出会い、そして夢を描く

超介です

「思考パターンに突然変異をもたらすためには、ランダムで偶然な出来事が重要』これはレオナルド・ダヴィンチの言葉だそうです。では、ランダムで偶然な出来事に出会うためにはどうすれば良いか。できることは、自分の身をどこに置くか、だと思います。今のままで良いのか、と考えそれから行動できているかどうか。

それまでの世界観を揺さぶられるような 出会い、突然現れ、強烈な一撃を与え揺さぶりそして去ってゆく。誰にもそんな強烈な体験の一つ、二つは有るのではないでしょうか。

私の人生に強い影響を与えた人との出会い、その人は、まさに紙と鉛筆で夢を何年も何年も示し続けてくれました。visionから;戦略目標、戦術目標をつなげて、そしてそれを達成するための手段の整備やら、ストーリーを示したのです。プログラムを書いて、それを走らせて、結果を、形を、この世に現出させてくれたのです。何もないところから世界をつくり示しました。彼の頭の中から、外へ展開したのです。オリジナルの世界を。

先日、書店で 『AFFIRMATION 「言葉」があなたの人生を決める 』という本と出会いました。去年の3月に読んだ『アフォメーション』の簡約版です。読み直しながら、夢を実現する方法について、『しつこさ』の有効性について思いました。この書物のなかではぞれは 言葉、映像(カラーの動画でイメージする)、臨場感をプログラムする、繰り返すことであり、上述した人の言葉でいえば —達成するまでやめない『継続力』—です。

強い影響を受けた書籍の一つに『7つの習慣』があります。この書籍とも先日書店で再会しました。簡約版やら、同様の考えで展開された別テーマの書物も多数出版されています。今回は、前訳とほとんど同じくらいのページ数で、同じ原書が訳し直されているものに出会いました。著者は古今東西の成功に関する書籍を調べ尽くして、法則を見つけ、この名著を書き上げました。講演のDVD付きです。これが秀逸です。私的な成功が公的な成功に先行する、というフレーズに出会いました。

イチローは小学生6年生の時の作文で、すでにプロになった自分を描き、しつこく、しつこく型にこだわり、描いた通りの超一流のメジャーリーガーになりました。この時、毎日の練習、修行の日々が 私的な成功 、有名プレイヤーである今が 公的な成功 です。そして 公的な成功 の彼を支えているのは、今でも1回の素振りに意味を込める毎日の鍛錬の継続、私的な成功 です。

たくさんの世界中の情報が、意識次第で、瞬時に集めることが可能な時代。豊かな時代であるがゆえに、出口だけ、つまり 公的な成功 のみを見てしまいがちです。が、内から外へ、個人の成功に到達して、次の段階に進むこと、出会いから始まり、夢を描く。しつこく、そしてこだわり、継続する。可能性が広がってきます。

『出会い』の意味

超介です

自らの目標を設定する時、 まず、到達できるかどうかを最初に考えてしまいます。が、もしすぐ到達できると感じられるのなら、それは目標ではなくて、途中の経過を示す指標のようなものです。もっと正確にいえば、目標は日常の、普段の延長上での思考からは生まれないのです。

できもしないことを言ってと、夢を一笑に付して否定されることがあります。或いは、まず現実的なこの程度からやれば、と好意からにしろ、相手を夢から引きずり落とそうとします。目標の設定の意味を知らないからです。こういう人をドリームキラーといいます。容易に口にするな、親にも、と子供達にそう言います。

新たな出発をするときや未知の世界にとびだすとき、これらは大きな 、大きな足枷になります。僕は再々、これらに捕まって、それも自らつかまり 身動きできなくなってしまい ます。自ら世界を狭く、狭くしてしまうのです。もっと、じっくり、時間をかけて、描けば良いのに。様々な言い訳を考えます。もうすぐ58歳になるんだし、歳だから、家庭がこうでとか、会社が 、上司が、 部下がとか、自ら作り出した今の環境を言い訳にします。

