をする、教育コーチの超介です。

 ある喫茶店でアルバイトをしている若者です。大学に行きながら国家資格取得を目指しています。大学の授業を受けた後で、専門学校の授業を受け、自習室で残って勉強、ダブルスクールで頑張っているようです。大学の友人たちが就活を始めるのに少し不安を感じながら、バイトと大学と資格試験で忙しい日を送っています。仕事に向かう姿が大変真摯で好感が持てました。

 向上心が強い某上場企業の営業マンと出会いました。始めての訪問でしたが、1時間半ほど話し込んでしまいました。どのような仕事をしているのか、あるいは自己研鑽をやっているのかを話してくれます。何が彼をつき動かしているのか、何かを彼はつかんでいるに違いない、それに興味があります。私の学びを話すと、彼も興味を示してくれ、講演会への誘いなどしてくれました。

 県警の幹部の人とお話をする機会がありました。近年、犯罪が近視眼的に起こる、つまり手短なところでお金を得ようとする、今使えるお金を強奪する、数万円でもよい、というような傾向にあるとのことです。コンビニ強盗が増えているとのこと。そのような傾向への対応として大変な努力をされていることを知りました。多忙な地検の勤務者の実態も少しうかがうことができました。治安活動を通じて社会の変化を感じ取りました。

 ある専門職の勤務者と面接をする機会がありました。機械の働きが気温、湿度、材料の特徴によって異なってくるので、どのように調整するか、自在に扱えるようになるには1年はかかると。彼は自分の仕事にプライドと自負を持ち得ています。たくさんの業務に関する記録を取り、「仕事は記録である」(これはわが社の創業者が残した言葉です)を実践しています。

 マイクロカウンセリングのセミナーを受けました。講師は1980年代にアレン・E・アイビイ(マイクロカウンセリングを始めた人)夫妻から学んだとのこと。地方からそのために上京する彼の30年前の姿とその心境を想像しました。マイクロカウンセリングとは何か、それは様々なカウンセリングの良いところをまとめ上げたもの、だそうです。カウンセリングの進度にはスケールがありますがこのスケールを読んでいると、どのように話が聞けているか、一緒にいることができているかの自己評価ができそうです。

 産業医の先生と話をする機会がありました。穏やかな方ですが、医療のプロとしての知恵を伝えていただくだけでなく、高校時代に物理学を一時志向したこと(湯川博士等に対するあこがれ)、医学を志したきっかけ(恩師との出会い)、英語脳(米国滞在中に英語のTVを数カ月見続けていると、ある日突然に理解ができるようになった)等のお話を伺うことができました。

 中学時代の恩師からハガキをいただきました。美しいマチュピチュの絵葉書に几帳面な文字で小説(文学賞に応募、入賞されました)の感想を書き送った私への御礼と、小説の真意について述べられていました。定年退職後にも、文学に挑戦されている恩師を誇らしく思います。

 上記の出会い以外にも、この1週間でさまざまな出会いがありました。そこから得られる体験情報は私を大変豊かな気持ちにしてくれました。このような出会いも、「傾聴・質問・承認」がきっかけとなっています。学んでいなかったらきっと「すれ違って」いたに違いないのです。
 
 教育コーチングとの出会い、そしてたくさんの人との出会いに感謝をします。

本との出会い(2)

 理想と現実のギャップを埋める修行をする超介です。

 以前から読んでみたい、と思っていた本に書店で出会いました。11月の書籍購入予算はオーバーしていましたが、『人生への投資、投資、・・・』とつぶやいて買ってしまいました。それがこの『コーチングリーダーシップ』です。副題に『神戸大学ビジネススクールで教える』とあります。Gさんが著書を紹介されていた金井先生、そしてビジネスコーチング界の伊藤守さん、鈴木義幸さんの共著です。

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 最初の章で組織行動論の流れを金井先生が説明されていますが、心理学、認知科学等やら組織論のうねりが概括されています。私が興味をもって体験的にも学んでいる内容がどのように発展してきたか、大変わかりやすく書かれていました。

 コーチングについては著者のうちの2人の専門家の著書を何冊か読んでいましたので、比較的容易に理解できました。コンパクトにまとまっています。特に興味深かったのは企業への導入の効果が数値化されていること、そして導入の実例です。

