心のエネルギーを高める

超介です。

私の主宰する塾の塾生はまだ若干名。それで授業日は1週に2日程度です。日々だらだらと過ごすこともできます。今は開講直後なので余裕がありますが、いつまでも『塾生は若干名、日々だらだら』はやっていけないので困ります。『塾生も増えてくれて、日々仕事きっちり』で充実感を得ようと、努力します。

組織で仕事をしているときに『計画書』やら『業務リスト』を作っていました。最初は手書きで、15年ほど前からはワープロ、そしてPCで行っていました。あいまいな自分の頭の中にある計画やら、業務を書き出して、それをしょっちゅう見ていると集中力が高まります。そしてそれは行動への意欲のもとになります。これを教えていただいたのは元上司です。『山内君、仕事は紙と鉛筆でするんだよ。』と。彼は膨大な計画書、戦略書、メッセージを常に書き続け、毎日の仕事の記録もとり続け、そしてそれらを公開していました。

心のなか、頭の中を書き出して、それを眺めていると、徐々に心がエネルギーをそこら中からかき集めてくれます。それは行動するためのエネルギー蓄積となります。書いて眺めるだけ、すごいことです。

最近、紙に書かずにクラウドをつかって、PC、タブレット、スマートフォンで仕事のリストをつくって確認することを試みています。どこでも開けて、字もきれい、そしてどこでもすぐ、気軽にできます。

日々の仕事で何をしているか、あいまいになって迷った時には書いてみてください。ある種のセルフコーチングです。仕事が深まったり、進んだりして充実感が得られますよ。習慣にするとさらに楽しくなります。

心の内側を見つめる

超介です。

コーチングをしていて、クライアントの心や意識がさまよっているように感じられる時があります。コーチがクライアントにコーチングを受けてもらう場つくり、関係つくりができない場合はそうなりがちです。

うまくいきそうだと感じられるのは、クライアントから信頼され、クライアントが安心して自分の心の内側を見つめ始めた時です。小さなお子さんでもしっかりと自分の感じることを言葉やら身体で表現される場合もありますが、大人の方でも表層的な言葉に終始されて深まらないことがあります。

コーチングがうまくいかないと思える時に 『(クライアントから私は)信頼されてないのだろうなあ』と、いう考えが私の中に浮かんでしまい、そのことを伝える場合も、伝えない場合もあります。伝えるときはコーチ(私)がコーチングそのものと、クライアントを信頼しているとき。この時、コーチングは次の段階をふむことができます。

伝えないときは(私が)どちらか(コーチングそのものの力またはクライアント)を信頼していないときのようです。ここからは発展的な段階を踏むことが期待できにくくなります。

その都度、何が私の心の内側にあるのか見つめます。

根拠のない自信

超介です。

大学を卒業する前に考えたことの一つに、『どのような仕事についても、自分はそれをやりがいのある仕事にできるか?』がありました。卒業後、社会に向かう直前に、自分の人生について不安があるとしたら『やりたくない仕事についたらどうしよう?』というのがあって、それを解決する方法として考え出した質問です。答えは『yes,私はできる!』でした。根拠はありませんでしたが、自分のことなので、できるだろうと。

就職したのは2月に起業したばかりの会社(学習塾)で、学生の身分のままで入社しました。入社後の仕事は教材、テストを設計から印刷製本までとか、DM作成から発送、もちろん授業もやりました。作業ではなく『仕事化』することにやりがいを感じ取ることができました。35年間の会社勤めにおいて、様々な状況での業務において常にそれを重視してきました。

つまり、環境との付き合いは自分の考え次第であることを学びました。40年ぶりに丹波に戻った昨年も『丹波の面白さ』を見つけ、FBなどで発信することで、私の故郷に対する考えは良い方向に変わりました。それは今も続いています。

58歳で組織での仕事終えて、準備の1年間をおえ、つぎの仕事に向かってスタートしました。やりがいを感じています。

相手の立場に立って

超介です

もう桜も散ってしまいました。昨日は田植え用の早苗を82ケース農協から受け取りました。これから5月上旬までビニールハウスの中で育てます。田植えはGWの最中に兄弟、親戚が集まって行います。

『コーチングをやるときに何を一番重要視していますか?』とコーチングをしているときに逆に質問をいただきました。『うーん』と視点をクライアントから離してでもすぐ、同時に相手に戻って『クライアントと一緒にいることです』と答えました。

