疲れる理由 から

超介です。

その作業終了直後にはわからず、数時間経ってから疲れていることに気がついたことがあります。最近はもっぱら両親に教えてもらいながら、自宅の農作業をやっています。トラクターを使って田んぼやら、畑を耕した時のことです。機械に乗り運転して作業するのです。乗って作業するから楽で良い、と思っていましたが、途中で気分が悪くなったように感じました。丁度乗り物酔いの感じなのです。草刈り機を使って作業する時も同じように感じました。

これはつまり疲労でした。運動をして疲れるのは、自分で体を動かしたことからくる疲労です。でもよく考えれば、自分で身体を動かすのも、外部から動かされるのも身体が動くという意味では同じなので、疲れて当然、と納得しました。機械と身体が同調して動くようになれば疲れない、と父が言います。きっとそうですね。機械を使いこなす、とはそのことも条件にはいるのでしょう。

心の疲れを実感したことがあります。それは労務管理をしていて人の話を聞くことが多かった時、時には愚痴を聞いたりするのですが、これが続くとぐーと心が重くなる感じでした。たぶん、心が外部から激しく動かされていたからだと思います。今は、聴き方、質問の仕方をコーチングの理論で学んだり体験したので、たぶん、「話を聴く」ことは苦痛にはなりません。自分の課題と、相手の課題を分離することの重要性、有効性も最近本(嫌われる勇気、岸見一郎 古賀史健)を読んで学びました。

このアドラーの教え、「課題の分離」から「共同体の感覚」までまだ十分に理解できたとは言えませんが、これまでもやもやしていたことをスッキリとさせてくれて、的確な視点を与えてくれそうです。もう少し学んでいこうとおもいます。

丹波でスタート

兵 庫県丹波市に引っ越しする為、愛媛県松山市の自宅の売買、清算、引越しと兵庫県丹波市の実家の準備と引越し後の整理に明け暮れた1ヶ月半でした。ようやく全部片付き、数日まえに転入手続き、幾つかの住所変更、失業保険給付申請等も終わり、自室と小さいながらも書庫を作って大方整理できました。
この間、日課にしていた決め事は実行しませんでした。そろそろ再開しようと思います。自室の机上も片付け、道具も並べて開始準備終了です。明日から再開です。
丹波市の高速のインターから8kmばかり離れた私の新たな住居は、竹田川の上流、幅1kmにみたない平野(というほど広くはない、平たく田んぼが広がっている地域)の山里です。
朝は、鳥の声で目覚め、今の季節は雨が降っていれば昼頃からは、そうでなければ夕方からはカエルの合唱でうるさいほど。住居から200m山路を登れば丹波山地の山に入ります。南向きの窓を開ければ新緑の樹木の間に数戸の家屋が見えます。この自治区は戸数わずか34戸です。自然に溢れた処です。その自然がどんどん様変わりしていきます。コブシ花が咲き乱れた山の後に山桜が映え、今は常緑の杉、檜やら新緑の木々が混じって山を彩っています。
自宅から一番近いお店は2kmほどは慣れていて、そこまで行かないと飲料の自販機もちょっとした食料も手に入りません。コンビニは8kmほど離れたJRの駅のある地区にあります。でも、20kmほどの処の市の中心まで行けばスーパー、家電店等の大型店舗、Mac、回転寿し店等々があり、生活するには十分です。情報はインターネットから、欲しいものもネットで発注すれば数日内で届きます。
色々なお店やら施設もできていて、探索も楽しみです。実家の農作業も少しずつ始めています。
随分と山の中ですが、ここでしか出来ないことがたくさんありそうです。

卒業できないのです!

超介です。

最近良く夢をみます。大学を卒業出来ない夢です。卒業できていなくてあせりを感じています。授業が理解出来ない、出席していない、等で単位が取れないので卒業できていないのです。何年も留年してどんどん自分だけが遅れているのです。

このことと、様々な本を読む、英語の勉強をする、実家の農業をきちんと出来るようにする、という気持ちとは何処かで繋がっています。

 何かができていない喪失感があって、それが時々無意識裡から夢になって顔をだし、それに突き動かされて学ぼうとするんでしょうか? それでは、喪失感のようなものは何なのでしょう?

