超介です。
「自分と異なる体を持った存在のことを、実感として感じてみたい」と帯にあります。「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(伊藤亜砂 光文社新書)を読みました。
見える人は2次元で世界を見ることができます。では見えない人は世界をどう感じているのか?筆者は「見えないがゆえに「死角」が存在しない、3次元で理解をする」というように説明をしています。つまり全体を俯瞰するように把握するという意味です。
この本を読み進めた理由は、塾生やら保護者の方々の行動、考えに対して私自身が「見えてないなあ」と思うことがあることからきているようです。理解したがり、わかりたがりの傾向のある「私」なので、どうすればよいか、を探しているようです。
「情報」と「意味」の違いについて筆者は説明します。「情報」とは視覚情報、聴覚情報等の神経をとおって脳に行くもの、「意味」は脳が判断する中身、価値。障害のある人に対する「情報」の措置(補助的な対応)も無論大切です。例えば、点字ブロックとか、音声ガイダンスとか。そして、さらに「意味」はもっと慎重に扱われるべきと。意味をうまく共有できた、と思えたときに同じ床に立てるからです。
例えば、計算間違いやら、ちょっとした写し間違いで、想定以上の点数をとれていない生徒がいます。それはひょっとすれば「集中できない」→「集中しない」→「他の考えが邪魔をする」→「他の考えに邪魔をさせている」→・・・・・・→「もっと注目してほしい」という「意味」かもしれません。
「見えてないなあ」と感じるのは「意味」が共有できにくいのかもしれません。「意味」を共有したり、作り出したりするのは大事な私の仕事です。