再会は存在の承認の場になると教育コーチングを通じて感じている超介です。
今回の39年ぶりの再会(中学の同窓会)がなぜ私に多くのエネルギーを与えるのかを想っています。思わず、自然に握手を求めたり、ハグしたりします。半世紀以上越えて(54年間)生きてきて、素直に自分をだせるだけの知恵がついたのでしょうか、異性ともこだわらずにそうしたのです。
丹波から四国松山に来た当初は、知人もなく一人ぼっちでした。それからの年月が故郷とその地の人々への想いを募らせます。生活は仕事を中心、人間関係も仕事からの関係、息苦しくなっているのかもしれません。同窓会の時間は、閉じ込められた球形の室内に、穿たれた窓からの温かく、かつ新鮮な風でした。
同時期に生きた人たちとの再会は 存在の承認の場、そのように思えるのです。たのしいことばかりではありません。逝去した人のことについて話したり、子どもを事故でなくした、家人との関係で悩んでいる、仕事で苦労している、親の介護等、それぞれの人生の悩み、苦しみを話し合ったりもします。でもそれは愚痴る時間ではなく、それらを認め合うことができる時間でした。「そうか、あなたはそんなにも苦しんでいるのか、悲しいのか。」 僕たちはそのような心の交換ができたのです。(きっと)
ゆるしの時間であったのだと思います。様々な場と時に選択をし続けて今の私がある。私はいままで
に幾度ともなく、物足りない自分の性格を形成したのは過去の歴史である、そして頭と心の中を探り、私を操るたよりないものを掴もうと思っていました。でもこれからは、それらもゆるそうと思うのです。
もっと、ありのままに、素直にこれまで過ごしてきたときを振り返り、大切にしたいと思っているのです。
○超介さん
素敵な仲間たちですね。
そのままの自分を出せる安心した関係なんでしょうね。
居心地が良くて、素直な思いを語れる・・。
超介さんの周りは豊かですね。
キヨシです。
「存在の承認の場」
「ゆるしの時間」
もっと、ありのままに。
自分を出せることの素敵さですね。