情熱を持つこと(『心の発火点』)

 超介です。

 情熱を持つこととは、それが人であれ、物事であれそれに向かう愛と考えれば、愛するとは動詞なので、その対象が人であれ、物事であれ自ら繰り出す行動如何になります。対象に向かって自らがどのように能動的に行動するか、次第であると。つまり情熱が枯渇する状態はそのような行動が繰り出せない状況なのです。

 したがって、本人の自由な意志の発動がなくて、コントロールされた状態では情熱は生まれにくいことが分かります。私の生活している地方においても、人口減少、少子高齢化等々の変動にさらされていて、従来の枠組みでは不都合が生じ、うまくいかないことがたくさん表れています。そして、そのような事柄は一地方にとどまらず日本全体で起こっていることだと思います。

 仕事の種類にしても人工知能の進化に伴い、単純な作業から人が解放され、人にしかできない範疇の仕事は残りますが、そうでない仕事は機械に置き換えられていきます。この人にしかできない仕事の大本は情熱、つまり物事により組む姿勢が能動的かどうか、この割合が大変大きいと思います。

 一つの仕事、学びをするにしても、自らの意志でやるのか、強制されてやらされるのかの差は大きいと思うのです。結果は同じでも、それが意識されているかどうかは継続していけば大きな差となっていきます。この意識を「心の発火点」として大切にしたいと思っています。

One thought on “情熱を持つこと(『心の発火点』)”

  1. キヨシです。
    「心の発火点」
    素晴らしい指導者は、生徒の学びの心に火をつける
    これと同じですね。

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