大人にも、子供にもティーチングするときには『自分がわかっていること、知っていること、感じていること』にとらわれてしまい『相手が見えなくなってしまう』ことがあります。数学を教えていても、自分の体験を語っていてもロジックやら常識を話しているうちにそれに自分が囚われ、手が見えなく当然できるようになったと思ってしまいがちです。その後のテスト結果に愕然とするのです。

教科の学習の場合は、結果が出るのでわかりやすいですが、普段の仕事上あるいはプライベート上のコミュニケーションでも行き違いがあって、お互い変だなと感じたままで過ごしていることがあります。

そこでどんな行動をとるか、みなさんはどうしていますか?

塾をはじめました

超介です。

丹波の黒井という駅近くで塾(j.スクールと命名しました)を始めました。4月開講、まだ1か月もたっていません。始めてみるとなかなか楽しいです。自分が主宰する場、自分で運転できる場ができ、どちらに向かって舵を切るのも自分次第だからです。

昨夏、千葉の深い森の中で『人生航海図』を受講して決意しました。それからいくつかの研修メニューを受講してそれまでの人生を眺めなおし、市場調査を現場に身を置いて行ってスタートしました。

読書も、ブログを書くことも、教科の勉強をすることからも少し遠ざかっていました。日々の目新しい体験に気を取られていました。ひと段落ついたので再度やりたいことを整理して進みたいと思います。

この間、思いついたことを写真と一緒にすぐ投稿できるFace bookには投稿し続けていましたが、このコーチング日誌にはもう少し長く書いてみたかったのです。

j.スクールでの仕事の合間に思いついたことを書いてみることにします。

みなさんこれからもよろしくお願いします。

新しい仕事

超介です。

しばらくブログを書いていない、と気がつきました。ちょっと慌てて、マックで書いています。

今、「j.スクール」という名前の塾を始める為の準備をしています。

新しい仕事に挑戦することは、とっても楽しいです。それは私にとって新しい経験で、次々と選択することが現れるからです。当面は個人塾として一人で運営します。それで、全部自分で決めます。今日は看板の発注をしました。文言をどうするか、ロゴはから始まって近隣の店舗との工事協力依頼の段取りまで、業者さん、家主さんと詰めていきます。

準備と一緒に不安も感じ始めます。3月に塾生募集、体験講座をやって4月開講です。具体的な不安な事は思いつかないのですが、身体が不安を感じているようです。そう、なんとなくの疲労感、とでもいうような感じです。この疲労感の説明として「不安」だろうと。

個別指導と、自立学習をコーチングを使って行います。「子育ち」が支援できるようにコーチング認定校としても申請中です。

新しい人たちとの出会いがとても楽しみです。

学んで時に之を習う(?)

超介です。

霧芋という、丹波篠山特産の山芋があります。小学生の頃、我が家では食べていたようですが、半世紀たった最近その芋をいただき、初めて見た外形に感動しました。初めて意識して見たんだと思います。握りこぶし2つ分ほどの、おおよそ球形ですが、少し凸凹ののある、ザラザラしていますがなだらかな球面のあるお芋です。

その芋が土の中から出てきた時に、隕石を想像させる、と直感しました。畑にそれがたくさん植えてあって、地上の植物体はたくさん、何回も見ていたのに、土中にそんな形の物が埋まっていたとは想像出来ませんでした。それで、おがくずの入った袋の中に大切にしまわれていたそれを、しばらく眺めました。

「昔よく食べとったやろ?」と家族がいいましたが、思い出せません。とろろにして食べてみて初めて思い出しました。「ああ、これは美味しいと思っていなかった味だ」と。そして、当時と違う「美味い」と味わっている自分に気がつきました。「味覚が広がっている」ということだと思います。

感覚が深まる、という様な、脳の中の物事に対する基準が多様化していくことは人生を豊かにしてくれます。「学んで時に之を習う、亦楽しからずや」はこのことも含むのかもしれません。この「時」は今回の霧芋の味わいでは、半世紀も立った時間の流れになってしまいましたが、この「時」の中で変わってきた自分を感じることが楽しいのです。

