2012年を迎える

超介です。

いよいよもう数日で2012年ですね。

 2011年は辛卯(かのとう)の年でした。辛は伏在していたエネルギーが発現する、卯は扉が開くという意味でした。
これに象徴されるがごとく、国内では東北大震災、原発、大相撲八百長発覚、歴史的円高、国外では欧州危機、「アラブの春」による独裁体制の崩壊、反格差デモの拡大等々が勃発した年でした。

2012年は「壬辰(みずのえたつ)」の年です。干支の文字の意味するところを調べてみます。出典は「干支の活学」(安岡正篤 プレジデント社)です。

同書(P141から)によれば壬(じん)は次のような意味があります。

これに任せる。人材を知ってこれを用いて、用いてこれに任す、それを「任用」というわけです。任さなければ「任用」ではない。単なる「使用」にすぎないのであります。だから大事な問題を任すことのできる人間を要する。またそういう人間を用いなければならない。それが「任―みずのえ」の大事なひとつの意味なのであります。

さらに辰(しん)は同書(P199から)に次のようにあります。

 説文学からいいますと要するに寅、卯と来まして、ここで初めて非常に陽気に行動的になる。物事の活力が依然として盛んになるわけです。(略)はじめは門を開いて(前年の卯)中へ入ろうとしたら草や木が茂っておった。それを刈り取ったり、何とかしているうちに崖(辰の意味)が出てきた。(略)とにかく「辰」は「今まで内に蔵されておった、あるいは紆余曲折しておった陽気、活動が、外に出て活発に動く」というわけです。

今年は昨年に続いてさらなる活発な動きが出てくる年、しかしこの年を乗り切るためには、誰か強力なリーダーがでてきて一発でおさめる、ということではないようです。そこ、ここの問題それぞれに任せるに足る人材が必要であろうと。また、問題も、その中には発展的に立ち上がっていく希望の種もあるかもしれません。

竜(辰)のようにさまざまな陽気、陰気が立ち上がってくる。そのような年にそれぞれの部署にふさわしい人物の任用ができる組織であることが必要であると干支が示しています。

個人の生活でいえば、各人がそれぞれの運命に立ち向かい、責任をもってことにあたろうではないか、という解釈でよいかと思います。

今年やってきたこと(その1)

超介です。今年やってきたこと を思いつくままに たな卸し します。

1.ブログ投稿を中断、再開しました。

前半は投稿しませんでした。後半から再開しました。

 言葉と文の奥にあるものを探るために「『出会い』」「『愛する』について」、などとテーマを決めて文章を書かせてもらいました。テーマを決め、それについての種を探して文を書きます。

と、書きましたが、実際はテーマを決める段階ですでに種をもっている
ので、テーマと種は同時に私の中にはいってきています。いったんテーマを決めて書くと、そのテーマがKEY WORDになり磁石のように次の種をひきつけ その1、その2、その3・・・・と次々と新しい話がつながります。

 長くて、わかりにくい文章で皆さんにはご迷惑をかけています。表現力を高めていくための学習を進めていきます。

2.(突然ですが)めがねを変えました。

 金縁のフレームから、黒縁(青色の半透明の縞が入っています)に変えました。度が進んだのか(老眼です!!・・)見えにくくなっていました。11月11日の誕生日を契機に、より一歩進める超介になろうと、イメージも変えようと思いました。

3.日青協の名刺を発注しました。パンフレットを仕入れました。

 教育コーチングのことを話す機会を作るために準備をしました。準備はできましたが行動は予定の30%程度です。パンフレットはちょうど手ごろな説明資料です。作成に当たられた皆さんに感謝します。

4.地域のイベント、施設に参加、見学、勉強会でも受講をしました。

 冒険遊び場講演会、山岳博物館、タオル美術館、トローンボーン演奏会、養護施設講演会、美術展・・・・・など10月から日曜日を使って行動し、人と話すきっかけつくりを意識して行いました。最近では、教員の勉強会(選択心理学の)を知り、参加し始めました。衛生管理者対象のセミナーではカウンセリングの講座を複数回受講しました。

