出会い(その7)

 超介です。般若心経(本)、エジプト展でのスカラベから先人の心を想いました。

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「空」とはむなしい、という意味ではなくあること、ないことを包括する概念である。
色(あること)と無を超える思想である。

     空包摂色 (くうほうせつしき):空は色を包み込む
     空包摂無 (くうほうせつむ) :空は無を包み込む
                   (苫米地英人 「超般若心経」より)

 人は困難を乗り越えるために祈る、不幸な出来事に対し覚悟を決めて祈る。

 7世紀の中国、僧玄奘は西域に向かった。天変地異、あるいは妖怪などの行く手を阻むさまざまな困難に対し、「般若心経」を唱え進み、母国に仏陀の教えの経典を持ち帰るというミッションを果たした。

 彼には使命があった。ぜひとも果たしたい役割があった。そのために天竺をめざし進む、一歩進むたびに使命達成にちかくなる、そう感じた。困難は「空」(だから惑わされない)という立場に立つこともできた。

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 今から3500年ほど前のエジプトの遺跡から「スカラベ」が出土している。それは死者の心臓の位置におかれていたという。スカラベは復活の神の象徴であるらしい。

 小学生の頃、ファーブル昆虫記で「ふんころがし」(スカラベ)を知った。半世紀ほど後、エジプト展でスカラベを見て、それが「ふんころがし」であることに驚いた。団子を転がし移動するさまが、古代人には太陽を操ることの象徴に見えたらしい。天空をかける、羽のついたスカラベも出土している。

 :当時の人々が生きたのは、古代国家社会の階層構造やら、天変地異、他民族との戦争等々、現代と比較できないほどの障害がたくさんあった時代であった。スカラベは、その人たちを鎮魂した。光沢を放ち、質感のあるスカラベを造型し、死者の胸に布置して復活を祈った。

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 彼らは困難を前に、心を鎮め、自由を取り戻し、選択的に生きようとした。般若心経とスカラベからは、そのような先人の熱く、激しい心の動きがみえる。

出会い(その6)

               
 超介です。

 デンマークが発祥の地で、イギリスでも始まり、1979年に日本の世田谷区でスタートした「冒険遊び場(プレーパーク)」という施設があります。すでに日本では同様の活動グループが200以上あるようです。先日、天野秀明氏という、世田谷での活動に最初から取り組まれている方の講演会に参加してきました。

(以下、演者の話から)
 子供が「遊び、育つ」時期がある。それは 遊ばされる、育てられる ではなく遊ぶ、育つというように自ら始まるものである。やってみたいことがあるかどうかは、人として生きていくときのエネルギーの発現である。それゆえに、それは魂の活動である。その子の独自の世界の構築である。

 やらされている遊び(学習も)は雑巾を絞るようにいつかは水(エネルギーが)が出なくなってしまう。やりたい遊び(学習も)は集中を生む、それは尽きない。

 子供のやりたいことは あぶないこと(A)、きたないこと(K)、うるさいこと(U)で大人はそれを悪と捉えてしまうが、遊育では、このAKUを受け入れることからスタートする。だから大人の役割は、子供を承認することである。おまえ、おもしろいな、と。

(こんな本を書かれています)
   null
 子供 が自由にふるまえる時間と空間が少なくなっていて、そのことが多くの発育上の課題を残す。さらにはある節目を迎えたとき(たとえば教育課程を終えたとき)、自分を見失い、つまり生きる道を見つけられず迷路にはまる。

 教育コーチングと目指すところが重なります。

出会い(その5:演じて出会うこと)

 
 超介です。カウンセリングを扱う2時間ほどのセミナーに参加してきました。

 ロールプレイをしてきました。いくつかのモデルをトレーナーが解説され、その後あるパターンを選び演じます。これまで、こういったときには、演じやすいのは「素の自分」に近いモデルであるのでそのように選択していました。それはそれで、普段の自分を振り返ることができて気づきもあるのですが、トレーナーの意図はそこにはありませんでした。

 つまり、「自分からもっとも遠いモデルをプレイせよ」というのです。

 それで、自分と違うモデルを選び演じてみました。

 なんと、演じているうちにその気になってしまい、話す内容が正しいと感じ始めたのです。そのこと全体会で発表するとトレーナーは「たとえば、あなたはそのように考えている時期があり、それがいつの間にかさまざまな状況のなかで変化したのでは、そのような状況がぱっかり割れて中身が飛び出したのでは」と話され私は、大きくうなずきました。