なりたい自分になろうとするようにやって来れなかったからかもしれません。先日、10歳上の先輩と2年ぶりに出会い2時間ほど話しました。生まれた時代が10年違い、育った環境も私とは全く違う人ですが、そんな人からから、私がどう見えるのか、貴重な意見をいつもいただきます。

 今回彼との対話から、生年である1955年及びそれ以降の日本の時代環境と、生まれてから身につけた考え方の両方が原因で、自分のやりたいことを探さずとも生きてこれたことと、喪失感とが結びついているように感じました。

それは、僕だけではなく異なる形で多くの人にもある気がします。多くの人は忘れているだけ、あるいは気がついていても無視しているだけかもしれません。当たり前になっていて、今更という感じ、僕が遅れて感じているだけかもしれません。

 今ここで、時代のせいにしたり、生まれつきのせい、育った環境に理由を探すのは、それから自由に考えていきたいからです。自分の生き方がゆがんでいるのではないか、それを探る為です。僕は平凡な人間です。ありもしない天才的な才能を持っている人間ではなく、それでも自分をよく知りたいとおもっています。

書くことについて

超介です。

この投稿で300回目となりました。これまで読んでいただいた皆様、ありがとうございます。生活していて、ふと頭に浮かんだことを覚えておいたり、短い文にしておき、気の向いたときに文章にして、何回か校正して投稿させていただいてます。

文章を書くことについて抵抗を感じなくなったのは、会社での経験からです。創業当初、教材を作ったり、テストを開発したりして、物事を計画的に進めることを覚えました。そのようなことを10年ほどやりました。その後、引越しして、本部から離れた勤務地にて、担当のエリアの計画書を書き始めたのです。最初は経営者の計画書の目次を写しました。分析的な思考の型を理解し、それを真似て、自部門の計画書を幾つも作りました。20年ほど前のことです。また、運営メッセージを自部署内でFAX配信していました。枠を作って、その中にワープロで書いた文章を貼り付けていましたが、これは1週間で複数回、多いときは土、日は除いてほぼ毎日発信していました。そのような時期が数年間あって、その頃から主に安岡正篤、大前健一等の本を繰り返して読むようになりました。

その後、塾の運営現場をサポートする部署に移り、今度は文を書く機会は減りましたが他の分野(不動産、人事等)の知識を身につける必要があり、宅建やら衛生管理者の資格をとって業務に生かすようにしました。そうすると、社内外の色々な人と出会ったり、トラブルも含んで様々な出来事に遭遇することができました。このことは、文章を書く上でも好影響を与えてくれています。引き出しがたくさんできたのです。あるテーマの文章を作るとき、それに関する引き出しを開けてそこから関連情報を取り出すことができる、そんな感じです。

文章を書き出してみて、自分が何を考えているかが分かります。それまでは、引き出しの中にあるので、中身は見えません。書き出してみると、引き出しがあいて、陽があたって見える。それは人が話すことによって自己理解が進むのと同じ構造です。そして書いていくと、同時に情報整理が進んでいきます。そのような過程を経ていき、書くことが苦にならなくなり面白くなってきたのです。

コーチングと出会ったのは7,8年前、そしてこのブログが始まったのは、2008年10月からです。途中中断していたこともありましたが、およそ5年間書かせていただきました。楽しかったです。ちょうど35年勤めた学習塾を退職、愛すべき愛媛松山から故郷兵庫丹波に移る時期と300回目が重なりました。3日後の4月21日に松山を離れ、丹波に移住します。様々な想いが去来します。

このブログの私の文章はわかりにくいかもしれません。でも、これからも精進して、伝わるような内容になるように努めます。英語とICTを通じてさらに引き出しを増やすこと、これをしつつ、日本語の練習に励みます。もちろん読書と実体験も。

みなさん、どうぞこれからもよろしくお願いします。
ありがとうございました。

ぼーとする

超介です。

ぼーとしていた方が良い結果が得られる時があります。

意識を集中させすぎると上手くいかないことが幾つかあります。例えば車の運転、いつもぼーとせよ、というわけではありません。注意を周囲に払いつつですが、リラックスして運転することは大切で、とくに初めて訪れる地域、そこは目新しいので、周りの事物に気を取られて目的地を逃してしまうことがあります。目的地のことを頭において、周りを、全体を見つつ運転する、と目当ての光景が飛び込んでくる、もちろんそこからは集中。でも、考えすぎていると、行き過ぎてしまうことがありませんか。もちろん運転に慣れていないうちはダメです。