それでも、若い時は世界の方からどんどん新しい事項をつきつけてくるので、固まることなく、夢を持ち得たり、新たな目標を決めることができます。しかし、体験を重ね、一カ所にとどまるとき、そのままだと新しい体験が得られなくなり、既成の思考と行動の繰り替えしになりがちです。できることの繰り返しは安心です。生物として身を守るために安心を求め、安全を考えるのは本能で、その本能は自己弁護し、さらには不安な感情を作り出すことにより強固な防御壁を自らのうちに作り出します。同時に、若さが失われ固陋になり、時には環境変化に適応できなくなってしまいます。歳をとっても世界は広がるのに。

でも、この構造を知っていれば抜け出す方法を探し始めることができます。その方法は、出会いの中に隠れています。若い時、体験が少なかった時、新たな経験と出会いから学び、ドキドキし、楽しかった、誰もが持っている体験です。それは出会いのなかに、新たな世界を見出したからです。年齢などに関係なくできること。

一番多くを得られるのは、人との出会いからだと思います。私の場合はそうでした。多くの先輩によって影響を受けました。次には書籍による出会い。人との出会いは、向こうから、本との出会いは自分からでした。読書は多くの引き出しを私の中に作り、それらは、思考の枠組みとなったり、話題となったりして、次のひととの出会いの推進力ともなっています。

型を作り出し習慣化する

超介です

日米通算4000本安打を達成したイチローには、才能も勿論秀でたものがあるのでしょうが、それ以上注目されているのは生活全般にわたる、野球道ともいうべきスタイル(型)です。例えば、練習内容はもちろん、生活習慣、思考も更には、球場への入り方(試合何時間前に入るか、どちらの足から入るか等々)から、球場を立ち去るまでの動作を決めていると読んだことがあります。

型で一日をうめる、つまり一日の始まりから、やるべきことを、並べてこなしていき、習慣化すること。イチローの野球道もそうですが、武道、仏道、書道、華道の修業に型があるのは、それが最もその道の目的に叶うスタイルだからです。この基本的なことに(やっと)思い至りました。それから、1日の中にベストな型を創り、それを習慣化しようと努めています。

様々な範疇に型を作ることができます。皆さんはどのような型を取り入れていますか?そして、時には、習慣化して無意識になっている型に意識の光をあて、新たに型を作って再び埋め込む、そのような作業を毎日行います。

例えば、酷い皮膚疾患をはじめとする身体の変調を戻すべく、長年の飽食を見直します。食生活の型、中でも食事の内容を作り変えました。人に任せるではなく、また欲求のままでもなく、何を、どれだけ、いつ食べるか、管理します。でも、生活環境が変化した時それが崩れやすいこと、これに苦労します。出張、夜の会食が多い人などは苦労されていると思います。

至近の私の例ですが、この20日間、自宅で眠ったのは2泊。そうなると、工夫しないと、外食中心の食事になり目指していたものと変わってしまいます。身体も変調します。それで、普段使っているヘルスメーターを宿泊先にも持ち込み、毎朝の身体の記録をとります。体重、BMI、体脂肪率、皮下脂肪率、内臓脂肪レベル、基礎代謝、筋肉レベルを測定し(数分で測定可能、簡単です)ノートに記入し、体重と体脂肪率はアプリに入力します。それらを見つつ、前日の食事を反省し、今日の食事をコントロールします(しようとします)。

食事内容はコントロールしにくいので、結果としての身体変化に注意を払っておきます。そしてできることを工夫します。単品の外食を減らし、バランスの取れたものを選んだり、野菜や果物を宿泊先に仕入れて、サラダを作りタッパーにいれて持参する、調理道具はないので手でちぎります。飲み物は、野菜ジュース、豆乳、お茶、ミネラル中心にする。食べ過ぎた翌日は一食抜く、できることはたくさん思いつきます。

仕事の型、学びの型、人間関係つくりの型、多くの型を創り出します。これらは、人から学んだり、本で読む・ネットで検索する、実行結果を振り返る等を繰り返し、自分の能力やら適性、環境にあったものに整備します。

型を作ることは、自分の行動を捉えなおし、さらに自由に人生を作り変えていく原動力です。まさに、考えを変えると行動が変わり、行動が変わると習慣が変わる。習慣が変わると性格が変わる。性格が変わると、人生が変わる、ですから。変えられる(受身)、ではなく、変えていく人生を選ぶのです。