 それから、もうひとつ理解できたことは、「演じることによりそのタイプの人がなぜそのように行動するかがわかる」、ということです。演じていると、そのように話す人の基本的な考え方が理解できるからです。あるタイプの人を演じるためには試行錯誤して、そのような人の話し方を思いつかなければならないので、必然そのタイプの人の基本的な思考を見つけないといけないのです。もちろん理解の到達度は浅いこともあるとは思いますが、でもより近づける方法(より共感できる方法)だと思いました。

 ある人の行動をモノマネすることからの学び(共感に近づく方法)がありそうです。
 

出会い(その3:その2の補足)

超介です。出会いについて書いた前回の補足をします。

               「あなたの出会い」 
                あなたの出会いは
                どんなふうに
                世界を変えただろう
                ( 銀色夏生:詩集 すみわたる夜空のような より)

                 
 ミツバチが花を求めて、巣から飛び出す。友からの花粉ダンスでおいしい花のある方向と距離を教えてもらい、一目散に飛んでいく。目的のいいにおいのする草木の一番大切なところに頭を押し入れて蜜を吸い、花粉を体に擦り付けて巣に戻る。花との出会いを求めて今日もドアをあけ、出て行くのは人も同じ。

 方々の花から蜜を集めて自分の蜂蜜つくりに精を出す。赤や黄色の時には青い花から集めて作った蜂蜜はパンに縫ったり調味料に使ったりして食卓を豊かにして、人を幸せにする。自然がさまざまに作り出すものをミツバチはブレンドして自分の蜂蜜を作る。僕たちも多くのものと出会って「蜜」を集め、ブレンドして自分の「人生」を彩る。「生き方」に味付けをする。だから、出会いは世界を変える力を持っている。 

 だから、私もドアを開けて外へに出ようと思います。

出会い(その2)

超介です

 少し前までは、読めなかった本がある日、突然面白さにきづき、読むことができる経験をしたことがありませんか?そのような時は、その本を通じて「新しい世界に出会ったような気がして大変楽しい」のです。

 同じ本でも、以前読んだとき重要だと感じて線を引いた部分と、再度読むときに線を引くところが違っていることがあります。前はわかっていなかった、感じ取ることができなかったことができる様になるからです。だから、新たに読めなかった本が読め始めることは当然なのです。積読は大切です。

 書物に書いてあることは変わりません。変わったのは読む人。読み手の意識が広がったのです。何かの体験やら、集中した行為の継続が積み重なると、意識が変わります。

 大僧正とよばれている人が、「どうしてそのようになられたのですか?」ときかれて、「特別なことはしていません。ほかの人と同じことを、いつも心をこめてやってきたつもりです。」というようなことを答えられていました。

 私が「新しい世界に出会うことが楽しい」と感じたり、「出会いに意味がある」と考えるのは「生き方」に関心があるからです。そうか、そのように世界を感じればよいのか、とか、避けられないと感じていた、起こってしまっている出来事の取り扱方法のヒントが見えてきて自由を感じるからです。

 起こることは選べませんが、「生き方」は選べます。その選択のヒントを「出会い」は教えてくれます。状況に流されずに、主体的に生きることのヒントを教えてくれる「出会い」です。

 そうしてさらに「出会い」は人に世界をかえる力までもあたえます。

              「あなたの出会い」 
                あなたの出会いは
                どんなふうに
                世界を変えただろう
                (銀色夏生:詩集 すみわたる夜空のような より)

 だから、私もドアを開けて外に出ようと思います。

出会い(その1)

超介です。 

ふるさとへ帰り農作業をしてきました。26アールと17アール合計43アールの稲を刈りました。昨年は26アールの田から2トンほどの生モミを収穫、今年は1.7トンほどの収穫。水分が今年は少なかったようです。昨年比ほど収穫量が減ったわけではありません。
 こちらは小さいほうの田んぼ16アール(16m×100m=1600m2)です。null
 
 こんな風にコンバインで刈り取り、軽トラックにしつらえた運搬具に生もみを入れてライスセンターやら自宅の乾燥機に運びます。null

 (田んぼでの出会い)可憐なつゆくさの花  寝床を追い出される直前のバッタ(キリギリス?の子)、トノサマガエルの子(土色です。わかるかな?)
20110918-P9100208.JPG20110918-P9100205.JPG20110918-P9100210.JPG

稲を刈っていくと、上の写真のように、小さな生き物に出会います。圃場整理がなされるまでは、小さなねずみの巣があったり鳥の巣にを見つけたりしました。何がいるのかと、楽しみでした。ピンク色の小さなねずみの子ー体内がうっすら見えそうなほどのーを手のうえにのせたこともあります。