 企業で求められる人材と現実の人材とのギャップから、組織の運営の仕組みが理想からは遠いこと、でも逆にうまく組織が変われば大きな成果がありうることを思いました。導入実例では大手飲料会社と、電力会社が紹介されていますが、会社で働いている私には結構リアルでした。

 「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)の蓄積」という表現にすっきり感がありました。私が知らなかっただけでしようが、的確に外形を捉えた謂いであると思ったのです。

 この言葉に関わる個所をあげてみると

  

「人と人との関係性は、いわゆる組織の基盤であり、ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)が蓄積されることで組織のパフォーマンスは必ず高まると考えている。」

  

「人と人との関係性の問題に正面から取り組もうとする企業は、残念ながらだ少数派である。」

 

ありがちな組織風土として3つの型が紹介されています。「孤軍奮闘型」「井戸端会議型」「軍隊型」、後の2つは大体想像できると思います。一番目は次のような説明があります。

 

 「「孤軍奮闘型」の組織は「自分はこの会社にいてもいいのだろうか」と社員が 不安感を感じる状態にある。それぞれが自分を守ることに精一杯で、人とかかわらないようにす る傾向が強い。逆に他人の気を引くために怒ったり、すねたり、人を攻撃したりする行動もみられる。」

 

 私は自身の会社人としてのあり方を振り返り、大いに反省しました。怒ったり、すねたりはしていないつもりではありますが・・・・。どちらかといえば孤軍奮闘型的であり、そこからくる不安を抱いていることがあることを・・・・。そうして課題に気が付きました。

 それから組織の未来、リーダーの能力に関しての記述として

   

「チームを構成する一人ひとりがバリューチェーンにおける自分の仕事の意味やつながり、楽しさを見つけなければ生産性は高まらない。」

   

「自己認識を高く持ちながら、伝統的な組織図にある枠や境界線を越えて、フ ァンクションや場所、社外の利害関係にまたがって効果的に仕事をする能力 が必要とされる。」

当たり前のことかもしれませんが、組織の一員として使命を感じました。 

 いくつかの部門がある組織で働いている人、組織内コミュニケーションに興味がある人にお勧めの一冊です。

感謝の心(2)

 感謝の心を感じることにより自由になる超介です。

 幼い時代に父母がしてくれたことを思い出し、感謝をした時、その時、幸せな感情に満たされた。
だから、幸せは私と人の間にあり、さらに感謝のこころの近いところにきっとあるとおもう。

 年上の友人が『おまえは恵まれているのに、そのことが分かっていない』ということを話してくれたこと―(11月18日)のブログ―と同じようだ。彼には 気がついていない私の姿 が見えているのかもしれない。

 本を読んで、いろいろとトレーニングもして、孤独な戦いをしていた私は、やっとそのことに気がついた。孤独な幸せというものは存在しないということに。

 ほんの数年の受付の仕事を明るくやってくれた女性がいた。軽自動車いっぱいに職場の人からの花束、鉢植えやらの贈り物をもらって、笑顔いっぱいで辞めていった。

 有能ではあったが、最後は質疑応答のようなやり取りで権利を確認し、見送られることを拒否するように、逃げるようにして辞めていった人もいた。

 後者のほうが給料もよくて、仕事もバリバリこなせたのに前者のほうが幸せそうであった。

 他人の一言から気分がふさぎ、そして、その人を拒絶し、孤独の闘いを始めることが私にはよくあった。しかし、それは他人の一言が要因ではなくて、私が記憶の呪縛にとらわれていることがほとんどであった。 その一言が引き金になっていた。(ように思う)

 その一言が、私の心の奥にあるいやな思いを引き起こすようになっていたことに気がついた。そのことに気がついてから、私は自由になれてその人に対しても積極的にかかわれて、孤独の闘いをやめることができ、幸せになった。

 それは幼いころの両親の思いに気がつかずに、勝手な振る舞いをしていた自分に気がついたときと同時であった。それに気がついて感謝の心があらわれた時、私は幸せになった。

 つまり、幸せは私と人の間にあって、感謝の心に近いところにあるに違いないのである。