『出会う』について

超介です

花巻に向かう私の、東京駅から仙台までの新幹線の隣席はうすい山吹色の作務衣の女性でした。仏道の、特に瞑想を探究されている人でした。還暦すぎの彼女は、師の勧めでインドで6年間瞑想を学ばれたとのこと。達者な英語に加えてチベット語が読み書きできるようになって帰国、今は、仙台で修行をされてている由。瞑想とは何ですか?とお聞きすると、数秒の思考後、『世界の本質、事実』というようなことを話され、その後仏教のことやら、震災後の復旧のことなど教えていただきました。新幹線の仙台までの時間はあっという間にすぎ、握手をして別れました。それから一人、新花巻駅に着くまで無意識の世界と瞑想について考えました。

日常の生活にどっぷり浸かっていると、いつの間にか、周囲の状況に振り回され、新鮮な感覚を失い、受け身になる時があります。そこを脱するためには、日常から少し離れて世界を見ることやら、離れた世界に身をおくことも有効です。今回東北に行ったのもその直感からです。 目的がはっきりあって、分かっていることを確かめに行ったのではありません。どちらかといえば飛び込んで、探しに行ったのです。

でも、普段の生活の中にも様々な出会いがありそれが、新鮮な覚醒を与えてくれることもあります。私の職場は学習塾です。場管理等の間接業務がメインの仕事ですが、授業もします。教育は『文化の伝承』です。例えば、数学の2次方程式の公式を使えるようになることの意味は、『公式があって、それで処すれば早く正確に進める』ということを伝えていることにもなります。先人が開発、伝承してきた文化をつたえます。

そして文化は変わります。公式も、例えば、さらにITツールが進化すれば、それを使いこなす方が有効な項目になり、解の公式を覚えることは、ぐんと比重が落ちてくるかもしれません。その時代を生きていく時、共有すべきことを伝えるのが教育の本質なので、それは時代と地域によって内容が変化します。

このようなことを知り得たきっかけは、『文化の伝承ができにくい子』、つまり成績が悪い子との出会いからでした。具体的な内容から一歩引いて目指すものに立ち返ること、どう処すべきか、僕に考えさせるきっかけを与えてくれました。それで、僕は『対処が一般に難しいと言われている子ども』に接することがより自由に出来るようになりました。このように日常生活の中で、躓くことから、新たな視点、考えが得られます。困難なことに突き当たって新たな視点を得ることは多いですね。

出会いはいつも様々な刺激、時に飛躍感、ドキドキ感を与えてくれ、人生を彩ります。見逃さなければ(意識を働かせていれば)人生にはいろいろな出会いがあります。私の近年の最大の出会いは、コーチングとの出会いです。そして、出会いは次々と新たな出会いを生み出します。コーチングと出会い、さらに全国の多くのトレーナーの方との出会い、クライアントとの出会い(電話だけのかたも)、それから私自身との、それまで知らなかった自分(インナーチャイルド)との出会いが生まれました。人との出会いはいつも刺激的です。

最後にこれからの、出会いのお勧めをします。

2013年10月20日(日)、大阪で素敵な出会いのイベントがあります。『2013年コーチングフェステイバル』です。私は勿論 、参加します。ブログを読んでいただいている皆さん、ライブで、会場で出会いましょう。詳しくはHP見てくださいね。

釜石にて

超介です

釜石市に行くことを決めて、旅行社で相談してみると市内での宿泊は難しい、行って探せばあるかもしれないが、ということであったので内陸部の花巻市に宿を取り、翌日太平洋目指して、釜石線に乗ることにしました。

松山から成田までジェットスター、東京までリムジンで戻り、東北新幹線で新花巻についたのは8月11日の午後10時半頃、釜石線は終電後、タクシーで花巻駅周辺の宿に入りました。

翌日、7時前に起床、食事をすませJR花巻駅に徒歩で向かい、1日パスの乗車券を購入。時間があったので郷里の両親向けのお土産を買って宅配を依頼しました。花巻市は宮沢賢治の地であり、駅前広場には頂上に風車を載せた高さ10メートル前後の銀色の塔が十数本あったり、釜石線が銀河鉄道になぞらえられていたり、賢治関連の施設展示が数カ所あるようです。