ふるさとへの往路のサービスエリアで、ヒッチハイクをしている青年と出会いました。4日間、学校が休みになったので、高知から友人のいる京都まで会いに行くことを思いついたそうです。高校を中退して上京して働き、世界を見ようとインドに行き2ヶ月ほどすごし、大阪に戻り数年間、大道具(舞台装置の)つくりの仕事をしていたとのこと。事情があってふるさとに戻ったとのこと。技術を身に付けるべく職業訓練校に入っているそうです。

 礼儀正しい青年でした。いろいろと語ってくれた彼の人生は波乱万丈で苦しい人生に思いましたが、いたって明るく語ります。「特に、インドに行ってから物事に動じることが少なくなったような気がします。」といっていました。

 秋の田んぼの小動物はある日突然、住処を追われ新たな環境に出会いました。青年はふるさとを離れ、さまざまな出来事と出会い変身しつつある姿を語ってくれました。

 出会いには意味があります。成長のきっかけになる出会いを求めていきたいと思います。

書くことについて(その3:ラブレター)

超介です。

 ラブレターほど、相手に伝えたい思いを書く文章はない。自分の気持ちを確かめつつ、知りうる限りの言葉、時には他人の文書や辞書を引きながらつづる。古人であれば歌を贈ったり、今であれば、メールであるかもしれない。僕の時代はラブレターであった。

 中学生のとき、初めてそれを書いた。入学式のときみてどきんとした子だった。相手に電話をして呼び出し、ささやかなプレゼントとともに渡そうとしたが、何かの理由で渡しきれなかった。私の家と、彼女の家は低い山脈を隔て位置していた。何十年か前に、その山脈を越える峠の辺りが切り開かれ道ができた。その道の手前に川がながれていて、橋のあたりに堰がある。ごうごうと流れる川に、橋のうえから渡せなかった手紙をちぎってばらまいた。

 ほんの1分にも満たない程度の短時間であったが、ぽろりと涙を出したような気がする。思い切って書いた手紙の内容は忘れたけれど、書いてすっきりした。記憶に残っている限りではあるが、自分の気持ちを強制されずに表現した初めての文章だと思う。

 その当時は今ほどたくさん言葉をもっていなかったけれど、思い出して書き出すと生々しく感じる事柄がたくさん出てきそうだ。きっと誰でもそうだと思うが、思い出にはドラマがいっぱいある。

 いつでもそうはできないけれど、時には会話も文を書くことも、気持ちをじっくり味わいながら行いたい。自分の気持ちを自分の言葉で話したり、つづることはたのしい。建前だけの言葉で生きていくと、自分を見失う。それで後悔したこともたくさんあります。

 皆さんはどんなラブレターを書きましたか?あるいは書きますか?
  

書くことについて(その2:ある日のセルフコーチング)

