見えていないけど

超介です。

「自分と異なる体を持った存在のことを、実感として感じてみたい」と帯にあります。「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(伊藤亜砂 光文社新書)を読みました。

 見える人は2次元で世界を見ることができます。では見えない人は世界をどう感じているのか?筆者は「見えないがゆえに「死角」が存在しない、3次元で理解をする」というように説明をしています。つまり全体を俯瞰するように把握するという意味です。

 この本を読み進めた理由は、塾生やら保護者の方々の行動、考えに対して私自身が「見えてないなあ」と思うことがあることからきているようです。理解したがり、わかりたがりの傾向のある「私」なので、どうすればよいか、を探しているようです。

 「情報」と「意味」の違いについて筆者は説明します。「情報」とは視覚情報、聴覚情報等の神経をとおって脳に行くもの、「意味」は脳が判断する中身、価値。障害のある人に対する「情報」の措置(補助的な対応)も無論大切です。例えば、点字ブロックとか、音声ガイダンスとか。そして、さらに「意味」はもっと慎重に扱われるべきと。意味をうまく共有できた、と思えたときに同じ床に立てるからです。

 例えば、計算間違いやら、ちょっとした写し間違いで、想定以上の点数をとれていない生徒がいます。それはひょっとすれば「集中できない」→「集中しない」→「他の考えが邪魔をする」→「他の考えに邪魔をさせている」→・・・・・・→「もっと注目してほしい」という「意味」かもしれません。

「見えてないなあ」と感じるのは「意味」が共有できにくいのかもしれません。「意味」を共有したり、作り出したりするのは大事な私の仕事です。

見えていないなあ

超介です。

 数日前に読んだ本です。「シンプルに考える」(森川亮 ダイヤモンド社)、著者はLINE(株)の元社長さんです。選んだ理由は2つあります。4月にj. スクールをスタートさせた、そのメニューであるコーチングを用いた自立学習の参考になりそうであったから。もう一つはネットサービスを提供する会社に興味があるからです。

 教える塾ではなくて子供が育つ塾にしたいと考えてコーチングをフルに使っています。もちろんそれぞれの生徒が直面している受験やら、学校の勉強、進学、進路それらを対応させています。そのうちやろうとしている塾のスタイルが「定型的なメニューではなくて個別の(自由度の高い)メニュー」「結果(点数)支援型ではなくてあり方(生き方)支援型」を追求していることに気が付きました。この部分は見えてきたことです。

 学習塾で35年間仕事をさせてもらって、その体験から見えることもあるし、逆にその体験が邪魔をして見えていない(だろうこと)こともあります。現場で小中学生及びその保護者の方々に来ていただくと、私自身が「(私は)見えていないなあ」と感じることが多いです。特に彼、彼女らの感性の部分、何を重要視しているかです。

 この見えていない部分はそのままにしておいていいことも、それだけではいけないときがあります。

それだけではいけないとき、それらと向き合うコツは「自己開示」であるように思えます。先日期末テストが終わり、その結果を子供たちが持ってきて話してくれました。「それでどうなん?○○さんはどんだけ満足なん?」などきいて「ほう〜。」「そうなん。」など。そしてどうしてそう思う、とか私の感じたことを伝えるのです。私も彼らも大きく心の窓を開くのです。すると自然にその後が進みます。

どうやら、この私も、彼らも「自己開示」がうまくできるかどうかは普段の在り方にかかわってくるようです。「シンプルに考える」はそのヒントを与えてくれました。

せつなさの来るところ

超介です。

過去を振り返り、生きてきた自分をそのままに受け止めていくと、せつなさがあらわれてきて胸がいっぱいになります。例えば、40年間過ごした四国松山へ再訪すればきっと、松山インターの手前の最後のトンセルをぬけたあたりでは、そうなるだろう、と。

そこに足を踏み入れれば、そこでの40年間の、いろんな出来事が思い出されてきて、それと同時にその時あじわった様々な感情が一気ににじみ出てきます。寂しかったこと、つらかったこと、悲しかったこと、うれしかったこと、感動したこと、楽しかったことがごちゃまぜになってせつなさとなっているようです。

その後はにじみ出た感情に心の表面が洗われてきれいになってポジティブになっている自分に気が付くことが多いのです。

 何年か前、まだコーチングを習って間もないころに「ゆるす」を意識して、おこなったり「心の2層構造」ということを知りえて理解が進みました。

無意識にしまい込まれている様々なものたちが、意識の層に浮かび上がってくるときに、同時にポコポコ泡みたいにでてくるせつなさ。
 

飾ることから離れる

超介です。

「超マイペース」です、という自己紹介をする人に出会いました。彼はあまり「動じない」人で興味、関心のままに行動しているように見えます。かといって、「わがまま」というわけではなく、人の話をよく聞く姿勢を持つ人です。