快速電車で釜石に着いたのは午前中11時過ぎ、駅前から海に向かって歩いて行きました。駅前には新日鉄の工場があって、普通の地方都市の風景ですが、1キロ程も歩けば空き地があちこちに現れてきます。瓦礫はきれいに片付けられていますが、建物の跡地が点在しているのです。そして1階が破壊されたまま残っていたり、1階はもとより2階も板が打ち付けられたままのビル、更には数十センチも曲げられた鉄骨がむき出し、壁も破壊された空きビルやらが現れてきます。

海岸近くではガソリンスタンドも営業中であり、護岸内では漁具を片付ける人たちもいて日常の生活は感じられます。でも多くはなく、とくに行き交う人は本当に少ないのです。真夏の昼近くであったこともあるでしょうが。何かの庁舎の壁面に津波時の波の高さの掲示があって、それは2階の天井の高さでした。

その高さを見ていると、海の広さ、甚大な容積に比してこの陸地の儚さが感じられてきました。深い深い海の底の、地球の大きさに比すれば、ほんのちょっとした振動があって、それが起因して起こった津波の高さが、そこでした。もし巨人であるのならその視線の高さから、海の縁のほんのちょっとした高さの位置に広がるこの陸地のあやうさが感じられるかもしれません。今の私の背丈からは、がっしりとしたこの街を守っている堤防やら人々が住む(住んでいた)建物の頑丈さがかんじられるのに。壊滅的な打撃を受けたこの街の2年半後の姿を見て得られたものは、やはりまだ言葉にはなりません。合掌。

帰りは、銀河鉄道になぞらえられた釜石線を2両編成の普通列車で花巻目指して、戻りました。途中炎天の為か、後ろの車両が故障、(ワンマンカーであったので)車掌さんが一人で30分ほど奮闘されるも、修復せず前方車両に牽引されて移動。でも誰も文句言わず、また、冷房も効かず照明もつかないので『前方車両に移動を』と呼びかける車内放送にも応じる人は数人だけでした。

途中1時間余裕があったので、遠野の駅名を見て思わず下車しました。民俗学の柳田国男の遠野物語の地です。駅前のカッパ、信号のてっぺんの和服姿の少女の像やら、焦げ茶色の木で作られた建てものが立ち並ぶ街並みは釜石の街並みとは対照的です。でも、遠野に伝承されている物語の原点には大きな悲しみやら事件があったのかもしれません。時が過ぎ人の口を経由されるうちに事件が物語化し、残っているのかも。そのように悲しみも時の流れにより鎮魂化されるのでしょうか。

絆、波来(はらい)の地の石碑

超介です

『 絆』とてっぺんに刻まれた高さ7,80cm程の真新しい石碑がありました。
前面に『波来の地』と刻まれ、側面には4行に亘り次の文言が刻まれています。

『大津波がたどり着いた果て、波来(はらい)の地、
犠牲者への鎮魂と慰霊の思いを込め、
災いをはらい、復興支援者への敬意をはらい
永久に注意をはらい続けることを願ってここに刻む』

仙台から石巻市迄のJR仙石線は、途中の日本三景松島駅からは復興中のため連絡バス、矢本駅で再度、列車に乗り路線の終点、石巻市につながります。沿線風景の中に小さな川の金属製の手すりがぐにゃぐにゃで曲がったままのものであったり、元一帯が水田らしき地帯が小川やら、道路を1本隔て、草地であったり、海際の山間が造成中であったり、震災の跡が随所に見受けられます。

冒頭の石碑に出会ったのは、石巻市。旧北上川河口の、震災前は家々でびっしり埋まった市街地の、大津波がきて街の一切を破壊し尽くして去って2年半の今、石碑は、まだ、今は未だ草原のまま、全く、くさはらの地の南浜町、門脇町のその、夏草茂る住宅跡地横の路端にあります。車輌が離合するのは難しい程度の道にあえて建てられたのは、まだ真新しい石碑なので、この先の復興の見通しのなさ(海に臨界する土地でかつ、地盤沈下もひどいようです)から、ひょっとしたら、それならば 通行の邪魔にはならぬ、と思われてあえて道端に建立されたのかもしれませぬ。