よくよく訓練されて身についている事柄は無意識裡に入っていて、自動化されているのでほっておきます。その次の課題を意識裡において取り組みます。私は、センスの良い人をみてると、その動作が自然体、それを感じます。そして、練習不十分で肩に力が入っている私。

覚えたことを即、そのまま応用して練習する時期があります。その時は意識して練習すれば良いのですが、次の段階はそれが自然と使えるようになること。この時は、ぼーとしていた方が良いように思えるのです。

練習はしていないのですが、そして、決していま何もしていないわけではないのですが、35年間勤務していた会社を退職して、自宅でせっせと引越しの荷造りをする毎日で感じたことは季節の移り変わりを感じるようになっていること。毎日のルーチンのウオーキングをこなすとき、温度変化がよくわかるようになりました。歩きながら、1日の、会社でのこなすべき仕事を考えたりすること少なくなり、プレッシャーから解放される度合いが減ったように思います。そして、プレッシャーのかかる状態(それがあると感じてしまう時)だと、意識がそこに向かってしまいがちで実力が発揮できません。ですが、今はそこに気を取られていないので、五感が以前より自然に働いているように感じるのです。

意識の集中と拡散、それと合わせて自分の身体的な能力の伸長、発揮をしていくことは大切で、達人への道はその使い方の習得ではないでしょうか。それが達人が多方面に通用する能力を持ちうる所以だろうと、そう思います。必要に応じて意識の集中と拡散のコントロールが出来る人になりたいと思います。

継続力、モチベーション

超介です。

継続が難しいとき、その原因はいろいろあります。最近気がついたことは、「いつやるか→いまでしょう→でもやれない(やりたくない)」つまり身体がついていかない時の原因、或いはどうすればついていくか、についてです。

英検準1級合格目指して単語を覚えようと、単語集を手に入れましたが、ほとんど分からない単語ばかり。はじめ、2級とのレベル差に呆然としました。でも、該当レベルの英書を分からないなりに読んだりしていると、分からないことに慣れてきて、いつの間にか違和感を感じなくなりました。

なんとか、時間をかけて接しているうちに出来るようになる、を実感しました。それで次に、英語の単語を5日間で50個覚えることを始めました。これで300個ほど、つまり1ヶ月半ほどは続きました。いけるか、とおもったのですが、その後息切れしました。嫌になったのです。

で、どこで息切れするかを考えると、最初の1日目、一気に50個覚えようとし、見て、発音して、意味を頭に入れて(このために単語、和訳、使用例をノートに書きます)いくのが億劫で、エネルギーがきれるのです。ここさえ乗り切れれば後の4日はグーと楽なのでいけるのです。そこで、最初の作業を3日に分けることにしました。簡単なことですが、そのことに気がついて再開するのに1ヶ月ほどもかかりました。この間に、何人かに相談して幾つかの方法を試行錯誤しました。でも、どれもピンとこなかったのです。その暗記作業を逃げる理由をさがしていたことに気づきました。いまは、作業を再開し、現在400個目から450個目の単語を暗記しています。次に詰まったときは、もっと早くリカバーできそうな感覚があります。

これは仕事のEPDCT(estimate →plan →do →check →taste)と一緒です。特に継続するために重要なのはcheck(到達度を調べる)とtaste(結果を味わう、反芻する)の重みです。とくにtasteこれは次につながる行動エネルギーを汲み出す方法の一つです。見えにくい過程ですが、ここに重点をおいてきちんとやることです。

スケジュールだけでは動かない(動けない)のはモチベーションがセット出来ないことが理由になることが多いとおもいます。これまで仕事でも、勉強でもこれが理由で、死屍累々。いままでは、「やる気が出ない」の一言で片付けて、諦めがちでした。でも、もう一歩踏み出せば、つぎの課題が見えてきて、モチベーションが上がるのです。プランを立てるときにいつ、何をやるか、どうやるか等々の後ろに潜んでいる、見えないもの(モチベーション)が計れているか、です。モチベーションのセット方法は他にもありますが、それはまたの機会に。

小中学生、高校生に接していたときにはわかっていたんですが、我が事になると…………。(反省)