 今日はとりあえずここまで たな卸し。

今年できなかったこと

超介です。

今年できたことは後日まとめることにして、出来なかったことをあげてみたいと思います。

 まずは釣りです。

 数年間、釣りに行っていなかったのですが、考えを変えて(大げさですが)再開することにしました。道具をそろえて、11月末くらいから隙間時間をねらって瀬戸内の海にいきました。宇和海まで足を伸ばせばよいのですが、それだと、往復時間、釣り場での時間、潮位を考慮すれば1日半ほどほしいのです。目下そこまで時間調整が出来ないので、再開が可能な 瀬戸内海でのルアー釣り をはじめました。
 
 過去、仕掛けをしっかり作ってえさ釣りで宇和海のタイなどを狙っていました。ルアーなど邪道であると公言していましたが、こそこそと始めました。が釣れません。道具はそろえることが出来たのですが・・・・・。
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 読みたい本が読めなったこと。

 再読したいのですができていない本もたくさんありますが、購入したけれど読めていない本はやはり分厚くて難しそうな本です。目下そのベストスリーは次の写真の本です。今年はカウンセリングやら心理学の本をよく読みました。それから後半になって小説を多く読むようになりました。
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「愛する」についてその5の2)

超介です。
 
 人の未来について考えたり、話したりするときに、自分の考えの伝え方が少し変わりました。
 
 「個人の自由と尊厳」を尊重する立場は大切です。それについて考えるきっかけになった小説に出会いました。それが、この「朗読者」(ベルンハルト・シュリンク)です。世界中でよく売れたようです。読まれた方もいらっしゃると。null

 15歳の少年ミヒャエルと36歳(21歳も年上)の女性ハンナとの恋愛という衝撃の場面から始まります。が、ある日、突然ハンナが消えてしまいます。そして数年後に、大学生となった彼のまえに、裁判の被告として彼女が姿を見せます。ミヒャエルとハンナが出会う前のことでした。ナチの収容所で女性の看守としてハンナは働いていたのです。収容所が火事になり、たくさんの人が亡くなりました。その事件におけるハンナの責任を問うものでした。

 収容所の看守という立場での行動について、ナチスが崩壊した後、個人としての責任を問われます。体制の中で、火事の際、囚人を解放しえなかった状況について、彼女は裁判官に問いかけます。「もしあなたが私の立場であったならどう行動しましたか?」と。裁判官はこたえを回避します。

 その裁判で彼女は他の看守より、もっとも重い判決をうけそうになります。ところが、自分の「あること」を開示すればおそらく無実が判明し、罪は軽減されるのに、そのようにしようとはしません。それを知った大学生のミヒャエルは、自分が開示すべきかどうか迷います。そして、父親に相談したり、裁判官に面接をするのです・・・・。

 「おまえが良いと思い、相手のために、その人の立場に立って考え、その上で助言をしたことでも、相手の人がそう思わず別の判断を示すこともある。おまえは、相手がどちらを選ぶにせよ、相手の選んだ道を尊重するし、そのことを『どちらを選ぶにせよ、私はあなたの選択を尊重します』と、相手に伝えることだ。」と、ハンスの父親は息子に語ります。

 父はミヒャエルに「個人の自由と尊厳の尊重」することを具体的に語りました

 それから、月日は流れ、ミヒャエルも幼馴染との結婚やら離婚等を経験します。が心の底にハンナへの想いがあることに気がつき、それを抱き続け、服役(無期懲役囚としての)中の彼女にさまざまな書籍の朗読テープを送り続けます。彼女の「あること」とは「文字が読めない、書けない」ということでした。ハンナは模範囚として生活し、みんなの相談を受けたり、文字を学び始めて、手紙を彼に書いたり、その後、また孤立したりします。そして恩赦を受けます。開放される前日、ミヒャエルと再開を果たします。しかし、彼女はその直後自殺、・・・・・。物語は意外な結幕を迎えます。