駅から、商店街を何通りか徒歩で過ぎ、日和山の頂上まで炎天下、迷いながら1時間ほどかけてたどり着きました。木々の間から眼下に広がるのは青々とした草地と点在する人気のない幾つかの建物。駅前の観光案内の人に教えてもらった急な石段ーこの石段を2011年3月11日にたくさんの人々がかけあがり、頂上の公園から街が濁流に呑まれていくのを見ていました。公園は避難民でびっしりとうまったそうです。その時の人たちの気持ちをじっと想像し・・・・・・ーこの石段はかなりの急な石段で体力のないお年寄りや子供達は息をつきながら登ったことであろうと、そう思い、蝉時雨の中、降りて行きました。

降りていく途中は急傾斜と周囲の木々のため真夏の晴れた午前11時過ぎであるのに薄暗いのです。階段をおり切った下、すぐ左手は墓地。倒れたままの墓石、新しい墓石、お盆前でもあり、被災地の親族に違いない2,3の家族連れがきています。その墓地の周囲も、向こうも草だらけで、その中を草原に似つかわしくない広さの道が通ってますが、それらは草の背丈により、数十m先はみえません。その墓地を通り過ぎて数分歩いた時、『絆、波来の地』なる石碑に出会ったのです。

震災後、現地も、私も少し落ち着いたら東北にいくことを考えていて、ようやく、約2年半後の今月、8月11日から14日にかけ、内陸の花巻、仙台を拠点にし、主に釜石市、石巻市に行くことが叶いました。 幸い私は、天災の少ない穏やかな瀬戸内の四国松山で40年間暮らせました。被災の地に行き、その地で見て感じつつ考えてみたかったのです。たくさんのものと出会いました。それらはいつか、はっきりした意味を持つ言葉になってくるのです。そのための東北行きでした。

意味を作る

超介です

子供が生まれて成長して、親と対立する時を子としても親としても経験しました。また自分以外の人のそれとも、たくさん遭遇してきました。親子に限らず対立の場面は沢山あってそれを通り抜けて人生が進みます。

厳しい対立ほど理由があるのでそのまま向き合っても解決せず、その意味を”作る”ことが必要、有効なのではないでしょうか。何故こんなに、この子に腹が立つのだろうか、或いはなぜこの人とうまくいかないのだろうか、とちょっと離れて考える。そうして、その事が私達に何を伝えようとしてるのだろうかと。対立の場面で、行動する時、それを考えます。ぞの上で向き合ったり、ときにはスルーします。

意味は見つかることもあるかもしれませんが、困難な時ほど創造することが意義があります。対立の原因探しよりも、意味作りの方が楽しいしやりがいがあります。

有効なことは、直接現場に向かうことだと、何度も思い知らされました。その場に居合わせることからたくさんの情報が得られるからです。マイナスの感情を感じつつも、ちゃんとそこに向かえば、分かることがたくさんあることをいつも経験します。

自分軸を磨く(情報の断捨離)

 超介です

 1日の間に机上に担当書類が社内から数通たまり、郵送物2,3日に1,2通、メールがプライベートを除いて20通程(削除が多く、開くのは1/3以下ですが)、電話5〜6件程度、来客は数日に1,2件等々の情報に囲まれています。(もっとたくさんの情報に囲まれている時もありましたが、今は少し減って)この程度の量の情報。でも、ほうっておくとたまっていって、方々から問い合わせが入るので、なるべくためずに処理して1日を終わるようにします。

 仕事をほっておくと、いつの間にかやらない言い訳を探し、つまり、被害者意識が高まってしまい、結局生産性がおちるので、仕事をためない、これを心がけます。自分軸で情報を裁いていく、という感じ。話題になっている(なった)断捨離と同じです。目的を考えて(自分で決めて)手元にある情報を眺めなおし、一歩進めて放つ(結論を出して自分の手から離す)、のです。手元には自分が対応すべき項目を作らない、いつも脳のメモリーを空っぽ(それが理想)にしておきたいのです。メモリーは考えるときのみにフル回転で使えるようにしておきたい。(たまっているとフル回転しないので)