よく見られたい、こんな風にみられたくない、という思いにとらわれ、自分を飾りすぎて、言いたいことがあらわせない、という自分に気が付いているので「超マイペース」な人が私の前に現れているんだと思います。 

 先日、神戸市での(一般社団法人)日本青少年育成協会総会後の講演会の2人の講師の方からも同じようなことを感じていました。お話の内容はもちろん素晴らしかったのですが私はその語り口、そして自己開示を含む内容に大きな関心を持ちました。

 自分の持っているエネルギーを、最大限やりたいことにそそぐ生き方を見せていただいたように思えたのです。

 同じことを尊敬する人からもアドバイスとしていただいていることに気が付きました。j.スクールのことを話しているときに「あなた自身のひとを出せばよい。受験塾でも自立塾でも関係ないよ。」とアドバイスしてもらっていたのです。

 飾ることにとらわれすぎないように。

Beliefから自由になる

超介です。

「自分はできない」という思い込みにとらわれると、「できない理由さがし」が始まって、何を見ても、体験しても、堅牢な「できないworld」を構築していきます。逆に「できることさがし」をやれば「できないworld」から一歩を踏み出し、行動するエネルギーが得られます。

「できること」もあるし「できないこと」ともあると、少し客観的にとらえることができるようになりました。

組織塾の中で守られていたから「できる」と思っていたことは、個人でやってみると「できない」ことにちかい、と感じることもあります。組織から離れて独立して動くようになって、それまでは「できない」ことが「できる」と思えるようになることもあります。

「思い込み」(Belief)から完全に自由にはなれないですが、やろうと決めたことに向かって行動が繰り出せていないときに、何かの「思い込み」にとらわれているのでは、と考えるようになりました。

そして、もう一つ。「過去の実績・経験から」ではなくて「未来の姿(=達成)から」見ることを意識するようになりました。そこ(未来の姿)へ行くんだったら当然これは通る道、というように「壁」と思っていたことに向かい合えるようになりました。

そして、その道を通る、不安や迷いがあって、それを味わいつつ、通ろうとしている自分がいます。

あなたがなりうる最高のあなたになる方法

超介です。

表題は ジェリー・ミンチントン著(DISCOVER21)の本の名前です。魅力的な表現にそそられて購入しました。心に響く言葉を沢山見つけました。目下の僕のバイブルです。時々読み返すと、気持ちが整理されるようです。

各章のまとめのようなフレーズを20ほども抜き出し、j.スクールの室内に張り出しました。機会があれば塾生にも、その保護者にもみてほしいと思ったからです。

その中から

  「 許すことは、あなたの過去と未来を結ぶ橋です。
    それを渡ったとき
    あなたには、明るい未来が開かれます。」

どこかで、私には「許していない」ことがあるかもしれない、と感じました。

  「 「自分が正しい」という考えを守ることと、その人との関係を取り戻すこと、
     どちらが大切ですか?どちらがあなたの人生に喜びをもたらしますか? 」

正しいことにこだわってしまった自分がいます。関係を取り戻すなど考えてもいなかったのです。

  「  チャンスとは何でしょう?簡単に言うと、まだ満たされていないニーズのこ
とです。 」

いたるところにチャンスがあっただろうに、あるいはあるだろうに、それが見えていない自分がいるように思えます。

可能性がいっぱい!!

興味のある人は読んでみてください。

スムースでない滑り出し

超介です。

「失敗しちゃった!」というお話です。

コーチングをするって、習い始めの頃はちょっと照れ臭いので、いきなり(でも表面的にはなんでもない風に装って)始めることが多かったです。それである日塾に来てくれた小学生に、

  私 : 『今日は、どんな気持ちなんかな〜。』

など聞きますが、

小学生 : 『べつに………』

と、語尾あげて、そっけなくあっち向いてお返事。『べつに…』っ
て、「これどうやって承認するんだろ」と心中思いながら、それでは「これでどう
                           だ」と。

私   : 『今日はどんなことをやりたいかな〜?』
小学生 : 『なんにもしたくない。』

「うう、やっぱりね。そうくると思ったよ」とこれではどうだ!