 「朗読者」の内容は以上です。私はこの小説の中の「物語」の意味を見つけようと、特にハンナの自殺の意味を考え続けています。

 世界は時間的にも空間的にも構造化されています。「意味の無いことは起こらない」という意味は、たとえば人が生きてつらい体験をする時に「あなたにはつらい体験であろうと、その意味づけをすることができる」と捉えることができることだと思います。そして、生まれてから死ぬまでのプロセスを豊かな物語にできるのです。一旦その物語に気がつけば、人生の意味がわかり、より自由になれるとおもうのです。その自由をもって、再度生きなおし、その人にとってより良い物語を再創造できると思うのです。人生を「良い仕事にできる」ようになると。

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 私は幼稚園の展覧会でみた、幼児の描いた絵が、自由に伸びやかであることと、「個人の自由と尊厳の尊重」ということがうっすらとつながっていることに気がつきました。

 私は、その絵は子どもたちの人生の「物語」であると思ったからです。

「愛する」について(その5の1)

 超介です。

 美術館で幼稚園児と中学生の作品展を催していた。子供たちの絵、特に幼児の描く絵は見飽きない。美術館の展示室であるのでかなり広い。いくつかの部屋の壁面いっぱいに作品が展示してある。たとえば「虹色のクワガタムシ」という絵では、用紙いっぱいにクワガタムシの絵がかかれ、その中に人、花、動物、木等々が所狭しと描かれている。

 これらの絵に惹かれるのは、そこには描きたいものを描く、という自由と選択があるからだ。自由奔放に動く心が見えるからだ。子供の心を見失うことと、自身の羅針盤を見失うことは似ている。中学生の絵になると自由奔放さが隠れ、代わりに、他人の視線を意識した常識の線が現れてくる。誰が見てもすぐわかる作品になる。

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 仕事ではルーチンでもプロジェクトでも、いったんそこまでの歩みを止めて、何をえたか、どこまで達したかを括り、次の目標を決めたり手段を再整備したりするのに、人生ではそのような手間をかけない人が多い(のではないだろうか)。

 人生の岐路に立つときは計画を立てる。それまでの歩みの棚卸しをして、どのような日々を暮らし、何をえたのか、何ができるようになったのか、等を書きだしたりして掘り起こす。それを見つめれば自信が生まれる。そうしてその底に隠れている、自分の価値観を掘り起こす。その価値の羅針盤が示す方向を見定める

 そうすれば、納得のできる人生を再度、踏み出すことができると思う。どのような方向に歩みだすかは個人の選択の範囲だ。

 幼児の絵心のように自由奔放に未来絵を描いて方向を決めたい。節目節目にそのように
進む方向を決めていきたい。

「愛する」について その4

 超介です。

 俣野温子(マタノアツコ)さんという美術家を知ったのは愛媛県今治市にあるタオル美術館でした。地場産業振興のために作られたその建物はタオルの製造工程、ムーミン展、俣野さんのコレクション(タオルをつかったアート)等の展示を見ることができ、タオル製品のみならず愛媛のさまざま加工品が販売されています。今治市郊外の朝倉というところにあります。

  これがタオル美術館、大きくて立派な建物です。鄙にはまれな・・・というような。
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 俣野温子さんの作品は何室にもわたり展示されています。たくさんのタオル地で作られた実用品の衣類、小物、それからアート等が展示されています。その中の2つの詩に心を奪われました。

 ひとつは「海の住処」という、音楽と詩と映像(アニメ)をくみ合わせたもの。照明が落とされた空間に大きなスクリーンがあり、そこに数分間の物語が繰り返し上映されています。ソファにすわり、リラックスして視覚と聴覚 を開放していると、命のつながりとそのはかなさを主題にした物語からは、あたたかいような、かなしいような感情がうまれてきます。
 
 もうひとつはタオルができるまでをうたう詩です。地にまかれた一粒の種が芽を出し、根が生え、花になり、摘み取られて糸になり織り込まれてタオルになって、・・・という物語がタオル地に文字でかかれているのです。 
 

 その中ほどにあったフレーズで す。
       雨はあなたにやさしかったですか 
              風はあなたにやさしかったですか
               ひとはあなたにやさしかったですか
というところを何度も読み直しました。愛情があふれているからです。
 
