この時期は、野球応援で日に日に黒くなっていくいっすぅぃ・です。

私ね、育ちが悪いんですわ。
2008-11-27に書いた『意味のある今このとき』に書いたことその
ままが私の育ちですから、誇れるようなものはなく。

それが、昨年の今頃のことです。
たびさんがここで報告されている「学校教育相談実技研修会」
をお手伝いする。PM級トレーナー資格の受験をするというころ
になって、私自身が大きく変わりました。それを実感しました。

高校生の頃には親を憎んでさえいた私です。それがそのうち、
諦念というものに変わっていきました。ところが今は、感謝さえして
います。

なぜだろう?

なぜかはわからない。

なぜかは分かっていても言葉にはしたくない。

おそるべし「教育コーチング」。

親のことを憎んでいた高校生の頃から、私に寄り添っていてくれた
友人がいます。
なんで私になんか、と思うものの、人生や縁といったことに思いを
馳せないわけにはいかなくなってきます。

この友人だけでなく、友人には本当に恵まれた私でした。
だから、こうやって、間違いなく、生きて来れたんだと振り返ります。

高校時代の友人が教えてくれた言葉です。
「願兼於業」。仏教用語の一つです。

願ってあなたのところに生まれてきた、願ってこの人生を生きること
にした。そうした使命感に立った生き方の中に、一見、業としか
思えないような境遇をも乗り越え、縁深い人々とも一緒に、生きる
意味を見いだしていく力がある。
(願兼於業という言葉がありますが、まさにそういうことです。
経文のなかにある言葉ですが、生き方の中でしか読めないことだ
と思う)

今の私自身を肯定し、友人達に感謝し、今日をまた生きる。
「今日を強く生きたい」という想いを、朝から噛みしめています。

One thought on “友”

  1. キヨシです。
    いっすぅぃ・の心からの言葉届きましたよ。
    私も同じように思うことがあります。
    いろんなことが許せたり、親に本当に感謝する気持ちが
    持てたり、回りのサポートを本当にかけがえのないもの
    だと感じることができたり。
    今の私自身を肯定し、友人達に感謝し、今日をまた生きる。
    「今日を強く生きたい」という想いを、朝から噛みしめています。
    私、この最後の文章に同感です!
    明日は当たり前のようにくるのではなく、明日という日に向かって
    生きているからやってくるのだと本当に思います。

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