 そして、そのためにも処理能力を高めるため『7つの習慣』にいう『7番目の習慣:刃を磨く』を心がけます。修行の時間を毎日きちんと持つこと。修行で磨く技は実生活を支えてくれます。英語の勉強をしても英会話を実生活で使うわけではないのですが、でも、たとえばそれは言葉を伝えるセンスに好影響を及ぼします(そういう気がするのです)。たとえば、リスニングのトレーニング(英文を見ないで、ネイテイブのCDをシャドウイング(聞いた直後に発音をする))をしていると、集中して英語をそのまま聴く(翻訳しない)ので、コーチングでいう『一緒に居る』と同様の感覚を体験できる, ように思います。言葉をそのままに受け入れる練習です。

 だから英語を学ぶ目標を 英語の原書がスラスラ読めること、とします。

 新しい自分軸ができるように思えるのです。

 (錯覚かも・・・)

・・・・己を知らば・・・

超介です

『仕事は記録だ』とある人が教えてくれました。彼は手書きでB4の集計用紙の企画書、計画書、戦略書、Visionを次々に提示し、仕事の何たるかを具体的に教えてくれました。数十年間の仕事が全部俯瞰できるほどの書面を残してこの世を去りました。

その影響を受けて、私も『書く』ことを覚え、そのために、読み、書きしてきました。このブログでも一度書きましたが、自分がどんな人間か(What am I like ?)を知るひとつの方法に『strength finder』というテスト(ギャロップ社)があります。ある書籍を購入するとそれにパスワードがついていて、それを使ってネット上でテストをよびだして受験します。

先日再度それを受けてみました。以前は私の強みとして『収集心、内省、着想、学習欲、共感性』がありましたが、今回は少し変化して『内省、収集心、着想、戦略性、学習欲』となっていました。このうちのひとつの変化である、共感性の代わりに戦略性が強くなったのは、『選択する、決める』ことが増えてきたことで実感できます。私を取り巻く環境も以前より変化が激しくなり、そのように適応を始めているのだと思います。

記録をすることは『われを知る』ことに関わってきます。毎日の体重と体脂肪率を測定してグラフ化するだけでも、そのグラフ変化を見ながら食生活の調整ができます。家計簿をつければ、無駄な買い物をしていないか、適切な自己投資をしているかどうか、反省材料になります。それから読書記録や語学学習等の記録をつけると、学習効果と学習量、質の関係を感じとることができて、次の方針を決める材料となったり、自信が深まりモチベーションに良い影響を与えます。

孫子にいう『敵を知り己を知れば・・・・』の仮定の前半はともかく、後半はいくらでも可能。であるのでせっせと記録をするのです。

英語学習から

 超介です。

 先日英検2級の合格証書が届きました。

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 ほとんど高校生ばかり、中には小学生もいましたが、に混じって英検2級を受験しました。昨年から急遽中学生に英語を教えることになり、始めた英語学習でした。4月末に英検受験を思いつき、申し込んでから過去問をみてみると、できない分野(リスニング、スピーキング、単語・熟語力)がくっきり明らか。それから集中して取り組んで間に合わせました。

 当面の英語力の到達目標はベストセラー書を原書で理解、定着です。なのでゴールはるかに、はるかに先です。あらためて自身の英語力を今、見直すとリスニングが弱いので、そこを鍛えるトレーニングをやろうと。書店でもネット上でも学習素材はたくさんあるので準備にはまったく困りません。

 何がしかの知識・技術が身につくと感覚が変わってきます。そのことをできる人に聞いてみて確かめます。たとえば私の弱いリスニングについては『できるようになった感覚を自覚できる』かどうか、きくのです。そのことが確信できればゴールが見えたので、そこに至るまで、継続します。

 長い、長い、効果が実感できないプラトーな時期があるかもしれませんが、それを超えていくと必ず 分かるとき・できるとき・あるいはできないとわかるとき がきます(信じています)。

 小学校の頃、放課後走り幅跳びの練習をしていました。担任の先生にアドバイスをしてもらい、何度も繰り返して跳躍していると突然30cmほども記録が伸びたときがありました。自転車に乗れるようになったとき、泳げるようになったとき、等々誰もが経験していますが、変化は突然現れます。

 それらの変化を促す工夫をしつつ継続していけば突然変われることが期待できます。このように、あくことなく心を込めて毎日を生きれば見えてくる世界がある、次元が上がってくる。生きる目標。