見えない、気がつかない、酔ったうさぎ

不明航空機の事故のニュースを見聞きしながら思い出した本があります。昨年の夏頃読んだ「パイロットの妻」です。この本はパイロットの夫の飛行機が墜落します。そして、妻の追跡により、その原因が徐々に明らかになってきます。分からなかった夫の心、夫は、実は別の人物として国外で妻子を持って生活していたことが明らかになってきます。妻には全く信じられないことが起こっていて、実は事故の原因にも繋がっていた、というストーリー。

「こと」に関連したことが身の回りにないと気がつかず、まさかそんなこと、起こらないだろう、そのことについて考えすらしない、そういうときがあります。そんな経験が僕にも幾つかあって、怖い思いをしたことがあります。そのひとつ、この松山は温暖で大きな災害もない地域だと思っていました。でも、つい2週間ほどまえ、3月14日の午前2時頃、震度5の地震には驚かされました。南海トラフの地震ではなかったようですが、こんな「地震などおこらないだろうと思いこんでいたこと」に気づかされました。2001年の芸予地震を経験をしていたにもかかわらず。

見えていないことは、見ていないからであること、読書にもそれが表れます。久しぶりに「三四郎」を読み返しました。5年ほど前にも読んだことがありますが、今回は前回と比べてとても面白く読め(たと思い)ました。今から100年以上も前に書かれた小説であるのに、明治時代の人たちの生き方、感じ方がとても新鮮だったのです。5年前、それ以前にも何回か読んで、筋がだいたいわかっていたし、この小説について書かれた文章も幾つか読んだからでもあるのでしょうが、いままで、そのような面白さに出会っていなかったのです。同じ文章なのに。

最近、電子ブックを手に入れ、寺田寅彦の随筆を一つ読みました。「数学と語学」というエッセイです。その中に言葉の限界性というようなことが述べてあり、言語について「うさぎの足跡」という形容があります。書く側から言葉を捉えていくとき、言葉を重ねていくと、意味が飛び跳ねて何処かへ行ってしまう、当初とは思わぬ処へ流れてしまう、というような意味です。言語化出来ないこともあるし、出来得ることも不適切にしていることもあるし、まさに僕など、「酔ったうさぎ」です。せめて、「醒めたうさぎ」になろうと思います。

不落因果、不昧因果

超介です。

小豆を煮て、砂糖で周りを直方体に固めた、出雲の和菓子「薄小倉」をいただきながら、「自分をゆるす」について考えていて、かなり前に読んだ本(「安岡正篤」のなにかの講話集だったと思います)で知った松平不昧と号したお殿様を思い出しました。

不落因果(因果に落ちない)、不昧因果(因果に眩まされない)というのは、大雑把にいうと、禅宗の言葉で何事にも迷わされずに生きる姿勢をいうようです。でもこれは言うが易しで、よくよく注意して、振り返っていかないとできません。その感覚を言語化するのはちょっと難しい。

因果とは、この世の出来事は原因と結果で繋がっていて、現れた結果が次なる事象の原因になって、というふうに連鎖していることをいいます。原因から結果が派生する、その途中経過を業といいます。悪い因でも業次第で良い果を得ることが出来ます。逆もあります。これが因果律、この世の中はこの因果の糸が複雑に絡まっていてできているとする見方です。

でも、因果律に囚われると、そこからは運命論的に生きてしまい、運命の糸に囚われているかの如くの考えになります。さらに、そこからは抜け出しにくくなる。つまり、もう自分の運命は決まっている、かの如くの見方で、自分、世の中の未来を見てしまう傾向になる。「どうせ俺は、どうせこの世は………」みたいになるわけです。

禅宗の百丈和尚という人の教えは、因果に落ない(不落因果)のではなく、因果からは抜け出せない、しかし因果に眩まされるな(不昧因果)と、です。それを肝に命じて、出雲松江藩の第七代藩主松平治郷は自らを不昧と名付けたとのこと。

不昧因果は、コーチングで、ありのままの自分を見つめるー自分をゆるすーということと繋がっていると思います。自分を許せたとき、そのときは、それまでの囚われに気がついたとき。そして、自由に次の一歩を踏み出すエネルギーを得るのです。

ややもすると、不落因果にこだわる傾向から、僕は、状況の中で生きていくときに、それを誰かの所為にしたりしないで、そのままそれを受け入れ(これがちょっと難しいのですが)て、自分がどう行動すれば良いかということを常に考えて進んでいこうと思います。自分の心の内面のありよう次第で変わり、変われる、それが僕の不昧因果。