私   : 『もし、勉強がよくできて、テストで良い点取れたら、
どんな気持ちだろうね〜?』

と、ややコントロール気味か、と思いつつ頑張ります。

小学生 : 『………さあ…ね〜』

と、だめやな、この子乗ってこない、コーチングは万全でないね。

私 : 『そうか、わかった。じゃ勉強始めようか。』

と、コーチング戦線から離脱。

このような経験をして、うまくいかないなあ、やっぱり言葉を知らない小学生には無理?中高年(50代のおじさんである私)と小学生ではそもそもコミュニケーションは無理、など考えたりしてました。
でも、同じ子でも、こんな時もありました。数日前に、ご不幸があってそれでも塾に来てくれ、それを『あ〜あ、…ちゃんが死んで忙しかったわ。』というのです。それを知らなかった私はびっくりしました。この後、彼は気持ちをぼつぼつと語ってくれ、そして私の言葉にも耳を傾けてくれました。
少し不謹慎な例をあげてしまいましたが、私が学ぶべきことは『何を、どのように扱うか』の大切さでした。
そのために私ができること、その一つが事前同意(あるいは契約)です。話をするための準備です。振り返ってみると、対話がうまく進む時、それは事前になんとなく予感できませんか?それを意識して作ります。(ってことを先月末のコーチングカレッジで教えていただきました。) クライアントが子供でも、大人でも同じです。さらに、そのために(クライアントと)「一緒にいる」ってとても大切なんです。
皆さんはクライアントと「一緒にいる」ためにどんな工夫、努力をしますか?

スムースな滑り出し

超介です。

7,8年前のこと、コーチングを少し習って、それを多くの社員の前で伝えるべく話した時のことです。多くの社員の前で話をすること、最初、それは私にとって苦痛な時間でした。でも、緊張を解くコーチングの方法があることを知って、冒頭でコーチングをしてもらいました。
舞台は200人ほどの職員の前、もう一人のコーチがその200人を前にして私に質問、傾聴、そして承認してくれます。

コーチ 『今どんな気持ちですか?』 (質問)
私 『とても緊張して、ドキドキです。上手く説明できるか不安なので。』
コーチ 『そうなんだ、とても緊張してるんですね。』 (傾聴、承認)
『それで、どうしたいですか』(質問)
私 『ええ、みんなにコーチングの素晴らしさ、楽しさを伝えたいのです。』
コーチ 『そうなんだ、伝えたいんだ。』(傾聴、承認)
私 『私が経験して知ったコーチングは……』

この間、わずか1分程度です。その後私は、緊張が取れてスムーズに話せました。たったこれだけですが、絶大な効果があります。 体験すると実感できます。コーチングはクライアント体験してみると本当に効果がよくわかるのです。これがクリアリングです。
クリアリングは、色々な場面で応用できます。子供にも、大人にも、少し慣れると自分自身にも使えます。スポーツ、勉強、イベント体験時とかの何かに挑戦したり、始める時に応用できます。
最初の躊躇を手放すお手伝いができるのです。そしてクライアントが行動できれば、さらに次が見えて進めます。行動の繰り返し、小さな成功体験の積み重ねが自信になって、人の成長に寄与していきます。

僕はテニスをやったことはないのです

超介です。

僕はテニスをやったことはないのです。

でも、中学生がはしってラケットを振って
ボールを打ち返しているのは楽しいんだろうな、と
思っていました。

それで、授業の合間のちょっとした時に
テニス部の中学生に話を振ります。

『テニスをやって面白く感じるのはどんな時なの?』
『相手のコートの隅、ラインぎりぎりにボールが決まった時です。』
『へえ〜。そうなんだ。じゃあそういうボールを決めるためにはどうするの?』
『ボールが自分のコートに落ちて跳ね上がったなるべく直後に打つのです。
相手が反応できないようにね。』
『なるほどね。それで、そういう風にするためにはどうするの?』
『相手のラケットの動き、体の向きに注目して、予測するのです。』
『ほう…そうなんだ。予測して反応するんだ。そのためには練習はどんなこと
に注意してい るの?』
『まず、走り込んで…』
『ふーん、よく考えているね〜。それで…』
『…』

彼は時には考え込みながら、話してくれます。このようなやりとりを色々な機会にしたいです。それは人が自分の心やら、頭と向き合いながら話をすると、動機づけられ、能動的な行動が出て来ると思うからです。教えない、どちらかといえば教えてもらうのです。

理念の意味

超介です。

私の人生は私しか生きることはできない。妻にも子にも、親にも、友人にも代わりに生きてもらうことはできない。そのことに気が付いて、人に依存せず、人の所為にせず、自分で自分の人生の舵をとる生き方を意識し始めました。私はまだまだ、どこか無意識の領域で、依存していることがあるかもしれません。修行中です。

生まれ故郷である丹波を18歳の時離れ、一生故郷には戻らないつもりで四国松山に移住して40年過ごしました。四国は第二の故郷になりました。その四国での生活のうち、35年間は民間教育機関(学習塾)で、学ぶことを、まさに学びました。

そして、昨春、2014年3月にお世話になった会社を退職し、58年間の人生に節目を作りました。自分の生き方に限界を感じたからです。

第2の人生を始めるために故郷に戻り、1年間準備をして今春、再スタートしました。

一人で塾『j.スクール』を始めました。

j.スクールは心の発火点です

『あなたの人生はあなたしか生きることができない。そのことに気が付いたとき、あなたの心はきっと発火するに違いない。』