超介です。
ある朝起きると気分が悪く、頭が重いのです。いろいろとやるべきことが走馬灯のように駆け巡り憂鬱です。のろのろと朝の支度をし、会社に向かいます。
気分が依然とすぐれないので、途中で喫茶店によりコーヒーを注文し、それから、ノートを開いて
「気分が悪い、頭もはっきりしない。いろいろ気になる。」
と、ノートの左半分の一番上に書きます。そこから気になっていることを右半分に上から書き出していきます。たとえば、次のようになります。
(以下フィクションです。事実と右側には気持ちも書きます。この気持ちにゆがみが出   
                             ることが多いのです。)
1.業者へ発注する仕事の仕様変更が必要:嫌がられるかも
2.部門の売り上げが昨年より相当悪い:このままでは部門閉鎖か。
3.子供が昨夜は帰宅していない:悪い友達に振り回されている?
4.部下のRの就業態度が上長には悪評価のようだ:私に指導がくるかも
5.実家の両親が週末にはかえってきてほしいといっている:休みたい、疲れる
6.次月から1名アルバイトを契約解除して人件費を削減:文句を言うだろうな
7.宅建資格の更新に費用が2万円ほど必要:またお金がいる、家計が苦しいのに
8.全体に体がだるい、運動をしていない:時間と気力がない
9.8,9月は読書量が激減した:勉強のやり方を変えるべきなのか
10.仕事の整理ができていないので、能率が悪い:このままでは
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このようにして書き出していくと、胸のむかつき、頭のふらつきはだいぶ取れてきます。そして、それぞれの項目の横に矢印を引いて分析やら対策やらを書き込みます。
1.→時間の都合を聞いて訪問し、状況を説明して依頼すること。
   ポイントは ?社内事情の説明 ?私の考え だな。
2.→今年度の見通しのまとめをする。そのためには情報を集める。
   必要な情報は?同業者の動き  ?お客の変化
   これの私見をまとめて、部門内メンバーに送り他の情報と対応策を求めよう。
   それが次の会議のテーマだ。
3.→メ−ルをうっておこう。「どうしている?大丈夫か?」
4.→悪評価と感じたのは→Sの発言→Sに再度詳しく聞く、それから動くこと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
このように書いていくと頭はどんどんすっきりして体が動きやすくなります。ノートを右と左の欄にわけて表記していくのでダブルカラム法、というようです。私の場合は、出社してから、手帳に上記の作業項目を日割りしながら記入します。どんどん迫ってくる他部署からの仕事、外部からの仕事も随時重ねて手帳に入れ込んでおきます。
 これが私の目標手帳の中味になります。こなしていきます。できたら赤線で消去。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
 コーチングでいうところのチャンクをほどく、と一緒です。
心理学の範疇ではこのように書いて、考えてゆがみをなくしていくことを、論理療法とか認知療法とかいうようです。悪感情の原因は非論理的思考、非合理的思考であるので、これを論理的思考、合理的思考に書き換えればそれらが雲散霧消する、というわけです。
そうです。「書き換える」。このためにノートに書いてみるのです。自分で書いてみて(話すと同じ)ジーと見つめる(沈黙を大切にする)、そして考えていくと「気づき」がうまれ、それをさらに「書く。さらに繰り返していくと行動すべき内容が見えてきます。
これらはノートとペンだけでよいので経済的!!安上がり。
 お悩みの方、ぜひやってみてください。 
   

書くことについて

超介です。

起こっていることはひとつ、事実はひとつ(であろうと思われる)
であるのに受け止め方は人それぞれである。

一つの事象がが起こってそのことを受け止めるとき、
時には愉快でない、不愉快な気分に落ち込むことがある。

それは「考えかた」 がそこに介在するからである。その考えかたに
偏りがあったりすると、感じ方も受け入れがたくなる。不愉快になったり
不安になったりするのだ。

そんなときのためにコーチやら、カウンセラーやが機能する。

素直に事実をそのまま受け取れる人は
どんどん挑戦的に生きているのではないだろうか。
うらやましい!

「認知のゆがみ」によくとらわれる。
僕のとらわれの多いパターンは「心のフィルター」だ。
たった一つの出来事が心を重くし、世界を暗く見てしまうことが多い。
まるで一滴のインクがおちてコップの中が黒くなるみたいに。

ゆがみをなくすための一つの方法が書くことだ
事実を書く、この場合の事実とは出来事と自分の感じたことだ。
ノートにこんなふうに書く。
null

事実を書いてそれから分析をする。
矢印を引いて、そこからなぜそうなのか、とか正しいかどうか
とかどんどん矢印を引いて書き足す。

そのときに役立つのが「認知のゆがみ」パターンだ。
人が陥りやすいゆがみの型はよく研究されている。
それを虫眼鏡みたいにつかって考え方を正しくしていく。

素直な自分になれる。

ふるさと丹波から(その3の追加+α)

「・・・さよならだけが人生だ」というフレーズは中学校の同窓生からのメールが引き金になっ
って浮かんできました。

ふるさとをはなれて40年近くたち、帰郷するたびに変わっていく風景やら、近所のあるいは
両親の姿が思い浮かびます。

仕事やら家族やらとの関係もどんどん変わっていき、僕は今どこに行こうとしているのか。
このフレーズは、そのような振り返りのドライバーのような働きをしました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

8月は休みも多くあってたくさん本が読めそうなきがしましたが、4冊ほどしか読めませんでした。
でも素敵な本と出会いました。古書店で見つけた分厚い(770ページほどあります)本です。4000円近くする本ですが定価の1/2で買うことができました。
null
考え方と行動を変えることにより感情も生理的反応もコントロールできるということを学びましたが、そのことをより具体的に説明してあります。デビッド・バーンズの「いやな気分よさようなら」という本です。ゆがんだ認知をとらえ、合理的な考え方に変えていく具体例がたくさん示してあります。

気分がすぐれないときに、それをノートに書いて、その理由を書き進めたり、認知のゆがみに
留意して分析したりして合理的な内容に書き換えていくのです。セルフコーチングと同じです。