2015年の干支 「乙未」について

超介です。

皆様あけましておめでとうございます。

今年の干支は乙未(きのとひつじ)です。毎年「安岡正篤著 干支の活学」を開いて、そこに記載してある、干支の意味を探す作業を行っています。この本によれば、干支というのは占いではない、「生命あるいはエネルギーの発生-成長-収蔵の循環過程を分類、約説した経験哲学」というものとしています。十干、十二支の組み合わせによる合計六十の干支を生命やら社会の流れに照らし合わせ、その流れを読み解き、その年を生きる人々の何らかの指針となるように、という狙いです。先人の知恵がそれぞれの干、支に込められていて、その意味を知って自分なりの解釈を行えば、まるで鏡のようにその年なすべきこと、注意すべきことが浮かび上がってきます。

私はこのことを、尊敬する恩人から教わり毎年自身の生き様に照らし合わせて解釈し、新年の心構えとしています。

さて今年の干支の乙は「乙は甲の芽がなお寒さや外の障害に逢うて屈曲する象形で、乙々と言えばはかばかしくゆかず苦労する意」とあります。去年の干支である甲午の甲は、硬い殻を破って新しい芽が出てきたその象形ですが、それを受けての乙は、その後未だ環境は厳しくすくすくまっすぐに芽が伸びる、とはいかない、の意味です。そして支の未は「これは上の短い一と木からなっておって、一はやはり木の上層部、すなわち枝葉の繁茂を表しておる。ところが枝葉が繁茂すると暗くなるから、未をくらいと読む。未は昧に通ずる。つまり支の「未」は、暗くしてはならない、不昧でなければならない」としています。

干支を合わせて解釈すれば、2015年は、甲で象徴される、昨年新たに始まった動きがあるが、環境はそれを順調にすくすくと育むような状況ではなく、ややもすると芽は、まっすぐでなく曲がって伸び悩む、そしてその逆境は植物が繁茂して、地面を暗くしたりまた、伸びる目を邪魔したりする。であるから、それらをしっかりと切り取ったりあるいは整理して、本来の芽が育つように整えよう、という解釈ができます。この場合の地面の植物は力強い命であると同時に、そのままだと邪魔するものにもなるという象徴です。多くのものを整理するとは、例えば切り払うもそうです、でもそれにこだわらず、本来自然とはぐんぐん草木が繁茂するもので、それらをうまく同じ方向にリードしていくことが大切です。

 私事ですが、私の場合にてらし合わせると、昨年退職して、人生を再スタートしましたが、気を緩めることなく当初の気持ちを忘れずに進めよ、と。また色々と誘惑やら邪魔するものが現れるけれども、流されずに使命に照らし合わせて進めよ、と言っているように思われます。

 みなさん、今年もよろしくお願いします。

「いいとこ探し」の旅は人をいいとこに連れていく

超介です。

(2014年の振り返り)

世界を感じたり
表したりすることは
自分が感じたり
表したりすることであること

つまり、
世界をどのように捉えるかは自分次第であること

世界と自分は不可分であるから
世界の捉え方を変えれば自分は変われること

このことに尽きる

だから
「いいとこ探し」を続けていれば、
自分の「いいとこ」も見えてくる

「いいとこ探し」の旅は人を「いいとこ」に連れて行く

薩摩隼人

超介です。

 最近知り合えた70過ぎの先輩、白髪の薩摩隼人。豪快で、かつ気さく、退職後に始められた畑仕事を楽しまれています。大豆、小豆、黒豆等の豆類、白菜、キャベツ、小松菜等の葉物類、大根、人参、里芋、サツマイモ等の根菜類もつくり方を聞いたり調べたりしつつ、栽培されています。イベントやら何やらにはよく顔を出されて誰彼にも明るく笑顔で話しかけられています。アクティブで、明るくて、素敵な人です。

 先日、近所の忘年会でお話を伺う機会がありました。大阪の商社に入社されるまでの経過、日中友好平和条約締結の年から6年間の中国での仕事、帰国後の東京支店長時代の人員整理とその悩み、役員就任後の身の振り方等々話しを伺う内に、大変厳しい時代を生きてこられた方であることがわかりました。

多くの社員を解雇した時、身の置き所がなくてお寺に入って1ヶ月過ごしたこと、成果を認められて役員に登用されたが、考え方が違うと感じ退職して次の人生を始めるために丹波にこられたことなど。真剣に人生に向かい合う、ということから出てくる迫力と、彼の優しさに感動しました。

人生の先輩に会えたと思えました。