 この美術館の入り口ではタオルの製作過程を見ることができます。綿のかたまりから細い細い糸がつむがれ、それがより合わさり、少し太めの撚糸になります。その糸巻きが数十本も横に、かつ4列に並べられた機械があります。糸巻きの群れを搭載した機械からは、模様がえがかれる様に設計された動きからのカシャカシャという音が聞こえてきます。設計された模様にあわせた楽譜を演奏す楽器。出来上がるタオル地により奏でる歌が違う のです。 

 何十本もの撚糸が糸巻きから少しずつ、2,3メートルの高さまでひきだされ、それから人の腰くらいの高さのところまで降りてきて、縦、横に織り込まれ、タオル地が出来上がります。たくさんの綿と糸、そして撚糸の糸巻きが縦、横4,5メートルほどの大きな3種類の機械をとおるうちに、触りのよい、やさしい大きな布が出来上がるのです。

 か細い糸が人をやさしくぬぐったり、包んだりすることができるタオルになる過程を見ていると、ひとのために作られる製品にやさしさが織り込められているように思うのです。

 さらにこの詩ではその前の一粒の種が育っていくところからをうたうっています。タオルという製品の心を言葉で表しているのです。

 俣野さんも 心を言葉で表すこと について書かれています。あるとき魔法のように心をうつす言葉が出てくるようになったと。

 名文を繰り返して読んだり聴いたりして耳に慣れさせて、どこかでそれを聴いたり、見たりしたときに新鮮な感覚がおこります。

 リーディングをし、声に出して文章を読んでいる自分を意識すると、その読んでいる言葉の奥に織り込まれている想いに気がつくことがあります。

 少し前までは気がつかなかったのに、あるときから言葉に心が敏感に反応することがあります。それはその人の中で何かが変化したからです。

 会話の言葉でもそうです。人が発する言葉を受け止めることができず、素通りしてからしばらくしてその意味がわかったり、でもそのときにはもう遅かったり・・・・・。

 そして、もっと丁寧に読んで、聴いて、話して、書こうと思うのです。
 

「愛する」について その3

超介です。

  何かに対する感情が変わる瞬間を自覚したことはありますか?
  たとえば対象が人、好きになるのであれば恋の始まりの瞬間です。
  
  18歳のとき、丹波から四国松山に移り住みました。見知らぬ土地に来てから15年後の秋の日にその時が来ました。突然松山が好きになったのです。まだあたりは明るかったので土曜日の午後であったかもしれません。仕事を終え、非常階段をおり、建物から離れ、遠く四国山脈を見たとき、この地が好きになっていることに気がついたのです。

 それから好きになる瞬間ではないのですが、理由がなく、突然涙を流すことがありました。胸が急に苦しくなり涙が出ます。郊外を車で運転中でした。高速道路の高架のしたを走っているときでした。それ以来涙もろくなったように思います。それからしばらくして、その過程が理解できました。
  
 この2つは意識裡のことではありません。無意識裡のことです。魂の世界で進行していることが表出したのだと思います。
 
 生活の中でいろいろなドラマが積み重なり、無意識の世界に織り込まれているうちに、物語ができて、何かちょっとしたことが引き金になって意識の回路が発火するのです。心が開いたとか、気づいたとか、つながったとかいった瞬間も同じです。ぽんと音がしたかのごとくわかるのです。忍術使いの変身のように表れるのです。

 親になったときも、もちろん恋の始まりも、何かが変わったことがわかりますよね。自分の変化の瞬間、それは覚醒そして、命の輝きを感じるときです。
    
  四国山脈の麓も紅葉が見事です。忍術使い猿飛佐助の郷といわれている地もあります。
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「愛する」について その2

 超介です。

 小川糸著「食堂かたつむり」という小説があります。初版が2008年1月です。良く売れた本だと思います。小説はあまり読まないのですが、いろいろな料理が登場するので、それに惹かれて読んでしまいました。null

 「ほたる」(主人公の女性に名前)は、アルバイトから帰ってきて部屋の荷物が恋人によって持ち去られていました。突然、愛が喪失したのです。この場面は淡々とかかれていますが、「声を失うほどのショック」の通り、彼女は声が出なくなります。

