超介です。
その作業終了直後にはわからず、数時間経ってから疲れていることに気がついたことがあります。最近はもっぱら両親に教えてもらいながら、自宅の農作業をやっています。トラクターを使って田んぼやら、畑を耕した時のことです。機械に乗り運転して作業するのです。乗って作業するから楽で良い、と思っていましたが、途中で気分が悪くなったように感じました。丁度乗り物酔いの感じなのです。草刈り機を使って作業する時も同じように感じました。
これはつまり疲労でした。運動をして疲れるのは、自分で体を動かしたことからくる疲労です。でもよく考えれば、自分で身体を動かすのも、外部から動かされるのも身体が動くという意味では同じなので、疲れて当然、と納得しました。機械と身体が同調して動くようになれば疲れない、と父が言います。きっとそうですね。機械を使いこなす、とはそのことも条件にはいるのでしょう。
心の疲れを実感したことがあります。それは労務管理をしていて人の話を聞くことが多かった時、時には愚痴を聞いたりするのですが、これが続くとぐーと心が重くなる感じでした。たぶん、心が外部から激しく動かされていたからだと思います。今は、聴き方、質問の仕方をコーチングの理論で学んだり体験したので、たぶん、「話を聴く」ことは苦痛にはなりません。自分の課題と、相手の課題を分離することの重要性、有効性も最近本(嫌われる勇気、岸見一郎 古賀史健)を読んで学びました。
このアドラーの教え、「課題の分離」から「共同体の感覚」までまだ十分に理解できたとは言えませんが、これまでもやもやしていたことをスッキリとさせてくれて、的確な視点を与えてくれそうです。もう少し学んでいこうとおもいます。