生活時間を3つに分類する。
1.痛みや、苦しみそのものを体感している時間
2.(悩みや不安、不満があったとしても)普通に生活している時間
3.喜びを感じている時間
このように生活時間をわけて考えると、私たちはほとんど
2の時間+3の時間
を生きているのではないのだろうか?
「1の時」が来ることを恐れているのが「2の時」であるが、ここに大きな個人差があると思う。普通に生活できる時間であるのに、不安やら苦しみやら不満を心に抱き、生きている充実感がもてない。人生を幸せに生きることができるかどうかは、この「2の時」の過ごし方次第である、それはその人の考え方、行動の仕方如何である、と思う。
「2の時」を(つつがなく)過ごせる時間と“昔の大人たち”は名付けていた。不幸な出来事はたくさんあるけれど、多くの“不幸なこと”は(つつがなく)過ごすことができないことからきているのではないであろうか?
仕事がうまくいかない(でも仕事はあるし・・・)、給与が安い(でも無給ではない・・・)上司とうまくいいかない(でもいつも叱られ続けているわけではない・・・・)、夫婦仲が悪い(でもいつも喧嘩し続けているわけではない・・・)・・・・。このように考えてしまうと不幸な時間ばかり、でも
(・・・・・・)から入れば考え方が変わり(つつがない)ことへとつながるのでは。
自分の生の大きな割合である(と思う)「2の時」を正しく理解できれば、安心して、次を追求していくことができる気がする。生き様である。人の器の大小はそんなところに表れる気がする。
キヨシです。
そうですね。
その人が「苦しみ」と思えばそうなるだろうし、
その人が「楽しみ」と思えばそうなるだろうし。
要は本人、「自分次第」なんでしょうね。
2の時間ですね。
それをどう捕らえるか。
区別・分類することの大事さがわかります。
分かっているようで、ついつい
未分類の時間の中にいることってあります。
力づけられます。