 祖母から受け継いだ糠床だけがのこされ、そのつぼだけを持って、故郷に帰ります。山奥の村で、「食堂かたつむり」をひらきます。1日1組までのレストランです。食事を予約する人は、事前にカウンセリングを受け、彼女はそのお客のためのレシピを考えるのです。

 主人公はさまざまな事情を抱えた人が生きていく力、関係を修復するきっかけとなるための料理を作ります。大切な人々のために料理を通じて祈ります。食堂つくり、道具そろえ、食材、レシピ作成等がお客のために準備されます。

 大切な人たちのために料理のレシピを考えて、食材を大切に扱い、その声を聴きながら調理して食卓に出していくさまは、愛するという行為です。各場面で作られる料理をお客が食し、変化を遂げるさまにどきどきします。それを読み進むにつれて、「ああこんな風に日々の生活を大切にしたいな」と思わせます。

 愛を喪失した主人公が料理を通して愛することを再構築していく物語です。大切な人を亡くしたり、失恋したり、離婚したりして愛をなくし、呆然自失することも人生にはあります。でもこの物語を読めば、愛することは思考と行動であり、それによって愛を再構築することができる、そのように考えさせてくれる物語です。(アマゾンの書評では評価は2分されているようです。私は高評価です。)

「愛する」について その1

超介です。

 障害をもった子供たち20人ほどと一緒に2泊3日のキャンプを行いました。といってももう35年以上も前のこと、私は大学の2年頃であったと思います。脳性まひの小4男子のM君を担当しました。瀬戸内海の島の学校の体育館を借りて寝食をともにしました。

 そのボランティアのメンバーは20歳前後の女子が中心になっていました。M君は車椅子でもあり、介添えに体力がいるので、数少ない男子の私が選ばれたのです。食事から、海水浴、ゲーム、キャンプファイヤー、盆踊り、もちろんトイレも全部介添えが必要でした。彼は言葉がうまくしゃべれません。話しかけて、イエスかノーかを聞きながら生活をしていきました。

 体重が1,2キロ落ちるほどの体力を使いましたが、最後の日、別れの時刻が近ずいてきて、ふと彼を見ると泣いています。分かれるのがつらいと泣いていました。私は、はっとして、彼の心が開いていることを感じました。そして彼の肩に手をおいて「ありがとう」を何度も繰り返し、彼を見ていました。

 最後のメニューはメンバーと子供たちが同心円を描くように並び、音楽に合わせて最後の握手をして回ります。みんな泣いていました。私も泣きながら、参加してよかったと心からその場に感謝しました。

 愛について書こうと思いついたとき、このことを一番に思い出しました。彼らは私に愛について教えてくれました。大切なこと、守りたいことについて思考し行動することが「愛する」ということであること、そのように思考、行動できるとき、豊かな気持ちが自分の中に立ち起こることを教えてくれたのです。

出会い(その8:出会いと歴史)

超介です。

人の心の中、奥深く入りこみ
その人の心の中で生きる
一体化して
新たな意識になり、
また次の人の中にはいる

僕たちはつながっていく
そのようにして
歴史が形成される

心の奥深く入り込む形態は
言葉だけでなく行動かもしれない

今生の別れの際、あの世へいく数日前に
夫人に手を差し伸べて、握手を求めて
「ありがとう」といったひと

夫人からそれを聞いたとき、
なくなった人は僕の心の奥深く入った
彼は僕の中で生きて
僕も同じような想いを
いつか誰かに表明するだろう

楽しいことばかりではない
「あなたのために人生を犠牲にしました」
そんな言葉を投げかけられ
それが入ってしまったら途方にくれる

楽しさ、喜び、悲しさ、苦しさ、惨めさ・・・・
いろいろなものが混ざり合い、つながり
織り込まれ、心の中で歴史が形作られる

歴史は一人ひとりの心の中にある
記憶の断片をつまみだし
織り込まれたものを掘り起こすこともできる
記憶は感情をよびさます
記憶は生理的反応もよびさます
それから物語が始まる

たくさんの人々との出会いがつながり
歴史がうまれる

心の奥底の声を聴く時
僕らは孤独ではなく
つながっていることがわかる