これから、「象」を飼う

超介です。

40年間住んでいた四国愛媛を離れて故郷兵庫県丹波市に引っ越すことにしました。創業以来35年間(前身の会社で1年間アルバイトしていましたから正確には36年間ですが)勤務していた会社を3月20日に退職し、自宅を売って清算して、5月から再度郷里で人生を再スタート。生地は過疎地で、超高齢化地域、仕事の種類も少なく、その上私は若くありません。どんな人生をこれから生きようか、可能か、と考えています。18年丹波で生活して、その後学生生活を5年間、途中3.5年間ほど宇和島での生活を挟んで40年間愛媛で生活、主に松山で、そしてこれから再び丹波。

5年間の学生生活と35年間の会社人としての生活にはたくさんのドラマがありました。

いつかはこんな日が来ると思っていましたが、今は、これまでの体験が大変貴重であったと思えます。その時々は辛いこともありましたが、それらは起こるべくしておこり、僕にその時々、メッセージを伝えてくれました。これまでの出会えた多くの人々に心から感謝をしています。

35年間在籍していた職場、その体験からは、最近改めて気がついたことです。仕事で「一番課題となっていたこと」は自分の内側にいる「象」をどうコントロールできるか、であること。これにつきます。そしてこれに気がついた時、次の課題が見えたのです。それは、もちろん「象」をコントロールする実技を身につけることです。この方法は多くのひとが教えてくれています。

「象」とは感情、意欲など意識理ではコントロールしにくい存在。確かにあるのに、扱いにくいもの、見えないけど、理屈で無く自分を支配するもの、いくら頭でわかっていても身体がついていけないときのその理由となっているもの。皆さん伝わったでしょうk?「象」が皆さんのなにであるのかが?

これが今の僕の課題。どう扱うか、それが僕のこれまでの人生の今の時点での大きめの括り、でありかつこれからの課題でもあるのです。これまで、この扱いにくい存在とうまくつき会えたこともあり、そして手こずらされてきたこともあること、それが、僕のおおきな財産です。それをコントロールできればさらに大きな体験ができそうに思えるからです。

それをつかって、あるいはさらに開発してどう生きて行くか、です。

これからもこのコーチング日記は続けます。書くことが、解決の一つの方法でもあるのです。それが田舎での歳時記であったとしても、僕が仕事を続けて行くときの貴重な「象」の餌になると。書くことで、自分をより理解し位置づけることが可能ですから。

皆さんこれからも読んでくださいね。

是迄体験したこと、これからのこと

超介です。

人生、いろいろあって当然。やっと、そう思えるようになりました。人の生き方は、人それぞれ。ひとまわりに近い年齢になり、こうありたい、ということの意味を少し深く理解できるようになりました。

職業やら、あるいは業績を求めて生きることは分かり易いし具体的で良いとおもいます。でもそれにこだわっていきつつ、さらにそこへ到達して行く過程、さらにそれにこだわろうとする理由を揺るがせずに生きる、そちらもとても大切であること。教育コーチングで学んだDoing-Being-Havingの生き方の意味するところ、それを従前より実感しています。

僕の生き方のスタイルでは、学びをレールに据えていこうと思うのです。これ迄の人生を振り返ると、目標を据えてそれを目指していくよりも、出会いに合わせて選択してきたように思います。向こうからやってくる様々な機会、それを学びのチャンスと捉える、それの方がしっくりくるのです。様々な機会の中には苦しいこともあります。たとえば持病である皮膚のあれも、健康について学ぶ機会になりました。まだ良い状態とは言えませんが、さらに工夫すべきチャンスだと。

仕事では35年間、沢山の事を学びました。スキル面も多くの体験ができましたが、今痛切に感じているのは
「出来ない」と思っているのは「自分」である
ということです。今までたくさんの仕事に向かいましたが、何とか過ごしてきました。その体験からの最大の学びです。「出来る」と思うことから始めれば、以外と困難に感じたことでも乗り越えられるということです。最初はびびっても、逃げずに立ち向かえば、なんとかなるということです。これが最大の学びです。特に自分の身の回りに起こることは全部そうでした。

で、私のこれからは一歩進めて自ら目標を立てて進む生き方です。出会いに合わせて選択する生き方から、こちらから出会いを求める生き方への転換です。そちらへ徐々にシフト出来るようにするのです。