聴くということ

おはようございます。いっすぅぃ・です。

三重県の3学期制の公立普通科高校の多くは先週辺り
に中間考査を行っています。

私の隣りにいらっしゃるのは国語科の先生。この先生は、
前任校でも一緒で、子どもが生まれたときに、毎日、何か
したいんだけどと言うと、絵本の読み聞かせを紹介してく
ださった方です。

その先生の採点している問題になんだか気になる言葉が
チラリ。「聴くということ」
すかさず、問題を見せてもらいました。問題は全文ではな
さそう。著者は鷲田清一。
問題だけでなく、教科書全文をコピーしてもらいました。

こんな文章で始まります。
 聴くといえば、だれもがおそらく、耳で、と答えるだろう
 聴覚は鼓膜に伝わる空気の振動を聴覚神経が大脳
 に伝えて・・・と、昔学校で習った記憶がある。しかし、
 聴くという行為が、耳でする、ただ単に音響情報を受
 け取るという受動的な行為だとはとても信じられな
 い。

おぉ、でした。高校生はこの文章を知っている、ということ
がまずもって嬉しかったのです。そして先を知りたかった。

 聴くというのは、相手のことばをきちんと受け止めるこ
 とである。理解できるかできないかは、普通思われて
 いるほど重要ではない。

 心を一つにするのでも、理解できるというのでもなく、
 ことばをそのまま受け止めるということそのことに意味
 がある。

 聴くというのは相手の鏡になろうとすることでもある。

「教育コーチング」そのものやないかぁ、と思いながら、も
う一度、生徒達はこの文章を知っている、と反駁しました。
知っているということは、生徒達は、実践はできていなくと
も、そういった視点を持ってるんだ。と気付いたのです。

調べてみると、鷲田清一さんは現在の大阪大学の総長を
務められているようです。
シロウト目で考えると、きっと彼の論が認められているん
だろうなぁ。きっと実践されているんだろうなぁ。

私のココんところにストーンと来たんです。「4つのトライア
ングル」やなぁって。

最後の文章はこの様なものでした。

 ホスピタリティ、つまり歓待(=他者を暖かく迎えると
 いうこと)においては、聞き上手といった素質の問題で
 はなく、どのようにして他者に身を開いているかとい
 う、聴く者の態度や生き方が、常に問われているよう
 に思う。

3 thoughts on “聴くということ”

  1. キヨシです。
    いっすぅぃ・、久しぶりですね。
    私もコーチングの講演会や講座をする時に、
    まずできることとして、「傾聴」をお勧めします。
    うーん、上手い下手ではなくて、どれだけ相手と
    一緒にいれるかですね・・・。納得です。

  2. ○そら@内藤です。
     聴くとはどういうことか
     たとえ知識的な理解であっても
     そのことを知っている人が
     増えていくということが、
     教育の力ですよね。
     
     じわじわと傾聴の意味を分かる人が
     増えていくことが、
     いつか体験的に分かることにつながるだろうし、
     日本に傾聴の文化が定着していくことに
     なるんでしょうね。
     楽しみなことです。

  3. キヨシさん>
    「久しぶり」って、気に掛けていてくださってありがとうございます。
    きよしさんも納得!!ですね。
    大阪大学のホームページを見ると、この総長さん自らが講義をされて
    いました。面白いことを考えるんやなぁって、親近感を持ちましたよ。
    そらさん>
    「日本に傾聴の文化が定着していく」
    う・んっ。想像すると、ほんまに素敵ですね・。

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